吉祥寺の朝日奈くん/祥伝社
¥1,680
Amazon.co.jp
中田永一『吉祥寺の朝日奈くん』(祥伝社)を読みました。ぼくが読んだのは単行本ですが、今は文庫本でも出ているようです。
5夜連続中田永一+山白朝子特集、第2夜は『百瀬、こっちを向いて。』に続く恋愛小説の短編集『吉祥寺の朝日奈くん』の紹介です。
この短編集の表題作「吉祥寺の朝日奈くん」は、2011年に桐山漣と星野真里共演で映画化されていますし、来年春には「百瀬、こっちを向いて。」も映画公開予定と、中田永一は注目されつつあります。
成熟した大人の恋愛というよりは、不器用な生き方しか出来ない男女の恋愛を、ややユニークな設定で描いた作品が多いのですが、ちょっとしたミステリ仕掛けになっているのが、中田永一の何よりの魅力。
まあ小説が一般にそうですが、特に恋愛小説というのは、大体物語の着地点というのは決まっていて、みなさんも読みながら、「こうなるんだろうな」という、おぼろげな予想を立てながら読むと思います。
AかBかさもなくばCかなと、そんな風に結末を予想しながら、読者は2人の恋を見守っていくわけですよね。ところが、この『吉祥寺の朝日奈くん』は、いい意味で予想が裏切られることが多かったです。
特にある作品なんか、一瞬頭が真っ白になって、椅子から転げ落ちそうになりました。いやあ、びっくりしましたねえ。ちょっと一風変わった恋愛小説を読んでみたい方に、とにかくおすすめの一冊ですよ。
前作『百瀬、こっちを向いて。』と比べると少し切なさの要素というか、しっとりした雰囲気が加わっているのが、とても印象的でした。
たとえば、「三角形はこわさないでおく」はそのままずばり親友と同じ女の子を好きになってしまう物語ですし、表題作の「吉祥寺の朝日奈くん」は一緒にいて幸せを感じる女性は、誰かの奥さんなのです。
よく行く喫茶店で働いている女性と献血ルームで会い、初めて会話を交わし、思いきってメールアドレスを聞いた朝日奈くん。ところが相手は「気づかなかった?」(243ページ)と何かを指すのでした。
「止血用のベルトですね」
腕の肘のあたりに、看護師のまいてくれたベルトが見える。
「ちがう。その先。指を見て」
「……何だろう、それ。僕には、よくわからないな。山田さん、指に、なにかついてますよ」
「指輪だってば」
彼女の左手の薬指には銀色のリングがはまっていた。ほんとうはずっと前に気づいていたけど、自分には見えないふりをしていた。彼女は居心地わるそうに言った。
「喫茶店ではたらいてるとき、これ、はずしてたから、しらなくて、当然だよね。そういうつもりで、声かけてるのだとしたら、ごめんね。それに、今から私が行くところ、わかる? 四時までに、保育園に子どもをむかえにいかないとだめなんだ。でも、まあ、メアドくらいなら、おしえても、旦那には怒られないかな? どうおもう、朝日奈くん」(243ページ)
彼女と距離が縮まらなくても嫌だし、かと言って、距離が縮まったらもっと心が痛む、そんな複雑な気持ちを描いた作品になっています。
タイトルの通り、朝日奈くんが住んでいる吉祥寺が舞台。吉祥寺は、ぼくもたまに行ったりする所なので、井の頭公園とか、朝日奈くんたちが歩く町の風景が目に浮かんできて、そんな所も面白かったです。
もしも親友と同じ相手を好きになってしまったなら? ずっと一緒にいたいと思える大切な相手が人妻だったなら? 恋愛のタブーを描いたと言っても過言ではない、胸が締め付けられるような恋愛小説集。
作品のあらすじ
『吉祥寺の朝日奈くん』には、「交換日記はじめました!」「ラクガキをめぐる冒険」「三角形はこわさないでおく」「うるさいおなか」「吉祥寺の朝日奈くん」の5編が収録されています。
「交換日記はじめました!」
ハレー彗星がテレビのニュースを騒がせていた、1986年。圭太と和泉遙は、周りに隠れてこっそりと、交換日記を交わしていました。好きなマンガやアニメの話をしたり、学校で起こった出来事について話したり。しかし、科学部の天体観測に参加した和泉遙は、圭太が2年生の部員の鈴原万里と親しげにしているのを見てしまったのです。
月日は流れ、ひょんなことからノートは次々と色々な人の手を渡っていくこととなり、それぞれが”現在”の出来事を綴っていって・・・。
「ラクガキをめぐる冒険」
春休みに実家に帰った時、押し入れで探し物をしていて油性マーカーを見つけた〈私〉は、初恋の相手である遠山真之介を思い出します。勇気を出して5年前に聞いた電話番号にかけてみますが、どうやら番号が違っていたようで、全然知らない相手にかかってしまいました。
高校時代、机に落書きをされて不登校になったクラスメイトがいました。不良たちの机にも落書きしてやろうと深夜の学校にもぐり込んだ〈私〉が会ったのが、同じことをしようとした遠山真之介で・・・。
「三角形はこわさないでおく」
体育の授業のバスケットで息がぴったりあったことから〈俺〉は容姿端麗でスポーツ万能、勉強も得意な白鳥ツトムと親しくなりました。負けたのが悔しいらしく、最後にパスしたことをツトムは責めます。馬があい、いつも一緒に過ごすようになった〈俺〉とツトムでしたが、ある時ツトムの様子がおかしくなりました。雨の日に猫を助けようとして会った同級生の小山内琴美に恋してしまったというのです。
女子にまったく興味がなさそうだったツトムが、クラスで目立たない小山内さんを好きになったのは意外でしたが、ツトムが距離を縮められないでいる内に、〈俺〉も小山内さんと話すようになって・・・。
「うるさいおなか」
高校2年生の〈私〉は、大きな音でおなかが鳴ってしまうのが何よりの悩みの種。空腹になると、より一層音が鳴ってしまうので、学校帰りにお菓子を買いに行こうとすると、同級生に話しかけられました。一度も話したことのない春日井君です。春日井君は〈私〉のおなかの音がよく聞こえると言い「人間の肉体ってやつは、まるで楽器みたいだよね」(195ページ)とわけのわからないことを言い出します。
〈私〉にとって、おなかの音のことを指摘されるのは、何より恥ずかしいことですし、それからも何かと春日井君が話しかけてくるので、目立つことの嫌いな〈私〉は、どんどん警戒心を強めていきました。
敵のことをよくしらねばとおもい、なかのいい女子に、春日井君のことをたずねてみた。女子の間で評判はよいらしいのだけど、温厚な友人が、だれかを悪く言うことはすくないので、あまりあてにはならない。(197ページ)
そんな〈私〉には、ずっと憧れている人、寺島先輩がいて・・・。
「吉祥寺の朝日奈くん」
〈僕〉はいつも行く喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読んでいました。不貞を働いた妻と浮気相手を旦那が芝刈り機で殺してしまったミステリで、いよいよ名探偵が真相を解き明かすクライマックスです。ところが店にやって来たカップルが激しいケンカを始めたので、それどころではなくなりました。挙げ句の果てには、怒った女性が投げた椅子が勢いよく飛んで来て、〈僕〉は鼻血を出してしまったのです。
鼻血の治療をきっかけに、名前を聞いた店員の山田真野と献血ルームで再会し、彼女は3歳の子供がいる人妻であることが分かりましたが、それからちょくちょくメールをやり取りするようになりました。
夢破れてのバイト暮らし、実家に帰るタイミングを失った25歳の〈僕〉と夫となんとなくうまくいかない26歳の山田真野。〈僕〉らは彼女の娘の遠野を連れ、吉祥寺を散歩するようになって・・・。
とまあそんな5編が収録されています。やはり「三角形はこわさないでおく」と「吉祥寺の朝日奈くん」がテーマ的にジレンマを含んでいて特に面白いですが、他の3編もかなりユニークな設定ですよね。
「交換日記はじめました!」は交換日記、「ラクガキをめぐる冒険」は机の落書き、「うるさいおなか」はおなかの音が物語の重要な要素になっているのですが、なかなかに着眼点が面白いと思いませんか?
思わず笑ってしまったり、なんだかしんみりさせられたり、そして思いも寄らない驚きがあったりと、読んでいて楽しい恋愛小説集です。ぜひ『百瀬、こっちを向いて。』とあわせて読んでもらいたい一冊。
5夜連続中田永一+山白朝子特集はまだ続きます。明日も中田永一で小学館児童出版文化賞を受賞した『くちびるに歌を』を紹介します。