大地のゲーム/新潮社
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綿矢りさ『大地のゲーム』(新潮社)を読みました。
芥川賞と大江健三郎賞をいずれも最年少で受賞した綿矢りさの待望の新作長編。出版社のキャッチコピーは、”未来版「罪と罰」”です。
今までの綿矢りさの作風とは全く異なる新境地を開いている作品で、今までの作風が好きな人はちょっと抵抗を感じそうですが、それは逆に言えばまた新たな読者層を獲得しそうだということでもあります。
綿矢りさの今までの作風の何よりの特徴は、やや歪んだ感情を生々しくリアルに描くことだったと思います。描かれるのは日常というごく狭い世界ながら、そこには、複雑な心理や感情の動きがありました。
東日本大震災を経て、地震をテーマにして書かれたこの『大地のゲーム』は、物語の舞台は近未来、日本に似ていながらも固有名詞を極力廃した、どこか寓話的な雰囲気漂う世界が構築されている小説です。
親の親の世代がまだ子供だった頃に津波を引き起こした大きな地震が起こり、それから少しずつ世界のあり方が変わっていったようです。
私たちはもともと”明るすぎる街”を知らない。明るすぎる街――何世代も上の人たちは、主力エネルギーの稼働禁止前の街をそう呼び、その後のうすら明るい街に慣れようとしていたそうだ。私には想像もできないが、かつてこの国の夜が他のどの国よりも明るく、地平線の先まで光がちりばめられ、一億ドルだとか、二万ドルだとか、額は忘れたけどそれほどに値打ちのある夜景と称されていたらしい。(57ページ)
平均寿命は短くなり、条件付きではあるものの銃の所持が許可された世界。夏に大きな地震が起こり、またいつ大地震が起こってもおかしくない状況の中で、学生たちは校舎で寝泊まりをしているのでした。
そうした異常なある種の極限状態に現れた”リーダー”とまわりの人々のそれぞれの葛藤を描いた物語。まさに綿矢りさの新境地ですよね。
ドストエフスキーの『罪と罰』というよりは、ディストピア(あってほしくない未来世界)ものであるジョージ・オーウェルの『一九八四年』に近く、こうした作品を綿矢りさが書くとは思いませんでした。
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)/早川書房

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ちょっと脱線しますが、現代日本文学の大きなテーマに”本当の自分とは何か?”があるんです。いつ誰といる自分が本当の自分なのか。
みなさんも友達といる時、恋人といる時、家族といる時、上司や先輩といる時、そして、ネット上で見せている顔などは、それぞれみな少しずつ違うのではないでしょうか。どれが本当の自分なのでしょう?
近年そうしたテーマに取り組んでいるのが平野啓一郎で、「分人主義三部作」(『決壊』『ドーン』『かたちだけの愛』)を書いたりしています。特に『決壊』は『大地のゲーム』と重なる部分が多いです。
また、そもそも”本当の自分”というのは、幻想に過ぎないという考えを書いた、『私とは何か――「個人」から「分人」へ』という本も出ているので、その辺りに興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)/講談社

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人間は相手によって態度を変え、本音を持ちつつ建前で生きていく生き物です。しかし、戦争や大きな災害で極限状態に追いやられた時、建前の仮面は崩れ落ちて、恐ろしい本音が顔を出してしまうのです。
綿矢りさの『大地のゲーム』が何より面白いのは、そうした表裏のある人間の心を巧みに描き出していること。独特の世界観、物語性と文学的テーマの深さが融合した、個人的にはとても好きな作品でした。
作品のあらすじ
大講堂の2階にある劇場準備室で学祭で行う政治劇の衣装を縫っていると、息を切らしてマリがやって来ました。「私」はマリを宝箱に入れ、マリを追いかけまわしている女子グループから守ってやります。
窓の外からは、デモ隊が何やら叫んでいる声が聞こえていました。
「マリ、もう出てきていいよ。あいつら行っちゃったから」
宝箱の蓋を開けて中から這い出てきたマリは、スカートについた埃や糸くずを払った。
「もう大学に来るの、よしたら? あんたはいつか、あいつらに殺されるかもしれないよ」
「自分の居場所は自分で決めたい。だれかに追い出されて、逃げ出したくなんかないの」
か細い身体に、平べったい童顔、大きな瞳、か弱そうなのに意外としぶといところが、余計にあの女子たちを刺激するのだろう。私の陰に隠れて窓から覗き、追っ手の姿がないのを確認したマリは、拡声器の声に反応した。
「なにあの行列。デモ?」
「うん、うちのグループのね。非公式なんだけど」(12ページ)
「私」は「私の男」と一緒にリーダーが作った”反宇宙派”というグループに所属しています。2週間後に控えた学祭で、演説、演劇、出店をする予定なので”反宇宙派”のメンバーたちは準備をしていました。
日が暮れると、大学近くの居酒屋に行って夕ご飯を食べ、14号館に戻った「私」たち。夏に大きな地震が起こり、一時的な宿泊所として解放されたこの学館には、今でも多くの学生たちが住んでいます。
家が壊れて帰れない人も家は無事なのに帰らない人もいますが、また近い内に大規模な地震が来ることが予測され毎日数回余震が続いている状況なので、新しく平和な生活を始める気にはなれないのでした。
「私の男」が悪夢にうなされて叫んだので、高速道路の崩壊で亡くした両親の夢を見たのかと心配すると否定されます。「違う。両親の夢を見たんじゃない。あいつの死ぬ夢を見たんだ」(31ページ)と。
悪夢にうなされる「私の男」はいつしか、16号館に移って来た薬学部が作っているというドラッグに興味を持つようになったのでした。
「私」はマリを追うグループにからまれますが、”反宇宙派”のリーダーとマリが付き合うようになるのを怖れて、あなたたちはわざわざ古い事件を持ち出して、攻撃しているのではないかと言ってやります。
「古い事件じゃない、まだ今年の話よ!」
メンバーの一人の女子が金切り声を上げて、涙の浮いた怒りの眼差しで私をにらみつける。あの事件で死んだ男の妹だ。
「部外者出入り禁止。高校生のくせに」
私が軽い口調で言うと女子はますます怒り、私に食ってかかろうとするのを、周りのメンバーが、相手にしても意味ないから、などと止めながら私を睨みつけた。
ピイィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
緊急地震注意報のベルが鳴り響き、私たちは一瞬耳をふさいだ。音は鳴り続けて教室にいた学生たち廊下に出てきて、外に避難するかどうするか、近くにいる人間と二言三言相談し、結果ほとんど全員が階段に向かって歩き出した。(48ページ)
建物から離れて避難しなければならないので、なんとなくうやむやになりました。「私」はあの地震が起こった時のことを思い出します。
あの夏の日、後に有史以来最悪の自然災害として報じられる大地震が起こり、生き残った学生や、近隣の避難住民が校舎で寝泊まりするようになりました。しかし、やがて段々と食料が尽きていったのです。
みんなを怒らせたのは、どこかの学館の地下に非常用物資がたくさん蓄えられているという噂が流れたこと。それにもかかわらず誰にどう配るかで大学の理事会が揉めて、なかなか配られなかったのでした。
そんな時に、防災備蓄倉庫の封鎖を破ったのがリーダーだったのでした。物資を運び出すと、ちゃんと怪我や病気をしている人を中心に、サンタクロースさながらの見事さでみんなに配ってしまったのです。
突如現れたヒーローにみんなの心はとても勇気づけられたのでした。
”みんな、あれがないからこれができない、電気がないから平たい道路がないから、人間的な避難環境を保てない、人の命も救えない、と絶望しきってた。でもあいつは違った、なにもないところからみるみる必要な何かを作り上げた。あいつが使ったのは人だった。泣いて混乱して近しい人間の無事を確かめるために狂乱状態になっていた人たちを、勇気づけて、頼りにして、指示を与えて、りっぱな力に仕立て上げた”
これがのちに聞いたリーダーの評判だ。(65~66ページ)
地震の後の混乱が治まりつつあった頃、「私」は音楽研究会のビラを配っている時にマリと出会い、「私」と「私の男」をリーダーのグループへと加入させることになった、大きな事件が起こって・・・。
はたして、「私の男」を悪夢で苦しめ続ける事件とは一体何なのか? そして”反宇宙派”は、学祭のイベントを成功させられるのか!?
とまあそんなお話です。誰もが行動できなかった時に行動したリーダー、みんなが思っているのとは違うリーダー像を見据える「私」、悪夢に苦しめられる「私の男」、弱そうに見えて強いマリたちの物語。
夏の大きな地震、そして混乱期に起きた事件で結びついた学生たちは学祭の時にそれぞれが再び大きな出来事に遭遇することになります。
語り手は「私」ですが、その「私」も含めて、登場人物の誰もに表と裏があり、本音と建前があるんですね。なので、周りから見えているその人の像と、その中にあるものとにはかなりのずれがあるのです。
当りまえの日常生活では表に出ないものが、極限状態に追い詰められた時には出てしまうもので、そこに人間の心の恐ろしさがあります。
「私」たちにかつて一体何があり、これから何が起こるのか、気になった方はぜひ読んでみてください。寓話的な雰囲気も漂う小説です。
明日は、ボーモン夫人『美女と野獣』を紹介する予定です。