終の住処 (新潮文庫)/新潮社
¥357
Amazon.co.jp
磯﨑憲一郎『終の住処』(新潮文庫)を読みました。芥川賞受賞作。
なんてシュールな小説だろうと思ったのが第一印象。異質な空間で異常な出来事が起こっていく物語であると。ところが途中でふと、描かれているのはごく当たり前の出来事だと気付いて、驚かされました。
文学を文学たらしめているものを表す文芸用語に、「異化」というものがあります。日常にありふれたものを、文章表現によって未知のもの(非日常的なもの)としてとらえ、異質さを醸し出す技法のこと。
ソ連の文芸評論家ヴィクトル・シクロフスキーがあげた例をそのままあげると、レフ・トルストイの小説で書かれた、舞台の描写方法があります。演劇はそのまま認識したなら、単なる普通の舞台ですよね。
ところが、それを未知なるものとして見た場合、突然舞台上に人が現れ、なにかを叫びだしたということになるわけです。そうして非日常的なものとしてとらえた時に、文章に文学的効果が生まれてきます。
「終の住処」は、なんだかちょっとしっくりいっていない夫婦の物語で、理由もはっきりしないまま妻は十一年間もなにも喋らなくなってしまいました。主人公である夫はつい浮気してしまったりもします。
夫婦間の不和にせよ浮気にせよ、会社での軋轢にせよ、小説の題材として使われているのはどれも陳腐といっていいほどありふれたもの。
ところが固有名詞(人や物の名前)が排されるなど、様々な形で「異化」が行われている文章は、読者に非日常性を感じさせるのでした。
家族の関係を描いた小説でありながら「シュールレアリスム」の小説のような異質性や、或いは国際謀略のスパイものを読んでいるかのようなスリリングさを感じさせてくれる、実に興味深い作品なのです。
文章技法的に面白い分、物語として心動かされる感じではないので、物語性を重んじる読者にはあまりむきませんが、小説はストーリーよりも文章の技巧で読むという方に、自信を持っておすすめできます。
また、ルポルタージュのような文体、すべてが終わってしまった後に生まれた物語のような不思議な時間間隔を持つ点で、ラテンアメリカ文学のG・ガルシア=マルケスの影響が指摘されることも多い小説。
その辺りに関心のある方は、『予告された殺人の記録』が短くて読みやすいので、読み比べてみるとまた色々と楽しいだろうと思います。
予告された殺人の記録 (新潮文庫)/新潮社
¥452
Amazon.co.jp
そして、芥川賞受賞時のインタビューで磯﨑憲一郎がガルシア=マルケスとともにあげた好きな作家に、独特なゆらぎを抱えた文体を持つことで知られるオーストリアの作家ロベルト・ムージルがいました。
ムージルに関しては、ぼくも代表作『特性のない男』をまだ読めていないのでなんとも言えませんが、ムージルの翻訳を手がけ、ムージルの翻訳を通して自分の文体を作り上げた日本の作家がいるんですよ。
それが「内向の世代」(1970年前後に登場してきた日本文学者をさします)を代表する、古井由吉です。古井由吉も芥川賞を受賞しているので、関心のある方は、『杳子・妻隠』を読んでみてください。
杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)/新潮社
¥515
Amazon.co.jp
こちらもやはりやや病的な雰囲気こそあるものの、男と女の関係が、独特の文体で綴られることによって非日常性を帯びている作品です。
作品のあらすじ
『終の住処』は、「終の住処」「ペナント」の2編を収録。
「終の住処」
こんな書き出しで始まります。彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた。一年まえに付き合い始めた時点ですでにふたりには、上目遣いになるとできる額のしわと生え際の白髪が目立ち、疲れたような、あきらめたような表情が見られたが、それはそれぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな歳から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない、という理由からでもあった。じっさい、交際し始めて半年で彼は相手の実家へ挨拶に行ったのだ。それから何十年も経って、もはや死が遠くはないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった。(9ページ)
新婚旅行の時から妻は何故か不機嫌で、理由を尋ねても「別にいまに限って怒っているわけではない」(9ページ)と言うだけ。新居で朝目が覚めると、一晩中にらまれていたのではないかと彼は思います。
結婚を望んだのは彼でもなく妻でもなく、お互いの両親でもなく、いずれ結婚するものだというルールに従ったようなものですが、想定していた安定と真逆の不安定で茫漠とした日々に彼は苦しめられます。
何故妻との生活がうまくいかないかその理由を知りたいと願う彼は妻の浮気を疑いますが、その気配はまるでなく出張だといつわっていきなり帰っても妻は朝と同じように台所の流しに立っていたのでした。
安心するどころか、不安定さの理由が見つからないが故に、余計に苦しめられることとなった彼でしたが、製薬会社での仕事の面では、結婚したことでより信頼されるようになり、どんどんうまくいきます。
やがて、彼は同じ会社に勤める女性と浮気をするようになりました。
向かい側からひとりの女が歩いてきた。頑なに前だけを見て彼と視線を合わせることもなかったが、擦れ違うまさにその瞬間、スカートの裾が彼の右手の中指の爪に、嘘のように微かに、触れた。夏の夕方の、油のように重い質感を持った西日の射し込む廊下だった。ああ、これはまずいな、彼は思った。酷くまずいな、いますぐにではないが、近いうちにとんでもなく面倒なことになるだろう。外回りの営業と寝不足の日々のなかで、彼が本来持っていた美的感覚が麻痺してしまっていたか、もしくは反対に過敏になっていた、そんな理由もあったのかもしれない。女は肉感的だった。少しばかり太っていたのだが、太っていることは服の上からでは誰にも分からなかった。(30ページ)
いつも黒いストッキングをはいているその女と浮気を重ね、離婚を考え始めた彼が、離婚の話を切り出そうとしたまさにその席で、妊娠していることを妻から告げられたのでした。やがて、娘が生まれます。
ある時家族で遊園地に行きます。「せっかく来たのだから、観覧車にだけは乗っておきましょう」(54ページ)と妻が言いました。それが妻の最後の言葉で、それから十一年間彼と口をきこうとせず……。
「ペナント」
少年がこっそり忍び込んだ部屋の壁面には、様々な土地のペナントが貼られていました。百枚はあるように見えましたが、実際に数えてみると六十九枚。服を脱いだ少年は、豪華なベッドにもぐりこみます。しかし麻袋を引きずるような病気の老人の咳のような音が聞こえ、天井近くに穴があることに気付いた少年は中にヘビがいると思い……。
雨上がりの濡れた階段を上っていた男はコートの前ボタンをどこかでなくしたことに気が付きました。階段を下りて探しにいきますが、何故かいつまで下りてもなかなか下までたどり着くことが出来ません。
やがてボタンを見つけたもののそれは自分のより一回り小さいボタンでした。おなかを空かせた男は繁華街で食堂に入ったのですが……。
とまあそんな2編が収録されています。突然、悪夢的な世界に迷い込んでしまったような「ペナント」は、これはこれでシュールで面白いですね。物語の形にはなっていきませんが、詩的でいいと思います。
中原中也に「月夜の浜辺」という詩があるんですよ。波打ち際に落ちていたボタンを拾うんですが、月夜の晩だけに何故か妙に心に沁みて捨てられないという詩。ああいう感覚と共通するものがありますね。
磯﨑憲一郎は、おそらく好き嫌いが分かれる作家だと思いますが、文章や物語世界が非常に興味深くて、ぼくはとても面白く読みました。
明日は、トゥルニエ/ル・クレジオ『フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者』を紹介する予定です。