くちびるに歌を/小学館
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中田永一『くちびるに歌を』(小学館)を読みました。
5夜連続、中田永一+山白朝子特集、第3夜は長崎県五島列島の中学校の合唱部を描いた中田永一の初長編を紹介します。この作品が小学館児童出版文化賞を受賞したことで、作者の正体が公になりました。
青春に欠かせないのは、やはり”仲間”でしょう。誰かと一緒に何かをするというのは結構大変なことで、ぶつかりあったり傷つけあったりしてしまうもの。それでも、仲間とでしか出来ないことがあります。
一つの目標に向かって努力する仲間との絆は美しく、青春小説では特にスポーツが題材にされることが多いですよね。スポーツはスポーツで面白いですが、この作品で描かれるのはスポーツではありません。
なんと、この作品で描かれるのはスポーツの部活ではなく、中学の合唱部。合唱部のみんなで、NHK全国学校音楽コンクール、通称Nコンを目指すという、まあある意味では、とても地味なお話なんです。
確かに地味なテーマで、ごく当たり前の中学時代を描いた、地味なストーリーの小説なのですが、それがかえってよくて、読みながらじんわり感動させられてしまう作品でした。すごくおすすめの一冊です。
考えてみれば合唱というものほど、みんなで心を一つにしないといけないものはないんですよね。スポーツのようにものすごく才能のある誰か一人が、チームを引っ張っていけるというものではありません。
この作品の合唱部はずっと女子だけでやっていたのに綺麗な先生がやって来たことでミーハーな男子が加入し、そのせいでみんなの心がばらばらになってしまいます。それだけでもう惹きつけられますよね。
2008年のNHK全国学校音楽コンクールの課題曲は15歳の〈僕〉が未来の自分に手紙を書くという内容でロングセラーになったアンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ~」だったそうです。
手紙~拝啓 十五の君へ/ERJ(SME)(M)
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『くちびるに歌を』の中で、合唱部が一生懸命に取り組むのがこの「手紙」で、歌詞をよく理解するために実際に未来の自分に向かって手紙を書いてみようというのが、物語の重要な要素になっています。
合唱部の誰もが主人公と言える作品ですが、語り手は2人いて、父親の浮気で家庭が崩壊し、男性を嫌悪している〈私〉仲村ナズナと、自閉症の兄を持ち、他人とうまく付き合えない〈僕〉桑原サトルです。
桑原サトルは突然話しかけられると頭が真っ白になってしまい、うまく返事が出来ないタイプ。そのことを後から思い出して反省し、顔を真っ赤にすることもしょっちゅうです。休み時間は寝て過ごします。
朝から夕方までひとりで過ごし、クラスメイトと言葉を交わすこともない。いわゆる、ぼっち状態である。ぼっち状態とは、説明するまでもないけれど、ひとりぼっちのことだ。僕は、ぼっちのプロであり、修学旅行でも、体育で二人組をつくれと言われたときも、いついかなるときも、ぼっち状態をすばやく完成させてきた経歴をもっている。(16ページ)
そんな長年の”ぼっちのプロ”桑原サトルが、ちょっとした勘違いをされてみんなで心を一つにしなければいい歌を歌えない合唱部に入ってしまうのです。これはもうどうなるのか目が離せない展開ですよね。
それぞれの悩みを抱えた合唱部の生徒たち。コンクール本番までのわずかの時間に、みんなの心を一つにすることは出来るのでしょうか。
作品のあらすじ
長崎県五島列島にある中学校。〈私〉仲村ナズナたちは、合唱部の顧問である30歳の女性音楽教師、松山先生を慕っていましたが、出産を間近に控えた松山先生は、産休を取ることになってしまいました。
そこで臨時教師としてやって来たのが、松山先生の親友の柏木先生。音大を出た後、東京でピアニストとして活動していた柏木先生は背が高く、きれいな黒髪を持つ女性で、たちまち男子の人気を集めます。
松山先生に昔の神童ぶりを称えながら紹介された柏木先生は「昔の話だ。今はニートだよ。Wiiリモコンをふりつづける私を見かねて、ハルコが地元に呼びつけたってわけ」(25ページ)と言うのでした。
泥まみれの軽トラックに乗って学校に通ったり、やる気があるのかないのか分からなかったりしながらも、独特の雰囲気を持つ柏木先生に惹かれて、今まで一人もいなかった男子が合唱部に入部してきます。
男子と一緒に練習したくない〈私〉は、幼馴染の向井ケイスケや三田村リクが先生目当てで入部したことに腹を立てますが、部長の辻エリは、真面目に活動してくれれば動機はなんでもいいと言うのでした。
***
人付き合いが苦手でいつも一人ぼっちでいることに慣れている〈僕〉桑原サトルでしたが、3年になっても、やはり一人ぼっちのまま。
ある時、担任の塚本先生から「ちょうどよかった、おい、桑山。おい、桑山! 無視すんな!」(50ページ)と声をかけられます。呼び間違えられた名前を訂正した〈僕〉は用事を押しつけられました。
渋々、第二音楽室まで合唱部の備品とやらを運んでいくと、入部希望者と間違われて、柏木先生から用紙を渡されてしまいます。困った〈僕〉は断ろうとしますが、はっとあることに気が付いたのでした。
そこにいたのは〈僕〉がひそかに思いを寄せる長谷川コトミ。「これからよろしくね。わからんことあったら、なんでも聞いて。教えてやるけん!」(55ページ)と言われて、つい入部してしまいました。
困ったのは〈僕〉には自閉症の兄がおり、放課後には工場まで迎えに行かなければならないこと。迎えに行く人が変わると兄は困ってしまうのです。三年生なこともあり、両親から反対されてしまいました。
諦めようと思った〈僕〉でしたが、長谷川コトミから借りた課題曲「手紙」のCDを聴いてやはりどうしてもやりたいと思ったのです。
毎日でなくてもいいから合唱部に参加したいと言うと、母が認めてくれました。兄の迎えは毎日自分がやるから、練習に参加しなさいと。
「おむかえにいくのも、たのしみばい。お父さんは、私が説得しとくけん、サトルは部活に行かんね」
「よかと?」
「部活にでもはいらんば、あんた、友だちもできんばい。あんたが結婚するとはもうあきらめとるけどね、友だちくらいはできんといかんばい」
なんだかいろいろとひどいけど、全体的には母の気持ちがつたわってきた。
「うん、ごめん」
「あんた、ごめんち言うとはやめんね。そういうときは、ありがとうち言うとよ」
「そうか、ありがとう」(76ページ)
ずっと友達がいなかった〈僕〉でしたが、同じ時期に合唱部に入部した向井ケイスケや三田村リクがなにかと話しかけてくれるようになり、少しずつ親しくなっていきます。練習にも一生懸命励みました。
裏山で練習すると心地よかったのですが、山のなかにおかしな鳴き声の動物がいると怖れられてしまったので、「一人で山に入って、そいつにおそわれたらこわか」(101ページ)と誤魔化してやめます。
やがて長谷川コトミには、恋人がいるらしいことが分かって・・・。
***
柏木先生目当てで、合唱部に入部して来た男子たちは練習に対して不真面目で、女子生徒の間から不満が巻き起こっていました。男子を除いて、女子だけでコンクールに出ようという話も出て来たほどです。
男性を毛嫌いする〈私〉も反対派に属していましたが、ある時向井ケイスケから脅されて方向転換を余儀なくされます。向井ケイスケは、〈私〉が小学2年生の時に書いたラブレターを持っていたのでした。
「これば公にされたくなかったら、部活んとき、俺らんことばあんまりぐちぐち言うなよ」(99ページ)と言われてしまったのです。
男子が入って来たことにより、ばらばらになってしまった女子たち。色々な考えでぶつかりあいながらも合唱部は練習を続けていきます。
柏木先生は課題曲がより理解できるようにと、誰にも見せなくていいから、未来の自分にあてて手紙を書きなさいと宿題を出して・・・。
はたして、7月末のコンクールまでのわずかな時間に、合唱部みんなの心は一つにまとまるのか!?
とまあそんなお話です。合唱部の中で、様々な衝突があったり、恋愛のあれこれがあったりする物語です。描かれているのはありふれた出来事ながら、展開が気になってつい物語に引き込まれてしまいます。
ぼくは一人で本を読むのが好きなタイプで、あんまり集団で何かを目指すという経験がないだけに、こういう話ってなんだか無性に感動させられてしまうんですよ。「ああ合唱っていいなあ」と思いました。
物語で描かれているのは合唱というやや地味なものですが、青春時代に誰もが経験する辛さや苦しみ、そして、楽しさや喜びが描かれた作品なので、誰もが夢中になって読むことの出来る小説だと思います。
興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
おすすめの関連作品
”くちびるに歌を”というのは、松山先生が生徒たちにいつも言っていた言葉で、ツェーザル・フライシュレンというドイツの詩人の、日本では「心に太陽を持て」として知られている詩が元になっています。
その詩を有名にしたのが、山本有三の作品集『心に太陽を持て』。
心に太陽を持て (新潮文庫)/新潮社

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子供たちのために、道徳的に素晴らしい実話を集めたものです。素直に感動させられる一冊なので、ぜひ、あわせて読んでみてください。
5夜連続中田永一+山白朝子特集はまだ続きます。明日からは山白朝子で、まずは『死者のための音楽』を紹介する予定です。