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藤沢周平『竹光始末』

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竹光始末 (新潮文庫)/新潮社

¥546
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藤沢周平『竹光始末』(新潮文庫)を読みました。

いい機会なので、昨日紹介した吉川英治の『宮本武蔵』との比較から、藤沢周平の魅力に迫ってみることしましょう。宮本武蔵は言わばヒーローです。言うまでもなくヒーローは一般人とは違いますよね。

心情として理解出来る部分があったり、宮本武蔵に感情移入したりするなど、物語に入りこみながら読むことはあるでしょうけれど、自分と宮本武蔵とを同一化することはあまりないのではないでしょうか。

つまり、『宮本武蔵』を読む面白さというのは、「自分はヒーローではないけれど、まるでヒーローのような気分になることが出来る」という所にあるのです。娯楽としてこれほど楽しいことはありません。

吉川英治は講談(物語を話す話芸)の流れを汲んでいるので、資料通りではなく、自由な発想で登場人物を作り、動かす作家ですが、歴史上の偉人を描くことの多い歴史小説は概ねそういう魅力があります。

一方、藤沢周平がよく描くのは、ごくありふれた藩(よく舞台になるのは、海坂藩という架空の藩です)のごくありふれた人々。歴史上の偉人でもなければ、なにかを成し遂げるヒーローでもないのでした。

たとえば、この短編集に収録されている「恐妻の剣」の主人公である馬場作十郎は、かなり剣の腕が立ちます。かなり剣の腕は立つのですが、なにしろ戦のない江戸時代。使う機会は、ほとんどありません。

その腕が認められてたくさんの縁談が申し込まれたものの、結婚した相手の初江は次第に到底出世は見込めない夫を侮るようになり、二人の子供も自然と父親のことを軽く見るようになっていったのでした。

爪を切れば、「まだ爪を剪っておいでですか。よほど長い爪とみえますなあ」(56ページ)と初江にちくりとやられ、水を飲めば飲んだで、植木は水がもらえないで可哀想だとまたちくちくとやられます。

子供の教育方針で揉めた時も、結局は押し切られてしまいました。

 雄之進が十二になったとき、作十郎は別部道場に通わせようと考えた。だが初江はそれに反対し、それまで通っていた学問所にそのまま通わせる方がいいと言い張った。
 強硬に言い張ったあと、初江は夫の顔を見ながら、止めを刺すように言ったのである。
「一刀流など習っても、馬場の家の扶持が一俵でもふえるわけがありませんでしょ」
 扶持のためではなかろう、侍の嗜みだ、と怒鳴りかけたが作十郎はやめた。
 言っても初江に通じるはずがない、としみじみ無力感にとらえられたのと、一方初江の言うことも一理はあるという気がしたのである。(61ページ)


この場面を読んで、「ああ、なんだかよく分かるなあ」と身につまされる感じがあった方は、ぜひ藤沢周平の小説を読んでみてください。

そう、実は藤沢周平の小説というのは、組織で生きる窮屈さという点では、藩をそのまま会社に置きかえればビジネス小説になるのであり、また家庭の問題はそのまま現在でも通用するものがあるのです。

なので決してずば抜けたヒーローが描かれない藤沢周平の小説の最大の魅力というのは、等身大の人間が描かれているということにあり、また、読みながら登場人物と自分とを重ねられる所にあるのでした。

そして、ポイントとなるのは、馬場作十郎の窮屈な境遇は多くの読者の圧倒的な共感を呼ぶはずですが、その上で、作十郎の剣の腕が光る瞬間がやって来ること。これがもう、たまらない展開なわけですよ。

「ぼくたち・わたしたちと同じだ!」と引き込ませておいてからのシャキーン、ズバババッ! なわけで、これはもう痛快無比としか言いようがないわけです。というわけで、そんな藤沢周平の短編集です。

作品のあらすじ


『竹光始末』には、「竹光始末」「恐妻の剣」「石を抱く」「冬の終りに」「乱心」「遠方より来る」の6編が収録されています。

「竹光始末」

木戸を守る藩士は、二人の子供を連れた夫婦の姿がみすぼらしいことに驚き、それから、妻女の美貌にど肝を抜かれます。一家は仕官の口を求めて、会津からこの海坂藩まで、はるばるやって来たのでした。

35、6歳の浪人である小黒丹十郎は、物頭をつとめる柘植八郎左衛門への紹介の書付を持って来たのですが、八郎左衛門からすると、大した知り合いからのものではなかったので対処に困ってしまいます。

城内の宿に泊まっている丹十郎一家は宿代はもちろん踏み倒しており、食うにも困る状況。どうにも困り果てていた時、剣の腕が買われて上位討ち(主君の命で罪人を討つこと)の話が持ち込まれて……。

「恐妻の剣」

七十石、無役の馬場作十郎の勤めは、大手門と南門の警備。かなり剣の腕が立つものの、この平和な時代にはなんの役にも立たず、妻の初江からは侮られていて、しょっちゅう皮肉や小言を言われています。

舅の策略で、半ば無理矢理に結婚させられてしまった初江とではなく、縁談が持ち込まれていた、美人と評判の加矢と結婚していたらどうだったのだろうと、ぼんやり考えることもある作十郎なのでした。

やがて、藩で預かっていた、苛政が明るみに出て領地を没収された平岩三万石、興津兵部の家臣二人が逃げ出します。監視不行届と見なされぬよう、作十郎がひそかに追っ手として任命されたのですが……。

「石を抱く」

石見屋で奉公をしている直太は、主人の新兵衛が妾の所へ行くのに付き従ったりしますが、後添えで25歳ほどのお仲を放ったらかしにし、30歳ほどのおえんに会いに行く主人の気持ちが分かりません。

ある夜、痛みで苦しんでいるお仲の腹をさすってやりました。痛みがおさまったというので、直太が帰ろうとすると、腕をつかまれます。

 お仲の眼に、これまで見たことがない、限りなく優しいいろが溢れているのを、直太は感じた。
「どうせ、身体をみられてしまったのだもの」
 お仲はゆっくり言った。直太は横たわっている白い裸身をみた。仰向けになっても、そそり立つように高い、二つの乳房があった。そしてなめらかな脂肪に光りながら、形よくくびれた銅があり、盛り上がる腰は二布の中に隠れている。
 有夫の女と通じれば男は引き回しのうえ獄門、女も死罪である。直太には二つの乳房にはさまれている淡い翳りが、眼の眩むように底深い谷間に見えた。この美しい体を盗めば、あとは真逆さまに谷間に落ちて行くしかなかった。直太は微かに身顫いした。
「こわいかえ?」
 お仲は横たわったまま、謎めいた微笑を浮かべた。
(116ページ)


お仲には、なにかあると店にやって来てはお金をせびる、菊次郎という遊び人の弟がいました。直太は、お仲を守る方法を考え始め……。

「冬の終りに」

二両の元手で五十両を稼いだ磯吉は、賭場から慌てて逃げ出しました。闇にひたひた響く足音からどうやら追っ手が来ているようですが、うずくまって隠れている所にやって来た女に匿ってもらえます。

磯吉は同じ職人で、賭場を教えてもらった富蔵から、五十両を持って男が逃げたと大騒ぎになっているという話を聞きました。一時だけ儲けさせようとしていた所、途中で男は消えてしまったというのです。

磯吉はそれは自分ではないと誤魔化しました。助けてくれた女お静の子供が病気で、五十両の内の十両はもう使ってしまっていたから。それからお静の元にちょくちょく通うようになった磯吉でしたが……。

「乱心」

ここの所、道場仲間の清野民蔵の様子がおかしいのを、新谷弥四郎は心配していました。病気だと言って、道場にも滅多に姿を現さないようになっていたからです。弥四郎には思い当たることがありました。

清野の妻女で、美貌で知られる茅乃が、清野の上司にあたる三戸部と不義を働いているという噂が、藩内で流れたことがあったのです。その噂のせいで清野は沈んでいるのかも知れないと弥四郎は思います。

やがて弥四郎、清野、三戸部は出府(参勤交代で江戸に出ること)を命じられますが、弥四郎の元を茅乃がやって来て「出府を辞退するということは、出来るのでしょうか」(203ページ)と尋ねて……。

「遠方より来る」

曾我平九郎という髭面の大男が訪ねて来たので、三崎甚平は驚きます。何に驚いたかってそれがまったく見覚えのない相手だったから。

「思い出せんか。そうか。長いこと会っとらんから無理もないわ」
「まことにもって、その……」
 甚平はうつむいた。相手の正体は、まるっきり模糊としているが、その口ぶりを聞けば、薄笑いの次は恐縮してみせるしかない。
「曾我じゃ。曾我平九郎じゃ。どうだ、思い出したか」
 相手は勢いこんで言った。隣の家に筒抜けだろうと思われる大声である。名乗りおわると、髭男は眼を丸くし、大きな口を半開きに笑わせた顔を、甚平に突きつけた。どうだ、驚いたかといった思い入れだが、甚平はいっこうに驚けない。まだ思い出せなかった。
(239ページ)


よく話を聞くと、12年前の大阪攻めの時に確かに会ったことのある男で、結局は役に立たなかったものの、ちょっとした恩を受けたことのある相手でした。平九郎は飯を食い、そのまま泊まっていきます。

そして困ったことに平九郎はそのまま住みついてしまったのでした。とにかく大飯ぐらいで、なにかと騒々しいので、妻の好江からせっつかれて、平九郎の仕事を見つけるべく甚平は奔走するのですが……。

とまあそんな6編が収録されています。暗い中に微かな光が見えるような、短編集全体の毛色とは違いますが、とにかく面白いのが「遠方より来る」。あまりよく知らない知人が住みついてしまうんですよ。

時代錯誤の豪傑とも言うべき平九郎は、平凡ながら落ち着いていた甚平の生活をかき乱すのです。元々は士分の身ながら、足軽の生活を余儀なくされている甚平の事情も重なり、笑った後ほろりとくる名編。

「竹光始末」「恐妻の剣」「乱心」の3編は藤沢周平らしさを感じさせてくれました。「石を抱く」は禁断の関係にぞくぞくさせられる短編、そして「冬の終りに」は股旅物を思わせる作品になっています。

どの短編も面白いものばかり。藤沢周平が好きと言う方は勿論、これから読んでみたいという方にもぜひ手に取ってもらいたい一冊です。

明日は、山本周五郎『赤ひげ診療譚』を紹介する予定です。

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