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ヘンリク・シェンキェーヴィチ『クオ・ワディス』

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クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)/岩波書店

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ヘンリク・シェンキェーヴィチ(木村彰一訳)『クオ・ワディス』(上中下、岩波文庫)を読みました。Amazonのリンクは上巻だけを貼っておきます。

今回から三回はキリスト教をモチーフにした世界の文学特集。日本にも、日本人にとってのキリスト教を模索し続けた遠藤周作、キリスト教の自己犠牲の精神を物語で表した三浦綾子などの作家がいますね。

ただ、ぼくが今回選んだ三作品にはある共通点があって、それはイエス・キリストとほぼ同時代の物語であること。イエスの直弟子であるパウロやペテロが登場したり、イエスその人が登場したりする小説。

暴君ネロのキリスト教弾圧を描く『クオ・ワディス』、イエスの代わりに処刑を免れた男を描くラーゲルクヴィストの『バラバ』、映画化されたことでも有名なルー・ウォレスの『ベン・ハー』の三作です。

というわけで第一回の今回紹介するのはポーランドのノーベル文学賞作家シェンキェーヴィチによって1896年に刊行された『クオ・ワディス』。当時のポーランド情勢と重ね合わせて書かれた大作です。

物語の舞台となるのは、暴君として有名な皇帝ネロが治めていた一世紀のローマ帝国。キリスト教徒が少しずつ増え始めていた時代です。

ギリシア・ローマ神話をみなさんご存知だろうと思いますが、ローマ帝国で信じられていたのは神々でした。ところがキリスト教が信じるのは唯一の神。その信仰のあり方も、ローマ帝国とは相容れません。

ローマで起こった大火災をきっかけにして、ネロはキリスト教徒をその火災の仕立て人だとし、次々と捕え残虐な殺し方をするようになったのでした。そうしたキリスト教弾圧を描いた、歴史大河小説です。

発表当時に、周囲の強国によって虐げられていたポーランドの厳しい状況が、迫害を受けて苦しむキリスト教徒と重ね合わされています。

古代ローマが舞台の歴史小説というだけでもとっつきづらい上に、上中下というものすごいボリューム。おまけに、キリスト教弾圧というテーマ的にも重く、あまり興味を引かれない方も多いことでしょう。

ですが『クオ・ワディス』が世界的なベストセラーになったのはひとえにストーリーが面白いから。ネロの配下の武将ウィニキウスがキリスト教徒のリギアという娘に恋してしまうラブストーリーなのです。

戦いに生きて来たウィニキウスは、リギアの信仰を理解することが出来ません。リギアを愛する故に、キリスト教と真摯に向き合い始めたウィニキウスは、皇帝か神かのジレンマに陥ることになるのでした。

なにしろ上中下という大作なので、読み通す自信がないという方は、ロバート・テイラーとデボラ・カー主演、1951年に公開された映画版の『クォ・ヴァディス』を観てから、読むという手もあります。

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この映画自体三時間近くある大作なので、気軽に観るというわけにはいかないかもしれませんが、ストーリーは忠実に再現されていて、映像的にも迫力があって面白いので、機会があれば観てみてください。

作品のあらすじ


深夜まで続いた皇帝ネロの宴会に出席し、昼ごろに起きたものの体が疲れていたペトロニウスは、姉の息子であり、パルティア遠征軍で活躍している軍人ウィニキウスが訪ねて来てくれたので、喜びました。

ウィニキウスは自分は恋をしてしまったとペトロニウスに言います。

ところがある日の明け方、あの女が庭の噴水で水を浴びているのを見かけたのです。アプロディテが生まれたという水の泡にかけて誓いますが、夜明けの光があの女のからだを貫いてさしていました。日が昇れば朝焼けが溶けるように、あの女も光の中で溶けてしまうのでないかと思ったくらいです。その時以来、わたしはあの女を二度見ました。そしてそれ以来わたしは心の落ち着きを失い、ほかに望みはひとつもなくなり、ローマの都がわたしに何を与えてくれるか、それすら知りたいとは思わなくなってしまったのです。女もほしくありません。金もほしくありません。コリントスの銅も、琥珀も、真珠も、ぶどう酒も、宴会もほしくありません。ほしいのはリギアだけです。ペトロニウス、打ちあけて申しますが、わたしはあの女に焦がれているのです。あなたの家の微温室のモザイクに描かれている眠りの神がパシテアに焦がれたように、毎日、昼も夜も夢中で焦がれているのです。(上巻、21ページ)


ウィニキウスはリギアと呼ばれている娘に心を奪われてしまったのですが、リギアをめぐる状況がやや込み入っているために、ウィニキウスの力ではどうしてもリギアを手に入れることが出来ないのでした。

もしもリギアが普通のローマの娘なら、正々堂々と求婚して妻にすることが出来ます。あるいは、奴隷ならば大金を積んで買い取ることも出来たことでしょう。しかしリギアはそのどちらでもないのでした。

元々リギ族の族長の娘であり、蛮族とは言え血筋確かな者であるリギア。ローマへ人質としてやって来たリギアを縁あって引き取ったプラウティウス夫妻はリギアを自分たちの娘のように可愛がっています。

ウィニキウスから頼まれて、夫妻に話をしに行ったペトロニウスでしたが、夫妻はリギアを手放す気はなく、無駄足に終わります。それからほどなくして、プラウティウス家に皇帝の使者がやって来ました。

リギアが人質に来たのは先代のクラウディウス帝の時のことであり、ネロ皇帝はその件に関与していなかったのですが、ローマに対する人質である以上、皇帝と元老院の庇護の元に置くべきだというのです。

思わぬ知らせに動揺するプラウティウス夫妻ですが、誰よりも憤ったのはウィニキウスでした。信頼していたペトロニウスが自分を裏切って、ネロへのごますりのために美しいリギアを奪ったと思ったから。

外衣(トガ)に短刀を潜ませて詰め寄ったウィニキウスに、ペトロニウスは言いました。リギアを召し上げさせたのは、すべてお前のための作戦なのだと。ネロの命令には、誰もが従わなければなりません。

ネロの心を自分の思うように操れる自信があるペトロニウスは、リギアはさほど美しくないと思い込ませて、ウィニキウスに与えるよう、進言したのでした。思いがけない展開に、ウィニキウスは喜びます。

ネロの宴で、愛するリギアと再会したウィニキウスは有頂天になり愛の言葉を囁きました。一方リギアも突然見知らぬ場所に連れて来られて動揺していただけに、ウィニキウスを愛しく思うようになります。

リギアは、男の口からそうした言葉をきくのははじめてのことで、きいているうちに、自分の中で何かが夢からさめつつあるような、またはかり知れぬよろこびとはかり知れぬ不安とのまざったある幸福感が自分をとらえつつあるような気がした。頬が燃え、胸が動悸を打ち、口がものに驚いたようにひらいた。こうしたことに耳を傾けるのは、こわくはあったが、にもかかわらずぜったいにひとこともききもらしたくない気がした。時どきは目を伏せたが、またもやかがやかしい目を上げて、おずおずと、しかももの問いたげにウィニキウスを見つめるさまは、まるで彼に「もっときかせて!」と頼んでいるかのようであった。騒音と楽の音と、花の薫りとアラビア乳香の匂いとで、彼女は頭がまたぼうとなった。ローマでは宴会のときに横臥する習慣だが、家にいたときはリギアはポンポニアと小アウルスの間に席を占めていたのに、いまは彼女のすぐそばに、若い、からだの大きい、恋心に燃えるウィニキウスがいるのだ。彼女はウィニキウスから伝わってくる熱気を感じて、うれしくもあれば恥ずかしくもあった。あたかも眠気がさしてくるときのようなある種の甘美な無力感、気の遠くなるような忘却の感じが彼女をおそった。(上巻、114~115ページ)


しかし、自分がウィニキウスとペトロニウスの罠にはまりプラウティウス家から宮殿へ連れて来られたと知ったリギアは、リギアに仕えるリギ族の巨大な男ウルススと、宮殿を逃げ出してしまったのでした。

手に入る寸前で愛する人を失ったウィニキウスは必死でリギアの行方を探し求めます。迷惑をかけないためにプラウティウス家には戻れないリギアはどうやらキリスト教徒と行動を共にしているようでした。

リギアの行方を探すため、イエス・キリストの一番弟子のペテロを囲む集会に出たウィニキウスは驚きます。もしこの教えを信じるなら自分の今までの思想や習慣、すべての本性を改めなければならないと。

跡をつけてリギアの隠れ家を突き止めたウィニキウスでしたが、連れていた負け知らずの剣闘士クロトンはあっさりとウルススに殺され、自分の重い怪我を負ってしまい、リギアから看病を受けたのでした。

リギアとその周りの人々からキリスト教の考えを知っていったウィニキウス。初めは驚くばかりでしたが、奴隷をどう扱うべきか、どう生きるべきか、世の中はどうあるべきか、考えをめぐらせていきます。

キリスト教に心動かされたことで、無骨で傲慢な人間から少しずつ変わっていったウィニキウスに対して、リギアも少しずつ心を開いていきました。様々な困難を乗り越えて、明るい未来が見えて来た二人。

しかしネロの愛妾ポッパエアがウィニキウスを愛するようになってしまいます。そしてローマの大火はキリスト教徒が起こしたものだとして恐ろしい処刑が始まり、リギアも囚われの身となってしまい……。

はたして、引き裂かれてしまったウィニキウスとリギアの運命は!?

とまあそんなお話です。こうした長い作品に共通する特徴でもありますが、ウィニキウスとリギアの恋愛の行方が気になるのは勿論、脇役までもある意味では主役と言えるぐらい輝くということがあります。

たとえば、ペトロニウス。ペトロニウスは実在の人物で『サテュリコン』を残したと言われている人物。芸術的感性に優れ、ネロから寵愛も深かったのですが、その生き方はどこか厭世的で印象に残ります。

たとえば、ウルスス。主人であるリギアを守るためには、時には自らの手を汚さなければなりません。しかし誰かを殺すことは、当然キリスト教の教えとは反するものであり、悩みを抱えるようになります。

たとえば、キロン。ウィニキウスの手足となってリギアの捜索をした人物。非常にずる賢い男で、自分の利益のためには、平気で他人を貶めるような男でした。しかしキロンも迷いを抱えるようになります。

そして、何と言ってもネロ。やっていることは極悪非道であり、愚かで滑稽な人物なのですが、頂点にいるが故の孤独や寂しさもしっかりと描かれていて、単なる悪役では終わっていない、深さがあります。

設定やテーマはとっつきづらいかも知れませんが、これほど人間的に深みのある、魅力的な登場人物が目白押しの小説は、滅多にありません。長い作品ですが興味を持った方は、ぜひ挑戦してみてください。

キリスト教をモチーフにした世界の文学特集、次回は、ペール・ラーゲルクヴィスト『バラバ』を紹介する予定です。

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