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マリヴォー『贋の侍女・愛の勝利』

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贋の侍女・愛の勝利 (岩波文庫)/岩波書店

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マリヴォー(佐藤実枝/井村順一訳)『贋の侍女・愛の勝利』(岩波文庫)を読みました。

ウィリアム・シェイクスピアの喜劇でわりとよくあるのが、男装した美女が登場するというもの。そうすることによってその人物の正体が他の登場人物に隠されたり、取り違えられて面白い展開になったり。

心臓まわりの肉1ポンドをめぐる裁判を描く『ヴェニスの商人』もおすすめですが『十二夜』がとにかく面白いです。男装した女性が主君に想いを抱くも、主君が愛する女性から恋されてしまうというお話。

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シェイクスピアから時代は少しくだり、18世紀のフランスで活躍した劇作家が、マリヴォー。そして、今回紹介する二作品「贋の侍女」と「愛の勝利」は、どちらも男装した女性が主人公となる物語です。

二作ともコミカルさのある作品ですが、物語のすべての筋が大団円へと結びつくシェイクスピアの喜劇とは明らかに雰囲気が違うのが非常に興味深かったです。ハッピーというよりは辛辣さが際立つ感じで。

ちなみに、17世紀フランスの三大作家がモリエール、コルネイユ、ラシーヌですが、18世紀でマリヴォーと並んで有名なのが、『セヴィラの理髪師』や『フィガロの結婚』でお馴染みのボーマルシェ。

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男装というテーマはシェイクスピアと、悪役など登場人物のキャラクター性はイタリアやフランスの演劇と比較すると面白いと思います。

さて、他の劇作家と違うマリヴォーならではの特徴に「マリヴォダージュ」(marivaudage)と呼ばれる、独特の言い回しがあります。

佐藤実枝の解説によると「わざとらしい繊細さ」、「過度の洗練」、「優雅で気の利いた対話」(282ページ)がマリヴォダージュで、元々は、洗練されているが不自然なマリヴォーの小説の文体の蔑称。

しかし二十世紀に入ってマリヴォーの再評価が進むと、そうした特徴は貶められるものではなく、むしろ、マリヴォーならではの魅力だととらえられるようになっていったわけです。分からないものですね。

ただ気の利いた言い回しというのは、残念ながら翻訳の壁を越えられないところがあって、たとえば「贋の侍女」にあるのはこんな場面。

レリオ いや、きみが決闘の当事者だ。
騎士 ぼくが! ぼくは自分の胸に咎めるべきことなんか何もないぜ。自慢じゃないが、わるくないと思っている。
レリオ ところがこちらはちっともきみに満足していない。ぼくが決闘しようという相手は、ほかならぬきみだ。(103ページ)


訳注によれば原文では少し前に「自分の喉をかき切る」(決闘するの意)が使われていて、本来なら返事は胸でなく喉です。そしてフランス語では喉(ゴルジュ)は女性の胸(乳房)も指す言葉なんですね。

騎士は実は男装している女性なので、自分は決闘に巻き込まれる覚えはないと断言する裏で自分の乳房を自慢しているという非常にユーモラスな場面になっているわけです。こういう場面がかなりあります。

工夫して訳されていますし、訳注も丁寧につけられているので意味自体は分かるのですが、やはりダブル・ミーニングの巧みな言い回しがぱっと理解出来て、くすくす笑えるわけではないのが少し残念です。

翻訳では最もマリヴォーらしい特徴である、小粋な対話の魅力が存分には味わえないわけですが、男装というテーマは最近、ドラマなどでも流行していることですし、読んでみて損はない作品だと思います。

作品のあらすじ


『贋の侍女・愛の勝利』には、「贋の侍女」「愛の勝利」の2編が収録されています。

「贋の侍女」

主人から暇を出されてぶつくさ文句を言っているトリヴランと出会ったフロンタンは、自分の主人を自慢しようとして「うちのお嬢さん」(15ページ)とつい男装している主人の秘密を話してしまいます。

フロンタンの紹介で同じ主人の従僕になった腹に一物あるトリヴランは金を手にし、騎士に扮する女性と仲良くしたいと考え始めました。

騎士が従僕を連れここへやって来たのには、ある理由があったから。

義兄の意向でレリオという男と結婚することがほぼ決まっているのですが、仮装舞踏会で出会ったレリオには恋人がいることが分かったのです。どういう了見なのかとレリオの正体を確かめに来たのでした。

騎士を友達と思うレリオは自分の気持ちを打ち明けます。伯爵夫人が好きだったけれど伯爵夫人は年に六千リーヴルの財産家、一方、最近結婚話を持ち込まれた令嬢は、年に一万二千リーヴルの財産家だと。

要は金に目がくらんだレリオは令嬢に乗り換えることにしたのです。

騎士 きれいだって? その娘?
レリオ 手紙では美人だそうだ。しかしぼくみたいな性分の男には、それが大して役立つとは思えないね。その娘が醜くないとしてもやがて醜くなるさ、なんせ自分の女房だからな。醜くならざるを得ない。
騎士 しかしなあ、女だってときには腹も立てるんじゃないか?
レリオ ぼくの領地の一つが人里離れたところにあってね。おそろしく辺鄙なところなんだ。そうなったら奥方はそこにでも行って復讐心を静めるんだな。(37ページ)


問題はレリオがかなりの額の借金を伯爵夫人からしていること。しかしその借金をちゃらにするいい手がありました。もし伯爵夫人から結婚の破断を言い出せば違約金で借金を相殺することが出来るのです。

そこで、レリオは騎士に伯爵夫人の心をとらえるように頼んで……。

「愛の勝利」

スパルタの女王レオニードと侍女コリーヌは、フォシオンとエルミダスという名を名乗って男装し、エルモクラートという哲学者が住む家へと向かっていました。エルモクラートが育てた男に会うためです。

フォシオンの親の代で、ある悲劇が起きたのでした。フォシオンのおじレオニダスは立派な将軍でしたが、王のクレオメーヌは、レオニダスが留守の間にその愛人を奪ったのです。レオニダスは怒りました。

兵に愛されるレオニダスの謀反によってクレオメーヌと王妃は幽閉され、やがて相次いで命を落としました。レオニダスの死後はフォシオンの父が王になり、現在はフォシオンが継いでいるというわけです。

しかしクレオメーヌと王妃の間には正当な跡継ぎと言うべき王子アジスがおり、その王子エルモクラートが育てていたことが分かったのでした。フォシオンはアジスを殺すつもりだと世間では思っています。

ところがフォシオンの考えは違っていたのでした。アジスに会ってみたいと思い出かけた森でフォシオンは思いがけずアジスに恋し、アジスに国をまかせ自分はその妻になりたいと思うようになったのです。

やがて、フォシオンとエルミダスはエルモクラートの家に着きましたが、見知らぬ者は滞在出来ない決まりですし、エルモクラートとその妹のレオンティーヌがうろちょろしていてアジスと話も出来ません。

そこでフォシオンはエルモクラートには女性として、レオンティーヌには男性として愛を打ち明け、それぞれと結婚の話をすすめて……。

とまあそんな2編が収録されています。「愛の勝利」で、目的のために手段を選ばないフォシオンはなんだかひどいですが、賢者とたたえられ理性の世界に生きるエルモクラートがぐらつくのはユーモラス。

物語の筋としては詐欺を仕掛けるような「愛の勝利」の方が面白く、特にレオンティーヌと偽りの愛を進展させていく所はラブストーリーのお約束をあえて皮肉っているようにも読めて、興味深かったです。

一方ダブル・ミーニングなど会話の巧みさでは「贋の侍女」が素晴らしく、引用した場面、レリオが将来の妻(つまり騎士本人)に対してどういうひどいことをしようとしているかを話すのは滑稽ですよね。

そういう、令嬢が騎士に扮して正体を隠しているが故に、観客だけが分かる笑いが物語全体に散りばめられていて、対話の一つ一つが裏の意味を持っているという、そういう珍しい面白さのある作品でした。

『贋の侍女・愛の勝利』は元々の作品自体は古いですが、岩波文庫に収録されたのは2009年と新しいので、活字もゆったりしていますし、訳注も解説も丁寧。とても読みやすい一冊なのでおすすめです。

明日は、エドワード・オールビー『動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』を紹介する予定です。

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