ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)/岩波書店
¥630
Amazon.co.jp
ゴットフリート・ビュルガー編(新井皓士訳)『ほらふき男爵の冒険』(岩波文庫)を読みました。
『ほらふき男爵の冒険』は、その名の通り、ほらふき男爵が語った奇想天外の物語です。児童書にもなって親しまれているので、みなさんも何かしらで見たり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
ほらふき男爵の語る話は、「いやいや、絶対ありえないでしょ、それ」と思わされるとんでもない話ばかりですが、想像力の限界に挑んでいるような感じがあって、かなり面白いんですよ。
中でもぼくがお気に入りなのは、月に行く話。トルコで捕虜になってしまったほらふき男爵は、奴隷としてミツバチの管理をさせられます。そこへ蜂蜜に誘われてなんとクマがやって来てしまいました。
そこでとっさに銀の手斧を投げたのですが、「ワガハイがあんまり強く腕を振って投げたので、飛ぶは飛ぶは、高く高くどこまでも止らず、とうとう月までとんでいってしまった」(72ページ)のです。
困ったほらふき男爵は、成長の速い紅い花のトルコ豆のことを思い出し、トルコ豆のつるによじ登って三日月までたどり着いたのでした。
そうして無事に銀の手斧を取り戻したはいいものの、太陽の熱でつるは枯れてしまって、戻ることが出来ません。ほらふき男爵絶体絶命の危機! 一体どうしたと思いますか? すごいですよ。
事ここに至って何をかなすべき、ワガハイそこのわらでできるだけ長く縄をば編んだ。そいつを三日月の片端に固定して、それを伝って降りだした。右手でもって身を支え、左に持ったはワガ斧だ。この恰好でひとくさり縄をすべり降りるとワガハイは、そのつど頭上のですナ、用が済んで余った縄を切りとって、そいつを脚下の必要部分につないだもんだ。これを繰り返し繰り返し、相当下まで降りてきた。(73ページ)
ツッコみ所満載すぎて、もうどこから手をつけていいか分かりませんが、三日月の片端にロープを結び付けて、ロープを降りる度にいらなくなった上の部分を切って、下に繋いでいったというんですね。
いやいやいや、切った時点でもう終わりだし、そもそも三日月の片端というのもおかしいし、というか宇宙空間でどうやって生存してるんだよとか、今みなさんも色々ツッコんだことでしょう。
でもあれですよ、三日月の端にロープって、なんか素敵じゃないですか。そしてロープを切って下に繋ぐって、なんかイメージでは出来そうじゃないですか。わくわくするほら話って、いいですよね。
ここでこの本の成り立ちについて少し触れておこうと思います。ビュルガー作ではなく、編となってますよね。ほらふき男爵の物語には、少し複雑な成立事情があるんです。
訳者解説に詳しいですが、ほらふき男爵ことミュンヒハウゼン男爵は、実は18世紀のドイツに実在した貴族なんです。ロシアやトルコなど、物語に登場する土地に実際に行って戦いました。
1780年頃、ミュンヒハウゼン男爵を思わせる人物が登場する、民話などを取り入れた作者不詳の笑い話集が編まれます。
その笑い話集をラスペという人が英訳したんですね。その時に、ばらばらだった話をミュンヒハウゼン男爵の語りという風にして統一し、さらに色々なエピソードを付け加えたのだそうです。
話題になったその本を、ビュルガーが再びドイツ語に訳したのが、この『ほらふき男爵の冒険』ですが、これまた単なる翻訳にとどまらない独自の筆が加えられ、より物語らしい一つの決定版になりました。
とまあそんな感じで、ドイツ語から英語に、英語からドイツ語になる間に、ばらばらだった民話や笑い話だったものがどんどんまとまっていって、こうしたほらふき男爵の物語になったのです。
ほらふき男爵の物語が後世に与えた影響も多いですが、特におすすめしておきたいのが、独創的な世界観の作品を撮ることで有名なテリー・ギリアム監督の『バロン』という1989年公開の映画。
バロン [DVD]/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

¥1,481
Amazon.co.jp
「バロン」とは「男爵」のこと。そう、この『バロン』は、『ほらふき男爵の冒険』の映画化作品なんです。原典の話をたくみに取り入れつつ再構成されている、なかなかに面白い作品でした。
ほらふき男爵が、戦争で危機に陥っている少女の町を救うために、少女とともに、かつての仲間たちを集める旅に出るという物語。機会があれば、ぜひ映画の方も観てみてください。
作品のあらすじ
〈ワガハイ〉は、ロシアに行き、狩りで遭遇した奇妙な出来事など、自分の身に起こった出来事を語って行きます。
トルコ軍と激しい戦いをくり広げていた時にはこんなことがありました。砂ぼこりをくぐり抜け、先頭になって街に入った〈ワガハイ〉は、広場にある泉の水を馬に飲ませます。
敵がいつやって来るか分からない状況なのにもかかわらず、馬はいつまで経っても水を飲み続けていました。奇妙に思った〈ワガハイ〉が後ろを見ると、なんと馬は上半身しかなかったのです。
城門に挟まれて、体が真っ二つに分かれてしまっていたのでした。馬がいくら水を飲んでも、そのまま後ろにあふれてしまうのです。
「牧場を駆けまわっている雌馬たちとすでにとっくりと慇懃を通じていた」(64ページ)下半身と上半身をふたたびくっつけて、戦いを続ける〈ワガハイ〉にはこんなこともありました。
何とか敵の警戒をくぐり抜けて、相手を攻撃する方法はないかと考えていた〈ワガハイ〉はある作戦を立てて、それを実行したのです。
そこでワガハイは度胸はあるし根は精勤だ、どうもいささか早合点しすぎたが、折しも要塞めがけて発射されんとした一番でかい大砲のひとつの横で身構えて、とび出す砲弾にひらりと跳び乗った、敵方要塞まで乗ってる意図でありましたわ。ところがだね、半ば辺りまで砲弾にまたがり空を飛んだとき、ワガ脳裏にあらがいがたき狐疑逡巡が浮びきた、「ウーム」ワガハイは思ったね、これで向うに入る事はできるだろう、だがその後どうやってすぐ抜け出そうぞ。(中略)かれこれ省察のすえワガハイ端的に決心した。敵の要塞からワガ陣めがけて撃ち出されたる砲弾が、ワガそば数フィートに飛来したる好機をとらえ、ひらりと彼我の砲弾をば乗り替えた。用件は達せられなんだが、ぶじ懐かしい味方のもとへ帰ったのであった。(67ページ)
砲弾に乗って空中を飛んだ〈ワガハイ〉は、ある時は馬ごと沼に落ちてしまい、溺れそうになりました。しかし、なんとか自分の弁髪をつかんで自分と馬を持ち上げることが出来たので助かります。
それからも山へ行ってワニとライオンに挟まれたり、海へ行って魚に飲み込まれたりと、危機一髪の状況をくぐり抜けた〈ワガハイ〉は、頼りになる旅の仲間と出会いました。
最初に会ったのが、足に鉛の重りをつけている男。足が速すぎるので重りをつけているのだと聞いて、早速従者へ取り立てます。
その後も、とにかく耳がよくて暇つぶしに草が伸びる音を聞いていた男、常人には見えないようなはるか遠くを見ることが出来る銃の達人を従者に取り立てます。
そしてさらに、斧を忘れたからと素手で森全体の木を引き抜いてしまうほどの怪力の男と、寝転がって鼻息だけで風車を回すことの出来る男を仲間に加えたのでした。
頼りになる仲間たちと共に、旅を続ける〈ワガハイ〉は、エジプトでの冒険を経て、トルコの皇帝とある賭けをすることになります。
トルコの皇帝が持っている最上級のワインよりも、もっといいワインを、たった一時間でウィーンから取り寄せてみせると〈ワガハイ〉は約束してしまったんですね。
「あいや、殿下、嘘か真か、お験しなさらずば。ワガハイの言葉にいつわりあらば――ワガハイ、ほら大言壮語は不倶戴天の敵でござるによって――殿下にはそれがしの首をチョン切るよう、お命じなされませ。したが、ワガハイの首とて、野辺のタンポポの首ではござらぬぞ。殿下はそもそも何をお賭け下さりますや。」――「よっしゃ、しかと約束したぞ。四時のゴンが鳴って、そのトカイ酒の壜が届いておらなんだら、容赦なくおぬしは首が飛ぶぞ。わしをかつぐのはたとえ無二の友たりといえども許さぬからな。じゃが、おぬしが約束を守るなら、わしの宝蔵から金銀、真珠、宝玉をじゃ、最高の強力男が引き出せるだけ引き出してもよいわい。」
(130~131ページ)
首か、宝か。〈ワガハイ〉は、マリア・テレジア女帝宛ての手紙を足の速い従者に託します。重りを外し、従者はウィーンへと一目散。ところが、約束の時間の15分前になっても戻って来ませんでした。
不安になった〈ワガハイ〉が、耳のいい従者に足音が聞こえないか尋ねると、なんとまだ相当離れた場所で、いびきをかきながらいねむりしていると言うではありませんか。
このままではウィーンからのワインは届かず、ワインが届かなければ、〈ワガハイ〉の頭と胴体はおさらばです。残り時間はあとわずか。この絶対絶命の危機を乗り越えることができるのでしょうか。
はたして、〈ワガハイ〉の賭けの行方はいかに? 〈ワガハイ〉の命は助かるのか!?
とまあそんなお話です。〈ワガハイ〉の従者の快速男(あしじまん)と千里耳男(みみじまん)が活躍しましたが、まだ鉄砲名人(てっぽうじまん)と強力男(ちからじまん)と風吹き男がいましたよね。
それぞれがそれぞれの能力を使って活躍をくり広げることになるので、ぜひ注目してみてください。
この後、〈ワガハイ〉の冒険はさらに続いて、再び今度は船で月へ行ったり、火山の中でヴィーナスと会ったり、ワインの海を航海中に巨大な怪獣に飲み込まれてしまったりします。
元々はばらばらの話だったというだけあって、一つの物語というよりは、面白いエピソードを繋げていったという感じがあって、いわゆる小説的な面白さには欠ける作品かも知れません。
ただ、月に行ったり、自分がぶら下がっているロープの上の部分を切って下に結んだり、自分で自分を持ち上げたりなど、ナンセンスなほら話がかなり面白くて、思わず引き込まれてしまいます。
それぞれ特殊な能力を持つ仲間たちが、その特殊な能力をいかしながら困難に立ち向かうという展開には、ベタでありがちながらわくわくさせられてしまいますよね。
誰もが知っているほらふき男爵ですが、意外と原典はあまり読まれていないだろうと思います。この本も今はちょっと手に入りづらいのですが、機会があればぜひ読んでみてください。
明日は、『イソップ寓話集』を紹介する予定です。