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フェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』

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犯罪/東京創元社

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フェルディナント・フォン・シーラッハ(酒寄進一訳)『犯罪』(東京創元社)を読みました。

文学に詳しい選考委員ではなく、書店員の投票によって決まる珍しい文学賞、本屋大賞。第9回にあたる2012年からは、海外の小説の大賞も決めようじゃないかと、「翻訳小説部門」が創設されました。

その第一回「翻訳小説部門」で見事第一位に選ばれたのが、今回紹介する『犯罪』です。海外の小説の新刊というのは、古典的名作と違って実は話題になりづらいものなので、とてもいい企画だと思います。

本国ドイツでもかなり注目されていたようで、ぼくはドイツの文学賞に詳しくないので正直ピンと来ない感じもありますが、クライスト賞・ベルリンの熊賞・今年の星賞の三冠を達成しているそうですよ。

作者のフェルディナント・フォン・シーラッハはかなり異色の経歴の持ち主で、なんと現役の弁護士。刑事事件を専門にする高名な弁護士だそうですが、実際に経験した事件を元に、小説を書いたんですね。

現在までに翻訳されているのが短編集の『犯罪』と『罪悪』、長編の『コリーニ事件』の三作。それをどどーんと一気にやってしまおうじゃないかというのが、今回の「3夜連続シーラッハ特集」なのです。

さて、実際に読んだ感想を書いていこうと思いますが、この作品に何を期待して読むかで、作品の評価は変わってくるだろうと思います。

犯罪が扱われているという点で、おおまかに言えばミステリですけれど、どんでん返しのようなものを期待すると、淡々と事実だけが書かれるドキュメンタリータッチの作品なので、肩透かしを食らいます。

なので、ミステリファンからすると、やや物足りなく、あまり評価は高くないだろうと思います。しかしこの作品の最大の魅力は実はミステリ要素ではなく、犯罪を通して人生が描かれることにあるのです。

読みながらぼくが連想させられていたのは、ロシアの作家アントン・チェーホフや、「現代のチェーホフ」と評されるカナダの作家で、今年度のノーベル文学賞受賞者であるアリス・マンローの短編でした。

それぞれの短編で例をあげるなら、チェーホフの「ねむい」、マンローの「次元」と作風の共通点があります。なので、シーラッハにハマった方は、チェーホフやマンローも読んでみてはいかがでしょうか。

あるいは「メグレ警視」シリーズで有名なフランスの作家ジョルジュ・シムノンとも、淡々とした筆致、ささいな出来事がきっかけで平凡だった人生の歯車が狂うという点で、かなり共通点が見出せます。

河出書房新社から「シムノン本格小説選」というシリーズが出ているのでぜひ。そうですね、たとえばひょんなことから大金のスーツケースを手に入れた男の物語である『倫敦から来た男』がおすすめです。

倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】/河出書房新社

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とまあそんな風に、『犯罪』はどちらかと言えば文学よりの短編集。文学が好きという方、軽いミステリではなくリアルで重厚な犯罪小説が読みたいという方にとってはこれほど面白い一冊はないでしょう。

作品のあらすじ


『犯罪』には、「フェーナー氏」「タナタ氏の茶盌」「チェロ」「ハリネズミ」「幸運」「サマータイム」「正当防衛」「緑」「棘」「愛情」「エチオピアの男」の11編が収録されています。

「フェーナー氏」

高名な医者として、長年人々から信頼されて来たフェーナー。その人生に特筆すべきものはありませんでした。イングリットの件をのぞいたなら。イングリットと出会ったのは24歳、まだうぶな時でした。

3歳年上のぽっちゃりした田舎風の美人イングリットの性的奔放さに惹かれて結婚したフェーナー。初めこそうまくいっていたものの、次第にイングリットは何かにつけてヒステリックになっていって……。

「タナタ氏の茶盌」

サミール、マノリス、オズジャンの3人は掃除婦の手引きによってダーレム地区にある豪邸の金庫を奪うことに成功しました。一方、金庫の持ち主で、77歳のタナタ・ヒロシは壁の穴をじっと見つめます。

タナタ氏は茶盌の買い取りを持ち掛けられたら自分がその茶盌をより高く買う、ただし売り主の名前を教えてほしいという情報を流しました。やがて茶盌で儲けようとした者が次々と虐殺されていって……。

「チェロ」

母親を早くに亡くし、建設会社を経営する富豪の父親タックラーからはあまり愛情を注がれずに育ったテレーザとレオンハルトの姉弟。テレーザの音楽大学への入学を理由に、二人は家を出ることにします。

病気とそれに伴うバイク事故でレオンハルトは体中に壊疽を起こし、記憶をなくしました。自分のことすら分からないレオンハルトは、看病するテレーザを美しい女と見て性的欲望を抱くようになって……。

「ハリネズミ」

犯罪者一家に育ったカリム。当然カリムも犯罪者になるだろうと思われていましたが、ひそかに勉強を重ね、株などでまっとうな利益を得るようになりました。周りはみな麻薬売買で儲けたと思っています。

ある時、兄ワリドが質屋の強盗容疑で捕まってしまいました。みんな自分が嘘の証言をすると思っている、だからこそ兄の刑務所暮らしは阻止できるはずだと思ったカリムは、起死回生の一手を考えて……。

「幸運」

故郷で兄を殺され、兵士たちに輪姦されたイリーナはドイツに亡命し、生きていくためにやむをえず娼婦になります。やがてカレという男と一緒に暮らし始めました。お互いに過去については語りません。

ある時、胸に痛みを感じた客がサービス中に死んでしまいました。途方に暮れて外出したイリーナ。一方、死体を発見したカレはイリーナが殺してしまったと思い込み死体を解体して埋めることにして……。

「サマータイム」

カジノにはまって悪い相手に借金をしてしまったアッバス。返済が滞ると、指を切られてしまいまいました。アッバスのためにお金を稼ごうと思った恋人のシュテファニーは、恋人募集欄に広告を出します。

そうして出会った実業家ボーハイムと性的関係を結ぶようになったシュテファニー。その変化にやがてアッバスは気付きます。ある時ホテルの部屋でシュテファニーが惨殺され、ボーハイムが捕まって……。

「正当防衛」

見るからに悪党面のレンツベルガーとベックは、駅のホームで真面目そうな男を見つけ、ナイフをちらつかせてからかい始めました。ところが揉みあう内に二人ともナイフで刺されて死んでしまったのです。

取り調べが始まりますが、男は何も喋りません。指紋は登録されておらず、身分証明書も不所持。奇妙なのは、衣服にメーカー表示がないこと。靴下や下着までも。必死で男の正体を探ろうとしますが……。

「緑」

羊を何頭も殺し目玉をえぐったことで、19歳のフィリップが調べられることになります。警察が家の中を調べた所、浴室のゆるんだタイルの中から、ザビーネという16歳の少女の写真が見つかりました。

そして、その写真のザビーネの目はくり抜かれていたのです。ザビーネの親に慌てて連絡すると、ザビーネは女友達の所に出かけているとの返事。警察は戦慄を感じながらザビーネの行方を追い始めて……。

「棘」

ちょっとした手違いで配置転換もないままにずっと同じ場所を警備することになった市立古代博物館の警備員フェルトマイヤー。ある時から、「棘を抜く少年」という像が気になって仕方がなくなりました。

岩に腰掛けた裸の少年が左足を右膝にのせて棘を抜こうとしている像ですが、棘が抜けたのかどうか気になってしまうのです。やがては発汗や激しい動悸が起こり、寝る時にはうなされるようになって……。

「愛情」

同じ大学で出会い、付き合い始めて2年経った今でも愛し合っているパトリックとニコル。情事のあとニコルのむき出しの肌、背骨、肩甲骨を指でなぞりながらパトリックはヘッセの詩を朗読していました。

パトリックが本を置いたので愛撫をしようとしたニコルは背中に痛みを感じ、悲鳴をあげて手を払いのけます。すると床に落ちたのはアーミーナイフだったのでした。やがてこのことは警察沙汰となり……。

「エチオピアの男」

捨て子で、辛くみじめな人生を送って来たミハルカは、銀行強盗で手にした大金を抱えエチオピアへと渡りました。コーヒー農園で熱病にかかってしまったのですが、看病してくれたアヤナと恋に落ちます。

二人の間には子供も生まれ、幸せな人生を送っていたのですが、やがてミハルカは銀行強盗の罪でドイツに送還されてしまいました。家族の元に戻りたいと思うミハルカですが、村の住所すら分からず……。

とまあそんな11編が収録されています。極めて異常な事件や、陰惨な出来事が描かれた短編が多いのですが、それがかえって人生というものを、そのまま描いているようでもあって、深い印象が残ります。

特に心に残ったのが、「幸運」。砂漠でオアシスを見つけたように、ようやく自分の居場所を見つけたイリーネに起こった不運な事件。もし通報すれば、ドイツを追い出されてしまう恐れがあるわけですね。

イリーネを守るために死体を解体し、埋めることにしたカレ。この後二人は一体どうなってしまうのでしょう? お互いの過去について語らず、寄り添いながら暮らしていた二人から目が離せなくなる作品。

すさまじい迫力で思わず話にのめり込まされてしまったのが「棘」。あることがどうしても気になってしまう、その感じは分からないでもないだけに、こちらまで頭がくらくらさせられる感じがありました。

痛快さがあり、一番面白かったのは、「ハリネズミ」。家族全員悪党という中で育ったカリムですが、頭がよく、隠れてまっとうな人生を歩んでいます。兄を守るために考えた起死回生の一手にぜひ注目を。

どことなく奇妙な事件が、淡々とした筆致で綴られていく作品集。ミステリ要素は少なくどちらかと言えば文学よりですが、それだけに登場人物たちの人生が胸に残る、とても印象深い一冊になっています。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

「3夜連続、ドイツ・ミステリの新星! フェルディナント・フォン・シーラッハ特集」。明日は、第二短編集『罪悪』を紹介します。

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