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ウィリアム・フォークナー『八月の光』

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八月の光 (新潮文庫)/新潮社

¥882
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ウィリアム・フォークナー(加島祥造訳)『八月の光』(新潮文庫)を読みました。

好きな作家と言うよりはむしろ、どちらかと言えば苦手な作家なのですが、ぼくが今までに最も衝撃を受けた作家が、フォークナーです。

苦手な理由はいくつかありますが、まず、語りが複雑な構造をしていること。登場人物の「意識の流れ」が書かれたり、時系列がばらばらになって、描かれたりするんですね。ストーリーは追いにくいです。

そして、テーマがショッキングで重いものであること。南部の町を舞台にし、黒人差別や、殺人などの犯罪が描かれることが多いのです。

なので、ただでさえ読みづらい文体や構造をしている上に、テーマ的にも読むのがしんどいので、あまりおすすめの作家ではありません。

ですが、まさにそうした独特の特徴を持つが故に、今なお読者に衝撃を与え続けている作家なんですね。「起承転結のはっきりした、よくある小説には飽きたよ」という方は、ぜひ手に取ってみてください。

フォークナーは初めこそ評価されなかったものの、次第に世界的に高く評価されるようになっていき、ノーベル文学賞も受賞しました。現在では20世紀の世界文学を代表する作家として認められています。

フォークナーの独特の語りの文体や、複雑な物語構造も重要ですが、後世の作家に最も大きな影響を与えたのは、フォークナーが作り上げたミシシッピ州にある架空の土地「ヨクナパトーファ郡」でしょう。

フォークナーは、その「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品を多く書いています。作品はそれぞれ独立していますが、別の作品に出ていた人物が再登場するなど、物語が少しずつリンクしているのです。

人物の再登場自体は、19世紀フランスの文豪バルザックが「人間喜劇」(『谷間の百合』『ゴリオ爺さん』など)と総称される作品群で行っていますが、土地にこだわったのがフォークナーの大きな特徴。

それに影響を受けてラテンアメリカ文学の作家ガルシア=マルケスは『百年の孤独』などで、架空の土地「マコンド」を作り上げました。

日本でもこうしたフォークナーやガルシア=マルケスの影響を受けて大江健三郎が四国の村、中上健次が紀州熊野、最近では阿部和重が山形県神町を舞台に、一つの土地にこだわった作品群を書いています。

続いてフォークナー独特の文体についても少しだけ触れておきたいと思いますが、ぼくがフォークナーに衝撃を受けたのは、まさにその独特の文体でした。では、『八月の光』の書き出しを見てみましょう。

 道端に坐りこんで、馬車が丘をこちらに登ってくるのを見まもりながら、リーナは考える、『あたしアラバマからやってきたんだわ。アラバマからずっと歩いて。ずいぶん遠くまで来たのねえ。』考えはさらに走って 旅に出てからひと月とたたないのにあたしもうミシシッピ州にいる、こんな遠くに来たのは生れてはじめて。あたしが十二のときに家からドーンの製材所に移ったときよりもっと遠くに来ているんだわ(7ページ)


この書き出しの時点で、文体の独特さが分かってもらえたのではないでしょうか。二重鍵カッコが意識して考えていること、ゴチックの部分が自然に考えがめぐるいわゆる「意識の流れ」の部分になります。

意識の流れ」というのは多用されればされるほど、客観的な描写からは離れていくので、ストーリーは把握しにくくなります。さらにフォークナーの場合は、時間が過去に戻ったりするのでなおさらです。

こうした実験的とも言える文体に関心を持った方は、フォークナーの作品の中で一、二を争う読みづらさはありますが、代表作の一つである『響きと怒り』がとにかくすごいので、ぜひ読んでみてください。

さて、今回紹介する『八月の光』は、「ヨクナパトーファ・サーガ」の5作目にあたり、見た目は白人なのですが、黒人の血を引いていると思われるジョー・クリスマスにまつわる恐ろしい事件の物語です。

作品のあらすじ


12歳の時に両親を亡くしたリーナ・グローヴは、20歳年上の兄一家の元で暮らし始めました。やがて年頃になったリーナは恋人の子供を妊娠して、兄一家から激しく非難されるようになってしまいます。

恋人のルーカス・バーチは、ずいぶん前に町を出ていってしまいましたが、リーナは生活の基盤がしっかりしたら迎えに来てくれると信じて、待ち続けました。しかし、いつまで経っても便りはありません。

そこでリーナは、大きいおなかを抱えて、ルーカス・バーチがいるという噂の、ヨクナパトーファ郡ジェファスンへと向かったのでした。

ジェファスンの製版工場で働くバイロン・バンチの元を、一人の女性が訪ねて来ました。しかし、バンチの姿を見るなり、女性の顔から笑顔が消えました。思っていた、ルーカス・バーチではなかったから。

バイロン・バンチはルーカス・バーチなどという名前を聞いたことがありませんが、火事が起こった家の話をするついでに、かつての同僚のジョー・クリスマスとジョー・ブラウンの話を、女性にしました。

「彼はどんなふうな人なの?」と彼女は言う。
「クリスマス? うん彼は――」
「クリスマスのほうでないわ」
「ああ、ブラウン。そう。背が高くて、若くて、浅黒い顔でね、女は彼をいい男前だと言ってるね、かなり大勢がそう言うのを聞いてるよ。笑ったり陽気に遊んだり人に冗談を言ったりするのが得意でね。しかし僕は……」彼の声は止む。彼は相手の落ち着いた真面目な視線を自分の顔に感じていて、顔をあげることができない。
「ジョー・ブラウン」と彼女は言う。「その人、口のここのところに小さな白い傷跡がなかったかしら?」(76ページ)


クリスマスは3年ほど前にこの町へ流れて来た者で、仲間にウイスキーを密売していました。やがて、同じように流れ者としてやって来たブラウンがクリスマスと親しくなり、一緒に仕事をし始めたのです。

バイロンは牧師のゲイル・ハイタワーの元を訪ね、火事が起こった家ではミス・バーデンが首を切られて殺されていたのだと話しました。

そして、ミス・バーデンの屋敷の近くに住んでいたクリスマスとブラウンは事件直後、姿をくらましていたけれど、懸賞金の千ドル欲しさにブラウンが姿を現して、クリスマスのことを密告し始めたのだと。

『俺はクリスマスのことを言ってるんだ』とブラウンが言うんです、『この町の目の前でおおっぴらに白人の女と同棲したあげくにその女を殺した男のことをさ、ところがあんたたちは、そいつが何をしたか知ってるしそいつをあんたたちに見つけてやれる者をいじめていて、当のそいつをますます遠くへ逃がしちまってるんだ。やつは黒ん坊の血を持ってるんだぜ。ひと目見たときに俺は悟ったんだ。ところがあんたたち、お利口な保安官やそんな人たちときたらよ。ちぇっ! 一度なんぞはやつはそれを認めたんだ、自分は黒ん坊の血を持ってると俺に言ったんだ。(後略)』(129ページ)


ここで物語は過去に戻り、クリスマスの生い立ちが語られていくことになります。クリスマスの晩に捨てられ、孤児院で何故か虐げられて育ったクリスマスは、やがて、マッケカン夫妻に引き取られました。

幼いクリスマスを、キリスト教徒として立派に育てようと思うマッケカンは、時にはムチで叩きながら、クリスマスの教育に当たりますが、クリスマスは教えを覚えようとせず反抗的な態度を崩しません。

17歳になったクリスマスは、まだうぶだったので、30歳を過ぎている相手だと気が付かず、町の食堂の給仕女に夢中になりました。5マイルの道を走って、週に2度ほど彼女の元へ通うようになります。

時には、なにかと優しくしてくれるマッケカン夫人が貯めているお金をクリスマスは盗んで、給仕女にプレゼントを買ったりもしました。

ある時、約束をしていない日に給仕女の部屋に行くと、彼女が他の男と一緒に寝ていることに気付きます。2週間ほど彼女の元に行くのをやめていましたが、ある晩、町角で彼女を見つけ、殴りつけました。

いまの彼はずっと前からなじんでいた光景を、新しい意味で目に浮べることができた――あの食堂にとぐろを巻く男たち、くわえたばこを動かしながら、通りすぎる彼女に話しかける連中、そしてうつむいた情けない感じで絶えずあちこちと動く彼女。女の声を聞いていて、彼は土の上に見知らぬ男たちすべてからもれる臭いを嗅ぐように思えた。話しつづける女の顔は少しうつむき、あの大きな両手は静かに膝にのっていた。それは彼には見えなかった。しかし、もちろん、見なくとも分かっていた。「あんた、知ってたと思ってたわ」と女は言った。
「いいや」と彼は言った。「俺、知らなかった」
「知ってたと思ったわ」
「いいや」と彼は言った。「俺は、知らなかったよ」
(261ページ)


やがて町を離れたクリスマスでしたが、自分の体に黒人の血が流れていると思っているだけに、白人の社会には馴染めませんし、かと言って、見た目は白人なので、黒人の世界にも馴染むことが出来ません。

行くあてもなく町から町へ流れ続け、33歳になったクリスマスは、ヨクナパトーファ郡ジェファスンにたどり着きました。北部からやって来たというミス・バーデンが黒人の世話をしていると知り・・・。

はたして、ミス・バーデンが殺され火事が起こった事件の真相とは? そして妊娠しているリーナとルーカスの関係の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。語りや物語構造はかなり入り組んでいて、分かりづらいですが、ミス・バーデンの屋敷で起こった火事の真相と、ルーカスを追いかけて来たリーナに着目すると、分かりやすいです。

フォークナーの作品と言うのは実に不思議な作品で、作品から何かしらのメッセージを読み取ろうとすることはほとんど無意味なんです。

『八月の光』は、これこれこういう作品で、こういうことを描いているのだと、そんな風に集約が出来ない、混沌とした作品なんですね。

場面によってスポットの当たる人物が違うので、リーナやクリスマス、そしてバイロンやハイタワーの、誰もが主人公と言えるような作品ですが、共感し、感情移入出来るようなキャラクターはいません。

それはつまり、何が正しくて何が間違っているのかを、読者の代わりに判断してくれるキャラクターがいないということでもあり、読者はただただ目の前の出来事にひたすら圧倒され続けるしかないのです。

面白いというよりはすごい小説であり、好きか嫌いかはともかく読者の心に衝撃を与えずにはおかない作品です。なかなかに読みづらい小説ではあるのですが、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日もウィリアム・フォークナーで、『サンクチュアリ』を紹介する予定です。

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