罪悪/東京創元社
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フェルディナント・フォン・シーラッハ(坂寄進一訳)『罪悪』(東京創元社)を読みました。
ドイツの現役弁護士であり、実際の経験を元に描いた犯罪小説集『犯罪』で鮮烈なデビューを飾ったシーラッハの第二短編集が、今回紹介する『罪悪』。前作のファンは勿論楽しめる一冊になっていますよ。
まずまっさきに気が付くのは、本自体の厚さは200ページ前後とほとんど変わらないのに、前作と比べて収録短編の数が少し多いこと。
すなわち前作に比べて短い短編も収録されているというわけです。そしてその短い短編、たとえば「解剖学」「司法当局」「秘密」は、ブラックな雰囲気ながらユーモアが感じられるものになっていました。
犯罪を通して人生そのものが描かれていた前作に対し、今作では法では解決しきれない罪の複雑さを描いているように感じます。そしてその複雑さは、ユーモアや奇妙さ、そして衝撃を呼び起こすのでした。
『罪悪』を読んでいてぼくが連想したのは、ロアルド・ダールの『あなたに似た人』という本。”奇妙な味”と評されるちょっと奇妙な話が集められた短編集ですが、そのテイストに似ている部分があります。
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『罪悪』が気に入った方は『あなたに似た人』を、『あなたに似た人』が好きな方は『罪悪』を読んでもらいたいと思いますが、一方でクライム・サスペンスを思わせる作品もいくつか収録されています。
中でも面白いのがロシア人とのクスリの取引をめぐる「鍵」。思わぬことが思わぬ事態を引き起こし、それがさらにおかしな展開に繋がり二転三転するという『パルプ・フィクション』を思わせる話でした。
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最後に誰が儲けを総取りするか分からない、こういうスリリングなクライム・サスペンスがぼくは元々大好物なので、かなり面白く読みました。思わぬ展開の連鎖は犯罪版「風が吹けば桶屋が儲かる」です。
クスリの取引と言えば、麻薬密売人にまつわる事件を通して老人と若い女性の奇妙な交流を描く「雪」も忘れられない印象が残りました。
記録文書を思わせる淡々な筆致で紡がれるユーモアや陰惨な事件。ハマれば結構病み付きになってしまう感じがあります。それぞれ独立した短編集なので『犯罪』よりも先にこちらを読んでも大丈夫ですよ。
作品のあらすじ
『罪悪』には、「ふるさと祭り」「遺伝子」「イルミナティ」「子どもたち」「解剖学」「間男」「アタッシュケース」「欲求」「雪」「鍵」「寂しさ」「司法当局」「清算」「家族」「秘密」の15編が収録されています。
「ふるさと祭り」
小さな町の六百年祭。町の住人たちからなる楽団員たちは、みな白粉に口紅、つけひげで扮装をしていました。転んでビールを浴びた給仕の娘の裸がTシャツに浮かび上がると、突然みなで襲い始めて……。「遺伝子」
家を出てこじきをしている17歳の少女ニーナと、同じく駅で暮らしていて知り合った24歳の青年トーマス。60歳から65歳くらいの老人に、家に誘われますが、ふとしたはずみで殺してしまって……。「イルミナティ」
人付き合いの苦手なヘンリーは寄宿学校で出会った美術の女性教師に絵の才能を認めてもらえます。ところがイルミナティを名乗るグループに目をつけられ、陰惨ないじめのターゲットになってしまい……。「子どもたち」
29歳の妻ミリアムと幸せな家庭を築いていた38歳のホールブレヒト。しかし「二十四件の児童虐待」容疑で捕まってしまったことでホールブレヒトの人生は一変。三年半の禁錮刑の判決が下されて……。「解剖学」
勇気を振り絞って声をかけたのに「タイプじゃないわ」と冷たくあしらわれ恨みに思った男は、女を殺す計画を立てました。解剖する道具などすべての準備を整え、後は計画を実行に移すだけでしたが……。「間男」
高級紳士服店を経営する48歳のパウスルベルクと弁護士である36歳の妻。二人はいつしか妻が他の男と関係することに興奮を覚えるようになっておりその秘密の楽しみはうまくいっていたのですが……。「アタッシュケース」
ベルリンの環状高速道路で見回りをしていた婦警は、一台の車のトランクを調べます。すると死体の写真が入ったアタッシュケースが見つかりました。運転手は自分は運ぶよう頼まれただけだと言って……。「欲求」
幸せな家庭を築いているもののいつしか自分をからっぽだと思うようになった彼女は、ストッキングの棚の前で三十分も立っていました。やがて一足をコートに押し込んで、レジを通り抜けたのですが……。「雪」
特別出動コマンド(SEK)に突入され麻薬密売の容疑で捕まった老人。老人は確かに千ユーロで、ブツを小分けしたい密売人に部屋を貸していたのです。やがて見知らぬ若い女性が面会にやって来て……。「鍵」
フランクとアトリスはクスリで儲けるためにロシア人と取引しようとしていました。お金を入れた駅のコインロッカーの鍵を預かるのがアトリスの係でしたが、飼い犬バディが鍵を飲み込んでしまって……。「寂しさ」
14歳のラリッサは、隣のアパートに住んでいる父の友人のラックなーに脅され、無理やりに乱暴されてしまいました。やがてラリッサは体調が悪くなり、吐き気やめまい、腹痛を感じるようになって……。「司法当局」
飼い犬同士の争いがケンカに発展し加害者タルンが探されますが、犬も飼っておらずそもそも蹴ったとされているのに足が悪いトゥランが捕まってしまいます。しかしトゥランは何も行動しようとせず……。「清算」
やさしい夫との間にザスキアという娘が生まれ、幸せに暮らしていたアレクサンドラ。しかし夫は酔っぱらうとアレクサンドラに暴力をふるうようになったのです。ザスキアを連れて逃げ出しましたが……。「家族」
日本の僧院で修業し、日本の自動車メーカーで働き、退社後は株で儲けて湖近くに豪邸を建てたヴァラー。やがて父親違いの弟フリッツ・マイネリングが犯罪で捕まると、助けてやろうとしたのですが……。「秘密」
カルクマンと名乗る男が毎朝弁護士事務所を訪ねて来てCIA(中央情報局)とBND(ドイツ連邦情報庁)に追われているという話をします。〈私〉は彼を精神科医に連れて行くことにしたのですが……。とまあそんな15編が収録されています。最初の「ふるさと祭り」からもう度肝を抜かれます。ブラスバンドの楽団員が酔っぱらっていたとはいえ、突如一人の娘に襲いかかるという、世にもおぞましい話。
別に犯罪者の集団ではないんです。普通に仕事を持ち家庭を愛する人々。裁判になりましたが扮装のせいで誰が誰だか分かりません。誰か一人は事件に参加せず通報したことが分かっているのですが……。
「ふるさと祭り」と対になるような形で印象に残るのが、「清算」。酔っぱらった夫からのDVに苦しめられる妻アレクサンドラの話でしたが、こちらもやがてさらに恐ろしい事件が起こることとなります。
起こってしまった陰惨な事件。その罪は法で裁かれるべきですが、事件に携わる弁護士の〈私〉は、「弁護は戦いだ。被疑者の権利を守る戦いだ」(12ページ)の標語を信じられなくなっていくのでした。
法で簡単に解決出来ない複雑な事件が、時にユニークに、時に衝撃を持って描かれた短編集。前作『犯罪』ほどのインパクトはありませんが、それぞれの話は短いので、より読みやすい一冊になっています。
「3夜連続、ドイツ・ミステリの新星! フェルディナント・フォン・シーラッハ特集」。明日は長編『コリーニ事件』を紹介します。