地下鉄のザジ (レーモン・クノー・コレクション)/水声社
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レーモン・クノー(久保昭博訳)『地下鉄のザジ』(水声社)を読みました。
大人だけど、時には恐い両親より気軽につきあえて、友達みたいだけど同世代の友達より尊敬出来るのがおじさん。伯父さん(父母の兄)あるいは叔父さん(父母の弟)との関係性って絶妙でいいですよね。
伯父さんが出て来る物語でとりわけ印象的なのが1958年に公開のフランス映画『ぼくの伯父さん』。監督・脚本・主演はジャック・タチで、パイプをくわえた無口なキャラクターが登場する愉快な作品。
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三大喜劇王(チャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイド)を彷彿とさせるキャラクターは近年ではローワン・アトキンソンのMr.ビーンに影響を与えたことでも知られています。
1953年に公開された白黒映画の前作『ぼくの伯父さんの休暇』の方がコメディー度としては高いですが、『ぼくの伯父さん』が何より素晴らしいのはカラーの美しさと現代社会を巧みに諷刺している所。
大笑い出来る感じの明らかなコメディー作品ではないですが、まったりした雰囲気といい、一風変わったユロ氏のキャラクターといい、実に味のある作品で面白いです。機会があればぜひ観てみてください。
さて、伯父さんの出て来る話と言えば、同時代のフランスの小説にこれまた非常にインパクトのある作品があります。それが今回紹介する本で1959年に発表されたレーモン・クノーの『地下鉄のザジ』。
母親が恋人と出かけるのでパリにいる伯父さんの所に預けられた少女ザジ。地下鉄に乗ってみたかったのですが、あいにくのストで乗ることが出来ません。ザジは一風変わった人々とパリ中を駆け巡り……。
翌1960年にルイ・マル監督によって映画化されました。2010年には50周年を記念してニュー・プリント版で上映されたことが話題になりましたね。この映画の印象が強いという方も多いでしょう。
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子供向けというイメージをお持ちかも知れませんが、なかなかどうして一筋縄ではいかない作品で、複雑なキャラクター性を持つ人物が目白押しの、シュールな物語。そして、様々な解釈が出来る小説です。
中でも特筆すべき特徴は、俗語や口語表現が存分に取り入れられている所。よく知られているのがザジの口癖「オケツぶー」とオウムの名調子、「おしゃべり、おしゃべり、おまえにできるのはそれだけ」。
もっとも、日本で長年愛されて来たのは生田耕作訳の中公文庫で、そちらでのザジの口癖は、「けつ喰らえ」、オウムは「喋れ、喋れ、それだけ取り柄さ」です。ぼく自身もそちらの方が馴染み深いですね。
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クノーの文体は独特なだけに、生田耕作訳と久保昭博訳とでは大分受ける印象が違います。研究的に読むなら注が丁寧で新しい久保訳がいいですが、生田訳の味も捨てがたく、まあぜひ読み比べてください。
作品のあらすじ
駅にいるガブリエルは人々の臭いにいらついていました。しかし周りにいる人はむしろガブリエルがつけている香水に腹を立てています。
ガブリエルは遠くを眺める。どうせ彼女たちは、遅れて来るにきまってる。だいたい女ってのはいつだって遅れて来るんだから。ところがどっこい、突然小娘が現れ、彼を呼ぶ。
「あたしザジ。ガブリエル伯父さんでしょ」
「まさしく」ガブリエルはもったいぶって言う。「そう、伯父さんだよ」
(中略)
「見つけたわね」と、ようやくやってきたジャンヌ・ラロシェールが言う。「よく引き受ける気になってくれたわ。そうよ、この子なの」
「なんとかなるさ」と、ガブリエルが言う。
「ほんとうに任せてもいいの? だって、この子が家族全員に犯されたりしたら、たまらないわ」
「でもママ、この間はちょうどいい時に着いたじゃない」
「とにかく」ジャンヌ・ラロシェールは言う。「もうあんなこと、二度と起こって欲しくないの」
「安心していいよ」と、ガブリエルが言う。
「分かった。そうしたら、明後日ここでまた会いましょう。六時六十分の電車よ」(11~12ページ)
パリで地下鉄に乗るのをとても楽しみにしていたザジでしたが、ストで動いていないと知ってショックを受けます。ガブリエルとザジは、ガブリエルの友達シャルルが運転するタクシーへと乗り込みました。
ガブリエルは窓から見えるパンテオンをザジに紹介しますが、シャルルはあれはパンテオンではなくリヨン駅だと言い、ガブリエルが廃兵院(アンヴァリッド)を紹介すると、それも違うと言ったのでした。
家に着くとガブリエルの妻のマルセリーヌが温かく迎え入れてくれます。夕食後ザジが学校の先生になりたいと言うので感心しますが話を聞けば聞くほどどうやら高尚な精神から出た言葉ではなさそうです。
「ガキどもをしめあげたいの」とザジが答えた。「十年後、二十年後、五十年後、百年後、千年後にもあたしと同じ年になるやつらがいるでしょう、いつだっていびり甲斐のある子供はいるのよ」
「なるほど」ガブリエルが言った。
「あたし、ものすごい意地悪してやるの。床を舐めさせるわ。黒板消しを食べさせるわ。お尻にコンパスを突き刺すわ。ケツをブーツで蹴飛ばすわ。だってあたし、ブーツを履くの。冬には。こんな長いやつなんだから(身振り)。尻を突き刺すでっかい拍車がついてるの」
「いいかい」ガブリエルが静かに言った。「新聞に書いてあったんだがね、現代の教育は、ぜんぜんそういう方向に向いていないらしいよ。まったく反対と言ったっていい。これからは温厚、理解、優しさに向かうんだって。そうだろう、マルセリーヌ? 新聞じゃそう言ってたよな?」
「そうね」マルセリーヌはそっと言った。「でもザジ、あなた、学校でひどい目にあったの?」
「そんなわけないじゃん」(26~27ページ)
翌朝、ガブリエルとマルセリーヌに黙って家を飛び出したザジは地下鉄へ行きますが、そこにはザジにも分かる文字でストが続いていることが書かれていたのでした。悲しくなって、めそめそ泣き始めます。
そこへやって来たのが、山高帽をかぶり口ひげを生やし、ぶかぶかの靴を履いた妙な男。男とザジは群衆の集まる蚤の市へ行って、ザジのジーンズを買い、その後でカフェ・レストランに食事へ行きました。
男のことをエロオヤジだと警戒するザジは、酔っ払って自分に手を出そうとしたパパの頭をママが斧でぶち割って、無罪放免になった話をし、隙を見てジーンズを盗んで逃げ出しますが捕まってしまいます。
傘を忘れたと言った男の一言で、「こいつは偽お巡を装っている変態じゃない、本物のお巡を装っている偽変態を装った本物のお巡りだ。傘を忘れたのがその証拠だ」(66ページ)と、鋭く見抜いたザジ。
ガブリエルの元へ連れ戻されたザジは男とガブリエルの会話を立ち聞きして、ガブリエルがホルモセクシュアルと言われていることを知りますが意味はよく分かりません。男はガブリエルに叩き出されます。
ザジとガブリエルはシャルルのタクシーで観光に出かけますが、ガブリエルはガイドと間違えられて観光客に連れ去られてしまいました。
ムアック夫人という未亡人と、どこかで見た顔をしたポリ公のトルスカイヨンが助けてくれますが、この二人が恋に落ちててんやわんや。一方、シャルルもまた長年想いを寄せる相手への求婚を決意します。
やがてガブリエルの仕事は夜警ではなく踊り子であることが分かり、皆でガブリエルの店に行き、朝まで騒ぐこととなったのですが……。
はたして、ザジは念願のパリの地下鉄に乗ることが出来るのか!?
とまあそんなお話です。ストーリーはよく言えばシュール、悪く言えば支離滅裂で、とにかくぶっ飛んでいるのですが、ものすごいのが登場人物。男なのか女なのか分からないというのでさえ、まだ序の口。
アイデンティティを失ってしまい、本当の正体が分からないという人物まで登場して来るのです。子供が主人公で、感動的な他の物語とは違って、とにかくシュールでスラップスティック(どたばた喜劇)。
シンプルな物語ではなく、翻訳では口語の魅力がいまいち伝わって来ないこともあって読む人を選びそうですが、読む度に新しい発見がある独特の魅力がある一冊。機会があれば、ぜひ読んでみてください。
明日は、ジュウル・ルナアル『にんじん』を紹介する予定です。