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カーター・ディクスン『黒死荘の殺人』

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黒死荘の殺人 (創元推理文庫)/東京創元社

¥1,008
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カーター・ディクスン(南條竹則・高沢治訳)『黒死荘の殺人』(創元推理文庫)を読みました。

密室と言えばカー、カーと言えば密室と言われるくらい密室にこだわり、名作も多いのがジョン・ディクスン・カー。生み出した名探偵としては『帽子収集狂事件』などのギディオン・フェル博士がいます。

カーにはカーター・ディクスンという別名義があって、カーター・ディクスン名義でとりわけ有名な名探偵が、ヘンリ・メルヴェール卿。その記念すべき初登場作が今回紹介する『黒死荘の殺人』です。

原題は" The Plague Court Murders "で、『プレーグ・コートの殺人』(仁賀克雄訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)、『黒死荘殺人事件』(平井呈一訳、講談社文庫)など、色んな邦題で翻訳が出ています。

ただ、いずれも今は本自体が手に入りづらいので、これから読もうと言う方は、2012年に出たこの創元推理文庫が一番おすすめです。

ちなみに、カーがどうして別名義で出版しなければならなかったかというと、アメリカの出版業界の慣習では一年に何作も出版することが出来なかったようなんですね。そういう契約を交わしていたのです。

もっとお金を稼ぐために別の出版社から出版することにしたのですがカーの名義は使えません。そこでカーが望んだ名前ではなかったのですが、紆余曲折を経て、カーター・ディクスンが誕生したのでした。

そういうわけで、ディクスン・カーとカーター・ディクスンは意図的に作風で分けられているわけではなく、主に出版契約の問題で分けられているので、どちらかのファンは、もう片方の作家も楽しめます。

ディクスン・カーと同じように、もっと作品を書きたいと別名義でも活動していた現代作家にはモダン・ホラーの旗手スティーヴン・キングがいます。別名義として使っていたのがリチャード・バックマン。

リチャード・バックマン名義で有名なのが『バトルランナー』です。これはかなりおすすめの一冊。内容はかなり違いますが1987年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画版も作られました。

バックマン・ブックス〈1〉バトルランナー (扶桑社ミステリー)/扶桑社

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近未来、莫大な賞金をめぐり、命がけで逃げ続けるテレビ番組に出演した主人公のスリリングな物語で、山田悠介の『リアル鬼ごっこ』やスーザン・コリンズの『ハンガー・ゲーム』が好きな方におすすめ。

スティーヴン・キングほど露骨なホラーではないですが、実はカーター・ディクスンの魅力もまた怪奇風味がある所で『黒死荘の殺人』は幽霊屋敷での降霊会の最中に起こった奇妙な事件のミステリです。

幽霊が犯行を行ったとしか思えない、誰も足を踏み入れられない状況で起こった密室殺人事件。その謎に、マイクロフト(シャーロック・ホームズの兄)の異名を持つ、ヘンリ・メリヴェール卿が挑みます。

作品のあらすじ


ある時、クラブで夕食を済ませ喫煙室でコーヒーを飲んでいた〈私〉ケン・ブレークの前に友人のディーン・ハリディがやって来ました。ハリディは〈私〉に何か言いたいようですが言い出せないようです。

「ああ」彼は椅子にもたれて、私の顔を見据えた。「くだらないことばかり喋る馬鹿な男だとか、世迷言を並べ立てる婆さんみたいだとか思われるんじゃないかと心配だった。そうでなきゃ――」私が首を横に振ると、彼はそれを遮った。「待ってくれ、ブレーク。ちょっと待ってくれ。打ち明ける前に聞いておきたいんだ。君にすればきっと馬鹿みたいな話だけど、僕の助けになってくれるかな? 実は君に……」
「話してみたまえ」
「幽霊屋敷でひと晩明かしてほしいんだ」
「それのどこが馬鹿みたいなことなんだ?」私は、退屈が消し飛びつつあるのを努めて隠しながら訊いた。内心これは面白くなりそうだと思ったことを、相手も察したようだ。(23~24ページ)


ハリディ家は絞刑史ルイス・プレージの持ち物だった黒死荘を所有しているのですが、最近おかしなことが起こったのです。ロンドン博物館に展示されていたルイス・プレージの短剣が、盗まれたのでした。

幽霊の存在を信じているディーンの伯母アン・ベニングや婚約者マリオン・ラティマー、その弟のテッドらが心霊学者のロジャー・ダークワースを招き、様々な儀式を行うのを苦々しく思っているディーン。

ダークワースのことをうさんくさく思っているディーンは〈私〉とスコットランド・ヤード首席警部であるハンフリー・マスターズの手を借りダークワースが本物なのかどうかを見極めようというのでした。

そうして一行は黒死荘に向かったのですが、早速奇妙な出来事が起こっていました。猫が喉をかき切られて殺されていたのです。〈私〉が部屋で黒死荘にまつわる資料を読んでいると、鐘の音がしました。

人々はダークワースが入っている石室へと向かいます。裏庭は泥の海になっていましたが、石室に向かう足跡は残されていませんでした。窓から覗き込むと、中ではダークワースが血だらけで死んでいます。

ドアの真ん中には太い鉄のかんぬきがかかっているので、みなで力をあわせて丸太でドアを壊して中に入りました。辺り一面血の海です。

 血を避けて歩くのは無理な注文だった。身を捻じ曲げて死んでいる人物(銃剣術の稽古人形のように滅多突きにされていた)は、死ぬ間際に身をよじりながら這い進み、結局髪の毛を暖炉に突っ込んだところで絶命したのだが、その前に、床と言わず壁と言わず暖炉と言わず、一面を血の海にしていた。どうやら彼は何かに襲われ、いろいろなものにぶつかりながら死に物狂いで逃げ回ったらしい。迷い込んだ蝙蝠が部屋から逃げ出そうとするように。衣服の切れ目から、左腕、左の腰、左太腿が切られているのが見える。一番ひどいのは背中だった。伸ばした左腕の先を辿ると、炉棚の脇に、鐘から続いている針金に重しとして括りつけた煉瓦のかけらが下がっていた。(117~118ページ)


致命傷となったのは左肩甲骨から心臓に達する傷。遺体近くにロンドン博物館から盗まれたルイス・プレージの短剣が残されていました。

マスターズは、黒死荘の降霊会のために集まった人々にダークワースについて話を聞いていきます。すると一週間前の儀式の自動筆記で、現れた言葉がダークワースをひどく怯えさせたことが分かりました。

それは「エルシー・フェンウィックがどこに埋められているか知っているぞ」(150ページ)から始まる文章。どうやら女性の名前のようですが、エルシー・フェンウィックとは一体何者なのでしょうか?

犯行当時の降霊会では暖炉の火が消えた居間で、間隔を置いて円座に並べられた椅子に参加者は座っていました。足音を聞いたような気がするという者もいれば首元を短剣が触っていったという者もいます。

霊媒の役割をしていたジョゼフ・デニスはより霊が憑りつきやすいよう麻薬を注射していたこともあって、その話は支離滅裂。マスターズの必死の捜査もむなしく、手がかりらしい手がかりはつかめません。

参加者のウィリアム・フェザートン少佐は何人もの人間がいながら犯行を行おうとする馬鹿な奴がいるとは思えないし、そもそも返り血を浴びずに犯行を行うことは不可能だと言い、ある男の名をあげます。

「わしが考えとるのは、いいかな、この事件を、しかるべき人物の手に委ねてはどうか、ということじゃ。そうすりゃきっとうまくいく。わしも君もよく知っておる人物じゃよ。えらくものぐさな男じゃが、わしら二人で、例えば――階級問題だといって持ちかければ望みはある。いまいましいがな。『おい、大変なことが起こったぞ』とでも言って」
 その時ようやく、私はとっくに思いついていなければならなかったことに思い至り、身を起こした。「それはH・Mのことですか? 私の元上司の? あだ名がマイクロフトの?」
「その通り、ヘンリ・メリヴェールじゃ」(214ページ)


法廷弁護士と医師の資格を持ち英国防諜部長をつとめていた准男爵のヘンリ・メリヴェールは弟シャーロック・ホームズに勝るとも劣らない推理力の持ち主ながらものぐさなマイクロフトの異名を持つ人物。

突き出た腹で眠そうな目をし、ニヤニヤ笑いを浮かべながらぶつくさ文句ばっかり言っているヘンリ・メリヴェール卿は、〈私〉たちに黒死荘で起こった事件について語らせ、それを元に推理を始めて……。

はたして、閉ざされた部屋で起こった密室殺人の謎を解けるのか!?

とまあそんなお話です。金田一耕助を生み出した横溝正史にも大きな影響を与えたと言われる密室ミステリの古典中の古典ですが、今なおまったく古びていません。トリックをまだ知らないという方はぜひ。

博物館から盗まれた絞刑史の短剣。怪しげな雰囲気漂う黒死荘での降霊会の最中、誰も入れない閉ざされた石室で殺された心霊学者。思わずぞくぞくさせられるような怪奇的な雰囲気がたまらない一冊です。

明日も、カーター・ディクスンで『ユダの窓』を紹介する予定です。

カーター・ディクスン『ユダの窓』

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ユダの窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫 6-5)/早川書房

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カーター・ディクスン(砧一郎訳)『ユダの窓』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。

ミステリ好きとはまた少し読者層がずれるような気がしますが、法廷ものが好きという方も多いだろうと思います。日本でも裁判員制度が始まりましたが、アメリカやイギリスに昔からあるのが陪審員制度。

陪審員に選ばれた人々の心をいかにつかむかで裁判の判決が変わって来ますから、小説や映画などでは、裁判自体が議論の白熱するドラマチックなものとして描かれるというのが定番で名作も多くあります。

映画で古典的な名作をあげるとするなら、1957年に公開されたヘンリー・フォンダ主演作で、有罪か無罪かをめぐる陪審員たちの熱い議論を徹底的に描いた『十二人の怒れる男』がやはりおすすめです。

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新しいもので意外と当たりだと思ったのが、1996年に公開されたデミ・ムーア主演作の『陪審員』で、殺し屋に息子の命を脅されて、犯人を無罪に持ち込まなければならない陪審員の女性を描いた物語。

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あまり語られることのない映画ですが、日本とアメリカの裁判の違いが興味深く、スリリングな展開に引き込まれること請け合いの一本。

スコット・トゥロー(『推定無罪』他)やジョン・グリシャム(『依頼人』他)などミステリと法廷ものを融合させたものも人気ですが、その辺りを好きな方におすすめなのが、今回紹介する『ユダの窓』。

殺人事件自体は冒頭10ページほどで終わっていて、残りがほぼすべて法廷のシーンだけという作品ですが、これが実に面白いんですよ。

まず、被告人とされたジェイムズ・アンズウェルは、殺人が起こった時になにかを飲まされたらしく記憶を失っていて、なにも覚えていないのです。気が付いた時には既に、目の前に死体があったのでした。

問題となったのは、その部屋の窓にもドアにも鍵がかかっていた密室状態だったことで、つまりアンズウェル以外にはその犯行が行いえない状況だったのです。当然のことながら陪審員はみな有罪と見ます。

その状況を打破するべく立ち上がったのが王室顧問弁護士の資格を持つヘンリー・メリヴェール卿ですが、資格は持っているものの専門の弁護士ではないので、十五年間事件を引き受けたことがありません。

頭脳明晰なヘンリー・メリヴェール卿ですが弁護士としてはなんだか頼りなく、張り切って立ち上がると、なにかにひっかかって「法服は、ビーッと音を立てて裂け」(70ページ)てしまったほどです。

有罪になると死刑が執行されてしまうであろう男の命を救うため、絶対的不利な状況をどう打破するのか、ヘンリー・メリヴェール卿の孤軍奮闘の姿を描く、手に汗握る法廷もの+密室ミステリの傑作です。

作品のあらすじ


ジェイムズ・アンズウェルは、恋人のメアリー・ヒュームとの結婚を許してもらうために、メアリーの父エイヴォリーの元を訪ねました。しかし、ウィスキー・ソーダを飲むと意識を失ってしまったのです。

ジェイムズが気付くとミスタ・ヒュームは飾られていた矢で胸を刺されて死んでいたのでした。窓とドアは閉ざされており、誰も出入り出来ません。そうしてジェイムズは殺人犯とされてしまったのでした。

ロンドン中央刑事裁判所で開かれたミスタ・ヒューム殺害の裁判。証人たちの証言は、すべて状況的にジェイムズの犯行を裏付けるものばかりで、陪審員たちも有罪だと思っている様子なのが明らかでした。

〈私〉ケン・ブレークとその妻エヴリンは知人ヘンリー・メリヴェール卿が弁護人をつとめるということで、裁判の傍聴に来ていましたが、弁護士として頼りなく周りから馬鹿にされているメリヴェール。

 エヴリンも、それを感じ取って憤慨していた。「だけど、やっぱり先生はこんなところに顔を出さないほうがいいんだわ。そりゃあ王室顧問弁護士になったのは、戦前のことだったかもしれないけど、ロリポップにきいたって、この十五年のあいだ一度も事件を引き受けたことがないんですって。やっつけられるにきまってるわ。ほら、あそこを見てごらんなさい。まるでゆでた梟が坐ってるみたい。総がかりでいじめられたら、とてももちこたえられそうになくてよ。きっとそうよ」
 わたしも、メリヴェールが飛びきりあか抜けのした弁護士とはいえないことを、認めないわけには行かなかった。「この前のときには、なにかえらい騒ぎを起こしたらしいね。ぼくだって、陪審相手の弁論を、”さて、うすのろ諸君”と、そんな呼びかけではじめるのは、無分別だったと思うよ。しかし、あのときの事件には、なんだか妙な理由で、結局は勝ったっけね」(33ページ)


ジェイムズはウィスキー・ソーダを飲んだすぐ後で意識を失ったと言うのですが、室内に使われたグラスは残されておらず、警察医はジェイムズが薬を飲まされた徴候はまったくないと証言をしたのでした。

執事のダイアーは、ジェイムズを案内して部屋を出た後廊下で、ミスタ・ヒュームが「ああ、これこれ、どうなされた? 気でも狂ったのか?」(39ページ)と叫び、物音がしたのを聞いたと証言します。

秘書のアメリアはメアリーから手紙を受け取ったミスタ・ヒュームの様子が変わった「娘の問題は、はっきり片を付けて置くのがいちばんいいようですな」(57ページ)と電話で話していたと言いました。

電話の相手が誰かは分かりませんでしたが、会う約束をしてやって来たのがジェイムズなので、どうやらジェイムズとミスタ・ヒュームの間にはなんらかのトラブルがあったようだと、アメリアは言います。

ジェイムズはまったく覚えがないと言ったのですが殺害容疑で捕まった時に、ピストルを所持しており、初めからミスタ・ヒュームを殺害する意志を持ってやって来たのは明らかだと、警察は判断しました。

裁判が進むにつれ、ジェイムズ以外には犯行が不可能であったことがより確かになっていきます。形勢は不利ですが、一人だけジェイムズが犯人ではないと心から信じている人物がいました。メアリーです。

メリヴェールは、メアリーの頼みを受けてジェイムズの弁護人をつとめることにしたわけですが、いくつか不審な点があることからどうやらメリヴェールもまたジェイムズの無罪を確信しているようでした。

どうして犯人がジェイムズではないと思えるのか〈私〉とエヴリンが尋ねた時にはメリヴェールはなんだか謎めいた言葉で説明しました。

「いやいや、わしは、なにも遠まわしにいうておるのではない。ドアは、確かにきっちりとしまった頑丈なものじゃったし、ボールトもかかっておった。その戸じまりをあけるにせよしめるにせよ、とにかく部屋の外からいじくったやつは、だれもおらん。それに、君たちも建築専門家の証言できいたように、壁には、どこにもすき間も割れ目も、ねずみの穴もなかった。これも嘘ではない。わしのいうてるのは、犯人が、ユダの窓から出入りしたということなのじゃ」
(中略)
「しかし、そうした現場の状況がどれもこれも嘘でないとすると、そんなもののあるはずはないじゃないですか? 窓はあるかないかどっちかです。建築の専門家までが見逃したなにかとくべつなしかけがあの部屋にはあった、と、そうおっしゃるのではなかったら――」
「いや、そこが奇妙なところなのじゃ。あの部屋だけが、ほかの部屋と変っておるというのではない。ユダの窓は、君たちの家にもある。この部屋にもある。中央刑事裁判所のどの法廷にもある。困ったことに、それに気のつく人間がほとんどおらんのじゃ」
(95ページ)


やがて、メリヴェールは、現場の家からスペンサーの上等のゴルフ服などいくつかのものがなくなっていること、凶器として使われた矢についていた三枚の羽が、一つちぎれて取れていることに着目します。

しかし、裁判はなかなか思った通りの方向には進んでいかずに……。

はたして、密室の謎を解き、絶体絶命のジェイムズを救えるのか!?

とまあそんなお話です。読者はジェイムズの立場に立つので、結婚に向かう幸せな状況からいきなり窮地に追い込まれたジェイムズの気持ちがよく分かります。それだけにとにかく物語に引き込まれる作品。

密室ものとして『黒死荘の殺人』と並ぶカーター・ディクスンの代表作なだけに、謎めいた〈ユダの窓〉をめぐる密室のトリックも非常に印象的な作品ですが、息詰まる法廷ものとしてもとても面白いです。

弁護士としては頼りないメリヴェールがどんな風に裁判を進めていくのか、興味を持った方にぜひ読んでもらいたいおすすめの一冊です。

明日もカーター・ディクスンで、『魔女が笑う夜』を紹介します。

カーター・ディクスン『魔女が笑う夜』

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カーター・ディクスン(斎藤数衛訳)『魔女が笑う夜』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。残念ながら、現在は絶版のようです。

カーター・ディクスンの密室ものの中でも、とりわけ異彩を放っているのがこの『魔女が笑う夜』。ややぼかして言うなら、本格ミステリ作家があまりやらないユニークなトリックが使われたミステリです。

トリックの評価となるとこれはもう著しく低い作品ではあるのですが、おどろおどろしい作品の雰囲気といい謎めいた物語展開といい、よくも悪くもあっと驚く密室トリックといいなかなかに面白い作品。

今回も探偵役をつとめるのは医師と弁護士の資格を持つヘンリー・メリヴェール卿です。もうすっかりお馴染みですね。「マイクロフト」(シャーロック・ホームズの兄)とあだ名されている変わり者です。

ストーク・ドルイドという村にやって来て本屋のレイフ・ダンヴァーズから、村にはホテルが二軒あると聞かされると、こう答えたほど。

「〈ロード・ロドニー〉は」と、ダンヴァーズはいささかうんざりしたような調子でいった。「古風なチューダー朝建築のホテルの一つですが、一、二年前にコンクリン夫人が観光客が多く来るに違いないと信じて建てたものです。〈ナッグズ・ヘッド〉のほうは、教会と同じように本物の十五世紀のものです。これは〈ロドニー〉より小さくて、えー、清潔でないかもしれませんが、あなたのお好みからいえば、この本物の十五世紀のほうがいいということになるでしょうね」
 H・M卿はちらと相手を見ただけだった。
「なるほど! わしとしては、その十五世紀というやつに大いに心ひかれるよ、たしかに。だが、現実にうまく使える浴室や、二階から上へ吹きぬけになっていないような造りのほうに、さらに強く心ひかれる。まあ、こういうのが、わしの生来のあまのじゃくってところだろうて」(56ページ)


不思議なことが起こっている村に、探偵がふらりとやって来るという物語は、村の前で老婆が「たたりじゃ~!」と絶叫することでお馴染み(かどうかは知りませんが)の金田一耕助シリーズと似ています。

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それもそのはず、カーター・ディクスン(ディクスン・カー)は金田一耕助シリーズを書いた横溝正史が好んだ作家で、怪奇現象が描かれることや、やや派手なトリックが使われることに共通点があります。

なので、江戸川乱歩や横溝正史のどろどろした雰囲気や世界観が好きな方に、カーター・ディクスンはかなりおすすめの作家なんですよ。

さて、ストーク・ドルイドで起こっている不思議な出来事というのは、村の人々に「後家」と名乗る人物から中傷の手紙が届けられているということでした。それを苦にし自殺してしまった者も出たほど。

やがて、一人の女性が「後家」から真夜中に会いに行くという予告の手紙を送られたので、見張りを立てる厳戒態勢をしいたのですが、密室状態だったにもかかわらず、「後家」は女性の前に現われて……。

どう考えても人間が出入り出来ない状況にもかかわらず「後家」はどうやって部屋に入り、またどうやって部屋から抜け出したのでしょうか。怪奇現象の謎にヘンリー・メリヴェール卿が挑む怪作ミステリ。

作品のあらすじ


サマセット州ストーク・ドルイドに樽のようにふくらんだ大男がタクシーに乗ってやって来ました。自ら発明したという四隅に車輪のついたスーツケースを見て、集まった子供たちは、珍しさに大はしゃぎ。

その男ヘンリー・メリヴェール卿は早速知り合いの本屋レイフ・ダンヴァーズの元へ向かいました。すると思わぬことを言われたのです。

「わしが買いたい」と、H・M卿はきっぱりいうと、帽子をうしろの陳列台にのせた。「きみは値切られるのがきらいだ、レイフ。わしもそうだ。いくらだ?」
「この本は売り物ではないんです」
 ヘンリー・メリヴェール卿は目をつむった。
「そうか」と、彼は長いこと爆発寸前の沈黙を続けてから、やっといった。「古本屋の目的は本の売れるのを邪魔することにあると、世間でいうのはほんとうだな」と。それから彼は爆発した。「とすれば、いかなる狙いがあって、こんなところまでわしを呼びよせたんだ?」
「おわかりにならんとみえますね」と、ダンヴァーズは静かにいった。「わたしはこの本をプレゼントして差しあげたいんですよ。当地で匿名の手紙を送り続けているのが何者なのか、という奇怪な事件をあなたが解決してくださればね」
 再び沈黙。
「匿名の手紙とな?」(39ページ)


ダンヴァーズは説明しました。”後家”と名乗る謎の人物から中傷の手紙が村の人々に届けられて困っているのだと。苦にして自殺した者も出たので新たな悲劇を生みたくないとダンヴァーズは思ったのです。

村の人々に届けられた手紙を調べながら、村を探索していたH・M卿は、教会近くにある”あざ笑う後家”と呼ばれる石像を見かけました。

”後家”に立ち向かおうとしていたのはダンヴァーズだけではありません。ジェームズ・キャドマン・ハンターという司祭は自分宛ての手紙を読み上げ、届けられた手紙は教会に持って来るよう呼びかけます。

”後家”の手紙は、誰と誰が隠れて付き合っているなどという、根も葉もないゴシップの内容が多いのですが、それを聞かされると、たとえ嘘だと分かっていても、人々の関係に波紋を生んでしまうのでした。

やがて、ジョーン・ベイリーという娘の元に「わたしは日曜日の真夜中少し前、きみの寝室を訪れると申しあげよう」(167ページ)という奇怪な手紙が届き、万一に備えてジョーンの部屋を警護します。

H・M卿もジョーンのおじの大佐とともに部屋を見張っていました。

 H・M卿はやっこらさと、小鬼の金槌みたいに音をたてているばかでかい懐中時計をひっぱりだし、半暗がりのなかで文字盤を丹念にあらためた。
「あと四分で十二時だな」
「よろしい!」と、大佐はいって、ほっとしたようにからだをふるわせ、椅子にすわりこんだ。その身ぶるいは目に見えたというより肌で感じられるものだった。
「いま話しておきたいことがあるんだがね」と、大佐はいい足した。「これから真夜中まで何も起こらなければ、すべてはこけおどしで、その卑劣なやつは初めからやってくるつもりがなかったのだと、わしは断定するつもりだ」
「うん、わしもそんな考えをもてあそんでいたところだ。まあ、そういうことだな」
「それ以外にありえない! われわれはこの寝室を徹底的に調べた。窓はロックされている、見張りが油断なく警戒していることは間違いない。これから押し入ってくるなどとは不可能――」(192ページ)


ところが、十二時を少し過ぎた頃、三発の銃声が聞こえて、ジョーンの寝室から絶叫が響き渡ったのです。外で見張りをしていた人々が奇怪な影のようなものを見て、その影に向かって、発砲したのでした。

慌てて部屋の鍵を開けて中に入るとジョーンは怪我もなく無事でしたが気絶していて、目が覚めた時には、「”後家”よ。わたし見たの。彼女は――わたしにさわったのよ」(205ページ)と言ったのです。

部屋中探しますがジョーンの他には誰もいません。家の中にも外にも見張りがいる中で、不気味な姿をしていたという”後家”は一体どうやって部屋に入り込み、また、どうやって出て行ったのでしょうか。

怯えている様子のジョーンを見るととても嘘をついているようには見えません。人間に不可能だとするなら、”後家”は人間以外の恐ろしい何者かなのでしょうか。さすがのH・M卿もこれにはお手上げです。

手紙に使われていたタイプライターを頼りに”後家”の正体を調べ続けていたH・M卿でしたが、やがて殺人事件が起こってしまって……。

はたして、”後家”の正体は一体!? 驚愕の密室トリックとは!?

とまあそんなお話です。幽霊を思わせる不思議な事件を描いたミステリ。一体どうやって”後家”は鍵がかかり、見張りもいる部屋に出入りしたんだろうと気になってしまった方は、ぜひ読んでみてください。

殺人事件より謎の人物による村の人々への中傷の手紙が中心になっているので、血なまぐさいのが苦手という方でも安心して楽しめます。

明日はジョン・ディクスン・カー『三つの棺』を紹介する予定です。

ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』

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三つの棺 (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-3)/早川書房

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ジョン・ディクスン・カー(三田村裕訳)『三つの棺』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。

ミステリに興味を持って色々読み始めるとミステリに関するルールのようなものを、なにかしらで目にするようになるはずです。特に有名なのが「ノックスの十戒」と「ヴァン・ダインの二十則」でしょう。

探偵が犯人であってはならないなど、共通しているルールもありますが、どちらもやってはいけないミステリの禁じ手をあげているもの。ただ、これらのルールに則っていないミステリの名作もありますね。

その辺りのミステリのルールや、特に英米のミステリの古典について知りたい方は、情報としてはかなり古い本にはなりますが、江戸川乱歩の評論集『幻影城』を読むと、かなり楽しめるだろうと思います。

江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城 (光文社文庫)/光文社

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しかし非常に微妙なのは、こういう類の本は、自ずからトリックや犯人が明かされていたりすること。ミステリでトリックや犯人が明かされると、読む気が半減どころか、ほぼゼロになってしまいますよね。

まあその辺りでどう折り合いをつけていくかがミステリの関連書籍を読む時の難しいところですが、作品名だけメモっておいて、実際に読んでから江戸川乱歩の解説を読むなど、色々工夫してみてください。

さて、「ノックスの十戒」「ヴァン・ダインの二十則」と並んで有名なのがディクスン・カーの「密室講義」ではないかと思います。名探偵のフェル博士が、密室もののパターンを分析したものになります。

そしてなにかと引用されることも多いその有名な「密室講義」の章が含まれている作品というのが、今回紹介する『三つの棺』なのです。「密室講義」だけ読みたい方は271~290ページにありますよ。

「なぜ推理小説を論ずるのですか?」
「なぜならばだ」と、博士はずばりと言った。「われわれは推理小説の中にいる人物であり、そうではないふりをして読者たちをバカにするわけにはいかないからだ。手のこんだ口実をつくり出して、推理小説の議論に引きずりこむのはやめようじゃないか。書物の中の人物たちのできる、最も立派な研究を率直に誇ろうじゃあないか。(後略)」(272ページ)


物語の登場人物が、自分が物語の登場人物であることを認識しているというメタ的な発言が興味深いですが、ともかく、こんな風に始まって、密室の様々なパターンがあげられていくという流れになります。

「密室講義」については、それ単体で色んな本に載っていたりもしますし、ネット上でも調べれば色々と出て来るかと思います。実際に読んでもらうのが一番分かりやすいと思うので、ここでは省きますね。

さて、「密室講義」ばかりが話題になる感のある『三つの棺』ですが、これ自体もかなり面白い作品。科学捜査が発達した現代ミステリにはない大掛かりなトリックに唸らされること請け合いの一冊です。

色々と入り組んでいるので、読者がトリックや犯人を推理して当てることはほぼ不可能であろう作品なのですが、提示される謎は面白く、それが解かれた時は思わず「うおおお!」と興奮してしまいました。

怪奇現象のあっと驚く真相が明かされる、まさにカーらしさがぎゅっとつまった作品。この作品からカーを読むというのもありなのでは。

作品のあらすじ


前半生は誰も知りませんが、もう30年近くイギリスで暮らしているシャルル・ヴェルネー・グリモー教授。原始魔術や悪魔学の研究者で、かつては教師をしていましたが今は大英博物館で働いています。

グリモー教授が秘書のスチュアート・ミルズを連れてミュージアム・ストリートにあるウォーリック酒場に行った時のこと。知り合いと吸血鬼伝説について話していると、見知らぬ男が話しかけてきました。

四方を囲む壁など物ともせずから出た男や三つの棺など謎めいたことを言う外国訛りの男は、奇術師のピエール・フレイと名乗りました。

何度もフレイから手紙が来て、グリモー教授の娘のロゼットや家政婦のエルネスチーヌ・デュモンらはグリモー教授の身を心配しますが、グリモー教授に出来たのは、魔除けらしき絵画を用意することだけ。

やがて、恐れていた事件が起こってしまいました。グリモー教授の部屋から銃声がして、鍵のかかっていたドアを開けるとグリモー教授が腹を撃たれていました。犯人らしき人物の姿はどこにもありません。

事件の少し前には雪が降っていたのですが、どこにも犯人の足跡は残されておらず、窓から降りた様子もなかったのでした。やがて、病院に運ばれたグリモー教授はわずかな言葉を残して息を引き取ります。

「やったのは、わたしの弟だ。あいつが射つなんて全然思いもしなかった。いったいどうしてあいつがあの部屋を抜け出したのかは、神のみぞ知るだ。一瞬、あいつはあそこにいた。だが次の瞬間、もういなかった。鉛筆と紙をくれ、すぐにだ! 弟が何者だかということをあんたに話しておきたい。わたしが狂っていると思われないように」(129ページ)


その言葉を最後にグリモー教授は力尽き、何を言いたかったかは分からぬまま。捜査にあたるハドレイ警視と名探偵フェル博士はグリモー教授の言葉の意味を探るべく、秘められた過去に迫っていきました。

グリモー教授の家で蔵書管理をしていたドレイマンにグリモー教授の過去を聞くことが出来ますが、かえって殺人事件の謎は深まります。

「警視さん、私はシャルル・グリモーの助けになることなら、心からよろこんで、あなたの望むどんな情報でも、お教えします。しかし、昔のスキャンダルを掘りかえそうという考えがわかりませんね」
「グリモーを殺した弟を発見するためにでもかな?」
ドレイマンは眉をしかめながら、かすかな身振りをした。「いいですか、もしお役に立つなら、私は心底からあなたに、そんな考えはお忘れなさいと申しあげられます。どうやって知ったかは知りませんが、たしかにグリモーには二人の兄弟があった。そして三人は囚われの身だったのです」ドレイマンは、また微笑を浮べた。「それは、何も恐ろしいことではありません。政治犯として収監されたのです。あの時代の若い血気にはやる連中の半分は巻きこまれていたにちがないと思います……。あの二人の兄弟のことはお忘れなさい。二人はずっと昔に死んだのですよ」(143ページ)


ずっと昔に死んだというグリモー教授の弟たち。それならば、もしグリモー教授の最期の言葉「やったのは、わたしの弟だ」が正しいとするなら、グリモー教授をピストル撃った犯人は幽霊なのでしょうか。

現実問題としてグリモー教授の弟の線が消えたので、ハドレイ警視は今度は最も怪しいピエール・フレイを容疑者と見て、行方を追い始めたのですが、やがてもたらされたのは、思いも寄らぬ知らせでした。

フレイも既に、グリモー教授殺害に使われたものと同じピストルで殺されていたのです。しかも、現場となったカリオストロ街には三人の目撃者がいましたが、撃った犯人を見たものはいなかったのでした。

三人とも耳にしていたのは、「二発目はおまえにだ」(168ページ)という声と銃声。すぐに周りの人々が駆けつけましたが、雪が降り積もった地面にはフレイ以外の足跡は残されていなかったのです。

集められた証言によって分かったのは、グリモー教授が部屋で殺された15分後に、フレイが道で殺されたということ。そのいずれの犯行でも、犯人はまるで魔術師のように姿を消しているのが不思議です。

証言者によって置かれていたコートの色が変わる謎など、様々な謎に翻弄されながらもフェル博士はやがて殺人事件と関わる人々を集めて「密室講義」を始め、思いがけない真相を明らかにしていって……。

はたして、フェル博士が解き明かした、怪事件の真実とはいかに!?

とまあそんなお話です。近くに人がいるのに犯人が姿を消してしまう謎には興味を惹かれますよね。既に犯人がいない密室ものと違い魔術的な雰囲気もあるだけにどこかわくわくさせられる感じがあります。

読者が推理しようとすると難易度が高いと思いますが、トリックや犯人を知った後で、もう一度最初から読み返したくなるタイプの目から鱗の密室ものでした。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、二階堂黎人『人狼城の恐怖』を紹介する予定です。

二階堂黎人『人狼城の恐怖』

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人狼城の恐怖〈第1部〉ドイツ編 (講談社文庫)/講談社

¥980
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二階堂黎人『人狼城の恐怖』(全四巻、講談社文庫)を読みました。

エラリー・クイーンの小説の名探偵の名前は、作者と同じエラリー・クイーン。これがミステリのお約束となっていて、日本でも有栖川有栖や法月綸太郎の作品などに作者と同名の名探偵が登場しています。

二階堂黎人のデビュー作『地獄の奇術師』から始まる二階堂蘭子という名探偵のシリーズは、そのパターンから少し外れますが、助手兼記述者、いわゆるワトスン役として登場する人物の名前が二階堂黎人。

ぼくが初めて『地獄の奇術師』を読んだ時はエラリー・クイーンも有栖川有栖も知らなかったので、作者と同じ名前の登場人物が出て来ることに、「え、どうしてどうして?」と驚いたことを覚えています。

二階堂蘭子シリーズは、二つの点で好みが分かれる作品。まず二階堂蘭子が、相手を一目見ただけでどんな人物か推理出来るほどの天才で、他人を徹底的にやり込めてしまう言わばちょっと嫌な奴なこと。

二階堂蘭子いけ好かないという声をよく聞きますが、ぼくはそうしたシャーロック・ホームズばりの天才かつ孤高な感じが妙に好きで、とりわけ好きな名探偵です。まあよくも悪くも個性的な名探偵ですね。

そして第二に、作品世界が怪談奇談を思わせるような、どこかおどろおどろしいものであること。最近流行の刑事もの、あるいは科学捜査ものとは対極にあると言ってよく、苦手な方は苦手かも知れません。

ただ、そうした雰囲気は、好きな人にはもうたまらないもので、ディクスン・カー、江戸川乱歩、横溝正史、京極夏彦と聞いて興味を引かれた方には、二階堂蘭子シリーズは自信を持っておすすめ出来ます。

さて、今回紹介する『人狼城の恐怖』は二階堂蘭子シリーズの五作目にあたる作品で、とにかく長いことでも有名な作品。500~700ページの文庫本で四冊あり、世界最長の本格推理小説と言われます。

名探偵の癖のある性格や、おどろおどろしい雰囲気に好き嫌いが分かれる作品ですが、ハマる人にはとにかくハマるので「世界最長の本格推理小説」という歌い文句に惹かれた方はぜひ読んでみてください。

独立した物語なので、いきなり『人狼城の恐怖』から読んでも大丈夫ですが、第一作『地獄の奇術師』くらいは読んでおくとキャラクターや作品の雰囲気が把握出来るので、より楽しめるだろうと思います。

長い作品なのでさらっとした紹介しか出来ませんけれど、ゴシック小説(古い建物で怪奇現象が起こる物語)風の雰囲気がたまらないミステリなので、少しでも興味を持ってもらえたらいいなあと思います。

作品のあらすじ


第一部 ドイツ編


1970年6月8日。中部ライン川を蒸気船《シュストラーセ》が下っていました。船は貸し切りで乗っていたのは《フォン・フェスト製薬》という企業から豪華国内観光旅行を招待された10人でした。

その中の一人、26歳のピアノ教師デオドール・レーゼがフェラグード教授から一行がこれから訪ねる《人狼城》にまつわる話を聞いていると、栗毛色の髪をした若草色のモスリン服の女性がやって来ます。

それは叔父のヨハン・ゼーンハイムと参加しているジャンヌで、以前テオドールのピアノを聴いたことがあったのでした。ジャンヌは遺産を狙っているらしき叔父から助けてほしいとテオドールに言います。

やがて《人狼城》は一つの城ではなく《銀の狼城》と《青の狼城》という二つの城であることが分かりました。国境を跨ぎそれぞれドイツとフランスに建っています。一行が泊まるのは《銀の狼城》でした。

《銀の狼城》に入るとフェラグード教授は、この城にあるらしき《ロンギヌスの槍》を探し始めました。しかし、城の持ち主フォン・シュタウエル伯爵の夫人は、そんなものは伝説に過ぎないと否定します。

城の中では不可解な出来事が起こり始め、旅行の参加者たちを怯えさせますが、ついには物置部屋で、参加者のコネゲン夫妻が首を切られて殺されているのが見つかりました。戸に鍵がかかった、密室状態。

一行は城から出ようとしますが、城からの出入り口は使えないようになっていて、一人また一人と参加者は殺されていってしまって……。

第二部 フランス編


1970年6月9日。28歳の弁護士ローラント・ゲルケンは《アルザス独立サロン》の面々と《人狼城》と総称される古城の一つ《青の狼城》を訪れていました。この旅が終われば結婚する予定でいます。

恋人のローズ・バルデはジプシーの占い師の血を引いており、不吉な予感がしたのですが、止めても聞かずに旅立ってしまったのでした。

フランスとドイツという二つの大国に隣接するアルザス地方は情勢にあわせて、ドイツ領やフランス領になるという辛い経験を持っています。独立のために活動するためには金銭的な援助が必要なのでした。

そのために《青の狼城》の城主グレゴール・フォン・シュライヒャー伯爵に会いに行くというのが今回の《アルザス独立サロン》使節団の大きな目的。恋人が止めても行かないわけにはいかなかったのです。

そしてもう一つ理由がありました。ローラントは《アルザス独立サロン》メンバーに起こった事件に関連してパリ警察殺人課警部ガスパール・サロモンと出会ったのですが、不思議な話を聞かされたのです。

「何しろ、今俺たちが懸命に追いかけている犯罪人はな、けっして普通の人間ではないのだ。そいつは生身の人間ですらない。こいつは怪物であり、亡霊なのだ。通常の認識や一般的な概念はとうてい通用しない。あらゆる常識を捨ててかからねば、絶対に太刀打ちできない。それは恐ろしい悪魔なのだ」
「吸血鬼や狼男のような、非人間的で、幽霊のような存在なのですか」
 ローラントは困惑し、サロモン警部とテルセ検事補の顔を見比べた。
「ああ、凶悪な存在だ。こいつは人を殺すことで、自分が生き延びるのだ」(第二巻、66~67ページ)


第二次世界大戦の末にナチスが生み出したとされる《星気体兵団》もしくは《人狼》と呼ばれる秘密兵器の話を聞かされたローラントは、それと関わりがあるらしい《人狼城》に関心を抱き始めたのでした。

しかし、いざ《青の狼城》に行ってみると、あったはずの首なし死体が消えるなどの事件が起こったので、《アルザス独立サロン》のメンバーの中に《人狼》がいるのではないかと、ローラントは怯えます。

やがてその恐れが的中したように、次々と不可解な殺人事件が起こっていきました。逃げようとするローラントと一行でしたが、城の出入り口は通れなくなっており、次々とメンバーが殺されていって……。

第三部 探偵編


1970年8月24日。二階堂蘭子は多摩日報三面記事にあったドイツの集団行方不明事件に注目し事件について調べることにしました。

一ツ橋大学の学生であり弱冠20歳の蘭子ですが、数々の難事件を解決したことで名探偵として認められています。同じ年、同じく一ツ橋大学に通う〈私〉二階堂黎人は、蘭子からすると義兄にあたる存在。

両親を犯罪の犠牲で失った蘭子は今は警視庁副総監である〈私〉の父二階堂陵介の養女となり、犯罪捜査学の英才教育を受けたのでした。

1971年3月2日。色々と行方不明事件の捜査を続けた結果現地に行ってみようということになり、通訳を兼ねて知り合いのアルフレッド・カール・シュペア老人を加えた三人でフランスへと向かいます。

ところが、事件担当していたボン警察の殺人課主任警部グレゴール・フォン・ルーデンドルフからは思いも寄らぬことを聞かされました。

「そもそも、失踪事件が明るみになった時点で、俺たちボン警察は、この古城の所在を突き止めようと躍起になった。地図に当たったのはもちろん、歴史学者、考古学者、民間伝承研究者、地図会社、観光局と、多方面に熱心な聞き込みをした。けれども、得られた答えは、どれもこれも、城の実在を否定するものばかりだった」
「地図はそれほど当てにできる物ではありません。地図に載っているのは、当局によって確認され、登録された場所だけですから」
「そのとおりだ」ルーデンドルフ主任警部は頷き、腕組みして、「フォン・フェスト製薬へ問い合わせた結果、失踪した観光団とは別に本物の観光団があって、そちらは無事に旅行を終えていることが確認された。ということはだ、失踪した連中が身内の者などに漏らしていた《伝説の古城への旅》という話自体が、最初から出鱈目であったと思われる。つまり、誰かが彼らをおびき出すために用意したロマンチックな餌だったわけだ」(第三巻、335ページ)


城は実在しないと聞かされても諦めない蘭子は行方不明になった旅行者フェグラード教授の共同研究者やフォン・フェスト製薬の筆頭株主フランツ・フォン・リッベントロープ伯爵に会おうとしますが……。

第四部 完結編


やがて蘭子は思いがけず二つの記録を手に入れたことによって、集団行方不明は、《人狼城》と総称される《銀の狼城》と《青の狼城》で起こった、二つのよく似た連続殺人事件であったことを知りました。

川を挟んで向かい合わせになっているため双子の城とも呼ばれる古城で、ほぼ同じ時期に起こった連続殺人事件。単なる偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎています。一体どんな関係性があるのでしょうか。

しかし厄介なのは、もし記録を信じるとするならどちらの連続殺人もほとんどが密室などの犯行不可能な状況で行われているということ。

《銀の狼城》と《青の狼城》からなる《人狼城》で起こった不可解な連続殺人事件、そして《ロンギヌスの槍》や《人狼》、古くからの伝説《ハーメルンの笛吹き男》などの謎に、蘭子は挑んでいって……。

はたして、蘭子が解き明かした連続殺人事件の驚くべき真相とは!?

とまあそんなお話です。「第一部 ドイツ編」と「第二部 フランス編」はそれぞれが独立したミステリあるいはホラーのようにも読める作品で、どちらを先に読んでも大丈夫です。お好きな方からどうぞ。

ロジカルなミステリが好きな方は「第一部 ドイツ編」が、怪奇現象が起こるホラーが好きな方には「第二部 フランス編」がおすすめ。

「第三部 探偵編」と「第四部 完結編」は実質的には一続きの話で名探偵二階堂蘭子が登場し連続殺人事件の謎を解いていくお話です。要するに、第一部第二部が問題編、第三部第四部が謎解き編ですね。

読者が謎解きに挑戦できる、ちゃんとしたトリックのある本格ミステリとしても楽しめるのは勿論、それと同時に歴史ミステリーや怪奇譚の趣もあり、色んな楽しみ方が出来る作品になっていると思います。

なにしろ「世界最長の本格推理小説」だけに、かなり長い作品ですが、読み始めると物語に没頭して、意外とあっという間に読めてしまう作品だとも思うので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、ビル・S・バリンジャー『歯と爪』を紹介する予定です。

ビル・S・バリンジャー『歯と爪』

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歯と爪【新版】 (創元推理文庫)/東京創元社

¥966
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ビル・S・バリンジャー(大久保康雄訳)『歯と爪』(創元推理文庫)を読みました。

販売戦略でもし気に入らなかったら全額返金というのがあります。いつだったかハンバーガー屋でもやっていて驚きましたが、小説でそういう戦略を取るのは珍しいですよね。『歯と爪』はその珍しい一冊。

物語の後半三分の一が袋とじになっていて「意外な結末が待っていますが、あなたはここで、おやめになることができますか? もしやめられたら代金をお返しいたします」(257ページ)とあるのです。

おお、それはなんだか面白そうだぞと思った方は、ぜひ読んでみてください。読んでみて損はしない、ストーリー的に面白い作品でした。

ただ、残念ながら現代日本の読者がこの作品から衝撃を受けるかというと、おそらくそれはないだろうと思います。今ではもうごく当たり前に、『歯と爪』と似たような形式の作品がたくさんあるからです。

『歯と爪』で使われているのがどういう形式かというとカットバックと言われるもので、二つのまったく違う物語が交互に展開されていくんですね。やがてその二つの筋が、意外な形で結びつくというもの。

二つの筋の結びつき方が、読者の予想していたものと大きく違っていて驚くというものですが、あえて作品名は伏せますが日本でも貫井徳郎、殊能将之、伊坂幸太郎らにカットバックのミステリがあります。

なので、特にミステリ好きの方にとっては『歯と爪』を読んで感じるのは驚愕ではなく、もはや既視感だろうと思いますが、1955年に発表されたカットバックのミステリの源流を探るのも楽しいですよ。

物語のプロローグには、こんな思わせぶりなことが書かれています。

 生前、彼は奇術師だった――ハリー・フーディニやサーストンと同じような手品師、魔術師で、その方面ではすばらしい才能をもっていた。ただ、早死にしたため、ハリーやサーストンほど有名にならなかっただけだ。だが彼は、これらの名人すら試みなかったような一大奇術をやってのけた。
 まず第一に彼は、ある殺人犯人に対して復讐をなしとげた。
 第二に彼は殺人を犯した。
 そして第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである。(7ページ)


物語はニューヨーク地方刑事裁判所の奇妙な殺人事件をめぐる裁判と、奇術師リュウ・マウンテンのラブストーリーとが交互に描かれていきます。全く関係ない二つの話が、意外な点で結びつくミステリ。

新訳ではありませんが2010年に新版が出て手に入りやすくなりました。袋とじの位置が旧版と新版とでは変わっているみたいですね。

作品のあらすじ


ニューヨーク地方刑事裁判所ではアイシャム・レディックという運転手が殺された事件の裁判が行われていました。フランクリン・キャノン検事は被告が証拠隠滅のために死体をバラバラにしたと言います。

しかし、被告の弁護士チャールズ・デンマンはそれを否定しました。

 ところで、みなさんはこれから一人の人間が殺されたはずだという、とんでもない作り話を聞かされることと思いますが、この殺人事件には、殺されたという人間の死体もなければ動機もなく、目撃者もいないのであります。こんなあやふやなでっちあげの物語から、みなさんは、すべての疑問に目を閉じて、殺人が行われたと断定するよう要求されるのであります。この権威ある法廷において、無実の人間が罪に問われようとしているのであります。この物語は、まさしく三十分もののテレビドラマほどの価値もない絵空事だと申さなければなりません(32ページ)


被告の家の暖房炉では何かが燃やされた跡があり、歯と頸骨(むこうずねの骨)、右手の中指が発見されました。凶器と思しき斧から検出された血液は、被害者レディックと同じO型のものだと分かります。

レディックと関わる人々が証言をすればするほど、現場に残されていた歯や、指はレディックのものであることが断定されていきました。レディックは殺され解体され、暖房炉で焼かれてしまったようです。

キャノン検事は被告が殺人を犯したことは明らかだと主張し、一方デンマン弁護士は殺人と結びつく決定的な証拠がないと主張して……。

少しずつ状況が明らかになっていくレディック殺人事件の裁判と並行して奇術師の〈私〉リュウ・マウンテンの物語が語られていきます。

〈私〉はある時、お金を落としたらしく料金が払えなくてタクシー運転手と揉めている女性タリー・ショウを助けてやりました。タリーはニューヨークに知り合いはなくどこにも行くあてもないと言います。

先週唯一の血縁である伯父を亡くしフィラデルフィアから出て来たタリーが持っていたのは帽子箱と持ち運ぶには少し重い手さげ鞄だけ。タイプや速記も出来ず、働き口がすぐに見つかりそうもありません。

気の毒に思った〈私〉は自分のホテルを又貸ししてやり、なかなかいい仕事が見つからないと言うので自分のマジックショーの助手として使い始めました。舞台は大成功をおさめ、二人はやがて結婚します。

あの重い手さげ鞄がなくなったので尋ねると、タリーは捨てたと言いました。財産家でないから離婚するかと、冗談めかして聞くタリー。

「離婚なんかしないさ」と私は言った。「離婚するどころか、機会があったらどこかの特売場でドレスの一枚ぐらい買ってあげるよ」ふたたび彼女はコーヒーを沸しはじめたので、私もこのことについては、それ以上何も言わなかった。だが、あの重い鞄のことがどうにも気になってならなかった。いつかはタリーが話してくれるだろうとは思ったが、それにしてもまだ気持にひっかかることがほかにいくつかあった。彼女は、どうしてあんなにあたふたと家をとび出したのだろう? どうして知っている人が一人もいないのだろう? どうして衣類をもっと持っていないのだろう?
 私は女性について知ったかぶりをするつもりは毛頭ない。だが、それにしても身につけたドレスと数枚の下着だけで家をとび出すなんて、普通ではないと感じるくらいの感覚はもっているつもりだ。(73ページ)


仕事は順調、これほど愛せる人を見つけられて嬉しいと言うタリーですが「でもね、リュウ、あなたがほんとうに人を憎むときのとを考えると、とてもおそろしいわ」(98ページ)とふともらしたことも。

やがてフィラデルフィアのホテルで五週間の出演が決まりました。大きな仕事に張り切っていた〈私〉でしたが、タリーはどうも気が進まない様子です。契約をやめるか一人で行ってほしいと言うのでした。

しかし、今やタリーがいなければ〈私〉のショーは成り立たず、渋るタリーをなんとか説得して、二人でフィラデルフィアに向かいます。

フィラデルフィアのホテルの部屋に、ある晩、不気味な電話がかかって来ました。電話の相手の男は、押し殺したような声で、「あれをよこせば二万五千ドル払ってやる」(121ページ)と言ったのです。

この一本の電話が、〈私〉とタリーの幸せを、崩壊へと導いて……。

はたして電話の男の狙いとは一体? 殺人事件の驚きの真相とは!?

とまあそんなお話です。暖房炉で燃やされたらしく、死体が見つかっていないというやや奇妙な殺人事件をめぐる裁判と、奇術師の〈私〉とその妻のタリーの幸せな日々の物語が、交互に描かれていく作品。

この二つの話は、一体どのように結びつくのでしょうか。カットバックのミステリに興味を持った方は、ぜひ手にとってみてください。袋とじを開かずにいられるか、試してみても面白いだろうと思います。

明日は、アルフレッド・テニスン『イノック・アーデン』を紹介する予定です。

アルフレッド・テニスン『イノック・アーデン』

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イノック・アーデン (岩波文庫)/岩波書店

¥378
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アルフレッド・テニスン(入江直祐訳)『イノック・アーデン』(岩波文庫)を読みました。

文学において小説と同じか、むしろそれ以上に重要なのが詩ですが、残念ながら詩というのはなかなか翻訳の壁を超えられないものです。

単語一つ一つが持つイメージというのは、やはりその言語特有のものですし、韻(最初や最後を同じ音でそろえるもの。ラップをイメージしてもらうと分かりやすいでしょうか)は完全には再現できません。

百人一首の和歌や松尾芭蕉の俳句をたとえ外国語に意味は訳せたとしても、失われてしまうものがたくさんあるのと同じように、外国の詩を日本語に訳した時にも失われてしまうものがたくさんあるのです。

それでもなにか詩を読んでみたい、特に文学史に残っている詩人の詩を読んでみたいという方におすすめなのがフランスの詩人シャルル・ボードレール。代表作は、1857年に発表された『悪の華』です。

悪の華 (新潮文庫)/新潮社

¥704
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最も手に取りやすい新潮文庫の堀口大學訳をあげておきましたが、他に岩波文庫の鈴木信太郎訳、集英社文庫の安藤元雄訳、ちくま文庫の阿部良雄訳などがあります。読み比べをしてみても楽しいでしょう。

ボードレールというのはデカダンスな作風の詩人で、デカダンスを説明するのは難しいですが、辞書的に言えば退廃的・虚無的なもの。さらに色々加えるなら耽美・官能・怪奇・病的・異常・悪魔的なもの。

現実をそのまま描くものをリアリズムと言いますが、ボードレールのようなデカダンスな作風の詩人や作家はそれとは反対に、自分の目(主観)である意味では歪んだ世界を詩や小説で描き出したのです。

19世紀末のフランスに起こったそういう、客観ではなく主観を重んじかつ独特の幻想性を持った流れを「象徴主義(サンボリズム)」といいますが、その中でも特にボードレールはインパクトが強い詩人。

どことなくグロテスクなイメージをも感じさせるボードレールの詩は間違いなく読む人を選びますが、単語の選択や詩の内容は今でもとても新鮮で、衝撃を感じさせてくれるので、ぜひ読んでみてください。

ただ、みなさんも「詩的な」という形容を使うことがあると思いますが、その時の「詩」でイメージされるのはボードレールのような攻撃的で悪魔的なものではなく、美しく繊細なものではないでしょうか。

オルゴールの曲に耳をすませてそっと心を動かされるように、美しくどこか物悲しいような詩を読みたい方におすすめなのが1864年に発表されたイギリスの詩人テニスンの『イノック・アーデン』です。

岩波文庫では90ページほどの短い物語詩で、シンプルな筋ながらも描かれている詩的情緒が多くの読者の心をつかみました。今回はぼくの思い入れの強い入江直祐訳を選びましたが、色んな訳があります。

詩なので、色々な翻訳を読み比べたり、むしろ原典を参照しながら読んだりするのがよいと思いますが、読みやすさで言えば、小説家の原田宗典が訳したものが一番おすすめです。岩波書店から出ています。

イノック・アーデン/岩波書店

¥1,680
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小説と比べてなかなか翻訳で楽しむことの難しいのが詩というものですが、興味のある方は19世紀イギリスとフランスの対照的な作風の詩人テニスンとボードレールを読み比べてみてはいかがでしょうか。

作品のあらすじ


100年も前のこと。浜辺の近くには三軒の家があり、三人の子供が暮らしていました。一人は、港きっての器量よしと言われる美しい娘のアニイ・リイ、一人は、粉屋の一人息子であるフィリップ・レイ。

そして一人は、船頭だった親を亡くしたイノック・アーデン。アニイ、フィリップ、イノックはいつも一緒で砂浜で城を作ったり、寄せ来る波と戯れたり、洞穴でおままごとをしたりして遊んでいました。

お嫁さん役をするのはアニイですが、お婿さん役をやる人はフィリップとイノックで毎回変わります。ただ、イノックがお婿さんの役を独り占めしようとして、フィリップとケンカになることもありました。

すると「お願いだからおよしなさい、どっちでもない両方の 可愛いお嫁さんになりますわ」(12ページ)と泣いて止めていたアニイ。

成長して大人になった三人の内、一番先に自分の道を切り拓いたのはイノックでした。漁師になったイノックは、修業を積んで誰もが認める立派な船長になり、小さいながらも住みやすい家を建てたのです。

ある秋の夕暮れに、榛(ハシバミ)の森へ、木の実拾いに行った時。

 フィリップが 病床の父を手放しかねて、
 だいぶおくれて 丘の頂上に登ってくれば、
 だらだら下りの崖の縁の、
 谷間の森が そろそろ疎らになるところに、
 二人仲よく手をとって イノックとアニイが坐っていた、
 イノックの大きな黒い瞳、日焼けしたその顔は、
 祭壇に燃えのぼる 清い燈明に照らされたように、
 さえざえと 輝いてみえた。
 フィリップはじっとみつめながら 二人の顔と眼の中に わが運命を はっきりと読んだ。
 二人の頬の寄りあう時、フィリップは呻きながら、
 傷ついた獣物のように、こっそりと
 森の下生をかきわけて、その身をかくしてしまったのだ。
(15ページ)


村全体に祝福され、イノックとアニイは結婚しました。女の子と男の子にも恵まれ、幸せな七年の月日が流れ去ります。ところがある時、イノックは帆柱からすべり落ちて片足を怪我してしまったのでした。

動けない内に商売敵に仕事を取られ、イノックの一家は困窮に陥ってしまいます。イノックの境遇を知った昔なじみの船長が、はるばる遠い支那に行く船の水夫長にならないかと話を持ちかけてくれました。

そこでイノックは自分の船を売ってアニイに日用品を売る商売をさせることにし、自分は大金を手に入れるために、危険な航海へ繰り出すことを決意したのです。アニイは、夫が行くのを泣いて止めました。

 黄金の指輪をわが指に はめてもらったあの日から
今日初めて 夫に背いたアニイだった。
声を荒だてて さからったわけではないが、
色々と訴えたり頼んだり、涙さえとどまらず、
夜となく昼となく 悲しい接吻を繰りかえしたのも、
旅先での様々な 災厄を案じてのことだった。
「もしも あなたの妻と子を いとしいものにお思いなら、
どうぞ行かないで下さい。」と 泣きすがってはみたものの、
「自分一人のためではない。いやいや お前のため、
お前と子供達を思えばこそだ。」と 心の奥ではつらかったが
妻の言葉を聞きながし、かたく決心をまげなかった。
(23ページ)


イノックが旅立ち商売を始めたアニイでしたが、時には必要な嘘もつけないので、商売はうまくいきません。三番目の子供は生まれつき病弱だったこともあり亡くなってしまい、打ちのめされてしまいます。

そんな時に助けてくれたのが、フィリップでした。イノックが旅立ってからずっとアニイの元を訪ねなかったフィリップでしたが、アニイとその子供たちの苦しい状況を見るに見かねて、やって来たのです。

フィリップはイノックが帰って来たら返してくれればいいのだからと子供たちが学校に行くお金を、援助すると申し出てくれたのでした。

イノックは帰らず、消息も知れぬまま十年の時が流れました。イノックとアニイの子供たちはフィリップのことを「フィリップ父さん」と呼んで慕っています。やがてフィリップは、アニイに求婚しました。

「イノックほどに愛されなくても 私は満足です」(47ページ)と。しかしアニイはイノックの生存を諦めることが出来ず、もう一年待ってほしいと答えます。その一年もむなしく過ぎてしまいました。

それでも諦められずもう一月待って欲しいと頼みます。「何時までも、何時までも お待ちしましょう」(51ページ)と言うフィリップ。夫の生死が知りたい、何かお告げがほしいとアニイは思います。

祈りを捧げて聖書を開き、自分の指が指すところを見ると「棕櫚の樹下」とありました。夫は死に、天国で棕櫚の樹下にいるのだと分かったアニイはフィリップと結婚し、子供にも恵まれ幸せに暮らします。

一方、帰りの船で難破し、棕櫚のある小島で艱難辛苦の暮らしを送っていたイノックが長い年月の果てについに故郷へと帰って来て……。

はたして、イノックとアニイ、フィリップの関係の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。美しく、どこか物悲しい物語故に、心動かされる素晴らしい作品だと激賞される一方で、陳腐なメロドラマだと言われることもあり、わりと毀誉褒貶は相半ばする作品でもあります。

元々ベタな話が好きなぼくにとっては、忘れられない印象が残る一冊。時代によって評価が分かれる作品ですが、みなさんはどうお感じになるでしょうか。短い作品なのでぜひ実際に読んでみてください。

明日は、戦争が終わったばかりの混乱した時代を舞台にして、テニスンの『イノック・アーデン』と同じテーマを、あえて喜劇として描いたサマセット・モームの戯曲『夫が多すぎて』を紹介する予定です。

サマセット・モーム『夫が多すぎて』

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夫が多すぎて (岩波文庫)/岩波書店

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サマセット・モーム(海保眞夫訳)『夫が多すぎて』(岩波文庫)を読みました。

戦争は多くの悲劇を生みましたが、物語でたまに描かれるのは、戦死したはずの夫が帰って来るというもの。妻が信じて待っていた場合には感動の再会となりますが、もう既に再婚していることもあります。

二人の夫と一人の妻、この複雑な関係性にはジレンマがありますから様々な小説や映画になりました。しかし、その戦争が生んだ悲劇と言うべき複雑な関係性を喜劇として描いたのが『夫が多すぎて』です。

第一次世界大戦直後のイギリス。フレデリック少佐は親友であり、戦死したウィリアム少佐の妻ヴィクトリアと結婚しました。子供にも恵まれましたが、数年してウィリアム少佐が生きて帰って来たのです。

思いがけない運命のいたずら。びっくり仰天したウィリアム少佐とフレデリック少佐でしたが、やがて考え始めたことは同じでした。これ幸いと、ヴィクトリアを相手に押しつけてしまおうと思ったのです。

というのも、ヴィクトリアは美しく魅力的な女性ではあるのですが、たとえばウィリアム少佐にあげたプレゼントを、そのままフレデリック少佐に使い回すなど打算的で、自己中心的な考えの持ち主だから。

つまりヴィクトリアとの生活はぎゅぎゅう締め付けられ続ける、窮屈で苦しいものなんですね。そこで、ウィリアム少佐もフレデリック少佐も口では美しくいいことをいいながら相手に押しつけあって……。

『夫が多すぎて』は日本でも今なお上演される喜劇なので、機会があれば舞台を観にいってみてはいかがでしょうか。今年の秋にも日比谷にあるシアタークリエで大地真央主演で上演される予定のようです。

さて、亡くなったはずの夫が帰るというのは、昨日紹介したテニスンの物語詩『イノック・アーデン』と共通するのであわせて読んでもらいたいと思いますが、また少し違うテーマの作品も紹介しましょう。

戦地から戻って来た男が夫や恋人に姿はよく似ているけれど性格や態度が違い、本人かどうか分からないというおすすめの映画を二作品。

まず一本目は、リチャード・ギアとジョディ・フォスターが共演した1993年公開映画『ジャック・サマースビー』。南北戦争に出かけた夫が以前は冷たかったのに、優しい人柄になって帰って来る物語。

ジャック・サマースビー [DVD]/ワーナー・ホーム・ビデオ

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妻は以前とは違う夫に戸惑いながらも次第に惹かれていきますが、やがて、思わぬ出来事をきっかけに、夫が本物か否かを問われることになって……という物語。非常に引き込まれる、印象に残る作品です。

もう一本は、ジム・キャリー主演の2001年公開映画『マジェスティック』。記憶を失った脚本家が見知らぬ町に流れ着き、戦死したその町の英雄と間違われ、壊れた映画館を再び作ることになる物語。

マジェスティック 特別版 [DVD]/ワーナー・ホーム・ビデオ

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戦死した英雄の恋人は戸惑いながらも主人公に惹かれていくこととなり……。『マジェスティック』は、映画好きにはぜひ観てもらいたい一本。それというのもまさに、映画界の光と闇を描いた作品だから。

単に、記憶喪失の男が希望の光を人々の胸に灯す、感動の物語というだけでなく、やや難しく感じられるかも知れませんが、実はハリウッドで実際にあった、”赤狩り”が重要なテーマになった作品なのです。

1950年代のハリウッドは、アメリカが社会主義国家であるソ連と冷戦状態にあったこともあって、社会主義者を弾圧して、映画界から追放しようという動きが生まれたんですね。それが、”赤狩り”です。

社会主義者の認定が密告という形をとったこともあり、映画界には様々な悲劇が生まれました。そういう映画界の闇を正面から描いている作品で、同時に、小さな町の映画館の再生という光も描いた作品。

『ジャック・サマースビー』と『マジェスティック』はテーマもストーリーも、それぞれにとても面白いので、ぜひ観てみてください。

作品のあらすじ


優雅な家具があり、鏡台には沢山の化粧品が並び、火が赤々と燃える暖炉のあるベッドルームでヴィクトリアはマニキュア師のミス・デニスにマニキュアをしてもらっていました。会話の内容は結婚のこと。

ヴィクトリアは戦死した夫ウィリアム少佐を愛していたが、再婚した今の夫であるフレデリック少佐も愛しており、今の夫がもし死んでしまったら悲しいけれど三番目の夫も心から愛するだろうと言います。

二人の息子フレデリックとウィリアムを持つヴィクトリア。フレデリックは前の夫ウィリアムの子供で、夫の親友の名前をつけ、ウィリアムは今の夫フレデリックの子供で、前の夫の名前をつけたのです。

やがてヴィクトリアの母シャトルワース夫人が訪ねて来てヴィクトリアにはむしろレスター・ペイトンと結婚してほしかったと言います。戦争中は軍人が一番ですが、戦争が終わればお金持ちが一番だから。

ちょうどそこへ当のペイトンが訪ねて来ました。ペイトンはヴィクトリアの美貌に夢中で、普通の人だったら手に入らない生活必需品を手に入れてくれるのでヴィクトリアもペイトンを邪険には扱いません。

やがて、フレデリックが帰って来ました。しかしランチに連れていってもらえるという約束だったのに、フレデリックが約束の時間に帰って来なかったのでヴィクトリアはお冠。事情を聞こうともしません。

(しだいに興奮してきて)私が要求がましいことをする女じゃないってことは、神様がご存じだわ。あなたを幸せにするために、できる限りのことをしているっていうのに。私は忍耐の権化よ。私がわがままな女じゃないってことは、私の最悪の敵だって認めてくれるはずだわ。(フレデリックは口を開こうとする)なにもあなたは私なんかと結婚する必要などなかったのよ。私のほうから頼んだわけじゃないんだから。あなたは私を愛してるなんて言い張った。ビルのことがなければ、あなたとなんか結婚しなかったでしょうよ。あなたはビルの親友だった。ビルの思い出をあなたがとても美しく語ってので、私はあなたを愛するようになったんだわ。(フレデリックはまたもや口をはさもうとするが、ヴィクトリアは容赦なく話つづける)それが間違いのもとよ。私はあなたを愛しすぎたんだわ。あなたはそのような大きな愛にふさわしくない人だっていうのに。(36ページ)


自分を愛してくれたビル(ウィリアムの愛称)に帰って来てほしいと嘆くヴィクトリアにフレデリックは言います。それを聞いてうれしい「三分後にはここにビルが到着するはずだから」(37ページ)と。

戦死したはずのウィリアムから連絡があったというので怒るヴィクトリア。「さっき家に帰って来たとき、なぜすぐに話してくれなかったのよ。くだらないことなんかしゃべってないで」(43ページ)と。

ヴィクトリアが気にしていたのはウィリアムが自分とフレデリックが結婚したことについてなんと言っていたかでした。しかしフレデリックは、「僕がなにを伝えたときにかね」(44ページ)と聞きます。

わずか三分間の電話だったこともあり、フレデリックはまだウィリアムにそのことを伝えていなかったのでした。当然のことながらウィリアムは自分の妻と子が待つ家庭に帰って来るつもりでいるわけです。

やがて「やあ諸君、お待たせしたね」(47ページ)と元気よくウィリアムがやって来ました。ウィリアムはフレデリックが到着を待ってくれていたので喜びます。電話でそれを頼むのを忘れていたのだと。

ウィリアムは頭の怪我で記憶喪失になり、今までずっとドイツ軍の捕虜になっていたのだと話しました。本当は夜にこっそり帰って来て驚かそうとしたと言われて、フレデリックとヴィクトリアはどぎまぎ。

近況を尋ねながら今までのフレデリックの女遊びの話をウィリアムがするものですから、フレデリックは大慌てです。やがて赤ん坊の泣き声がしたので観念したフレデリックは自分の子供だと告白しました。

ウィリアム 君だって。まさかきみ、結婚したっていうんじゃないだろうな。
フレデリック 結婚している男は沢山いるぜ。戦争中は結婚が大流行だったんだから。
ウィリアム なぜ僕にしらせてくれなかったんだ。
フレデリック そんなこといったって、君。君はこの三年間死んでたんだぞ。しらせようがないじゃないか。
ウィリアム (フレデリックの手をつかんで)おめでとう。本当にうれしいよ。君だっていつかはつかまっちまうだろうと僕は思っていたんだ。もちろん、君はぬけ目のない古ギツネではあるけどね。だけど、おれたち男は結局みんな女房持ちになってしまうのさ。心からお祝いをいうよ。
フレデリック どうもありがとう。それでね、僕はその……ここで暮らしてるんだよ。
ウィリアム ここでだって。そいつはすばらしいなあ。奥さんもいっしょかい。
フレデリック そのへんがちょっと説明しにくいんだ。
(65ページ)


フレデリックはなんとか察してもらおうと遠回しに話をもっていきますが、ウィリアムはシャトルワース夫人と結婚したと思い込むなど全く状況を理解しません。ついに、はっきりと状況を告げたのでした。

ウィリアムは予備のベッドルーム、フレデリックは客間のソファで一晩を過ごします。朝起きるとブーツがなくなっていたのでウィリアムはしきりに不思議がりました。フレデリックは知らないと言います。

あまりにも寒いのでウィリアムが暖炉に火をつけるとフレデリックは「オーヴァを脱ぐとするか。この火を見たら、ヴィクトリアはカンカンに怒るだろうな」(84ページ)と言います。石炭は貴重だから。

ウィリアムはこの家の主人は君だから自分には関係ないと言い、フレデリックは君が戻って来たからには自分は単なる居候に成り下がったのだと言います。お互いに相手夫婦の仲を裂きたくないと言う二人。

やがてヴィクトリアがやって来るとフレデリックは別れを告げて去ろうとしますが、ウィリアムは止めて「ぜひにっていうんなら、おれの死体を乗りこえてゆくんだな」(95ページ)と一歩も譲りません。

ウィリアムは、「実は若い頃の放蕩と戦争の苦労で身体がすっかりまいってしまってね。余命いくばくもないんだよ」(96ページ)と譲ろうとしますが結局くじ引きで本当の夫を決めることになりました。

「ねえ、わくわくするじゃない。心臓がドキンドキンと打ってるわ。一体どちらが私を獲得するのかしら」(108ページ)とヴィクトリアがうきうきと見守る中、運命のくじ引きが始まったのですが……。

はたして、運命のいたずらで生じた、奇妙な三角関係の結末は!?

とまあそんなお話です。登場人物も少なく、ストーリーもシンプルな作品ですが、シチュエーション(場面)が実に巧みに描かれていて、登場人物たちのちぐはぐなやり取りに思わずにやにやさせられます。

喜劇として面白い作品ですが、それ以外にも戦後の様々な風俗が諷刺されている感じもあり、そういう部分もとても興味深い作品でした。読みやすく面白いので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、ヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』を紹介します。

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ヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』

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ある婦人の肖像 (上) (岩波文庫)/岩波書店

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ヘンリー・ジェイムズ(行方昭夫訳)『ある婦人の肖像』(上中下)を読みました。amazonへのリンクは、上巻だけを張っておきます。

日本文学、アメリカ文学、イギリス文学と、国ごとに文学をくくって考えた時に、やはりどことなく共通する問題意識というかテーマが見えるものです。その国独自の文化の流れを汲んでいるからでしょう。

ただ、極まれにそう言った範疇ではおさまりきらない作家がいて、ヘンリー・ジェイムズはまさにそういう作家の一人。アメリカ生まれですがヨーロッパ暮らしが長く、最終的にはイギリスに帰化した人物。

外国暮らしが長い作家というのは、案外多いものですが、ヘンリー・ジェイムズの場合は国の文化の違いによって生まれる考え方の違いが作品で描かれることが多く、国際的なテーマを持つ作家と言えます。

おそらく一番手に取りやすいのが『デイジー・ミラー』という中編小説でしょう。デイジーというアメリカ人女性の振る舞いがヨーロッパでの”常識”と違っていたが故に思わぬ顰蹙を買ってしまう物語です。

デイジー・ミラー (新潮文庫)/新潮社

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デイジー・ミラー』だけ読みたいなら新潮文庫の西川正身訳がいいですが岩波文庫に『ある婦人の肖像』の訳者と同じ行方昭夫訳で『ねじの回転』とセットで収録されているので、そちらもおすすめです。

短くて読みやすい『デイジー・ミラー』を読んで、文化の違いというテーマは非常に興味深いと思った方に続けて読んでもらいたいのが、今回紹介するヘンリー・ジェイムズの代表作、『ある婦人の肖像』。

主人公イザベル・アーチャーは近代的な考え方を持つ若いアメリカ人女性ですが、イギリスの親戚の家に身を寄せることになり、やがてその美しさと頭の良さが見初められイギリスの貴族から求婚されます。

普通だったらここでハッピー・エンドですが、自立と自由を求めるイザベルは求婚を断ってしまいました。幸せの道を模索していたイザベルもついに恋に落ちて結婚しイタリアで暮らし始めたのですが……。

アメリカ、イギリス、イタリアと、それぞれの国ごとに人々の考え方が違い、文化的な対立が描かれているのが非常に興味深い作品です。

また、この作品の最大の魅力はイザベルという女性の複雑さが巧みに描かれていること。原題は"The Portrait of a Lady"ですが、まさに物語というよりポートレイト(肖像)と呼ぶにふさわしい小説です。

喜劇にせよ悲劇にせよ物語がよく出来ていればいるほど予定調和な結末に集約されていくものですが、『ある婦人の肖像』は静かな展開の物語ながらイザベルという主人公は読者の予想に納まりきりません。

イザベルがなにをどう考えて行動したのか様々な論文が書かれているほど。分かりやすい幸せ、あるいは分かりやすい不幸せが描かれた物語的な作品ではないですが、その分人物にリアルな深みがあります。

上中下のやや長い作品なので、読み切れるかどうか心配な方はジェーン・カンピオン監督、ニコール・キッドマン主演で1996年に公開された映画『ある貴婦人の肖像』を先に観てもいいかも知れません。

ある貴婦人の肖像 [DVD]/ニコール・キッドマン,ジョン・マルコビッチ,バーバラ・ハーシー

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セットは豪華、キャスティングも最適、場面の雰囲気もいい映画ですが、やはりどうしても省略をせざるをえない人物や筋があり駆け足な印象があるのは否めません。原作とあわせて観るのがおすすめです。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 ある状況の下では、午後のお茶という名で知られている儀式の時間ほど楽しいものは、人生においてあまり見当らない。お茶に加わるかどうかにかかわりなく――というのも人によっては加わる可能性のまったくない人もいるからだが――お茶を楽しむ雰囲気だけでも充分に心地好い場合というものもある。この単純な物語を語り始めるに当って、今、私の頭に浮んでいるのは午後のお茶の場面にうってつけだ。(上巻、9ページ)


ロンドンから少し離れたテムズ川沿いの丘の上にある屋敷でタチェット父子と客人のウォーバトン卿がお茶を飲んでいました。タチェット氏は元々アメリカ人ですが、もう30年イギリスで暮らしています。

息子のラルフは明るく機知に富んだ人柄ですが病弱なのが悩みの種。やがて、ラルフの飼っている小犬が歓迎の意を込めてらしいのですが、吠えだしたのでふと見ると若い婦人が戸口に現われたのでした。

それはタチェット夫人の妹の娘にあたり、ずっとアメリカで暮らしていたイザベル・アーチャーで、タチェット夫人が気に入って、イギリスへ連れて来たのです。両親は亡くなり、姉二人は結婚しています。

故郷でキャスパー・グッドウッドという青年に求婚されたイザベルは思いがけずヨーロッパに行けることになったこともあり断りました。諦め切れないグッドウッドは、後にイギリスへ来ることとなります。

ラルフはいかにもアメリカ人らしい独立性を持ち、病弱な自分とは違い行動的なイザベルから爽やかな印象を受けますが、より一層イザベルという不思議な存在に心を惹かれたのが、ウォーバトン卿でした。

財産もなく魅力的ではあるもののずば抜けた美貌を持っているわけでもないイザベルとの結婚は、周りに反対されるであろうこともあり、自分の気持ちを押さえようとしますがついに我慢出来なくなります。

ウォーバトン卿から心のこもった求婚を受けたイザベルでしたが、自分は貴族の妻としてふさわしくないからと断ってしまったのでした。

やがて病気で倒れたタチェット氏は余命いくばくもない状況になります。タチェット氏はラルフにイザベルとの結婚を遠回しに勧めますがラルフは病気のために誰とも結婚するつもりはないと言うのでした。

そしてタチェット氏を驚かせた思いがけないことを口にしたのです。

 ラルフは腕を組んで椅子の背にもたれた。目は考えごとをしているように、じっと一点を見つめていた。ようやく、勇気をふるい起したような、きっとした面持で、「ぼくはイザベルに強い関心を寄せています。でもお父さんの望んでいらっしゃるのとは違う興味です。ぼくはこれからそう長く生きられませんが、彼女がどういう人生を歩んでゆくか、それをこの目で見届けるまでは生きたいと望んでいます。彼女はぼくからは完全に独立していますよ。彼女の人生に対してぼくが影響力を行使できることは、まずありえません。でも彼女のために何かしてやりたいと思います」
「どんなことかね?」
「彼女の帆に少し風を送ってやりたいのです」
「と言うと?」
「彼女のやりたがっていることをいくつか実行する力を与えてやりたいのです。彼女は自分の目で世界を見たがっています。彼女の財布にお金を入れてやりたいのです」(上巻、342ページ)


そして、ラルフは自分がもらえるはずの遺産を半分、イザベルに譲ってやってほしいと頼んだのでした。そうすればイザベルは生活のために結婚を選ぶ必要がなく、自由に生きることが出来るはずだからと。

一方、何も知らないイザベルは伯母の知り合いのマダム・マールという女性と出会い鮮烈な印象を受けました。すぐれたピアノの弾き手であり、フランス語を流暢に話す社交的な人物であるマダム・マール。

マダム・マールの芸術を愛し自由に生きる姿はイザベルに大きな影響を与えていくこととなります。タチェット氏が亡くなりイザベルが大きな額の遺産を相続するとマダム・マールはイタリアへ行きました。

ローマの修道院にいる幼い娘パンジーの面会に来ていたギルバート・オズモンド氏とマダム・マールは会います。そして、23歳のとても魅力的な娘を見つけたから、ぜひ紹介したいのだと言ったのでした。

「美人で頭がよく、金持で素敵で、何でも心得ていて、しかも稀にみるほど貞節な娘なのだろうか? そういう条件がすべて満たされた場合に限って、知り合いになりたいというところです。しばらく前に、今のような人でない限り、女の話はしないで欲しいと、あなたに頼んだでしょう? 不快な人間はいくらでも知っているから、これ以上知りたくない」
「ミス・アーチャーは不快ではありませんよ。早朝のようにさわやかなお嬢さんよ。あなたの条件にぴったりの人ね。だからこそ知り合うようにすすめているの。本当に条件通りの人だわ」
「むろん、九分通り条件に合っているということでしょう」
「いいえ、まったく文字通りに合致しています。美人で教養豊かで、気前がよくて、しかもアメリカ人の割には、生まれもいい。その上、頭はいいし愛想もいい。それに資産家だわ」
 オズモンド氏は夫人の熱弁をじっと聞き、相手に目を注ぎながら、とくと考えているふうだった。「で、その女をぼくにどうしろと言うのです?」ようやく彼は尋ねた。
「お分かりでしょう。あなたのものにするのです」
(中巻、68ページ)


やがてイタリアに旅行に行き、マダム・マールからオズモンド氏を紹介されたイザベルは、絵画など芸術への造詣が深く、他の男性とは違い理解しきれない部分の多いオズモンドに、魅力を感じていきます。

財産もなく、しっかりした職も持たず、家柄も不確かなオズモンドとイザベルが近付くことを周りはよく思いません。イザベルがオズモンドから求婚されたと知るとタチェット夫人やラルフは反対しました。

ところが、イザベルは皆の意見を聞かずオズモンドと結婚して……。

はたして、やがてイザベルにふりかかる思いがけない出来事とは!?

とまあそんなお話です。自分らしく生きるための幸せな道を選んだはずのイザベルでしたが、希望に満ちていたはずの結婚生活はまるで檻の中に入れられたような苦しいものであり、幸せとはほど遠いもの。

物語の中盤から後半は義理の娘パンジーの結婚の問題――愛を選ぶべきか金を選ぶべきか――が中心となり、またかつての求婚者たちと再会することで再びイザベルの生き方が問われていくこととなります。

ラルフによって密かに遺産を託されたように物語にはイザベルが知らない思いがけない事実がいくつかあります。劇的な展開はさほどない作品ですが、疑惑が確信に変わるショッキングな物語でもあります。

アメリカで育ちイギリスに渡り、イタリアで暮らすイザベル。彼女は何を見てどう考え、最後にはどんな選択をすることとなるのでしょうか。イザベルの人生に興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、ピエール・ド・マリヴォー『贋の侍女・愛の勝利』を紹介する予定です。

マリヴォー『贋の侍女・愛の勝利』

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贋の侍女・愛の勝利 (岩波文庫)/岩波書店

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マリヴォー(佐藤実枝/井村順一訳)『贋の侍女・愛の勝利』(岩波文庫)を読みました。

ウィリアム・シェイクスピアの喜劇でわりとよくあるのが、男装した美女が登場するというもの。そうすることによってその人物の正体が他の登場人物に隠されたり、取り違えられて面白い展開になったり。

心臓まわりの肉1ポンドをめぐる裁判を描く『ヴェニスの商人』もおすすめですが『十二夜』がとにかく面白いです。男装した女性が主君に想いを抱くも、主君が愛する女性から恋されてしまうというお話。

十二夜 (光文社古典新訳文庫)/光文社

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シェイクスピアから時代は少しくだり、18世紀のフランスで活躍した劇作家が、マリヴォー。そして、今回紹介する二作品「贋の侍女」と「愛の勝利」は、どちらも男装した女性が主人公となる物語です。

二作ともコミカルさのある作品ですが、物語のすべての筋が大団円へと結びつくシェイクスピアの喜劇とは明らかに雰囲気が違うのが非常に興味深かったです。ハッピーというよりは辛辣さが際立つ感じで。

ちなみに、17世紀フランスの三大作家がモリエール、コルネイユ、ラシーヌですが、18世紀でマリヴォーと並んで有名なのが、『セヴィラの理髪師』や『フィガロの結婚』でお馴染みのボーマルシェ。

新訳 フィガロの結婚―付「フィガロ三部作」について/大修館書店

¥2,100
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男装というテーマはシェイクスピアと、悪役など登場人物のキャラクター性はイタリアやフランスの演劇と比較すると面白いと思います。

さて、他の劇作家と違うマリヴォーならではの特徴に「マリヴォダージュ」(marivaudage)と呼ばれる、独特の言い回しがあります。

佐藤実枝の解説によると「わざとらしい繊細さ」、「過度の洗練」、「優雅で気の利いた対話」(282ページ)がマリヴォダージュで、元々は、洗練されているが不自然なマリヴォーの小説の文体の蔑称。

しかし二十世紀に入ってマリヴォーの再評価が進むと、そうした特徴は貶められるものではなく、むしろ、マリヴォーならではの魅力だととらえられるようになっていったわけです。分からないものですね。

ただ気の利いた言い回しというのは、残念ながら翻訳の壁を越えられないところがあって、たとえば「贋の侍女」にあるのはこんな場面。

レリオ いや、きみが決闘の当事者だ。
騎士 ぼくが! ぼくは自分の胸に咎めるべきことなんか何もないぜ。自慢じゃないが、わるくないと思っている。
レリオ ところがこちらはちっともきみに満足していない。ぼくが決闘しようという相手は、ほかならぬきみだ。(103ページ)


訳注によれば原文では少し前に「自分の喉をかき切る」(決闘するの意)が使われていて、本来なら返事は胸でなく喉です。そしてフランス語では喉(ゴルジュ)は女性の胸(乳房)も指す言葉なんですね。

騎士は実は男装している女性なので、自分は決闘に巻き込まれる覚えはないと断言する裏で自分の乳房を自慢しているという非常にユーモラスな場面になっているわけです。こういう場面がかなりあります。

工夫して訳されていますし、訳注も丁寧につけられているので意味自体は分かるのですが、やはりダブル・ミーニングの巧みな言い回しがぱっと理解出来て、くすくす笑えるわけではないのが少し残念です。

翻訳では最もマリヴォーらしい特徴である、小粋な対話の魅力が存分には味わえないわけですが、男装というテーマは最近、ドラマなどでも流行していることですし、読んでみて損はない作品だと思います。

作品のあらすじ


『贋の侍女・愛の勝利』には、「贋の侍女」「愛の勝利」の2編が収録されています。

「贋の侍女」

主人から暇を出されてぶつくさ文句を言っているトリヴランと出会ったフロンタンは、自分の主人を自慢しようとして「うちのお嬢さん」(15ページ)とつい男装している主人の秘密を話してしまいます。

フロンタンの紹介で同じ主人の従僕になった腹に一物あるトリヴランは金を手にし、騎士に扮する女性と仲良くしたいと考え始めました。

騎士が従僕を連れここへやって来たのには、ある理由があったから。

義兄の意向でレリオという男と結婚することがほぼ決まっているのですが、仮装舞踏会で出会ったレリオには恋人がいることが分かったのです。どういう了見なのかとレリオの正体を確かめに来たのでした。

騎士を友達と思うレリオは自分の気持ちを打ち明けます。伯爵夫人が好きだったけれど伯爵夫人は年に六千リーヴルの財産家、一方、最近結婚話を持ち込まれた令嬢は、年に一万二千リーヴルの財産家だと。

要は金に目がくらんだレリオは令嬢に乗り換えることにしたのです。

騎士 きれいだって? その娘?
レリオ 手紙では美人だそうだ。しかしぼくみたいな性分の男には、それが大して役立つとは思えないね。その娘が醜くないとしてもやがて醜くなるさ、なんせ自分の女房だからな。醜くならざるを得ない。
騎士 しかしなあ、女だってときには腹も立てるんじゃないか?
レリオ ぼくの領地の一つが人里離れたところにあってね。おそろしく辺鄙なところなんだ。そうなったら奥方はそこにでも行って復讐心を静めるんだな。(37ページ)


問題はレリオがかなりの額の借金を伯爵夫人からしていること。しかしその借金をちゃらにするいい手がありました。もし伯爵夫人から結婚の破断を言い出せば違約金で借金を相殺することが出来るのです。

そこで、レリオは騎士に伯爵夫人の心をとらえるように頼んで……。

「愛の勝利」

スパルタの女王レオニードと侍女コリーヌは、フォシオンとエルミダスという名を名乗って男装し、エルモクラートという哲学者が住む家へと向かっていました。エルモクラートが育てた男に会うためです。

フォシオンの親の代で、ある悲劇が起きたのでした。フォシオンのおじレオニダスは立派な将軍でしたが、王のクレオメーヌは、レオニダスが留守の間にその愛人を奪ったのです。レオニダスは怒りました。

兵に愛されるレオニダスの謀反によってクレオメーヌと王妃は幽閉され、やがて相次いで命を落としました。レオニダスの死後はフォシオンの父が王になり、現在はフォシオンが継いでいるというわけです。

しかしクレオメーヌと王妃の間には正当な跡継ぎと言うべき王子アジスがおり、その王子エルモクラートが育てていたことが分かったのでした。フォシオンはアジスを殺すつもりだと世間では思っています。

ところがフォシオンの考えは違っていたのでした。アジスに会ってみたいと思い出かけた森でフォシオンは思いがけずアジスに恋し、アジスに国をまかせ自分はその妻になりたいと思うようになったのです。

やがて、フォシオンとエルミダスはエルモクラートの家に着きましたが、見知らぬ者は滞在出来ない決まりですし、エルモクラートとその妹のレオンティーヌがうろちょろしていてアジスと話も出来ません。

そこでフォシオンはエルモクラートには女性として、レオンティーヌには男性として愛を打ち明け、それぞれと結婚の話をすすめて……。

とまあそんな2編が収録されています。「愛の勝利」で、目的のために手段を選ばないフォシオンはなんだかひどいですが、賢者とたたえられ理性の世界に生きるエルモクラートがぐらつくのはユーモラス。

物語の筋としては詐欺を仕掛けるような「愛の勝利」の方が面白く、特にレオンティーヌと偽りの愛を進展させていく所はラブストーリーのお約束をあえて皮肉っているようにも読めて、興味深かったです。

一方ダブル・ミーニングなど会話の巧みさでは「贋の侍女」が素晴らしく、引用した場面、レリオが将来の妻(つまり騎士本人)に対してどういうひどいことをしようとしているかを話すのは滑稽ですよね。

そういう、令嬢が騎士に扮して正体を隠しているが故に、観客だけが分かる笑いが物語全体に散りばめられていて、対話の一つ一つが裏の意味を持っているという、そういう珍しい面白さのある作品でした。

『贋の侍女・愛の勝利』は元々の作品自体は古いですが、岩波文庫に収録されたのは2009年と新しいので、活字もゆったりしていますし、訳注も解説も丁寧。とても読みやすい一冊なのでおすすめです。

明日は、エドワード・オールビー『動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』を紹介する予定です。

エドワード・オールビー『動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』

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エドワード・オールビー(1)動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない (ハヤカワ演劇文庫3)/早川書房

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エドワード・オールビー(鳴海四郎訳)『動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(ハヤカワ演劇文庫)を読みました。

ヨーロッパの演劇では古代ローマなど古い時代の史実が題材となることも多く、個性際立ったキャラクターによってドラマチックな筋が展開されるのが大きな特徴と言えるでしょう。対照的なのがアメリカ。

アメリカの演劇はそうしたロマンあふれる雰囲気とはまったく違ってリアリズムに徹した作品が多いです。現実にいそうな夫婦や家族が描かれ、リアルな悩みや苦しみが描かれる、暗い物語が多いんですね。

今まで紹介したアメリカの演劇を時代順に少し整理すると、まずアメリカの近代演劇を確立したと言われているのが、若い継母が家にやって来る『楡の木陰の欲望』(1924年)のユージーン・オニール。

現代を代表するのが、労働者と結婚した妹を訪ねる『欲望という名の電車』(1947年)のテネシー・ウィリアムズと、仕事に行き詰った男の話『セールスマンの死』(1949年)のアーサー・ミラー。

この三作品にはある種共通したテーマがあって、本当はこうあるべきだという理想を持っているにも関わらず、現実の生活ではうまくいかず、現実に重みに押し潰されてしまうような物語であるということ。

戯曲を読んで、あるいは舞台を観て、楽しい気持ちになる物語ではないのですが、非常に共感しやすい、リアルな問題が衝撃的な内容とともに描かれているだけに、心揺さぶられる感じがあることでしょう。

三人に続くアメリカの劇作家がエドワード・オールビーで、今回紹介するのは、その代表作「動物園物語」(1959年)と「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」(1962年)が収録された本です。

オールビーの時代になるとフランスでは、来ない男を待ち続ける『ゴドーを待ちながら』(1953年)のサミュエル・ベケットなど不条理演劇が興っておりそうした影響もかなり受けていると言われます。

特に「動物園物語」は不条理性が強いですが、一方の「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」はリアリズムなタッチで、現実の悩みがショッキングな内容とともに描かれるアメリカの演劇らしい作品。

今回あえて関連する戯曲を色々あげたのですが、どれか一作品を知っている方はぜひ他の作品も手に取ってみてください。テーマなど共通する部分が多く、比較しながら読むと、楽しめるだろうと思います。

さて、文学が好きな方は、「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」というタイトルを聞いておやっと思ったことでしょう。そう、ウルフというのは『ダロウェイ夫人』で有名なイギリスの作家ですね。

ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫)/光文社

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何故このタイトルになったかということになると解釈は色々出来ますが、少なくとも物語の中で登場する意味合いとしてはギャグとして。

ディズニーアニメ『三匹の子ぶた』の曲に「狼なんてこわくない」(Who's Afraid of the Big Bad Wolf?)があります。これをもじり"Who's Afraid of Virginia Woolf?"。ウルフがかかっているわけ。

大学の校内住宅が物語の舞台ですが、パーティーでうけたこのギャグが延々繰り返されるという展開になっています。ディズニーは許諾に関して厳しいので、実際の上演時には違う歌が使われるようですね。

なので1966年に公開されたエリザベス・テイラー主演映画版でも「狼なんかこわくない」とは違う童謡の節回しで歌われていました。

作品のあらすじ


『動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』には、「動物園物語」と「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」の2編が収録されています。

「動物園物語」

日曜日。四十代初めの男ピーターはニューヨークのセントラル・パークのベンチで読書していました。すると三十代終わりの男ジェリーが「動物園へ行ってきたんです」(11ページ)と話しかけて来ます。

話をして構わないかと聞かれたピーターは渋々構わないと答えます。ジェリーに聞かれるままにピーターは出版社の重役であり、二人の娘がいること、二羽のインコと猫を飼っていることなどを話しました。

ジェリーが動物園での出来事を話したがっているようなのでピーターはなんども水を向けますが、何故だかその度に話をそらしてしまうジェリー。やがてジェリーは自分が住むアパートの話を始めました。

管理人のおばさんは真っ黒な怪獣みたいな犬を飼っていて、その犬が出る時はなんでもないのに、玄関から入ろうとすると襲い掛かって来るのだと。腹を立てたジェリーは、毒殺しようと思ったと話します。

やがてピーターとジェリーはベンチをめぐり激しく争い始めて……。

「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」

ニューイングランドにある、小さな大学の構内住宅。パーティーからジョージとマーサ夫妻が帰って来ます。もう深夜なのにマーサが大学へやって来た新任教師の夫妻を招いたと知って面白くないジョージ。

玄関チャイムが鳴り、ドアを開ける前にジョージが「ただね、あの子のことはベラめかすなよ」(82ページ)と釘をさしますが、マーサは喋りたくなったら喋りますと夫に反発するように言ったのでした。

やって来たのはニックとハネー夫妻。男は男同士、女は女同士で話をし始めて、ニックはマーサが思っていた数学科ではなく、生物学科の教師であることが分かりました。ジョージは歴史学科の助教授です。

やがてハネーが明日で21歳になるジョージとマーサの息子のことを口にしたのでマーサが口を滑らせたのが分かりジョージは不機嫌に。

マーサ ジョージがおチビ……ハハハハア!……ジョージがうちの坊やを毛ぎらいするのはね、心の底で、はたして自分の子どもかどうかに不安があるから。
ジョージ (くそまじめに)ひでえ浮気ばばあだ。
マーサ もう何万回となく言ったでしょ……あんたのほかに妊娠する相手はないって……わかってるくせに。
ジョージ 悪女、毒婦!
ハネー (酔いの中で悲しげに)マア、マア、マア、マア、マア。
ニック こういった話題はこの場合……
ジョージ うそだよ。誤解しないでくれ。マーサの言葉は口からでまかせだ。(マーサは笑う)なるほど、この世でおれが確信を持てることなんてほとんどありゃしない……国境線にしても、海岸線にしても、政治家の派閥も、日常の道徳もだ……おれは全然信じられない……だがね、このくされきった世の中で、たった一つだけ信じられるものがある。おれの配偶者、あいともに染色体をたずさえてわが……ブロンドの目の、ブルーの髪の……息子を生産した相棒だけは信じるね。
ハネー ああ、安心した!
マーサ すばらしい演説でした。
ジョージ ありがとう。
マーサ みごとよ……みごとに難局を打破してくれた。
(136~137ページ)


次第に二組の夫婦が抱える悩みや問題が浮き彫りになっていきます。マーサの過去の恋愛や、マーサの父は大学総長なのにジョージは見限られておりもうこれ以上出世が見込めない頭打ちの状態であること。

ニックとハネーはハネーの妊娠を機に結婚したものの、それは想像妊娠だったこと。男同士女同士の打ち明け話が暴露合戦になり、場は騒然となり、ジョージとマーサは罵り合い、激しく対立していきます。

具合が悪くなって吐いたハネーがバスルームで横になると、マーサはジョージに見せつけるように、ニックを誘惑し始めたのですが……。

はたして、やがて明らかになったそれぞれの夫婦の秘密とは一体!?

とまあそんな2編が収録されています。「動物園物語」も「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」もどちらもかなり意外で、ショッキングな展開のある作品。一度読むと、忘れられない印象が残ります。

不条理性の強い「動物園物語」は、この作品がなにを指し示しているのかを考えていくと色々な解釈が出来て面白い、そういう作品です。

一方「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」は何気ない会話の裏に思いがけない真実が隠されていて、思わずはっとさせられる作品。罵り合い、傷つけ合う夫婦の、絆が見える壮絶な物語でもあります。

どちらも読んでいて楽しい作品ではないですが、特に「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」は他の演劇作品にはなかなかないすごみを感じさせてくれる作品。機会があればぜひ読んでみてください。

明日は、バーナード・ショー『ピグマリオン』を紹介する予定です。

バーナード・ショー『ピグマリオン』

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ピグマリオン (光文社古典新訳文庫)/光文社

¥966
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バーナード・ショー(小田島恒志訳)『ピグマリオン』(光文社古典新訳文庫)を読みました。

貧しい生まれだけれど性格がよく、美しい娘が王子さまから見初められるというのはおとぎ話の定番ですが、それと似ていて、かつちょっと違う映画に1990年公開の『プリティ・ウーマン』があります。

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リチャード・ギア演じる実業家はひょんなことからジュリア・ロバーツ演じるコールガール(売春婦)を一週間の期間限定でアシスタントにすることに。コールガールは淑女として磨かれていきますが……。

住む世界が違う二人の出会いはそれぞれに大きな変化をもたらします。孤独な実業家は愛を知り、淑女として扱われる喜びを知ったコールガールは自分に目覚めました。生き方そのものが変わったのです。

普通のラブストーリーとは違って、実業家の教えを受けたコールガールが、誰もが驚く上品なレディーに変わっていくのが面白い所。そして実は物語のその要素の元になっていると言われる作品があります。

それが田舎者丸出しの言葉で喋る花売りの娘が言語学の教授によって教育されていくミュージカル『マイ・フェア・レディ』で、1964年に公開された、オードリー・ヘプバーン主演の映画も有名ですね。

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そして、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』には、物語の流れ的にはほとんど同じですが、ミュージカルではない原作の舞台がありまして、それが今回紹介するバーナード・ショーの『ピグマリオン』。

1913年に初演されたもので、バーナード・ショーは1938年の『ピグマリオン』自体の映画化で、アカデミー脚色賞を受賞しています。ノーベル文学賞とアカデミー賞を受賞しているただ一人の作家。

タイトルの「ピグマリオン」(ピュグマリオーン)はギリシャ神話に登場する王さまの名で、自分の理想の女性を彫刻で作り上げるんですね。やがてその彫刻に心を奪われ、人間になるよう女神に祈ります。

原典のギリシャ神話では創造者であるピュグマリオーンと被創造者は相思相愛の間柄になるわけですが、このエピソードをロンドンに舞台に移し、上流階級を諷刺しながら描いたのが『ピグマリオン』です。

『プリティ・ウーマン』あるいは『マイ・フェア・レディ』はぼくも好きな映画ですが、好きな方にこそ読んでもらいたいのが、『ピグマリオン』。何故かと言うと物語の展開が実はかなり違っているから。

あまり詳しくは言えませんが、物語の展開が違うということは即ち、作品自体のテーマ、創造者と被創造者をめぐる関係性が『ピグマリオン』と翻案作品とでは、大きく異なっているということになります。

既存の演劇にありがちな展開を嫌い、生前はミュージカル化を拒んだバーナード・ショーの『ピグマリオン』は、翻案作品と比べテーマ的に深掘りされている感じがあって、しみじみと考えさせられました。

作品のあらすじ


ロンドン、午後十一時十五分。激しい雨が降り出し、人々はコヴェント・ガーデンの野菜市場前にあるセント・ポール教会に雨宿りのため駆け込んで来ます。家族のために車を探しに行こうとしたフレディ。

すると入って来た花売り娘とぶつかってしまいます。「あんだこらぁ、フレディ。どこ目ぇつけてやがんでぇ」(25ページ)18から20歳ほどの娘は強引に、フレディの家族に花を売りつけました。

花売り娘の言葉をしきりにメモしている男がいます。初めはみんな、その男を警察だと思っていましたが、やがて言葉を聞いただけで出身地があてられるほどの言語学者ヒギンズであることが分かりました。

たまたまそこにインドの方言を研究しているピカリング大佐という言語学者も居あわせ、ヒギンズとピカリング大佐はすっかり意気投合。花売り娘にとっては大金の小銭を籠に入れると、去っていきました。

翌日。ヒギンズがウィンポール・ストリートにある自宅でピカリングと言語に関する話題で盛り上がっていると、戸惑った様子の家政婦のミセス・ピアスがやって来ました。何だか妙なお客が訪ねて来たと。

するとそれは、オレンジ、スカイブルー、赤色のダチョウの羽毛が三本付いた帽子をかぶった昨日の花売り娘だったのでした。一応色々と身なりに気を使っているようですが、どうも汚い印象は否めません。

ヒギンズはもうデータは取ったと追い返そうとしますが、花売り娘はしっかりした言葉を教えてくれるところだというから来たと思いがけないことを言います。ちゃんとした花屋の売り子になりたいのだと。

話を聞いていて面白がったピカリングは賭けを申し出ます。この花売り娘イライザ・ドゥーリトルを半年で、大使館の園遊会に出ても誰も違和感を覚えないほどの、立派な淑女に仕立て上げられるかどうか。

レッスン料は自分が持ち、失敗する方に賭けると言ったピカリング。

ヒギンズ (この思いつきが具体化するに従って、興奮してくる)バカな真似をしないで何の己の人生か。難しいのはそれをする機会を見つけることだ。めったにないこのチャンスを無駄にする手はない。よし、ひとつこの薄汚いドブ板娘を公爵夫人に仕立ててやろう。
イライザ (この言われように強く抗議して)ぅぅぅうううぇぇぇええ!
ヒギンズ (夢中になって)そう、半年もあれば――いや、耳が良くて舌が回れば三か月で、この娘をどこに出しても恥ずかしくない淑女にしてみせる。今日から始めよう、今すぐだ! ピアスさん、この娘を連れて行って、洗ってくれ。どうしても汚れが落ちなかったら、モンキー・ブランドの石鹸を使うといい。台所に火はあるかい?(64ページ)


普段お風呂など入らず、下着すら変えないというイライザに驚くミセス・ピアスですが、来ていた服を処分し、とりあえず小さな白いジャスミンの花をあしらった青い木綿のキモノを着せると、さらに仰天。

見違えるほどに美しくなったから。しかし喋らすと田舎者丸出しで、たちまち馬脚を現してしまいます。やがて、猛特訓が始まりました。

ヒギンズ アルファベットを順に言ってみたまえ。
イライザ そんぐれえ知ってらぁ。あちしがなんも知らねえと思ってんだろ? 子供じゃあるめえし、んなことまで教えてくんなくても――
ヒギンズ (怒鳴りつけて)言ってみろ。
ピカリング さあ、ミス・ドゥーリトル、言ってごらん。どういうことか、すぐにわかりますよ。先生の言う通りにしてごらんなさい。先生の教え方に従って。
イライザ ああ、うん、そういうふうに言ってくれたら――アーイ、ベー、セー、デー――
ヒギンズ (傷ついたライオンのような吠え声で)やめろ。聞いたかい、ピカリング君。我々の税金でまかなっている小学校教育の成果がこれだ。この不幸な動物は、九年間学校に押し込めて我々の金でシェイクスピアやミルトンの言葉を話したり読んだりすることを教え込んだはずなのに、その結果がアーイ、ベー、セー、デー。(イライザに)言ってみろ、エイ、ビー、スィー、ディー。
イライザ (泣きそうになって)言ってんじゃんかよぉ。アーイ、ベー、セー――
ヒギンズ もういい! じゃあ、言ってみろ、「ア・カップ・オヴ・ティー」。
イライザ ヤァ・カッパラテー(112ページ)


幸いイライザは耳がよく、あっと言う間にピアノも覚えてしまったほどですが、お天気の話題ぐらいはそつなくこなすものの、場にふさわしい話題を選ぶことが出来ずすべて台無しにしてしまったりします。

ヒギンズとイライザの試みは忍耐強く進められ、やがて本番、大使館のレセプション(招待会)の日を迎えます。着飾ったイライザは皆に公爵夫人と思わせられるのか、それとも正体が露見してしまうのか。

ヒギンズ、ピカリング、イライザは、ロールスロイスで会場へ……。

はたして、言語学者二人、ヒギンズとピカリングの賭けの結末は!?

とまあそんなお話です。『ピグマリオン』は全五幕の話ですが、イライザをめぐる賭け自体は三幕で決着がつくんですね。そこからが実はこの作品の面白い部分で、翻案作品にはない要素になっていきます。

イライザは貧しい境遇から上流階級の婦人へと言わば生まれ変わったわけです。それは客観的に見ればいいことですが、手に入れたものの代わりに失ってしまったものも、実はたくさんあるわけなんですね。

きれいな身なりをし、丁寧な言葉を話し、適切な話題を選べるようにはなりましたが、その代わり、自立して生きていた元の花売り娘には戻れないのです。ではこの先何をして生きていけばいいのでしょう?

『ピグマリオン』は翻案作品とは少し違い、そうした難しい問題にイライザが真正面から向かい合う物語になっています。そこには上流階級への諷刺も含まれているだけに、色々と考えさせられる作品です。

『プリティ・ウーマン』や『マイ・フェア・レディ』は有名ですが、原典とも言うべき『ピグマリオン』は意外と知られていないので、読んでみたり、また舞台を観にいったりしてみてはいかがでしょうか。

明日は、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を紹介する予定です。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

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君たちはどう生きるか (岩波文庫)/岩波書店

¥903
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吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)を読みました。

古今東西の名著を収録する岩波文庫には五種類の色分けがあります。とりわけ人気を集めているのは赤帯(外国文学)と緑帯(日本文学)で、ややマイナーなのが黄帯(古典)と白帯(政治経済)でしょう。

かなり読まれているけれど敷居が高いのが青帯(思想)。哲学の名著も収録されていますが、訳文は固く、解説も丁寧でないものが多いので、ちくま文庫など他の文庫の方がより読みやすい感じはあります。

そんな難易度の高い青帯の中でも今なお圧倒的読まれているであろう一冊が今回紹介する『君たちはどう生きるか』。一言で言うなら「倫理」、子供向けに言えば、いわゆる「道徳」をテーマにした本です。

子供に教えたい知識が盛り込まれた教科書のような本ですが、15歳の中学二年生のコペル君を主人公にした物語仕立てになっているので読みやすく、小説のように楽しみながら読み進めることが出来ます。

作品を通して徹底的に書かれているのは「コペルニクス的転回」からあだ名がつけられた主人公の物語ということからも分かる通り、凝り固まった考えではなく、幅広い視野を持とうではないかということ。

たとえば印象的なエピソードが仏像。今では当たり前にある仏像ですが、ルーツを探るとインドのガンダーラ地方に行きつきます。そしてその彫刻の形を見ると明らかにギリシャ彫刻の影響があるんですね。

つまり、紀元前のアレキサンダー大王の遠征がなければ西洋の文明と東洋の文明が溶け合うことはなかったわけですし、東洋の文明の産物に見える仏像もギリシャ人なしには成立しなかったというわけです。

自分と世界は全然関係ないようでいてこうして密接に繋がっている、人と人とは相互に影響を与え合っているのだというのがテーマ。そんな世界の中でどう生きていくか問いが投げかけられた作品なのです。

作者の吉野源三郎は岩波書店の編集者だった人で、雑誌「世界」を創刊して編集長をつとめ、岩波新書や岩波少年文庫の創刊にも携わりました。この本自体は山本有三編『日本少国民文庫』の中の一冊です。

『日本少国民文庫』には今も読まれている一冊があります。山本有三『心に太陽を持て』。心に響く話を世界中から集めた道徳的な本でこちらもかなり感動させられる一冊。興味のある方はあわせてどうぞ。

心に太陽を持て (新潮文庫)/新潮社

¥515
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また、海外に目を向けると、似たコンセプトの本にイタリアの作家デ・アミーチスの『クオーレ』があります。小学校での出来事が中心となった物語で、子供たちは道徳的なエピソードを学んでいきます。

クオーレ (新潮文庫)/新潮社

¥740
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その道徳的なエピソードの一つが日本でアニメ化もされて有名な「母をたずねて三千里」。それ以外の作品もとても感動的なものばかりなので、本自体が手に入りづらいのですが機会があればこちらもぜひ。

作品のあらすじ


15歳にしては体が小さいことが悩みの中学二年生コペル君。コペル君というのは。叔父さんがつけたあだ名で、本名は本田潤一と言います。勉強はよく出来ますが、なかなかのいたずら好きなのが玉に傷。

しかしそのいたずらというのは誰かを傷つけるものでもないですし、二年前にお父さんを亡くして生活ががらりと変わったこともあり叱って快活でなくなってもよくないと思うお母さんはあまり叱りません。

コペル君と大の仲良しなのが近所に住んでいるお母さんの弟で、大学を出てから間もない法学士の叔父さん。何でもよく教えてくれる叔父さんと、よく一緒に散歩をしたり、キャッチボールをしたりします。

中学一年生の時、叔父さんと銀座のデパートメントストアに行ったことがありました。屋上からたくさんの家を眺めていましたが、それぞれ誰かが住んでいるのだと気付いて、コペル君ははっとしたのです。

考えたことのなかった驚くべき発見についてコペル君と叔父さんは語り、その夜叔父さんはノートブックにこんなことを書いたのでした。

 君は、コペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人は、みんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これは、一つは、キリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩突きいって考えると、人間というものが、いつでも、自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。
(中略)
 コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることなのだ。(25ページ)


そうした考え方の大切さを教えるため、叔父さんはコペルニクス君と呼びかけるようになりました。それがいつの間にか縮まってコペル君になり、それはやがて友達にまで広まってすっかり定着したのです。

コペル君には親しい友達が二人いました。小学校からの同級生で、お互いの家にも行き来する仲の水谷君と、自分が正しいと信じたらどんな相手にも向かっていく頑固さからガッチンと呼ばれる北見君です。

貧しくて、ちょっとぼんやりしていて、なにかとみんなにからかわれる浦川君を、北見君がいじめっ子から助けてやったのが縁で浦川君とも交流が生まれましたが、ある時浦川君は続けて学校を休みました。

病気というのでお見舞いに行ったコペル君は思いがけない光景を目にします。エプロン姿の浦川君は実家の豆腐屋で働いていたのでした。

お父さんは金策のため親戚へ出かけていて、店で雇っている人が病気で倒れてしまったので、浦川君が油揚げをあげなければお店がまわっていかないのです。コペル君は、学校でのことを教えてやりました。

浦川君の家の苦しい状況を目の当たりし、学校に行きたくても働かなければならない人も世の中に大勢いるのだと気付いたコペル君は、複雑な気持ちになります。その話を聞いた叔父さんはこう言いました。

「いったい、君たちと浦川君と、どこが一番大きな相違だと思う?」(136ページ)と。コペル君は家が貧乏かそうでないかだと答えますが、叔父さんは家でなく人間そのものはどうかとさらに尋ねます。

コペル君はすっかり困ってしまい、うまく答えることが出来ず……。

試験が無事に終わったので、みんなで水谷君の家に、遊びに行きました。水谷君のお姉さんのかつ子さんはフランスの英雄ナポレオンの話をしてくれます。楽しく過ごしましたが、心配なこともありました。

最近学校では気風を引き締めるためだと言って上級生が下級生に制裁を加えることがあり、北見君も目をつけられていたのです。水谷君、浦川君、コペル君はいざとなれば一緒に立ち向かうと約束しました。

やがて、みんなで雪遊びをしていると北見君と水谷君が上級生に難癖をつけられて囲まれてしまいます。後から浦川君も駆けつけました。

「こんなかにゃあ、まだ北見の仲間がいるんだろう。いるんなら、出て来いッ。」
 横禿は、黒川のあとについてこう叫び、陰険な眼でじろじろと下級生の顔を見ました。コペル君は、その眼が自分に注がれたのを感じると、ゾーッとしました。そして、背中にまわした手は、思わずソッと雪の玉を捨てました。そのまま、コペル君は顔があげられなくなってしまいました。
「あッ!」
 水谷君の叫びがコペル君の耳に聞え、つづいて、
「北見! 制裁を加える。」
 という黒川の宣告が聞えたと思うと、ズーン、ズーンと、二つばかり、人間の体を拳固で殴る音がしました。
「やっちゃえ、やっちゃえ。」
 黒川の仲間が一せいに叫びました。(210ページ)


あれほど一緒に立ち向かうと約束したのに、北見君、水谷君、浦川君が上級生から殴られている間、コペル君は動くことが出来ずに……。

はたして、自分を恥じたコペル君は友達の信頼を取り戻せるのか!?

とまあそんなお話です。違った角度から物事を見るアプローチはとても大切なことですし、コペル君が学ぶ色々な知識はもう一度しっかり知っておきたいことばかり。子供は勿論、大人も楽しめる一冊です。

そして何より道徳教育的な点で非常に面白い作品で、恐れをなして心ならずも友達を裏切ってしまったコペル君の気持ち、よく分かりますよね。同じ立場だったらぼくもやはり動けなかったかも知れません。

誰かに責められたからではなく自分で自分を恥じたコペル君はどうするでのしょうか。気になってしまった方はぜひ読んでみてください。

明日は、レーモン・クノー『地下鉄のザジ』を紹介する予定です。

レーモン・クノー『地下鉄のザジ』

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地下鉄のザジ (レーモン・クノー・コレクション)/水声社

¥2,310
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レーモン・クノー(久保昭博訳)『地下鉄のザジ』(水声社)を読みました。

大人だけど、時には恐い両親より気軽につきあえて、友達みたいだけど同世代の友達より尊敬出来るのがおじさん。伯父さん(父母の兄)あるいは叔父さん(父母の弟)との関係性って絶妙でいいですよね。

伯父さんが出て来る物語でとりわけ印象的なのが1958年に公開のフランス映画『ぼくの伯父さん』。監督・脚本・主演はジャック・タチで、パイプをくわえた無口なキャラクターが登場する愉快な作品。

ぼくの伯父さん [DVD]/角川書店

¥4,935
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三大喜劇王(チャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイド)を彷彿とさせるキャラクターは近年ではローワン・アトキンソンのMr.ビーンに影響を与えたことでも知られています。

1953年に公開された白黒映画の前作『ぼくの伯父さんの休暇』の方がコメディー度としては高いですが、『ぼくの伯父さん』が何より素晴らしいのはカラーの美しさと現代社会を巧みに諷刺している所。

大笑い出来る感じの明らかなコメディー作品ではないですが、まったりした雰囲気といい、一風変わったユロ氏のキャラクターといい、実に味のある作品で面白いです。機会があればぜひ観てみてください。

さて、伯父さんの出て来る話と言えば、同時代のフランスの小説にこれまた非常にインパクトのある作品があります。それが今回紹介する本で1959年に発表されたレーモン・クノーの『地下鉄のザジ』。

母親が恋人と出かけるのでパリにいる伯父さんの所に預けられた少女ザジ。地下鉄に乗ってみたかったのですが、あいにくのストで乗ることが出来ません。ザジは一風変わった人々とパリ中を駆け巡り……。

翌1960年にルイ・マル監督によって映画化されました。2010年には50周年を記念してニュー・プリント版で上映されたことが話題になりましたね。この映画の印象が強いという方も多いでしょう。

地下鉄のザジ【HDニューマスター版】 [DVD]/紀伊國屋書店

¥3,990
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子供向けというイメージをお持ちかも知れませんが、なかなかどうして一筋縄ではいかない作品で、複雑なキャラクター性を持つ人物が目白押しの、シュールな物語。そして、様々な解釈が出来る小説です。

中でも特筆すべき特徴は、俗語や口語表現が存分に取り入れられている所。よく知られているのがザジの口癖「オケツぶー」とオウムの名調子、「おしゃべり、おしゃべり、おまえにできるのはそれだけ」。

もっとも、日本で長年愛されて来たのは生田耕作訳の中公文庫で、そちらでのザジの口癖は、「けつ喰らえ」、オウムは「喋れ、喋れ、それだけ取り柄さ」です。ぼく自身もそちらの方が馴染み深いですね。

地下鉄のザジ (中公文庫)/中央公論新社

¥740
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クノーの文体は独特なだけに、生田耕作訳と久保昭博訳とでは大分受ける印象が違います。研究的に読むなら注が丁寧で新しい久保訳がいいですが、生田訳の味も捨てがたく、まあぜひ読み比べてください。

作品のあらすじ


駅にいるガブリエルは人々の臭いにいらついていました。しかし周りにいる人はむしろガブリエルがつけている香水に腹を立てています。

 ガブリエルは遠くを眺める。どうせ彼女たちは、遅れて来るにきまってる。だいたい女ってのはいつだって遅れて来るんだから。ところがどっこい、突然小娘が現れ、彼を呼ぶ。
「あたしザジ。ガブリエル伯父さんでしょ」
「まさしく」ガブリエルはもったいぶって言う。「そう、伯父さんだよ」
(中略)
「見つけたわね」と、ようやくやってきたジャンヌ・ラロシェールが言う。「よく引き受ける気になってくれたわ。そうよ、この子なの」
「なんとかなるさ」と、ガブリエルが言う。
「ほんとうに任せてもいいの? だって、この子が家族全員に犯されたりしたら、たまらないわ」
「でもママ、この間はちょうどいい時に着いたじゃない」
「とにかく」ジャンヌ・ラロシェールは言う。「もうあんなこと、二度と起こって欲しくないの」
「安心していいよ」と、ガブリエルが言う。
「分かった。そうしたら、明後日ここでまた会いましょう。六時六十分の電車よ」(11~12ページ)


パリで地下鉄に乗るのをとても楽しみにしていたザジでしたが、ストで動いていないと知ってショックを受けます。ガブリエルとザジは、ガブリエルの友達シャルルが運転するタクシーへと乗り込みました。

ガブリエルは窓から見えるパンテオンをザジに紹介しますが、シャルルはあれはパンテオンではなくリヨン駅だと言い、ガブリエルが廃兵院(アンヴァリッド)を紹介すると、それも違うと言ったのでした。

家に着くとガブリエルの妻のマルセリーヌが温かく迎え入れてくれます。夕食後ザジが学校の先生になりたいと言うので感心しますが話を聞けば聞くほどどうやら高尚な精神から出た言葉ではなさそうです。

「ガキどもをしめあげたいの」とザジが答えた。「十年後、二十年後、五十年後、百年後、千年後にもあたしと同じ年になるやつらがいるでしょう、いつだっていびり甲斐のある子供はいるのよ」
「なるほど」ガブリエルが言った。
「あたし、ものすごい意地悪してやるの。床を舐めさせるわ。黒板消しを食べさせるわ。お尻にコンパスを突き刺すわ。ケツをブーツで蹴飛ばすわ。だってあたし、ブーツを履くの。冬には。こんな長いやつなんだから(身振り)。尻を突き刺すでっかい拍車がついてるの」
「いいかい」ガブリエルが静かに言った。「新聞に書いてあったんだがね、現代の教育は、ぜんぜんそういう方向に向いていないらしいよ。まったく反対と言ったっていい。これからは温厚、理解、優しさに向かうんだって。そうだろう、マルセリーヌ? 新聞じゃそう言ってたよな?」
「そうね」マルセリーヌはそっと言った。「でもザジ、あなた、学校でひどい目にあったの?」
「そんなわけないじゃん」(26~27ページ)


翌朝、ガブリエルとマルセリーヌに黙って家を飛び出したザジは地下鉄へ行きますが、そこにはザジにも分かる文字でストが続いていることが書かれていたのでした。悲しくなって、めそめそ泣き始めます。

そこへやって来たのが、山高帽をかぶり口ひげを生やし、ぶかぶかの靴を履いた妙な男。男とザジは群衆の集まる蚤の市へ行って、ザジのジーンズを買い、その後でカフェ・レストランに食事へ行きました。

男のことをエロオヤジだと警戒するザジは、酔っ払って自分に手を出そうとしたパパの頭をママが斧でぶち割って、無罪放免になった話をし、隙を見てジーンズを盗んで逃げ出しますが捕まってしまいます。

傘を忘れたと言った男の一言で、「こいつは偽お巡を装っている変態じゃない、本物のお巡を装っている偽変態を装った本物のお巡りだ。傘を忘れたのがその証拠だ」(66ページ)と、鋭く見抜いたザジ。

ガブリエルの元へ連れ戻されたザジは男とガブリエルの会話を立ち聞きして、ガブリエルがホルモセクシュアルと言われていることを知りますが意味はよく分かりません。男はガブリエルに叩き出されます。

ザジとガブリエルはシャルルのタクシーで観光に出かけますが、ガブリエルはガイドと間違えられて観光客に連れ去られてしまいました。

ムアック夫人という未亡人と、どこかで見た顔をしたポリ公のトルスカイヨンが助けてくれますが、この二人が恋に落ちててんやわんや。一方、シャルルもまた長年想いを寄せる相手への求婚を決意します。

やがてガブリエルの仕事は夜警ではなく踊り子であることが分かり、皆でガブリエルの店に行き、朝まで騒ぐこととなったのですが……。

はたして、ザジは念願のパリの地下鉄に乗ることが出来るのか!?

とまあそんなお話です。ストーリーはよく言えばシュール、悪く言えば支離滅裂で、とにかくぶっ飛んでいるのですが、ものすごいのが登場人物。男なのか女なのか分からないというのでさえ、まだ序の口。

アイデンティティを失ってしまい、本当の正体が分からないという人物まで登場して来るのです。子供が主人公で、感動的な他の物語とは違って、とにかくシュールでスラップスティック(どたばた喜劇)。

シンプルな物語ではなく、翻訳では口語の魅力がいまいち伝わって来ないこともあって読む人を選びそうですが、読む度に新しい発見がある独特の魅力がある一冊。機会があれば、ぜひ読んでみてください。

明日は、ジュウル・ルナアル『にんじん』を紹介する予定です。

ジュウル・ルナアル『にんじん』

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にんじん (岩波文庫)/岩波書店

¥693
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ジュウル・ルナアル(岸田国士訳)『にんじん』(岩波文庫)を読みました。

いつでも幸せでなんの悩みもない子供時代を送ったという人はいないだろうと思います。誰かの何気ない一言で傷ついてしまったり、自分のいる環境に辛さを感じて悩んだりするのがおそらく普通でしょう。

ぼくが子供の頃(と言っても中学生ぐらい)に読んで非常に共感を覚えたのが下村湖人の『次郎物語』(全三巻)でした。里子に出された本田次郎という少年が、悩みや葛藤を抱えながら成長していく物語。

次郎物語〈上〉 (新潮文庫)/新潮社

¥788
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次郎はやがて実家に戻されるのですが、家族から愛されず、馴染むことが出来ないのです。ぼく自身もなんだか周りの環境と馴染めないと感じることがあっただけに、次郎をまるで自分のように思いました。

そして、海外の作品で同じテーマの作品と言えばやはり今回紹介するルナアルの『にんじん』になるだろうと思います。赤毛のために「にんじん」と馬鹿にされ、母親からひどい仕打ちを受ける少年の物語。

虐待を描いた作品として語られることが多いですが、実際はもう少し幅広い読み方が出来る作品だと思います。たとえば、寄宿学校に面会に来た父親に、キスを避けられてショックを受ける場面があります。

 にんじんは、そこで、なんとか愛情を籠めた返事をしたいと思った。が、何ひとつ頭に浮かばない。それほど、一方に気を取られている。彼は、爪先で伸びあがり、父親に接吻しようと、一所懸命なのだ。最初一度、唇の先が髭にさわった。ところが、ルピック氏は、逃げるように、つんと頭を持ち上げてしまったのである。(中略)彼は、もう、気持がこじれ、一体なぜこんな待遇を受けるのか、そのわけを知りたいと思った。
 ――おやじは、もうおれを愛してはいないのかしら。と、心の中で呟いた――おやじは、兄貴のフェリックスにはちゃんと接吻をした。後退りなんかしないで、するがままにさせていた。どういうわけで、このおれを避けるのだ。(111~112ページ)


にんじん可哀相にと思いますが、後から実は、にんじんがいつもの癖でペンを耳にさしていたことが分かります。つまり父親からすると顔を近づけてキスしようとするとペン先が迫って来ていたわけですね。

ふたを開けてみればなんてことない笑い話ですが、なにかある度に悪い方向にねじけて考えてしまいがちな、にんじんのこの性格というのは、虐待の影響というより、感受性が強いが故という感じもします。

子供時代は誰しも感じやすいものなので、家族のことを好きになれなかったり、いっそ死んでしまおうと考えてバケツに顔をつっこんでみたりするにんじんの気持ちは特殊なものでなく、共感しやすいもの。

なので、『にんじん』は虐げられた特別な少年の物語というより、むしろ誰もが子供時代に一度は感じたであろう孤独や疎外感が描かれた「あるある」な感じの物語として読める作品ではないかと思います。

そしてこの作品のもう一つの魅力は猟や釣り、女の子との結婚ごっこなど、自然と触れ合う子供時代のエピソードが、色彩豊かに描かれていること。のどかな田園風景が目の前に広がる面白さがありました。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 ルピック夫人はいう――
「ははあ……オノリイヌは、きっとまた鶏小舎の戸を閉めるのを忘れたね」
 そのとおりだ。窓から見ればちゃんとわかるのである。向こうの、広い中庭のずっと奥のほうに、鶏小舎の小さな屋根が、暗闇の中に、戸の開いているところだけ、黒く、四角く、くぎっている。(7ページ)


ルピック夫人は長男フェリックス、長女エルネスチイヌと順に戸を閉めに行くよう頼みますが、フェリックスは反抗的な態度で、エルネスチイヌは怖いと言ったので、末っ子のにんじんに押しつけられます。

末っ子は髪の毛が赤く顔中にそばかすがあるのでにんじんと呼ばれ、なにかあるといつも厄介事を押しつけられるのでした。怖さを押し殺して何とか戸を閉めるも、毎晩、戸を閉める係になってしまいます。

ある時、ちゃんと塀の角に陣取ってしたつもりが夢の中で、敷布の中に粗相をしてしまったことがありました。すると翌朝、ルピック夫人は怒らずちゃんと始末してくれて、スープまで持って来てくれます。

しかし、兄と姉が陰険な顔つきをしてスープを飲むのをいまかいまかと待っているのが腑に落ちません。にんじんがスープを飲むと、昨晩粗相したものを溶かし込んだスープを飲んだと囃し立てられました。

「そうだろうと思った」(23ページ)と言いみんなが当てにしていたような顔はしなかったにんじん。こういったことには慣れているから。寝台の下の小便壺をルピック夫人に隠されたこともありました。

どうしても我慢できずに暖炉にしてしまいますが、小便壺がなかったと言うと、みんながそろう頃には、小便壺はそっと寝台の下に戻されていて、まるでにんじんが嘘をついているかのようになったのです。

なにかとにんじんに厳しくあたるルピック夫人とは違って、ルピック氏はにんじんを愛してくれていますが、いつも仕事で飛びまわっていてあまり家にはいません。ある時おみやげを買って来てくれました。

「今度はお前だ、なにが一番欲しい。ラッパか、それともピストルか?」(58ページ)と聞かれてにんじんは困ります。ラッパが好きですが自分の年頃の男の子はピストルを欲しがるのかも知れません。

ラッパと答えて父親をがっかりさせてはいけないと思うのでピストルがいいと言い、隠したって見えてるとまで言ったのですが、ラッパを買って来ていたルピック氏は思わぬ反応にちょっと驚いたのでした。

結局父親を困らせようと嘘をつき、さらに見えていないものを見たと言った罰としてルピック夫人にラッパは取り上げられてしまいます。

学校が始まるとサン・マルク寮へ行きました。にんじんはかつて動物たちが住んでいた小さな小屋にこっそり入り込むことがあります。そこにいると自分の家にいるような気がして、空想に入り込めるから。

 食器を洗う水が、すぐそばを、流しの口から流れ落ちる、ある時は滝のように、ある時は一滴一滴。そして、彼のほうへひやりとした風を送ってくる。
 突然、非常警報だ。
 呼び声が近づく。跫音だ。
「にんじん! にんじん!」
 一つの顔がこごむ。にんじんは、団子のようになり、地べたと壁の間へめり込み、息を殺し、口を大きく開け、じっと視線を据える。二つの眼が闇を透しているのを感じる。
「にんじん! そこにいるかい?」
 顳顬がふくれ、喉がつまり、彼は断末魔の叫びをあげかける。
「いないや、あの餓鬼……。どこへ行きくさったんだ?」
 行ってしまうと、にんじんのからだは、ややのんびりし、元の楽な姿勢にかえる。
 彼の考えは、また沈黙の長い路を走り続ける。
(151~152ページ)


ある時ルピック夫人はにんじんになにか失くしたものはないかと尋ねます。言われてみればおじさんからもらった銀貨が見当たりません。おじさんの好意を無にするわけにはいかないと言う、ルピック夫人。

「代りがあるなら持っといで。捜しといで。造れるなら造ってごらん」(214ページ)と必ず失くした銀貨を見つけるように命じられたにんじんは方々探しますがどこで落としたのかすら分かりません。

すっかり弱り切ったにんじんは、ルピック夫人の留守中に仕事机の抽斗から銀貨を盗み、小道の梨の木の下に落ちていたと言いました。するとルピック夫人は銀貨は上着のポケットに入っていたと言います。

ルピック夫人は着物を変える時にポケットの物を出すのを忘れないよういつも言っているのににんじんが守らないから、それを自分で気付かせようとしたのでした。ルピック夫人は銀貨を見て考え始めます。

ルピック氏は銀貨をうっかり落とすような人でなく、フェリックスはあればすぐ使ってしまうはず。エルネスチイヌはちゃんと貯金箱に入れておく性格です。ルピック夫人は、仕事机の抽斗に向かって……。

やがて、自立し始めたにんじんに、ルピック氏がかけた言葉とは!?

とまあそんなお話です。にんじんは猟にも行き、鶏もさばくので、単なる残虐性とは、また少し違いますが、モグラを徹底的に痛めつけたり、ザリガニの餌にするために猫を殺したりしたのが印象的でした。

この作品でぼくが一番好きな場面は、引用した小屋の中の場面。一人離れて空想にふける気持ちが、なんとなく分かるような気がして。この後蜘蛛の巣にひっかかった羽虫の音をとらえて、それを眺めます。

虐待と言えるひどい場面があり、動物への残酷な場面もある物語ですが、感じやすい子供時代が客観的な視点から硬質なタッチで描かれることで独特の雰囲気が生まれている作品。興味を持った方は、ぜひ。

明日は、アルフォンス・ドーデー『風車小屋だより』を紹介する予定です。

アルフォンス・ドーデー『風車小屋だより』

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風車小屋だより (岩波文庫 赤 542-1)/岩波書店

¥588
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アルフォンス・ドーデー(桜田佐訳)『風車小屋だより』(岩波文庫)を読みました。

今回紹介する『風車小屋だより』は詩人として世に出たドーデーが、パリから南仏のプロヴァンスの風車小屋に移り住んで、そこで見聞きした物事や、その地に伝わる物語をスケッチ風にまとめたものです。

収録されている20数編は、短編小説というよりは写生文や随筆に近く、物語的な装飾が施されていない素朴な雰囲気がなによりの魅力。非常に地味だけどなんだかとても素敵な本、という感じの作品です。

今ではあまり読まれない本ですが、長年愛されて来た本で『風車小屋だより』が本の中で一番好きという方も多いのではないでしょうか。

プロヴァンスにはアルルという町があります。クラシック好きの方はジョルジュ・ビゼーの「アルルの女」という組曲をご存知でしょう。また、クラシック好きでない方もきっとどこかで耳にしているはず。

ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲、「カルメン」組曲/ユニバーサル ミュージック クラシック

¥1,234
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「アルルの女」は今では楽曲としての方が有名ですが、元々はドーデーの戯曲につけられた音楽なんですね。そしてその戯曲の元になった恋のエピソードが、この『風車小屋だより』に収録されています。

なのでクラシック好きの方におすすめですし、文学好きの方は物事をありのままに描く自然主義ということに興味を引かれるかもしれません。ばったに田んぼが襲われる光景が淡々と書かれていたりします。

ちなみに、日本の自然主義文学で『風車小屋だより』と似た感じなのが、武蔵野を舞台にした作品集である国木田独歩の『武蔵野』です。文章としてはやや難しいですが、興味があればぜひあわせてどうぞ。

武蔵野 (新潮文庫)/新潮社

¥546
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『武蔵野』が影響を受けたのが二葉亭四迷が訳した「あいびき」。イワン・トゥルゲーネフの『猟人日記』の中の一話で、「あいびき」の風景描写は言文一致や日本文学そのものに大きな影響を与えました。

猟人日記抄/未知谷

¥2,100
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また、アメリカにも似た作品があります。ワシントン・アーヴィング『スケッチ・ブック』。アメリカ版浦島太郎「リップ・ヴァン・ウィンクル」、首なし騎士の伝説「スリーピー・ホローの伝説」を収録。

スケッチ・ブック (新潮文庫)/新潮社

¥420
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スケッチ・ブック』(アメリカ、1819)『猟人日記』(ロシア、1852)『風車小屋だより』(フランス、1869)『武蔵野』(日本、1901)は全て自然をスケッチ的にとらえた作品集。

物語的な面白さというよりは素材そのものの良さに引き込まれます。どれか一冊が気に入った方はきっと他の作品も気に入るはず。それぞれにまた少しずつ雰囲気が違うので、ぜひ読み比べてみてください。

作品のあらすじ


『風車小屋だより』には、全部で24編が収録されています。

「居を構える」

うさぎたちはびっくりして逃げ出し、哲学者顔をした二階の借家人ふくろうも鳴き出します。そうして〈私〉は今は使われていないこの風車小屋にやって来ました。ここからパリに手紙を書くことにします。

「ボーケールの乗合馬車」

乗合馬車の中でパン屋は研屋が止めるのも聞かず、研屋のおかみさんの話をします。恋に落ちるたびに相手の男と姿を消してはまた戻ってくると言うのです。〈私〉は降りる時研屋の顔をのぞき込んで……。

「コルニーユ親方の秘密」

二十年前ほど前のこと。近くに製粉工場が出来ましたが、コルニーユ親方の風車はいつも回っていてとても忙しそうです。しかし息子と親方の孫娘の結婚話をまとめようと笛吹きのじいさんが訪ねると……。

「スガンさんのやぎ」

スガンさんの飼っていたやぎは、自由に生きられる山での暮らしに憧れて逃げ出しました。スガンさんが山にはおおかみがいると言っていたのに。やがて、おおかみに襲われたやぎは、ある決意をして……。

「星」

牧場で一人暮らしていた羊飼いの元に半月分の食糧を届けるためお嬢さんのステファネットさんがやって来ました。二人は夜一緒に星を見ることになり、羊飼いは聞かれるままに星の名を答えていって……。

「アルルの女」

若いながらも立派な百姓のジャンは、アルル出身の女と恋に落ちて、収穫が住んだら結婚することが決まりました。ところがジャンの父親の元に、アルルの女は自分の情婦だったという男が訪ねて来て……。

「法王のらば」

ティステ・ヴェデーヌという腕白小僧がぶどう園とらばを何より愛する法王に仕え始めますが、調子のいいことを言ってぶどう酒をせしめてはらばにいたずらをするので、らばは復讐の機会を狙い続け……。

「サンギネールの灯台」

チェッコという仲間と二人で灯台を守っていたバルトリじいさん。ところが食事中に、妙な目つきをしたかと思うとチェッコはテーブルに突っ伏して死んでしまったのです。海は荒れ、他に誰も来ずに……。

「セミヤント号の最後」

嵐で沈んでしまったセミヤント号。その三週間前、同じように難破した小さな軍艦をみんなで助けてやったことがありました。しかしその助かった二十人の人々は新たにセミヤント号に乗り込んでいて……。

「税関吏」

辛い暮らしにもかかわらず、いつも陽気に歌う税関吏のボニフォシオ生まれのパロンボ。ある時歌が聞えないので〈私〉がパロンボの様子を見に行くと、プントゥーラと呼ばれる肋膜炎にかかっていて……。

「キュキュニャンの司祭」

マルタン司祭は自分が見た夢の話をします。天国の戸を叩きペテロ聖人にキュキュニャンの者が中にいるか尋ねたと。いないとの返事だったので、煉獄に探しに行きますが、煉獄にもいないと言われて……。

「老人」

パリの友人から手紙が来ました。三、四里離れたエイギエールの孤児修道院を訪ねて欲しいと言うのです。そこにはもう長年会っていない祖父母が暮らしているからと。〈私〉は訪ねてみることにして……。

「散文の幻想詩(バラッド)」

病気の王太子は泣いている女王様に、強い近衛兵四十人に夜も昼も守ってもらって、死が近くに来られないようにしてほしいと頼みます。司祭には誰かに代わりに死んでもらえないかと尋ねますが……。

「ビクシウの紙入れ」

食事をしているとぼろぼろの服の老人ビクシウがやって来ます。道化風に目が見えないふりをするので笑うと、硫酸で目を焼き本当に見えなくなっていたのでした。紙入れを忘れたので中を見てみると……。

「黄金の脳みそを持った男の話」

ある所に金の脳みそを持った男がいました。脳みそを削るだけで豪勢な暮らしが出来ます。やがて、半ば小鳥半ば人形のような可愛らしい少女に恋をしますが、少女は次々と高額な品物をねだり続けて……。

「詩人ミストラル」

雨降りの冷たい日、一人で過ごすのは心細いと思い、マイヤーヌの寒村に住む詩人フレデリック・ミストラルの元を訪ねます。美しきエステレルの心を得るため冒険に出かけたカランダルの詩を聞いて……。

「三つの読唱ミサ」

礼拝堂付司祭のバラゲール僧正と小僧のガリグーはクリスマスのミサの準備をしていました。ところがガリグーはガリグーではなく、話に出ていたご馳走に気を取られた僧正は心そぞろになってしまい……。

「みかん」

パリではまるでお菓子の仲間のようなみかん。しかし本当にみかんを理解するには地中海の穏やかな空気漂う原産地に行かなければなりりません。各地でのみかんにまつわる出来事を思い出していって……。

「二軒の宿屋」

宿屋が二軒向かい合っていました。一軒は新しく大きな家で活気があり、もう一軒はひっそりとしたみすぼらしい家。空き家のような宿の方に入った〈私〉は、おかみさんから思いがけない話を聞いて……。

「ミリアナで」

ある時、風車小屋から二、三百里離れたアルジェリアを旅したことがありました。どんよりした日曜日の午後、トルコの近衛兵に殺された王の子で、今は店をやっているシドマールを訪ねることにして……。

「ばった」

「森の無数の小枝を鳴らすあらしのような音をたてて、銅色の、網目のつまった、あられをふくんだ雲かと思われるのが、地平線上に現われ」(185ページ)ます。ばったから田を守ろうとしますが……。

「ゴーシェー神父の保命酒」

僧院の牛飼いのゴーシュー坊は僧院の財政危機を救うため薬酒を作って売ることを申し出ます。白衣僧の保命酒は飛ぶように売れ、ゴーシューは神父になりましたが、味見のための酒で身を持ち崩し……。

「カマルグ紀行」

近隣の人々に誘われ旅の一行に加わることになった〈私〉。猟銃、猟犬、食料を積み込んだ大型四輪馬車に乗りアルルの街道を行きます。カマルグでは狩りをしたり、ヴァレカスの湖で過ごしたりして……。

「兵舎なつかし」

休暇中の歩兵第三十一連隊の鼓手ピストレは、旅愁(ノスタルジー)に誘われて、兵営を思いながら松林の中で太鼓の音を響かせます。その音に目を覚ました〈私〉は、パリのことを懐かしく思い出し……。

とまあそんな24編が収録されています。有名なのは「コルニーユ親方の秘密」「星」「アルルの女」「黄金の脳みそを持った男の話」辺り。読もうかどうか迷っている方は、4編のいずれかをまずどうぞ。

最もぐっと来るのが「コルニーユ親方の秘密」。親方の風車小屋は〈私〉が暮らしている風車小屋ですから今はもう使われていないわけですね。製粉工場が出来たのに、忙しく働いていた親方の秘密とは?

技術が発達するに従って職人が姿を消すというのは現代でもあることですが、淡々と書かれていくだけに、思わずほろりとさせられます。

作中で最も美しい話が「星」。羊飼いとお嬢さんという身分違いの二人の近いようで遠く、遠いようで近い不思議な一時が描かれた作品。とにかく文章が美しくとても素敵で、忘れられない印象が残ります。

最も激しい感情が描かれているのが「アルルの女」。後に演劇になりビゼーの組曲を生んだ壮絶な愛の物語。なんともすさまじい話です。

寓話的な面白さがあるのが「黄金の脳みそを持った男の話」。不思議な話だなあという感じかもしれませんが、たとえば黄金を才能に置き換えれば普遍的な物語になるわけで、色々考えさせられる話でした。

簡単にあらすじを紹介しましたが、あらすじでは伝わらないよさがある本なので、ぜひ実際に手に取ってみてください。どの話も地味で素朴ながら、はっと心をつかまれるものばかり。おすすめの一冊です。

明日は、ジョルジュ・サンド『愛の妖精』を紹介する予定です。

ジョルジュ・サンド『愛の妖精』

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愛の妖精 (岩波文庫)/岩波書店

¥756
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ジョルジュ・サンド(宮崎嶺雄訳)『愛の妖精』(岩波文庫)を読みました。

ジョルジュ・サンドは小説家として有名というよりも、また違ったことで知られている人物かも知れません。たとえば、男性の名前のペンネームを使って活動し、社交界に現われる時には男装していたこと。

女性の権利を広げるために活動したフェミニストの先駆けと言われることも。そしてゴシップ的なことを言えば詩人アルフレッド・ミュッセや作曲家フレデリック・ショパンと浮名を流したことで有名です。

そんな風に、サンド自身が非常に目立つ人物であるが故に、かえってその作品はあまり読まれていない感じがあるのですが、今回紹介する『愛の妖精』はサンドの作品の中で、もっとも親しまれている一冊。

19世紀フランス、革命に揺れる激動の時代に生きた作家なだけにその作風は時期によって大きく変わるのですが、子供時代を過ごしたノアンをモデルにした「田園小説」と呼ばれる一連の作品があります。

『愛の妖精』はその「田園小説」の一冊で、強い絆で結ばれたバルボー家の双子の兄弟シルヴィネとランドリー、魔法使いの孫として村中から忌み嫌われていた醜い少女ファデットの交流を描いた物語。

簡単にラブストーリーと言ってもいいのですが、単にラブストーリーと呼ぶにはもったいない面白さのある作品で、作者の少女時代が重ねられているとも言われるファデットが偏見と戦う物語でもあります。

児童文学として愛されてきたことからも分かる通りストーリー的にはとてもシンプル。とにかく面白い小説を読みたいという方には、自信を持っておすすめ出来ます。自然描写もとても美しくていいですよ。

欠点を言えば長所こそが短所で、つまりよく出来過ぎている話なわけですが、まあそれがいいわけですよ。ぼくはこういう話大好きです。

さて、ここでこの作品の一風変わったヒロインを紹介しておきましょう。薬草を扱い占いをよく知っているファデー婆さんの孫娘で、少し魔法を使うという意味もこめてファデットと呼ばれている少女です。

誰でも知っていることだが、このファデーとかファルファデーとかいうのは、ほかのところでは鬼火の精という人もあるが、なかなか人なつっこいくせに、少し悪戯気のある小鬼だ。それからまた、ファードという妖精もあるが、この方はこの辺りではもうほとんど信じている人はない。しかし、それが小さい妖精という意味にしろ、女の小鬼という意味にしろ、誰でもこの娘を見るとあのフォレーを見るような気がしたというのは、この娘がまた、ちっぽけで、やせっぽちで、髪の毛を振り乱して、そのくせ人を人とも思わないようなところがあったからだった。とてもおしゃべりで憎まれ口をよくいう娘だったが、蝶々のようにお転婆で、駒鳥のようにせんさく好きで、こおろぎのように色が黒かった。
(79ページ、本文では「鬼火の精」に「フォレー」のルビ)


両親がいないこともあり身なりに構わず、まるで野性児のように育っているファデット。噂話を聞きつけては悪態ばかりついているので周りからは嫌われているというか、ちょっと不気味がられている少女。

まあこんな風にラブストーリーのヒロイン像とはかけ離れた少女なわけですよ。双子の弟ランドリーは、思わぬことがきっかけでこのファデットに借りを作ってしまい非常に困った立場に立たされるのです。

ランドリーにとっても、そして読者にとっても第一印象最悪なファデット。これほど変わったヒロインはラブストーリーで他にいないんじゃないでしょうか。その印象が変わっていくのが面白い傑作です。

作品のあらすじ


コッス村のバルボー家に、双子が生まれました。とりあげ婆あのサジェット婆さんは双子を育てる極意を教えてくれます。仲良くなりすぎないようなるべく一緒にいさせず、違う服装をさせた方がいいと。

初めはそれを心得ていたバルボー家の面々ですが、シルヴィネとランドリーと名付けられた双子があまりにも仲良しなので結局一緒に遊ばせていました。着るものも一緒で、好みのものもよく似ている二人。

しかし大きくなるといつまでも二人でいさせるわけにはいきません。天候に苦しめられたり、商売がうまくいかなかったりして財政的に厳しくなってきたこともあり、一人は奉公に出されることになります。

その頃になると二人に少し違いが出て来ていました。父から好まれたのは、体がしっかりしていて勇気があるランドリー。一方母から愛されたのは、体は少し弱いけれどとてもやさしい心を持つシルヴィネ。

ランドリーはシルヴィネにはきつい奉公はつとまらないと思い、自ら奉公に行くことを申し出ます。そうしてランドリーはプリッシュ村のカイヨーさんの所で牛の番として働き始めることになったのでした。

新しい環境に馴染み、知り合いも増え、充実した日々を過ごすランドリーに対し、実家にいるシルヴィネが考えるのはいつもランドリーのことばかり。ランドリーが自分以外といると、嫉妬してしまうほど。

日曜日になると仲間の誘いを断って実家に帰り、シルヴィネと会っていたランドリーでしたが、ある時すねたシルヴィネはどこかへ行ってしまっていたのでした。自殺したのではないかと大騒ぎになります。

必死でシルヴィネの行方を探すランドリーは、不思議な力を持つと噂されるファデー婆さんの所を訪ねましたが、双子のとりあげ婆さんとして選ばれなかったことを根に持っており、力を貸してくれません。

そこへ現れたのがファデー婆さんの孫で、見た目の悪さからこおろぎと呼ばれる少女ファデットでした。ファデットはランドリーにもし自分がシルヴィネの居場所を教えたら、どうしてくれるかと尋ねます。

「ほんとに、いやんなっちまうな。どうして、そういつまでもはっきりしないんだ。ファデット、いいかい、こっちの言うことはたった一つさ――もし兄さんの生命があぶなくて、それでお前が今すぐおれをそこへ連れてってくれりゃ、家にあるもんなら、雌鶏だろうが雛子だろうが、山羊だろうが仔山羊だろうが、うちのお父さんやお母さんが、お礼にお前にやらないなんていうものはありゃしないよ、そりゃもうきっとだよ」
「じゃいいわ、その時になりゃ、わかるから」と、そう言いながら、ファットはかさかさした小さい手をランドリーの方へ突き出して、約束のしるしに手を握り合おうとしたが、ランドリーはその手を握る時、思わず少しからだがふるえたというのは、その時、ファデットの眼は恐ろしくぎらぎら光っていて、まるで妖精の化身のように見えたのだった。(89~90ページ)


ファデットは何をもらうか思いついたらまたその時に言うと言い、河岸で茶色い仔羊を探すといいと予言じみたことを口にしたのでした。ファデットの言う通りにし嵐の前に無事シルヴィネを連れ帰ります。

ファデットが一体何を要求して来るかと、しばらく怯えていたランドリーでしたが、たまに顔をあわせても、ファデットはそっけない態度を取るばかりで何も言って来ずそのまま時だけが流れていきました。

やがて聖ヨハネのお祭が近付いて来ます。ランドリーは思いを寄せているカイヨーの姪マドレーヌとダンスをするのを楽しみにしていました。マドレーヌもランドリーのことを悪くは思っていない様子です。

ある夜、ランドリーは道に迷ってしまいました。鬼火が見え、怯えて身動きが取れなくなります。すっかり弱り切ったランドリーを助けてくれたのが、ファデットでした。助けられたのはこれで二度目です。

するとファデットはついに、あの時の約束を果たしてほしいと言ったのでした。お祭りで自分とブーレ踊りを七度踊ってほしいというのです。そして、その日一日は他の女の人と踊りを踊ってはいけないと。

約束は約束ですから果たさないわけにはいきません。しかしファデットを相手に選んだことでマドレーヌを怒らせてしまい、みすぼらしい格好をしたファデットは踊りの間中、悪口を浴びせられ散々でした。

自分自身、ファデットと踊ることを情けなくみじめに思っていたランドリーでしたが、マドレーヌの取り巻き連中が、ファデットの頭巾を取るなどいやがらせをして泣かせたのを見ると義侠心に目覚めます。

「さあ、ファデット、早く頭巾をかぶれよ。そうして、おれといっしょに踊るんだ。その帽子が取れるもんなら取りにきてみろ」
「もういいのよ」と、涙を拭きながらファデットは言った。「今日はもういいかげん踊ったんだもの。あとの約束はすんだことにしとくわ」
「駄目だ、駄目だ、もっと踊るんだ」とランドリーは言ったが、勇気と雄々しい心に燃えてもう無我夢中だった。「おれと踊ったらひどい目に会わされるなんて、誰にも言わせないようにするんだ」
 ランドリーはそこでもう一度ファデットと踊ったが、今度は一言も口をはさむものもなく、変な目つきを浴びせるものもなかった。マドレーヌとその取り巻き連中はもうほかの方へ行って踊っていた。こうして踊りがすんでしまうと、ファデットは低い声でランドリーに言った――
「今度こそ、ほんとにもうたくさんだわ。もうあんたのこともこれで気がすんだから、あの約束はもういいのよ。あたしはうちへ帰るわ。晩は誰でも好きな人と踊ってちょうだい」
(153~154ページ)


悲しそうな様子で去っていったファデットを見て心を揺さぶられたランドリーはやがて、ファデットが村の人々からの偏見と戦って来たことを知って同情し、それはやがて好意へと変わっていったのでした。

ランドリーとファデットは密かに会うようになりましたが、恋心を燃やすランドリーとは対照的にファデットは冷静な態度を崩しません。ファデットがこっそり教えてくれた薬草の知識は仕事で役立ちます。

すべてうまくいっていたのですが、やがてランドリーとファデットの仲は村中の噂になってしまいました。バルボー家の面々は徹底的に反対。なによりシルヴィネがその話を聞いて体調を崩してしまい……。

はたして、自分に関する悪い噂が村に広がる中、ファデットが取った行動とは一体? ランドリーとファデットの恋の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。いつも馬鹿にされて来たファデット、取り巻きに囲まれる高慢なマドレーヌ、どんな逆境にもめげず意志を貫こうとするランドリー、ランドリーのことだけを考えているシルヴィネ。

とにかく登場人物が個性的な物語です。初めはみなさんもファデットを不気味に思うはずですが、意外な一面が見えて気持ちが分かるときっとランドリーとファデットの恋を応援したくなってしまうはず。

こおろぎと呼ばれ、周りから馬鹿にされ続けて来た少女の恋が一体どんな結末を迎えるのか、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、有川浩『図書館戦争』を紹介する予定です。

有川浩『図書館戦争』

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図書館戦争 図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)/有川 浩

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有川浩『図書館戦争』(角川文庫)を読みました。本編四作、番外編二作の全六作からなる「図書館戦争シリーズ」の第一作です。

SFで描かれるものに「ディストピア」があります。理想郷「ユートピア」の反対で、あってほしくない世界のこと。多くは全体主義(個人の自由より国家を優先する思想)の近未来社会として描かれます。

読書好きに読んでもらいたいのがレイ・ブラッドベリの『華氏451度』で本の所持が禁じられた世界を描いたSF小説。本を焼く仕事をしている主人公が本の素晴らしさに目覚めてしまうという物語です。

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)/早川書房

¥907
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今回紹介する『図書館戦争』は、本全てを焼き尽くそうとする『華氏451度』ほど徹底的ではないものの、やはり国家が図書を検閲し、望ましくないと判断されたものは、書店で流通させないという世界。

そんな検閲組織「メディア良化委員会」に対抗出来る唯一の組織が資料収集の自由、検閲への反対をうたう図書館法を持つ図書館の「図書隊」。両組織の対立は激化しそれぞれが武装勢力になっていきます。

昭和が終わった後、現実のように平成ではなく正化へ進んだパラレルワールドを舞台に、望ましくない本をなくそうとする「メディア良化委員会」と本を守ろうとする「図書隊」の対立が描かれていく物語。

ディストピアでありパラレルワールドの物語ですがSF度はそれほど高くないので、むしろ軍隊の中での葛藤が描かれる物語が好きな方におすすめです。たとえば『愛と青春の旅だち』的なノリがあります。

愛と青春の旅だち [DVD]/パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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『愛と青春の旅だち』は、リチャード・ギア主演で1982年に公開された作品で、海軍士官養成学校での辛い訓練や、仲間との絆、町の娘との恋が描かれた物語。とにかく厳しい教官が出て来るんですよ。

人生の様々な悩みや苦しみあるいは喜びが凝縮されている非常に見応えのある面白い作品。まだ観たことがないという方はぜひ観てみてください。ぼくには恋愛要素より教官との関係性が印象に残りました。

さて、SF的要素があり「図書隊」という軍隊のような組織の中で上官にしごかれながら必死に頑張る新人を描いた物語が『図書館戦争』なのですが、実は一番大きいのはラブコメ的な要素だったりします。

主人公の笠原郁が何故「図書隊」を志望したかというと、昔自分と本を守ってくれた「図書隊」の王子様を追いかけたかったから。不器用で失敗ばかりだけれどとにかくまっすぐな笠原郁の奮闘記なのです。

王子様を追いかける笠原郁の純粋すぎる恋愛は、もうとにかくベタ甘な感じがあって、実は『図書館戦争』は、そのベタ甘な感じに乗れるかどうかで、賛否というか、読者の好みが分かれる作品なんですよ。

ぼく自身は正直笠原郁のテンションにちょっと乗れないところがなきにしもあらずだったんですが、まあ女性が主人公で追いかける対象が男性なだけに、女性読者の方が向いている作品なのかも知れません。

作品のあらすじ


新人の図書隊員である22歳の笠原郁は、教官である堂上篤二等図書正に怒鳴られながら、陸自払い下げの六十四式小銃を抱えながら走る訓練に勤しんでいました。いつも怒られるので堂上を嫌っています。

寮で同室の柴崎麻子は堂上教官の顔が結構好みだと言いますが、郁は「柴崎アンタ目―腐ってんじゃないの!? 何よあんなチビ!」(11ページ)と罵ります。郁が170センチ堂上は165センチだから。

午後からの格闘技訓練でもしごかれた郁は堂上の勝ち誇るような一言にかっとなってドロップキックをくらわし、辺りを騒然とさせます。しかし結局は堂上に腕ひしぎをかけられ、降参させられたのでした。

どんなに厳しい図書隊の訓練にもめげないのにはある理由がありました。郁は高校三年生の時に王子様と出会ったから。子供の頃好きだった童話の完結巻を買いに行った所、本屋に良化委員会が現れました。

次々と本が狩られていき郁が持っていた本も奪われそうになります。

「離せ! それとも万引きの現行犯で警察に行きたいか!?」
 投げつけられた恫喝に一瞬ぎくりと心が冷える。違う。万引きなんかじゃ、
 とっさに周囲の目を気にして見回すと、近くにいた初老の店長が痛ましい顔のままで首を横に振った。逆らうな。そう言っているのが分かった。
 分かってくれてる。そう思った瞬間、腹が括れた。
「いいわよ行くわよ! 店長さん警察呼んで! あたし万引きしたから! 盗った本と一緒に警察行くから!」
 盗った物がなければ万引きは立証できないはずだ。
 隊員が忌々しそうに舌打ちした。
「うるさい、離せ!」
 思い切り突き飛ばされて、――派手に尻餅をつく直前で支えが入った。振り向くとスーツ姿の青年が郁を片手で支えていた。
 そのまま床にへたり込んだ郁が見上げている前で青年は隊員に歩み寄り、有無を言わさず本を取り上げた。
「何をするキサマ!」
 いきり立った隊員の前で、青年は内懐から出した手帳のようなものを掲げた。
「こちらは関東図書隊だ! それらの書籍は図書館法第三十条に基づく資料収集権と三等図書正の執行権限を以て、図書館法施行令に定めるところの見計らい図書とすることを宣言する!」
(36~37ページ)


そうして正義の味方のように現れた青年は良化委員会の良化特務機関から本を守り「万引きの汚名を着てまでこの本を守ろうとしたのは君だ」(39ページ)と郁が欲しかった本を買わせてくれたのでした。

感動であふれた涙を拭った時には青年は姿を消しておりどんな人だったかよく覚えてはいないのですが「かっこよくてステキで凛々しくて頼もし」(42ページ)いあの人みたいになりたいと思ったのです。

あの憧れの王子様みたいになるために、そしていつか王子様に会える時まで郁はどんなに辛い訓練にもめげるわけにはいかないのでした。

教育機関が終わると普通の防衛員になるはずでしたが、なんと、優れた人材しか入ることが出来ない図書特殊部隊(ライブラリー・タクスフォース)に任命されたので驚きます。女性が入るのは全国でも初。

一緒に入ることになった同期の名は手塚光一、成績が極めて優秀でありプライドの高い手塚は、なにかとどじばかりの郁と自分とが同じレベルの人間だと思われるが不服で、なにかと郁に噛みついて来ます。

ずっと陸上部だったので運動能力は男子顔負けの郁でしたが、座学となるとてんで駄目で、一度聞いたことは確実に覚える手塚に呆れられてばかり。分類も覚えていないため、図書館業務でも失敗続きです。

何故上官たちから郁が目をかけられているのか理解に苦しむ手塚ですが、ワンマンプレーではあるものの、いざという時に動ける郁の行動力、そして決して曲げない信念を持っていることを認めていきます。

やがて財団法人『情報歴史資料館』が野辺山宗八前会長の死によって解散されることになりました。所蔵されていた資料は関東図書隊が引き取ることが決まりましたが、良化特務機関の横槍が入りそうです。

図書隊は「日野の悪夢」の再来とならないか、今回の件をを警戒していました。二十年前、日野市立図書館がメディア良化法を支持する政治結社によって襲撃され、十二名の図書館員が亡くなった事件です。

警察は図書館の出動要請に応えず、当時館長だった稲嶺和市は妻を失い、自らも銃撃によって右足を失いました。この事件をきっかけに稲嶺が中心となって自衛のための組織「図書隊」が創設されたのです。

『情報歴史資料館』からの資料の受け渡しは予定通り順調にいっていたのですが、稲嶺と郁が思わぬ危機に巻き込まれることとなり……。

はたして、絶体絶命の危機に陥ってしまった二人の命運はいかに!?

とまあそんなお話です。ぼくは以前司書をしていたので多少分かるのですが、見計らい図書って本当にあるんですよ。本屋さんが実際に本を持って来てくれて現物を見て所蔵するか否かを決めるというもの。

なので本来は全然重要な言葉ではないのですが、郁の憧れの王子様の「図書館法施行令に定めるところの見計らい図書とすることを宣言する!」はかっこいいですね。見計らい図書史上最高の言葉でしょう。

憧れ故にどんどん美化されていく王子様に郁は会うことが出来るのでしょうか。他にも気になる人が何人か出て来たりして、郁の図書隊員としての奮闘は勿論、不器用な恋愛の行方からも、目が離せません。

アニメや映画と様々なメディアミックスがされている言わずと知れた大ヒット作。ベタ甘な物語なだけに意外と好き嫌いは分かれる作品のような気もしますが、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、坂木司『和菓子のアン』を紹介する予定です。

坂木司『和菓子のアン』

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坂木司『和菓子のアン』(光文社文庫)を読みました。

みなさんは和菓子と洋菓子のどちらがお好きですか? どちらもそれぞれにおいしいので「両方!」という答えもありだと思いますが、ぼくはどちらかと言えば和菓子の方が好きですかね。特にわらびもち。

みなさんはおそらく、和菓子よりもシュークリームやロールケーキなど洋菓子を食べる機会の方が多いでしょう。和菓子は季節の行事や冠婚葬祭で食べる、なんだか地味なものという印象かも知れませんね。

さて、『和菓子のアン』はデパ地下の和菓子屋を舞台にやって来るお客に関するちょっとした謎を解決するというミステリ風味の作品。和菓子うんちくが色々出て来るので読むと和菓子が食べたくなります。

そこで東京近郊の方向けになってしまいますが、和菓子が食べられるおすすめスポットを紹介しましょう。葛飾区の柴又をご存知でしょうか。『男はつらいよ』シリーズでお馴染みの帝釈天がある所ですね。

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柴又は行ってみると結構楽しい所なので、ぜひ行ってみてください。飴を切るパフォーマンスが喝采をあびる飴屋さんとか、団子屋さんとかおせんべい屋さんとか、参道には色んなお店が立ち並んでいます。

帝釈天でお参りをした後は「寅さん記念館」へと向かうのが定番ですが、そのすぐ近くの江戸川にあるのが「矢切の渡し」。江戸時代からある渡し船で、伊藤左千夫の『野菊の墓』の舞台として有名ですね。

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というわけで、『男はつらいよ』を何本か観て、『野菊の墓』を読んでから柴又を訪れると、何も知らないより楽しめます。なので予習というとなんだか妙ですが、ぜひ観たり読んだりしていってください。

帝釈天から「寅さん記念館」に向かう途中にあるのが、「山本亭」。庭の景色を眺めながら、気軽に抹茶と和菓子が食べられるおすすめスポットがここ。落語や琴の演奏会などたまに催し物もやっています。

『和菓子のアン』を読んで和菓子が食べたくなった方は葛飾の柴又、そして「山本亭」に足を運んでみてはいかがでしょうか。東京スカイツリーや浅草などもわりと近いので、その辺もあわせて遊べますよ。

さて、肝心の『和菓子のアン』に話を戻さなければなりません。アルバイト店員として和菓子屋で働くアンこと梅本杏子は、和菓子をこよなく愛する社員の立花早太郎から、ある時こんなことを言われます。

「これは僕が修行してた店の師匠が言ってたことなんだけど、和菓子は俳句と似てるんだ」
「俳句?」
「そう。俳句は短い言葉でできた詩の中から、無限の広がりを感じることができる。でも知識がなくても言葉の綺麗さは伝わるし、知識があったらその楽しさはもっと広がる。ね、似てるでしょ?」
 たとえばススキのお菓子は私から見ても綺麗でおいしいけど、その由来を知ったら、心の中に嵯峨野の秋を見ることができる。
「しかも季語があったり、言葉あそびがあるところなんかもそっくり。今風に言うなら、物語を呼び起こすキーって感じなのかな」
「すごい。本当に似てますね」
 手のひらに乗るほどの小さなお菓子。でもその意匠に隠された背景を知ることで、次々に扉が開かれる。
 知りたい。私も目の前に開ける物語を自分で味わってみたい。不意にそんな欲求が自分の中にせり上がってきた。古典や歴史が死ぬほど苦手だった私だけど、今なら勉強してもいいかなと思う。
 だってきっと、知ることで和菓子はもっともっとおいしくなる。(173~174ページ)


知らなくても楽しめるけれど色々知っているともっと楽しめる和菓子の世界。アンと一緒に未知の扉を開いてみたい方はぜひご一読あれ。

作品のあらすじ


『和菓子のアン』には、「和菓子のアン」「一年に一度のデート」「萩と牡丹」「甘露家」「辻占の行方」の5編が収録されています。

「和菓子のアン」

家計のことを考えて、大学への進学を諦めた18歳の〈私〉梅本杏子は、やりたいことが見つからずに悩んでいました。アルバイト先をどこにしようか迷っている内に、ただ時間だけが過ぎ、焦り始めます。

157センチなのに58キロ。子供の頃から「コロちゃん」とあだ名されたほどぽっちゃり気味で恋愛にとことん縁がない〈私〉。唯一の楽しみと言えば食べること。そこで和菓子屋でのバイトを決めます。

そうして〈私〉は東京百貨店の地下にある『和菓子舗・みつ屋』で店長の椿はるか、先輩アルバイト店員で大学生の桜井さん、職人志望だという社員の立花早太郎と一緒に働き始めることとなったのでした。

ある時、会社の上司に頼まれたOLが和菓子を十個買いに来ます。その時は何種類か入れました。ところが次に来店した時は『おとし文』を一つと『兜』を九つ、一つだけ違うという妙な注文をされて……。

「一年に一度のデート」

杏子はきょうこと読むのですが、和菓子屋だからとあんこ、後にアンというあだ名になりました。椿店長や立花さん、桜井さんの意外な一面を見たこともあり〈私〉は少しずつ職場環境に馴染んでいきます。

七月六日に、大学生くらいの女の子のお客さんが来ました。七夕をモチーフにした上生菓子の『星合』を二つ買っていきますが「それにしても、ちょっと早いのよね」(103ページ)とぽつり洩らします。

八月。同じお客さんがやはり七夕の上生菓子『鵲』を買いますが、長時間持ち運びたいと言うのでした。ドライアイスを勧めた立花さんに対し保冷剤がいいと言う椿店長は思いがけないことを口にして……。

「萩と牡丹」

短い髪にサングラス、虎と龍の柄のセーターを着た、どこからどう見てもヤクザである五、六十代の男がお客としてやって来ました。こなしが欲しいと言われたので、梨の商品を探しますが見当たりません。

次は花札を出されましたが意味が分からずあんころ餅が欲しいと言われたのでおはぎを渡しました。「うまく半殺しになってるといいな、姉ちゃん」(184ページ)物騒な言葉を残し男は去っていき……。

「甘露家」

普段は遅番の桜井さんが、大学が忙しくてシフトに入れなくなり、代わりに〈私〉が遅番になりました。店の終わりまでいることで、初めて椿店長がロスを出さないよう発注を工夫していることを知ります。

今まであまり顔をあわせなかった他の店の人々とも知り合うようになり、フロア長より前からいるというお酒売り場の楠田さんや「金の林檎」という洋菓子屋の桂沢さんと、言葉を交わすようになりました。

ある時、桂沢さんはたくさんのケーキを持ち帰っていました。おいしそうだと思いましたが、社員割引を使うよう頼まれたらしく「兄ですよ」(266ページ)と桂沢さんはうれしくなさそうな様子で……。

「辻占の行方」

年が明けて、フォーチュンクッキーの元になったと言われる『辻占』の販売が始まりました。しかし、やがて一人のお客さんから、不思議な問い合わせが来ます。中に入っていたのが、全部同じ絵だったと。

調べたところお菓子自体は確かに「みつ屋」のものですが包装が違っていました。誰かが『辻占』の中身を入れ替えたようです。「みつ屋」の面々は、暗号じみた絵に込められた意味を考えていって……。

とまあそんな5編が収録されています。「みつ屋」の面々はそれぞれ秘密と言うと大袈裟ですか見た目からは想像出来ない性格を持っていて面白いです。特に立花さん。恋愛フラグが一瞬でかき消されます。

どの話も和菓子にまつわるあれこれが盛り込まれていて面白いですが特に印象的なのが「萩と牡丹」。なんといっても、「うまく半殺しになってるといいな」ですから。これは一体どんな意味なのでしょう。

あまり注目されることのない和菓子にスポットをあてた珍しい作品。和菓子に関するうんちくを色々知ることが出来て、読み終わったら和菓子屋さんめぐりをして和菓子を食べたくなる、そんな一冊でした。

明日は、奥田英朗『イン・ザ・プール』を紹介する予定です。
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