トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)/河出書房新社
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トーマス・マン(平野卿子訳)『トーニオ・クレーガー 他一篇』(河出文庫)を読みました。
傷つきやすいナイーブな少年時代を描き、手に入らないものへの憧れに満ちたトーマス・マンの中編「トーニオ・クレーガー」は、多くの人々から青春の書として愛され続けている作品です。
友達と自然体でうまくつきあえないとか、好きな女の子が出来ても全く相手にされないとか、針で胸を刺されるような、わりと辛い経験が描かれているのですが、特に文学者で愛読している人が多いんです。
それが何故かと言うと、この物語が、「〈人生〉は精神や芸術に永遠に対立している」(69ページ)、つまり生活と芸術は相容れないものなのではないかと悩む主人公の物語だから。
少年時代の友達はみんなアクティブで、乗馬に夢中になっている間、トーニオ・クレーガーは本を読んで感動し、その本の面白さを友達に伝えようとしますが、うまく伝わりません。
やがて、思いを寄せる女の子が出来ますが、話しかけることさえ出来ず、トーニオはいつもひとりぼっち。自分の書いている詩が認められたら、その子が振り向いてくれるだろうかなどと考えます。
トーニオが求めていたのは、ごく普通の幸せで、友達や恋人と親しく付き合うことだったのですが、結局それは手に入りませんでした。
大人になって作家として成功したトーニオは、自分は芸術家だからそうなのだと思い、ようやく自分を納得させることが出来たのです。
世の中には、友達や恋人と楽しく過ごし、生活はうまくいくけれど、芸術的な才能のない人と、芸術的な才能に満ち溢れているけれど、孤独で、生活はどこか満ち足りない2種類の人間がいるのだと。
ところが、芸術家の立場から、芸術家気取りの普通の人を批判したトーニオは、親しく付き合う画家のリザヴェータ・イヴァーノヴナから、ショッキングな指摘をされてしまいます。
トーニオも結局は”普通の人”に過ぎないのだとリザヴェータは言ったんですね。そしてそう考えることは、トーニオが抱えている人生の悩みを解決することにもなるのだと言いますが、トーニオは驚きます。
「ぼくが?」トーニオはかすかにひるんだ。
「ほらね、ショックでしょ――やっぱり。だから、この判決にちょっと手心を加えてあげる。私にはそれができるから。あなたはね、違う道に迷いこんでしまったのよ。トーニオ・クレーガー――迷子になった普通の人なのよ」(73ページ)
普通の人が送る、ごくごく当たり前の生活を送れないままに、芸術家としての人生を突き進み、普通の生活に対して憧れと憎悪の両方を抱くトーニオの心は大きく揺さぶられます。
生活と芸術は両立しうるものなのか? 生活と芸術の狭間でさまようトーニオの物語。読書が好きだったり、インドアな趣味を持つ人は誰もが共感出来る、ちょっぴり切ない作品になっています。
併録されている短編「マーリオと魔術師」は、家族でイタリアに旅行へ行ったドイツ人一家が、魔術師のショーを見るという物語です。
魔術師チポッラは、正確に言うと手品師であり、催眠術師であって、観客たちにダンスをさせるなど、思うがままに観客を操るんですね。
発表された時期もそうですが、作中の時期もイタリアのムッソリーニ政権と重なっているのが意味深で、魔術師に踊らされる観客たちというのは、そのままファシズムを表しているとも言われています。
ファシズム批判として読んでも勿論構わないのですが、純粋に物語として非常に印象に残るものになっていて、ファシズム批判という一面的ではない、もっと多層的な読み方が出来る作品だと思います。
「トーニオ・クレーガー」と「マーリオと魔術師」の組み合わせはなかなかにいいですし、かなり新しい訳なので、この河出文庫もおすすめですが、「トーニオ・クレーガー」には色々な訳があります。
長年愛されて定評があるのが、岩波文庫の実吉捷郎訳『トニオ・クレエゲル』です。この訳でファンになったという人も多いですね。
そして、別々に扱いたかったのであえて今回は避けたのですが、トーマス・マンの代表的中編を一気に読みたいという方は、新潮文庫の高橋義孝訳『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』がおすすめです。
作品のあらすじ
『トーニオ・クレーガー 他一篇』には、「トーニオ・クレーガー」「マーリオと魔術師」の2編が収録されています。
「トーニオ・クレーガー」
こんな書き出しで始まります。冬の太陽は厚い雲に遮られて、狭い町の上にわずかにぼんやりした白い光を落としていた。破風屋根の家が並ぶ湿っぽい小路を風が吹きぬけ、ときどき、氷とも雪ともつかない柔らかいあられのようなものが降ってくる。(8ページ)
学校が終わると、生徒たちは勢いよく校門から飛び出して来ました。ようやく友達のハンス・ハンゼンがやって来たので、トーニオ・クレーガーは声をかけます。散歩をする約束をしていたからです。
しかし、ハンスはちょっと意外そうにトーニオを見つめ、それからようやく散歩の約束を思い出したようでした。おしゃべりしていた友達に別れを告げ、ハンスはトーニオと歩き始めます。
2人きりになると打ち解けた態度になったハンスは、天候が悪かったから、散歩なんか出来ないと思ってたのだと弁解しました。
本当をいえば、ハンスの言葉を真に受けたわけではなかった。ふたりだけの散歩をハンスが自分のように大事に思っていないことを、はっきり感じとっていた。けれども、忘れたことをすまないと思って、ハンスがなんとかしてトーニオの機嫌を直そうとしていることはよくわかった。だから、無条件で仲直りを受けいれた……(13ページ)
同じ14歳ですが、トーニオとハンスは全く対照的でした。スポーツも勉強も出来て、誰からも愛されるハンスに比べて、トーニオは偏屈で、周りとぶつかってばかり。友達もうまく出来ません。
トーニオはハンスの美しさを愛し、もっと親しくなりたいと思っていて、ハンスもトーニオの知識に一目置いてくれているようです。
自分が感動した本についてトーニオが夢中になって話していると、エルヴィン・イマータールという友達がやって来てしまいました。
そして、イマータールと乗馬の話に夢中になったハンスは、無意識にトーニオのことをクレーガーと呼んだのです。
普段は親しげにトーニオと名前で呼んでくれるのに、名字で呼ばれたトーニオは、「一瞬のどが締めつけられるよう」(22ページ)な苦しい思いがして・・・。
16歳になったトーニオは、インゲボルク・ホルムという金髪の娘に恋をしました。ダンスで盛り上がる広場から離れて一人ぼっちになったトーニオは、こんなことを考えます。
インゲがここに来てくれたら! ぼくがいなくなったのに気づいて、ぼくの気持ちを察して、そっとあとを追ってきてくれたら! そしてただ同情からだけでもいい、ぼくの肩にそっと手をおいて、こう言ってくれたら――あたしたちのところにいらっしゃい。元気出しなさいよ。あたし、あなたが好きなの……。後ろの気配にじっと耳を澄ませながら、自分勝手な期待を抱いて、トーニオはインゲを待っていた。けれどもインゲはいっこうにやってこなかった。そもそもそんなことが起こるはずはないのだ。(40ページ)
父を亡くし、母が再婚したために故郷を離れ、やがて作家として成功したトーニオ。自分は芸術家であると割り切り、普通の人と同じような、愛に満ちた生活を送れなかったことに納得しています。
ところが、30歳を少し越えた、自分と同じ年頃の画家、リザヴェータ・イヴァーノヴナからトーニオも”普通の人”なのではないかと言われ、大きなショックを受けたのでした。
行くあてのない旅に出たトーニオは、ふと13年ぶりに故郷に帰ってみることにしたのですが・・・。
「マーリオと魔術師」
8月の半ば、娘と息子を連れて、〈私〉たち夫婦は、イタリアのリゾート地、トッレ・ディ・ヴェーネレにバカンスに行きました。オープンカフェの「エスクイーズィト」へよく行き、いつも給仕をしてくれるマーリオと顔見知りになります。
トッレ・ディ・ヴェーネレに来る前、子供たちは百日咳にかかっていて、治ったもののちょっと咳をしていたんですね。
するとそのことで他のお客さんからクレームが入り、別館に移ってくれないかと言われてしまったのです。腹を立ててホテルを移りますが、それからも色々とトラブルが起こり続けます。
嫌なことばかりが続いてうんざりしていた頃、〈私〉たちはホテルの食堂で、「騎士(カヴァリーア)チッポラ」というショーのポスターを見かけたのでした。
遍歴の巨匠、話芸の達人、芸人、魔術師、手品師(こう自称していた)たる私は、声望高きトッレ・ディ・ヴェーネレの皆さまに、摩訶不思議、あっと驚く尋常ならざる究極の技をお目にかけます。
魔術師! こう聞いただけで、子どもたちの目の色が変わった。そしてしきりにせがんだ。魔術師だって! そんなの、まだ一度も見たことないよ。せっかくのお休みなんだもの、見たいよ、連れてってよ。それからというものふたりは、チケットを買ってと耳にたこができるほどくり返した。(156ページ)
そうして〈私〉たち一家は、魔術師チッポラのショーを見に行くことになったのでした。チッポラは巧みなその手品と催眠術で、観客達をとりこにしていきます。
やがて、「エスクイーズィト」の給仕マーリオが舞台にあげられ、催眠術をかけられることになり、会場は大きな笑い声に包まれたのですが・・・。
とまあそんな2編が収録されています。「トーニオ・クレーガー」は、トーニオの気持ちがなんだかよく分かるなあという方も多いのではないかと思います。
まあ基本的には、自分よりも他人の方が何でもいいように見えるというのが人間の心理ではありますが、やはりぱっと輝くような、目立つ人も世の中にはいるものなんですよね。
そういう輝きを持つ人物に憧れて自分を卑下したり、恋する相手に振り向いてほしくても何も出来なくて、くよくよと考え込んでしまったりするのは、ある程度誰もが経験することなのではないでしょうか。
愉快で楽しい子供時代というよりは、繊細で傷つきやすい少年時代が描かれた「トーニオ・クレーガー」と、魔術師チッポラのショーで起こった思いがけない出来事を描いた「マーリオと魔術師」の2編。
どちらも短いながら、とても印象に残る作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日もトーマス・マンで、『魔の山』を紹介する予定です。