エムブリヲ奇譚 (幽ブックス)/メディアファクトリー
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山白朝子『エムブリヲ奇譚』(メディアファクトリー)を読みました。
5夜連続、中田永一+山白朝子特集もいよいよ最終夜。そして、今回紹介した5冊の中で、最もおすすめなのが、この『エムブリヲ奇譚』です。江戸時代を舞台にした怪談話集で、非常に引き込まれました。
山白朝子の前作『死者のための音楽』は、それぞれの短編には関連性はありませんでしたが、『エムブリヲ奇譚』は旅本作者の和泉蠟庵とお付きの耳彦が旅先で不思議な目にあうという連作形式の作品です。
和泉蠟庵は女のように長い黒髪である。馬の尻尾のように結んでいる。そして重度の方向音痴だ。旅本の作者であり、旅の百戦錬磨という人間のくせに、かならず道に迷う。都を出発して何日も旅をしたのに、なぜかいつのまにか都の反対側に到着してふりだしにもどったという経験もある。そのような不毛にたえかねて、もう付き人はやめたいとおもっているのに、やめられないのには事情がある。
なぜ借金ができてしまったのか。
これは私にも理由がよくわからない。先日の博奕が悪かったのかもしれないが、はたしてどうだろうか。ちょっと賽子であそんだだけで、あんな借金などできるものだろうか。(68~69ページ)
和泉蠟庵と耳彦はとても個性的なキャラクターをしていて、和泉蠟庵はよく旅をする割に極度の方向音痴、耳彦は博奕にハマる根っからの駄目男で、借金返済のために旅についていかざるをえないのでした。
物語の語り手にありがちな”いい人”とは少し違う耳彦の性質など、2人のキャラクターも魅力的ですが、旅先で遭遇した不思議な体験がかなり面白いんです。どれも奇妙で、不気味で、幻想的な体験ばかり。
タイトルの「エムブリヲ」(embryo)は、はっきりと人間の形をした胎児になる前の受精後8週未満の生体のこと。勿論、母体から引き離されてしまえば、「エムブリヲ」はもう生きることが出来ません。
ところが、ある奇妙な町を訪れた時のこと。堕胎を専門にしている産院のそばの小川で、耳彦は大量の「エムブリヲ」が捨てられているのを見つけました。これは何だろうと、一匹だけ持って帰って・・・。
とまあこんな風に、2人が旅先で目撃した怪奇現象が綴られる物語で、作品のテイストとしては平安時代を舞台に源博雅と安倍晴明が不思議な現象に遭遇する夢枕獏の『陰陽師』シリーズに一番近いです。
陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)/文藝春秋

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ただ、不思議な力を持つ安倍晴明と違って、和泉蠟庵も耳彦もただ怪奇現象に巻き込まれるだけ。怪奇現象に対してとことん無力という所にぞくぞくさせられる感じもあり、怪談話としてはより面白いです。
『エムブリヲ奇譚』は今はあまり知られていませんが、こういう怪奇テイストが好きな人にはもうたまらない傑作で、マンガや映画になったら大ブームが起こるんじゃないかと思うくらい、良かったですよ。
連作という形式なので続編も十分ありえるのではないでしょうか。シリーズ化されたらいいなあと、そんな期待をしてしまう作品でした。
作品のあらすじ
『エムブリヲ奇譚』には、「エムブリヲ奇譚」「ラピスラビリ幻想」「湯煙事変」「〆」「あるはずのない橋」「顔無し峠」「地獄」「櫛を拾ってはならぬ」「「さあ、行こう」と少年が言った」の9編が収録されています。
「エムブリヲ奇譚」
温泉の紹介を中心にした旅本の作者、和泉蠟庵の付き人として旅に出た〈私〉は、一日中霧の立ち込める町の小川で、小指くらいの大きさの白くて小さいものを拾いました。どうやら人間の胎児のようです。土に埋めて弔ってやろうとしますが、その胎児はひくひくと動いていて、米のとぎ汁を与えるといつまでも生きています。博奕で借金を背負った〈私〉は、この胎児で見世物小屋を始めようと考えて・・・。
「ラピスラビリ幻想」
書物問屋で働く16歳の少女輪は、耳彦と2人だけの旅では味気ないという和泉蠟庵の願いを受けて一緒に旅することになりました。ある村で老婆からラピスラビリ(瑠璃)という不思議な石をもらいます。自分は500年以上その石を持っていたという老婆の言葉の意味がよく分かりませんでしたが、27歳の時に火事で死んだ時に分かりました。輪は記憶を持ったまま、同じ輪としてまた生まれて来て・・・。
「湯煙事変」
宿につくと、夜になったら温泉に入らない方がいいと言われました。何かあったら旅本には書けないからと、和泉蠟庵に無理矢理頼まれてしまった〈私〉は、渋々、夜にその温泉へ行ってみることにします。温泉に入っていると、人影はどんどん増えていきますが、声をかけても返事はありません。やがて〈私〉は、その人影の様子がそれぞれ、亡くなった自分の知り合いたちに似ていることに気が付いて・・・。
「〆」
〈私〉たちの後をとことこついて来た雌の鶏に小豆という名前をつけて〈私〉は可愛がるようになりました。小豆と一緒にたどり着いたのが、海の近くの町。山道を登っていたはずなので、不思議な話です。常に見られているような不気味さがある町ですが、天井の木目や魚が人間の顔に見えるからだと分かりました。和泉蠟庵は単なるパレイドリア(錯覚)だと言いますが〈私〉は何も食べられなくなり・・・。
「あるはずのない橋」
〈私〉と和泉蠟庵は、崖に木を差しこんで作る刎橋(はねばし)という作りの橋を見ましたが、ある家で宿を借りるとそこの老婆は、それは40年も前に落ちてしまったあるはずのない橋だと言うのでした。橋が落ちる時に大勢が亡くなり、今でも旅人が橋の上に人影を見ることがあるそうです。話を聞いていると老婆は、死んだ子供に会いたいから夜に橋まで背負って行ってくれないかと〈私〉に頼んで・・・。
「顔無し峠」
旅の途中、〈私〉は見知らぬ男に「も、喪吉でねえか!」(156ページ)と話しかけられます。どうやらその村で亡くなった喪吉という男と〈私〉はよく似ているようで、奥さんや子供も出てきて大騒ぎ。違う人物であることを証明しようと、奥さんにあざやほくろなど喪吉の背中の特徴を書いてもらいます。そして〈私〉が着物を脱いで背中を見せると、奇妙なことにその特徴はぴたりと一致していて・・・。
「地獄」
山賊に襲われて気を失った〈私〉は、余市とふじという若い夫婦とともに、穴の中に囚われていることに気付きました。和泉蠟庵の姿はなく、うまく逃げられたのか、殺されてしまったのかは分かりません。一人だけ助けてくれるというので、ふじが縄を登って外へ出て行きます。助けが来るのを待つ〈私〉と余市。やがて、いつもの乾燥させた肉とは違う、切り取って焼いたばかりの新鮮な肉が出てきて・・・。
「櫛を拾ってはならぬ」
〈私〉の代わりに、友人と旅に出た色白で細身の青年が、不可解な死をとげたと聞きました。怪談話を集めた本を書きたいという青年と友人は、百物語のように毎夜、怪談話をしながら旅を続けたそうです。ところが、温泉宿で青年が古い櫛を拾ったことから、青年の様子が急変します。指に髪の毛がからみつくようになり、部屋の戸をしっかり閉めていても、布団の中には大量の髪の毛が散らばっていて・・・。
「「さあ、行こう」と少年が言った」
小作人の家に生まれながら地主の長男に見初められ、十五歳の時にそこへ嫁いだ〈私〉。ところが次第に夫の家族から馬鹿にされ、厳しい労働が課せられるという、辛い日々を送るようになってしまいます。家に居場所がない〈私〉は、土蔵で一人だけの時間を過ごしていましたが、ある時、そこで9、10歳ほどの少年に出会いました。〈私〉が字を読めないと知った少年は、字を教えてくれると言って・・・。
とまあそんな9編が収録されています。「エムブリヲ奇譚」からもうぐっと引き込まれますがとにかく面白いのが「ラピスラビリ幻想」。記憶を持ったまま、もう一度初めから生きられる少女のお話です。
何が起こるかをもう知っているわけですから、助けたい人の命は助けられますし、嫌なことはやらないでおくことが出来ます。そして、不思議な石を持ってさえいれば、何度でも、人生を繰り返せるのです。
こういうのが好きな人にはもうたまらなく面白い展開ですよね。もしも自分だったらどうするかなあと、色々考えながら読んでいました。
語り手の耳彦が、よくいる”いい人”ではないというのがよく出ているのが「〆」と「あるはずのない橋」。かと言って耳彦が悪い奴というわけでもなく、人間心理の恐ろしさを描いた短編と言えるでしょう。
あらすじを読んで、興味を引かれた人には、もうどストライクの作品だと思うので、ぜひ読んでみてください。すごく面白い一冊でした。
明日からはダイアナ・ウィン・ジョーンズの「ハウルの動く城」シリーズ3冊を。まずは、『魔法使いハウルと火の悪魔』からスタート。