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レフ・トルストイ『イワンのばか』

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イワンのばか (岩波少年文庫)/岩波書店

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レフ・トルストイ(金子幸彦訳)『イワンのばか』(岩波少年文庫)を読みました。

ぼくが子供の頃に『言わんのバカクイズ』(ニッポン放送出版)という本がかなりはやってたんですよ。元々は浅草キッドのラジオのコーナーで「何を言われても○○と言ってください」というクイズです。

たとえば、〇〇が「静岡」だったら、「東京」「静岡」「大阪」「静岡」とやり取りを続けて行って、途中で「塩漬け」をいれると「塩漬け」につられて「静岡」がうまく言えなくなってしまうというもの。

もうぼくは「イワンのばか」と聞くとそればかり連想してしまうのですが、それはまあともかく、読んだことがない方でもなんとなく聞いたことがあるというのが、「イワンのばか」ではないかと思います。

トルストイと言えば、ドストエフスキーと並ぶロシアの文豪ですが、ロシアの民話をモチーフにした作品をいくつか残していて「イワンのばか」もその一つ。今も多くの人に愛され続けている作品でしょう。

これはまさに『アンナ・カレーニナ』など、トルストイの作風と共通する部分でもあるのですが、トルストイの民話は他の童話や寓話とは違って、人はなぜ生きるかというテーマが直接的に描かれています。

アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫)/光文社

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それはともすれば宗教的な色彩の強いメッセージでもあるので、読む人によっては抵抗を感じる方もいるでしょうが、まっすぐなメッセージなだけに子供じみた童話にはない心の動かされ方をするはずです。

さて、トルストイの民話をどの本で読んだらいいかですが、いくつかの選択肢があります。ぼくが特におすすめしたいのは、あすなろ書房から出ている「トルストイの散歩道」という全五巻のシリーズです。

人は何で生きるか (トルストイの散歩道)/あすなろ書房

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すべて北御門二郎訳。それぞれの民話で独立した一冊になっているので、一冊ごとのページ数がとても短く、普段あまり本を読まないという方でも大丈夫。和田誠の装画も、このシリーズの大きな魅力です。

『人は何で生きるか』『イワンの馬鹿』『人にはたくさんの土地がいるか』(「卵ほどの大きさの穀物」併録)『二老人』『愛あるところに神あり』(「火の不始末は大火のもと」併録)』という五冊です。

もっと一気に読みたいという方には、訳はかなり古いですが、岩波文庫に中村白葉訳で、「トルストイ民話集」が二冊収録されています。

『人はなんで生きるか』は表題作他「火を粗末にすると――消せなくなる」「愛のあるところに神あり」「ろうそく」「二老人」の五編。

もう一冊の『イワンのばか』は表題作の他、「小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話」「人にはどれほどの土地がいるか」「鶏の卵ほどの穀物」「洗礼の子」「三人の隠者」「悔い改むる罪人」「作男エメリヤンとから太鼓」「三人の息子」の全九編が収録されています。

そして、最もコンパクトに有名な作品が集められているのが、今回紹介する岩波少年文庫の金子幸彦訳『イワンのばか』。とりわけ子供に向けた訳という感じではないので、大人でも楽しむことが出来ます。

岩波文庫には収録されていない「カフカースのとりこ」が読みたかったので、今回は岩波少年文庫版で紹介しますが、内容は同じなので、みなさんはそれぞれ読みたいもので読んでいただければと思います。

作品のあらすじ


『イワンのばか』は「イワンのばか」「人は何で生きるか」「人には多くの土地がいるか」「愛のあるところには神もいる」「ふたりの老人」「三人の隠者」「小さい話」(「小鳥」「年寄りの馬」「ふたりの兄弟と黄金」「大くま星座」)「カフカースのとりこ」の全八編。

「イワンのばか」


悪魔の親方は三匹の小悪魔を呼び、軍人のセミョーンとたいこ腹のタラースとばかのイワンの三兄弟を仲違いさせるよう命じました。それぞれ動き出しましたが、イワン担当の小悪魔だけうまくいきません。

おなかを痛くしたのに、イワンは我慢して畑作業を続けてしまったから。すきを止めようとした小悪魔はイワンに捕まってしまい、助けてくれるならと、どんな痛みも治せる三つまたの根っこをくれました。

おなかの痛みが治まったイワンが「よし、では、放してやろう。神さまのおまもりをうけろ」(15ページ)と言うと、小悪魔は水におちた石のように、土のなかへ落ちていって、後には穴だけが残ります。

セミョーンとタラースの誘惑に成功した小悪魔らがイワンの元にやって来ますが、やはりうまくいきません。何の知らせもなく、小悪魔たちも帰って来ないので、ついに悪魔の親方が動き出しましたが……。

「人は何で生きるか」


毛皮を買うために出かけた靴屋のセミョーンでしたが、貸していたお金を返してもらえず、結局毛皮は買えませんでした。やけになってお酒を飲んだ帰り道、礼拝堂の近くで何も着ていない男を見つけます。

通り過ぎようと思いましたが、凍えて怯えきっている若い男を見ると放っておけず家へ連れ帰りました。セミョーンの妻マトリョーナはただでさえ貧しいのにと弱りますが、男にパンを食べさせてやります。

自分のことを語りたがらないミハイルというその男は、靴屋で働くようになりました。やがて一年が過ぎた時、三匹の馬にそりをひかせた大きな体の旦那が高級な皮を持って来て、長靴を作るよう頼み……。

「人には多くの土地がいるか」


「土地さえたっぷりあったら、わしはだれひとりこわがらないよ、悪魔だってこわくないよ!」(120ページ)という呟きを聞いていた悪魔に唆され大きな土地を欲しがるようになってしまったパホーム。

よい噂を聞いて、バシキール人たちの土地に行ったパホームは村長から土地は一日千ルーブリだと聞かされて驚きました。なんと、一日で歩き回った土地が全て千ルーブリで自分のものになるというのです。

大地のはてから太陽の光が差し始めるとすぐにパホームは歩き始めました。長い距離を歩くにつれ、どんどん疲れはたまっていきますが、一時の我慢が一生の得になるんだと思いパホームは歩き続けて……。

「愛のあるところには神もいる」


靴屋のマルティンは窓が一つしかない地下牢で暮らしていました。妻や子供を全て亡くしてからは神様にがっかりして教会へ行くことをやめてしまい、いつ死んでも構わないと思うようになったマルティン。

ある時ふと聖書を読み始めたマルティンは、夢うつつに「あすは往来を見ていなさい、わたしがくるから」(158ページ)という声を聞きます。夢だと思いながらも気になって、窓の外を見ていると……。

「ふたりの老人」


エリセイとエフィームという二人の老人が、エルサレムへお参りに行くことになりました。エリセイは罪深いことと知りつつも、どうしてもたかぎたばこをやめられず時折遅れてかぎたばこを吸うのでした。

水が飲みたくなったエリセイは、すぐ追いつくから先へ行ってくれとエフィームに言って水をもらいに行きます。すると訪れた農家は嫌な匂いが立ちこめ、家族ははやり病と飢えで死にかけていたのでした。

エフィームに早く追いつき、エルサレムでお参りをしなければと思うエリセイでしたが、弱った一家を放っておくことが出来ません。一方のエフィームは旅を続け、エルサレムにたどり着いたのですが……。

「三人の隠者」


アルハンゲリスクの町からソロフキへ船で渡っていた僧正は、途中の小さな島に三人の隠者が住んでいることを知ります。会いにいってみると、三人の隠者はちゃんとしたお祈りの仕方を知りませんでした。

三人の隠者は「あなたも三つ、わしらも三人、わしらをあわれみくだされ!」(234ページ)としか言っていなかったのです。僧正は、物覚えの悪い三人の隠者に根気よく正しいお祈りを教えますが……。

「小さい話」


「小鳥」

お祝いの贈り物にしかけあみをもらったセリョージャは小鳥を捕まえて飼い始めます。最初の内はちゃんと世話をしていたのですが、さぼり始め、お母さんに注意されて鳥かごの掃除を始めたのですが……。

「年寄りの馬」

〈わたし〉たち四人兄弟はクロという、年とったおとなしい馬にだけ乗ることが許されていました。乗馬が得意なところを見せようとした〈わたし〉は年寄りの召使いに思いも寄らないことを言われて……。

「ふたりの兄弟と黄金」

エルサレムから遠くないところに、アファナーシイとヨアンという兄弟が住んでいました。ある時ヨアンがなにかを見つけて逃げます。弟が見つけたのが金貨の山であることを知ったアファナーシイは……。

「大くま星座」

大ひでりが続いたある夜、病気のお母さんに飲ませる水を探しに出かけた女の子。不思議なことに、疲れて眠っている内にひしゃくは水でいっぱいになっていましたが、帰る途中で弱った小犬に出会い……。

「カフカースのとりこ」


士官としてカフカースの軍隊につとめていたジーリンという貴族の元に、年をとった母親からの手紙が届きます。そこには死ぬ前に会いたいこと、お嫁さんにふさわしい女性を見つけたと書かれていました。

帰郷するため、休暇をもらったジーリンでしたが、タタール人に捕まり、足かせをはめられ物置に閉じこめられてしまいます。タタール人は家族に三千ルーブリの身代金を払うよう手紙を書けと言いました。

そんな大金がないことを知っているジーリンはあえて偽の住所を書きます。細工が得意だったので、主人の娘ジーナに粘土で人形を作ってやるなどして交流を深めながらも、逃げ出す機会を狙いますが……。

とまあそんな八編が収録されています。寓話として最も分かりやすいのが、「人には多くの土地がいるか」です。タイトルの時点でもう内容に予想がつくと思いますが、考えさせられることの多い話でした。

エピソードが心に残るのが「ふたりの老人」。エルサレムへのお参りが宗教的な意味合いで何より大切なこと。しかしエリセイは困っている人を放っておけず、なかなかたどり着くことが出来ないのでした。

こうした「決まりとして大切だとされていること」と「本当に神の心に適うこと」の対比というのはトルストイの民話で一つの大きなテーマとなっています。単なるキリスト教の教えと違う興味深い所です。

そしてなんといっても「イワンのばか」。長男次男と失敗し、三男が成功するという、民話や童話ではお馴染みのパターンの作品ですが、他の童話などとはメッセージ性が明らかに違う作品になっています。

普通の童話では、三男が思いがけぬ大きな成功をおさめて終わりますが、「イワンのばか」はそうした単純な成功物語になっておらず、物語を通して「人はいかに生きていくべきか」が問われているのです。

とりわけ注目に値するのが戦争について書かれた部分。話の後半、イワンの住む国に敵国の軍隊が攻めて来るのですが、イワンは一体どうしたでしょうか。そしてそれはどのような結果を生んだでしょうか。

グリムやアンデルセンの童話とは違って、メッセージ性のはっきりした、考えさせられることの多いトルストイの民話。あらすじやテーマに興味を持った方はこの機会に手にとってみてはいかがでしょうか。

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