ワシントン・アーヴィング(吉田甲子太郎訳)『スケッチ・ブック』(新潮文庫)を読みました。残念ながら現在は絶版のようです。
1819~20年にかけて発表された30数編の短編と随筆からなる『スケッチ・ブック』は、アメリカ文学の中でもかなり有名な作品。
放浪を欲する心の赴くままに、ヨーロッパを旅したワシントン・アーヴィングが、ありふれたことながら胸を打つ出来事や、民話や伝説などを書きとめた”スケッチ”集です。
ただ、描かれている土地や風景に馴染みがないせいか、日本での人気はいま一つで、一部分を収録した翻訳しかない上にさらに絶版というのが現状です。いつか新訳(および完訳)が出るといいですね。
今回紹介する新潮文庫には、アメリカ版浦島太郎とも言われる「リップ・ヴァン・ウィンクル」、首なし騎士の伝説を描いた「スリーピー・ホローの伝説」を含む全12編が収録されています。
高垣松雄訳で岩波文庫にも収録されており、こちらは全10編。
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「リップ・ヴァン・ウィンクル」は収録されていますが、映画化もされた有名な短編「スリーピー・ホローの伝説」は収録されておらず、旧字旧仮名で読み辛いこともあって、あまりおすすめはしません。
新潮文庫も岩波文庫もどちらも絶版で手に入りづらいですが、『スケッチ・ブック』ってなんだか面白そうだなあと興味を持ってくださった方は、やはり新潮文庫を探すのがよいだろうとぼくは思います。
では、ここからは新潮文庫版についてのみ書いていきますね。
『スケッチ・ブック』は何と言っても「リップ・ヴァン・ウィンクル」と「スリーピー・ホローの伝説」の2編が特に有名なのですが、もう1編の小説「幽霊花婿」もなかなかに面白かったです。
男爵の娘と婚礼をあげにやって来た騎士はずっと何かを言いたそうにしていて、真夜中になると何故か城から去って行くんですね。こんな不気味なことを言い残して。
「わたくしの約束は花嫁との約束ではなく、蛆虫となんです。蛆がわたくしを待っているのです。わたくしは死人です。盗賊どもに殺されて、死体はヴルツブルクに横たわっているのです。真夜中にわたくしは埋められることになっています。墓がわたくしを待っているのです。わたくしは自分の約束を果たさなければなりません」
彼は黒馬に飛び乗ると、跳ね橋をまっしぐらに渡っていった。その馬蹄のひびきは、夜嵐のひゅうひゅう鳴る音にかきけされてしまった。(107ページ)
その後で、若伯爵が殺され、ヴルツブルク寺院で埋葬されたという知らせが届き、幽霊と一緒に宴席を囲んでいたのだと知ったみんなは思わずぞっとして・・・。
この後さらに思いがけない展開が続くのですが、怪奇小説的な雰囲気と意外な結末を持つ「幽霊花婿」や「スリーピー・ホローの伝説」は今読んでもとても鮮やかな印象で、面白いです。
3編の小説以外には、随筆が9編収録されています。どの随筆も根っこには旅先での孤独、異邦人であることの淋しさがあって、それがとても印象に残りました。
では最後に、折角なので「スリーピー・ホローの伝説」の映画化作品についても少し触れておきましょう。
その映画化作品とは、ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演、1999年にアメリカで公開された『スリーピー・ホロウ』。
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映画『スリーピー・ホロウ』は、首なし騎士による怪奇連続殺人事件の謎に挑むという物語で、短編「スリーピー・ホローの伝説」を下敷きにしていながらも、独自の解釈を加えたミステリ仕立ての作品。
ホラーチックというか怪奇的というか、とにかく独特の魅力を持つティム・バートン監督の作品が好きな方は、間違いなく楽しめる映画だと思いますので、こちらも機会があればぜひ観てみてください。
作品のあらすじ
『スケッチ・ブック』には、「船旅」「妻」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「傷心」「寡婦とその子」「幽霊花婿」「ウェストミンスター寺院」「クリスマス」「駅馬車」「クリスマス・イーヴ」「ジョン・ブル」「スリーピー・ホローの伝説」の全12編が収録されています。
「船旅」
アメリカから船でヨーロッパに向かっている〈わたし〉は、海上を漂う漂流物を見つけ、難破した船の乗組員に思いを馳せました。やがて港に着くと、病気の水夫を迎えに来た女房など、心温まる再会の場面がたくさんあったのですが・・・。
「妻」
〈わたし〉の親友でお金持ちのレスリーは、財産はさほどないものの、上流家庭で育った美しい女性と結婚しました。自分の妻をまるでおとぎ話のお姫様のように幸せにしてやりたいと思っていたレスリーでしたが、投機(一か八かの売買取引)に失敗してなんと一文無しになってしまったのでした。
このことを妻が知ったら、自分から去ってしまうのではないかと思い悩んだレスリーはなかなか打ち明けられませんでしたが、ついに告白する決意をして・・・。
「リップ・ヴァン・ウィンクル」
まだその土地がイギリスの領土だった頃、自分の仕事は怠けてばかりですが、他人の手伝いを喜んでやるリップ・ヴァン・ウィンクルという男がいました。口やかましい女房に頭があがらないリップは、逃げるようにして山へリス撃ちへ出かけます。
すると背の低い老人に名前を呼ばれたので、その後をついて行き、小さな円形劇場のようなくぼ地で異国風な奇妙な恰好をした一団がどんちゃん騒ぎをしている所へ入って行きました。
そして、老人と一緒にその不思議な一団から酒をもらって飲んでいる内に、いつの間にかリップは眠りに落ちてしまったのです。
やがて目を覚ましたリップが、女房への言い訳を考えながら山を降りて行くと、村には見たことのない人々がいて、驚くべきことに、風景は一変していて・・・。
「傷心」
弁護士の娘で美しい少女は、アイルランドの若い愛国の志士E――と恋に落ちました。初恋だっただけに、娘のE――に捧げる愛情は極めて深いものだったのです。「世間がすべて彼に反対し、悲運にやぶれ、不名誉と危険とが彼の名に暗くつきまとうようになったとき、彼女は、苦しんでいる彼をいっそうはげしく愛した」(73ページ)ほど。
しかし、E――は謀反を企んだ罪で有罪になり、死刑に処せられてしまい・・・。
「寡婦とその子」
〈わたし〉が田舎に住んでいた頃、村の古い教会でお葬式がありました。ジョージ・サマーズという26歳の若者が亡くなったのです。残されたジョージの母は、一人息子の死を悲しみ、ただただ真摯に神へ祈りを捧げていました。
やがて〈私〉はジョージがいかにして亡くなったかの話を聞くこととなり・・・。
「幽霊花婿」
フォン・ランドショート男爵には、とても美しい娘がいました。やがてバヴァリアの老貴族との間で話がまとまって、フォン・アルテンブルク若伯爵が婚礼のために花嫁を迎えに来ることになります。
しかしやって来た若伯爵は、自分はここへ来る途中で盗賊に殺されたのだと打ち明けて、真夜中に去って行ってしまったのでした。
一目で若伯爵の幽霊と恋に落ちた男爵の娘は嘆き悲しんで暮らしていたのですが、やがて庭にその幽霊の姿を見るようになって・・・。
「ウェストミンスター寺院」
おだやかで物さびしい秋のある日、〈わたし〉はウェストミンスター寺院をゆっくり歩いていました。その古い建物の荘厳さは〈わたし〉の心をとらえ、まるで「昔の人の住む国に逆もどりし、過ぎ去った時代の闇のなかに身を没してゆくような気がした」(116ページ)のです。
そして、墓石の銘を一つ一つ読みながら、故人に思いを馳せて・・・。
「クリスマス」
イギリスで〈わたし〉が心引かれるのが、「昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごと」(134ページ)でした。その中でも、離ればなれで暮らす家族も再会して喜びを分かち合うクリスマスは特別なもので・・・。
「駅馬車」
クリスマスの前日。ヨークシャを旅していた〈わたし〉は、乗合馬車で子供たちと一緒になりました。その3人の子供たちは休暇を過ごすために故郷へ帰るところで、とても嬉しそうに故郷の家族や飼っている素敵な小馬の話などで盛り上がっていて・・・。
「クリスマス・イーヴ」
〈わたし〉はクリスマス・イブに友人の家に招待されました。友人の父は、古めかしい館に住み、イギリスの伝統を重んじる昔気質の田舎紳士。時代錯誤的ではありますが、かえって好ましい人物として〈わたし〉の目にはうつります。
伝統的なクリスマス・イブの料理が出たので〈わたし〉は喜び、楽しいひと時を過ごして・・・。
「ジョン・ブル」
イギリス人らしさを表すあだ名で、擬人化したイギリス人像でもある”ジョン・ブル”。ある国民が、自分たちに人間の名をつけるならば、なにか威厳があり、雄々しく、壮大なものを想像するのが当りまえだろう。ところがイギリス人の気性は風変りで、彼らが愛するのは、無愛想で、滑稽で、しかも親しみのあるものなのだ。そういう特徴があらわれたために、彼らは自分たちの国民的な奇矯な性質を具象するものとして、でっぷり肥った、逞しい老人を選び、それに三角帽をかぶせ、赤いチョッキを着せ、なめし革のズボンをはかせ、頑丈な樫の棍棒をもたせたのである。(174ページ)
イギリス人が自分たち自身でつけた、この奇妙なあだ名について考察されていって・・・。
「スリーピー・ホローの伝説」
スリーピー・ホロー(まどろみの窪)と呼ばれる所には、独立戦争の時に大砲で頭を飛ばされた、首のない騎士の亡霊が出るという噂がありました。夜になるとその首なし騎士の亡霊は、失われた頭を求めて、かつての戦場をさまようというのです。
そんなスリーピー・ホローにイカバッド・クレーンという先生が暮らしていました。子供たちに勉強を教えながら、色んな家でお世話になっているのです。
ある時、イカバッドはカトリーナという、美しいのは勿論やがては莫大な遺産を相続することになっている18歳の乙女に恋をしました。
何とかカトリーナの気持ちをつかもうとがんばったものの、なかなかうまくいかなかったパーティーの帰り道。
イカバッドは川の向こう側の森の影に、「なにか巨大な、奇態な形をした、黒いものがそそり立っていた」(233ページ)のを見つけ、追いかけて来るその不気味な存在から必死で逃げ続けて・・・。
とまあそんな全12編が収録されています。随筆は随筆でそれなりに興味深くはありますが、やはり3編の小説が面白いですね。
「リップ・ヴァン・ウィンクル」は特に不思議な話で、目覚めて山から降りたリップが宿屋へ行くと、村人たちは連邦党か民主党かで揉めているんです。
状況がよくつかめないリップが、自分は常に王様に忠実でありたいと言うと、人々からスパイ呼ばわりされ、宿屋から叩き出されそうになりました。
リップは知りませんでしたが、イギリスの領土であったこの土地は、独立戦争を起こしてアメリカになっていたんですね。
なので、イギリスの王様に忠誠を誓うということは、アメリカ国民にとっては許しがたいことなわけです。
ただ森の中で眠っただけのリップの身に一体何が起こったのでしょうか。気になる方はぜひ読んでみてください。
随筆の中では、ぼくは個人的には「妻」が好きでした。シンプルながら、本当の幸せとは何かについて考えさせられる話です。
本自体がなかなか手に入りづらいかも知れませんが、後世の作品に大きな影響を与えたアメリカ文学の有名な一冊なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、遠藤周作『白い人・黄色い人』を紹介する予定です。