カーター・ディクスン(斎藤数衛訳)『魔女が笑う夜』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。残念ながら、現在は絶版のようです。
カーター・ディクスンの密室ものの中でも、とりわけ異彩を放っているのがこの『魔女が笑う夜』。ややぼかして言うなら、本格ミステリ作家があまりやらないユニークなトリックが使われたミステリです。
トリックの評価となるとこれはもう著しく低い作品ではあるのですが、おどろおどろしい作品の雰囲気といい謎めいた物語展開といい、よくも悪くもあっと驚く密室トリックといいなかなかに面白い作品。
今回も探偵役をつとめるのは医師と弁護士の資格を持つヘンリー・メリヴェール卿です。もうすっかりお馴染みですね。「マイクロフト」(シャーロック・ホームズの兄)とあだ名されている変わり者です。
ストーク・ドルイドという村にやって来て本屋のレイフ・ダンヴァーズから、村にはホテルが二軒あると聞かされると、こう答えたほど。
「〈ロード・ロドニー〉は」と、ダンヴァーズはいささかうんざりしたような調子でいった。「古風なチューダー朝建築のホテルの一つですが、一、二年前にコンクリン夫人が観光客が多く来るに違いないと信じて建てたものです。〈ナッグズ・ヘッド〉のほうは、教会と同じように本物の十五世紀のものです。これは〈ロドニー〉より小さくて、えー、清潔でないかもしれませんが、あなたのお好みからいえば、この本物の十五世紀のほうがいいということになるでしょうね」
H・M卿はちらと相手を見ただけだった。
「なるほど! わしとしては、その十五世紀というやつに大いに心ひかれるよ、たしかに。だが、現実にうまく使える浴室や、二階から上へ吹きぬけになっていないような造りのほうに、さらに強く心ひかれる。まあ、こういうのが、わしの生来のあまのじゃくってところだろうて」(56ページ)
不思議なことが起こっている村に、探偵がふらりとやって来るという物語は、村の前で老婆が「たたりじゃ~!」と絶叫することでお馴染み(かどうかは知りませんが)の金田一耕助シリーズと似ています。
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それもそのはず、カーター・ディクスン(ディクスン・カー)は金田一耕助シリーズを書いた横溝正史が好んだ作家で、怪奇現象が描かれることや、やや派手なトリックが使われることに共通点があります。
なので、江戸川乱歩や横溝正史のどろどろした雰囲気や世界観が好きな方に、カーター・ディクスンはかなりおすすめの作家なんですよ。
さて、ストーク・ドルイドで起こっている不思議な出来事というのは、村の人々に「後家」と名乗る人物から中傷の手紙が届けられているということでした。それを苦にし自殺してしまった者も出たほど。
やがて、一人の女性が「後家」から真夜中に会いに行くという予告の手紙を送られたので、見張りを立てる厳戒態勢をしいたのですが、密室状態だったにもかかわらず、「後家」は女性の前に現われて……。
どう考えても人間が出入り出来ない状況にもかかわらず「後家」はどうやって部屋に入り、またどうやって部屋から抜け出したのでしょうか。怪奇現象の謎にヘンリー・メリヴェール卿が挑む怪作ミステリ。
作品のあらすじ
サマセット州ストーク・ドルイドに樽のようにふくらんだ大男がタクシーに乗ってやって来ました。自ら発明したという四隅に車輪のついたスーツケースを見て、集まった子供たちは、珍しさに大はしゃぎ。
その男ヘンリー・メリヴェール卿は早速知り合いの本屋レイフ・ダンヴァーズの元へ向かいました。すると思わぬことを言われたのです。
「わしが買いたい」と、H・M卿はきっぱりいうと、帽子をうしろの陳列台にのせた。「きみは値切られるのがきらいだ、レイフ。わしもそうだ。いくらだ?」
「この本は売り物ではないんです」
ヘンリー・メリヴェール卿は目をつむった。
「そうか」と、彼は長いこと爆発寸前の沈黙を続けてから、やっといった。「古本屋の目的は本の売れるのを邪魔することにあると、世間でいうのはほんとうだな」と。それから彼は爆発した。「とすれば、いかなる狙いがあって、こんなところまでわしを呼びよせたんだ?」
「おわかりにならんとみえますね」と、ダンヴァーズは静かにいった。「わたしはこの本をプレゼントして差しあげたいんですよ。当地で匿名の手紙を送り続けているのが何者なのか、という奇怪な事件をあなたが解決してくださればね」
再び沈黙。
「匿名の手紙とな?」(39ページ)
ダンヴァーズは説明しました。”後家”と名乗る謎の人物から中傷の手紙が村の人々に届けられて困っているのだと。苦にして自殺した者も出たので新たな悲劇を生みたくないとダンヴァーズは思ったのです。
村の人々に届けられた手紙を調べながら、村を探索していたH・M卿は、教会近くにある”あざ笑う後家”と呼ばれる石像を見かけました。
”後家”に立ち向かおうとしていたのはダンヴァーズだけではありません。ジェームズ・キャドマン・ハンターという司祭は自分宛ての手紙を読み上げ、届けられた手紙は教会に持って来るよう呼びかけます。
”後家”の手紙は、誰と誰が隠れて付き合っているなどという、根も葉もないゴシップの内容が多いのですが、それを聞かされると、たとえ嘘だと分かっていても、人々の関係に波紋を生んでしまうのでした。
やがて、ジョーン・ベイリーという娘の元に「わたしは日曜日の真夜中少し前、きみの寝室を訪れると申しあげよう」(167ページ)という奇怪な手紙が届き、万一に備えてジョーンの部屋を警護します。
H・M卿もジョーンのおじの大佐とともに部屋を見張っていました。
H・M卿はやっこらさと、小鬼の金槌みたいに音をたてているばかでかい懐中時計をひっぱりだし、半暗がりのなかで文字盤を丹念にあらためた。
「あと四分で十二時だな」
「よろしい!」と、大佐はいって、ほっとしたようにからだをふるわせ、椅子にすわりこんだ。その身ぶるいは目に見えたというより肌で感じられるものだった。
「いま話しておきたいことがあるんだがね」と、大佐はいい足した。「これから真夜中まで何も起こらなければ、すべてはこけおどしで、その卑劣なやつは初めからやってくるつもりがなかったのだと、わしは断定するつもりだ」
「うん、わしもそんな考えをもてあそんでいたところだ。まあ、そういうことだな」
「それ以外にありえない! われわれはこの寝室を徹底的に調べた。窓はロックされている、見張りが油断なく警戒していることは間違いない。これから押し入ってくるなどとは不可能――」(192ページ)
ところが、十二時を少し過ぎた頃、三発の銃声が聞こえて、ジョーンの寝室から絶叫が響き渡ったのです。外で見張りをしていた人々が奇怪な影のようなものを見て、その影に向かって、発砲したのでした。
慌てて部屋の鍵を開けて中に入るとジョーンは怪我もなく無事でしたが気絶していて、目が覚めた時には、「”後家”よ。わたし見たの。彼女は――わたしにさわったのよ」(205ページ)と言ったのです。
部屋中探しますがジョーンの他には誰もいません。家の中にも外にも見張りがいる中で、不気味な姿をしていたという”後家”は一体どうやって部屋に入り込み、また、どうやって出て行ったのでしょうか。
怯えている様子のジョーンを見るととても嘘をついているようには見えません。人間に不可能だとするなら、”後家”は人間以外の恐ろしい何者かなのでしょうか。さすがのH・M卿もこれにはお手上げです。
手紙に使われていたタイプライターを頼りに”後家”の正体を調べ続けていたH・M卿でしたが、やがて殺人事件が起こってしまって……。
はたして、”後家”の正体は一体!? 驚愕の密室トリックとは!?
とまあそんなお話です。幽霊を思わせる不思議な事件を描いたミステリ。一体どうやって”後家”は鍵がかかり、見張りもいる部屋に出入りしたんだろうと気になってしまった方は、ぜひ読んでみてください。
殺人事件より謎の人物による村の人々への中傷の手紙が中心になっているので、血なまぐさいのが苦手という方でも安心して楽しめます。
明日はジョン・ディクスン・カー『三つの棺』を紹介する予定です。