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新井素子『ひとめあなたに…』

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ひとめあなたに… (角川文庫)/角川書店

¥637
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新井素子『ひとめあなたに…』(角川文庫)を読みました。ぼくが読んだのは角川文庫ですが、今は創元SF文庫から出ています。

「地球滅亡SF特集」の時に、小惑星が衝突することが分かっている世界を描く、伊坂幸太郎の『終末のフール』を取り上げました。そのコメント欄でおすすめしてもらったのが『ひとめあなたに…』です。

どうせならもっと色々な作品を読みたいと思ったのが今回の「新井素子特集」のきっかけでした。マッピーさんありがとうございます。というわけで「新井素子特集」後半戦は、SF作品三作を紹介します。

『ひとめあなたに…』の主人公は芸術系の大学に通い、油絵を学んでいる山村圭子。同じ大学で彫刻を学んでいる森田朗という恋人がいます。圭子の絵を見て訪ねて来た朗と、すぐに意気投合したのでした。

 朗は、じっとあたしの話を聞いてくれた。それから二人して飲みに行って。会話は断片的で、とりたててどちらかを口説いたって訳でもなく、お互いの話なんてのをした訳でもなかった。なのに。
 朗が海の話をすると、海の音が聞こえた。潮の香まで、鼻の奥をくすぐった。あたしが山の話をした時、朗はおそらく、その稜線を見てくれたと思う。岩肌の質感を納得してくれたろう。
 そして。Fall in Love――
 やっと見つけた。あたしの半分。あたしと同じ感性を持ったひと。あたしの、アダム。
 あたしが、彼の肋骨から生まれたとしても、すんなりそれを納得できただろう。だって。血なんかよりずっと濃い、同じものを感じる力を二人共有していたから。(11ページ)


それほど愛し合っていた仲でしたが、朗の様子はおかしくなり、圭子と距離を置くようになります。実は朗は右手のつけ根の骨がガンにおかされていて、助かるためには、切断しなければならないのでした。

彫刻が生きがいの朗は絶望し、朗が死んでしまうかも知れないと聞かされてショックを受けた圭子は激しく動揺しますが、そんな中、一週間後、巨大な隕石がぶつかって地球は滅亡することが分かりました。

すべてのものがストップし交通手段もない中、圭子は朗に会うために練馬から鎌倉まで徒歩で旅していくことを決意して……という物語。

設定だけ聞くとパニックもの、あるいはロード・ノベルという感じがするだろうと思いますし、実際にその要素がないわけでもないのですが、読んでみたら予想外の、なんとも不思議な雰囲気の作品でした。

旅の途中で圭子は何人かの女性と会うのですが、その女性たちが主人公の短編が圭子の旅の間に挟まっているという構成になっています。

それがどれも狂気に満ちたものなんですよ。地球が滅亡することが狂気があふれ出すきっかけではあるのですが、そもそもの狂気の原因は地球の滅亡とは関係ないというところが実に興味深いところでした。

SFというより、短編によってはホラーや幻想小説に近いテイストですが、人間の心理に潜む恐ろしさみたいなものがしっかり描かれていて、思わずぞっとすると同時に考えさせられる部分も多かったです。

一週間で地球が滅ぶと分かった時に人はどんな行動に出るのか、それが他の人たちとは少し変わった女性たちによって紡がれていく物語。

作品のあらすじ


練馬 圭子――出発

病気の恋人森田朗から「悪いんだけど、放っといてくれないか……。俺はしなきゃいけないことがあって……うっとうしいんだよ、泣かれるのも同情されんのも」(21ページ)と、別れを告げられました。

どうしたらいいか分からず〈あたし〉は友達の大介と飲み明かします。朝になって泣いていると、口説こうとして家の外へ締め出された大介から地球が一週間で滅亡するというニュースを聞かされました。

テレビで事態を確かめようとしてもほとんどのチャンネルは真っ白。かろうじて放送されている番組では、大介の言った通り巨大な隕石が降って来て、地球は滅亡するということが説明されていたのでした。

最期の時を一緒に過ごそうと大介から誘われたことで、〈あたし〉の気持ちははっきりします。朗のいる鎌倉に行こうと。そうして〈あたし〉は電車やバスなど交通機関が止まっている中、歩き始めて……。

世田谷 由利子――あなたの為に チャイニーズスープ

結婚する前は毎朝おいしいごはんを作って、それを夫がうれしそうに食べるという理想の朝の風景があった由利子。ところが夫の明広は朝に弱く、いつも味わう暇なく慌ただしく出かけていってしまいます。

電話の呼び出しを受けて仕事だと出かけていく明広が、同僚の緑川佐智子と会っていることを由利子は知っていました。ただ理想の夫婦を演じているだけの人形のような人間だと陰口を叩かれていることも。

地球の滅亡が分かり明広は佐智子の元へ行こうとしましたが、由利子は「わたしの中にいれてあげる。お腹の中に帰してあげるわ。……愛しているのよ、明広さん」(81ページ)と包丁を持ち出して……。

目黒 真理――走る少女

高校三年生の真理は不満を感じていました。世界史の夏期講習に出るはずだったのに、地球に隕石が降って来るということで電車は動いておらず、夏期講習自体がなくなり、図書館すらも開いていないから。

「おまえはわたし達の自慢の種だよ。よく勉強するし、家のこともよく手伝う。先生にもほめられるよ。おまえ、またクラスでトップだって?」(115ページ)そう褒めてくれた両親は家で震えています。

このおいこみの時期に受験勉強をさせてくれないなんてひどいと思う真理は人っ子一人いない公園に行き、世界史の参考書を開いて……。

新横浜 智子――夢を見たのはどちらでしょう

十一歳の沢村智子は母親が心配するくらいよく眠る子供でした。放っておくと十八時間ぐらい眠っています。ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を読んでから智子は眠るのがますます楽しくなりました。

『鏡の国のアリス』の中に、その世界はすべて王さまが見ている夢だという話があり、自分も誰かの夢の登場人物でその人が目を覚ましたら消えてしまうのではないかと思うと、刺激的でぞくぞくしたから。

ある夜一番大切なワンピースを着たママと背広を着たパパが夢もみない程ぐっすりと眠れる白いお薬をくれました。夢を見ないのが嫌で飲んだふりをした智子でしたが、翌朝パパとママは目を覚まさず……。

西鎌倉 恭子――聖母像

二十一歳で学生結婚した本間恭子。大学四年生ですが、妊娠してしまい、サラリーマンになりたての恋人の良と結婚したのです。経済的なことや、お産のことなど不安は尽きないものの、幸せな日々でした。

ところが、地球が滅亡すると分かってから恭子の脳裏に昔の恋人である里村浩一が浮かぶようになります。里村の会社は大地震でも壊れないほど、丈夫な核シェルターを作っていると知っていたからでした。

おなかの赤ちゃんを守るため里村の元へ行こうかと思う恭子ですが、「あたしは子供を助けたい。決してあなたを裏切る訳じゃ――裏切る訳、なんだろうか」(251ページ)と迷い良から離れられず……。

西鎌倉――そして湘南 圭子――ひとめあなたに…

由利子、真理、智子、恭子らと出会いながら、圭子はひたすら旅を続けます。そしてようやく朗のいる鎌倉にたどり着いたのですが……。

はたして、過酷な旅を続けた圭子は、恋人の朗と再会出来るのか!?

とまあそんなお話です。読者によって、どの女性に共感出来るかは変わってくると思いますが、ぼくが印象に残ったのは真理でした。地球が滅亡することが分かっているのに受験勉強をやめられない高校生。

なんて馬鹿なやつなんだろうと思いますが、それが真理に提示された幸せな形なわけです。しっかり勉強していい大学に入ればいい仕事につけて、そうすればいい旦那さんが見つかって、幸せになれるはず。

さらに正確に言えば真面目すぎる真理にとっては自分がそういう風に行動して母親に気に入ってもらえることが生きていくことの必須条件なのでした。妹からするとまるで機械のように勉強に取り組む真理。

このエピソードでは「人はなんのために生きるか」という問題が描かれているような気がして印象に残りました。真理が正しいとは言えませんが、かと言ってただ震えて死を待つことが正しいわけでもなく。

それぞれの女性の狂気には考えさせられることが多かったです。自分だったら最期をどんな風に過ごすか考えながら読んでみてください。

「新井素子特集」次回は、『グリーン・レクイエム/緑幻想』を紹介する予定です。

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