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山本周五郎『さぶ』

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さぶ (新潮文庫)/新潮社

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山本周五郎『さぶ』(新潮文庫)を読みました。

時代小説界の大御所、山本周五郎は作品数が多く、しかもただ多いだけではなくて名作・傑作と言われる作品が多く、代表作がいくつもあります。ですが、最も読者から読まれているのは『さぶ』でしょう。

今なお愛され、読み継がれている時代小説の傑作。感涙必至ですよ。

物語の舞台となるのは、江戸の下町。何でも器用にできるが故に他人から反感を買ってしまうこともある栄二と、頭が少し弱く何をするにも不器用なさぶという二人の職人の、奇妙な友情を描いた長編小説。

一人では何もできないさぶをいつも栄二が勇気づけます。経師屋(書画や屏風などの表装をする仕事)の芳古堂での修業時代、自分は足手まといになるばかりだというさぶに栄二はこんな夢を語るのでした。

「――にんげんは一寸さきのことだって、本当はどうなるか見当もつきあしねえ、まして五年さき十年さきのことなんか、神ほとけにだってわかりゃあしねえだろう、けれどもな、おめえがそう云うからおれの気持も聞いてもらうんだが、このまま順当にゆくとして、もしもおれが自分の店を持つようになったら、おめえといっしょに仕事をしようと考えているんだ」
 さぶはゆっくりと栄二の顔を見あげ、栄二はさぶと並んでしゃがみこんだ。
「どんな店が持てるかわからねえが、二人でいっしょに住み、おめえの仕込んだ糊でおれが表具でも経師でも、立派な仕事をしてみせる、お互いにいつか女房をもらうだろう、そして子供もできるだろうが、それからも二人ははなれやしねえ」と栄二はひそめた声に感情をこめて云った、「――いつまでも二人でいっしょにやっていって、芳古堂に負けねえ江戸一番の店に仕上げるんだ、おれはこう考えているんだが、おめえはどう思う、おれとやるのはいやか」(44ページ)


ところがそんな栄二を思いがけない運命が襲います。仕事先で金襴の切を盗んだ疑いをかけられて、出入り禁止になってしまったのです。

身に覚えのない栄二は荒れに荒れ、誤解を解こうとした行動が元で芳古堂を首になり、終いには人足寄場に入れられてしまったのでした。

人足寄場(にんそくよせば)は、無宿人や刑期を終えた浮浪人に社会復帰のため、仕事の技術を覚えさせるところで、池波正太郎の『鬼平犯科帳』の主人公としても有名な長谷川平蔵の立案で作られたもの。

ひたすら真面目に生きて来た栄二は、突然ごろつき連中の中に放り込まれ、厳しい肉体労働を課せられることになってしまったのです。自分の人生は終わったと思い、恨みと怒りだけを抱えこみ過ごす日々。

ここまでは同じように無実の罪で投獄され、職も名誉も婚約者も奪われて、やがて大きな富と権力を手に入れて、復讐を始めるアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』と共通するものがあります。

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しかしながら栄二には強い絆で結ばれた人物がいましたよね。そう、さぶです。いつか栄二と二人で一緒に店をやるという夢を持ったさぶは心を閉ざし会おうともしない栄二の元に何度も面会に訪れて……。

ヒットする小説には、二つの大きな要素があります。まずは感動的な作品かどうか。いわゆる”泣ける”小説はヒットしますよね。もう一つは、意外な展開があるかどうか。驚きの結末の小説もヒットします。

『さぶ』は実はこの二つの要素を兼ね備えた小説なんです。どちらか一つの要素だけでもヒットするのに、二つの要素があわさった小説なのですから、今なお愛され、読み継がれているのにも納得ですよね。

『さぶ』が泣けるのは悲しいからではなく感動するからなのですが、これは実際に読んで体験してもらうこととしましょう。理不尽な出来事に翻弄される栄二に、共感しやすい作品なだけにほろりと来ます。

そして、栄二が盗んだとされた金襴の切は、何故栄二の道具袋に入っていたのか? という謎からも目が離せません。金襴の切をめぐる謎が、やがてはこの物語を意外な展開へと運んでいくこととなります。

時代小説を初めて読む方にもいいと思いますし、またとにかく面白い小説が読みたいという方にも自信を持っておすすめできる一冊です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。
 双子縞の着物に、小倉の細い角帯、色の褪せた黒の前掛をしめ、頭から濡れていた。雨と涙とでぐしょぐしょになった顔を、ときどき手の甲でこするため、眼のまわりや頬が黒く斑になっている。ずんぐりした軀つきに、顔もまるく、頭が尖っていた。――彼が橋を渡りきったとき、うしろから栄二が追って来た。(5ページ)


仕事でまたもや失敗し、おかみさんに叱られた十五歳の少年さぶは、泣きながら奉公先を飛び出したのですが、同じく芳古堂で奉公をしている同じ年の栄二が後から追いかけて来て、慰めてくれたのでした。

実家に帰って百姓になるというさぶに、栄二は自分には家族がいないと言います。今年の春、うなぎのかば焼き食べたさに帳場の銭箱から金を盗んだのが見つかって居づらいが、他に行く場所がないのだと。

それ以来心を入れ替えて金も盗まず、一生懸命仕事に打ち込んでいるのだという栄二の話を聞いて、さぶはようやく帰る気になります。そんな二人に傘を貸してくれようとした十二、三歳の少女がいました。

その少女のことはそれきり忘れていた栄二とさぶですが、二十歳になってようやく主人から外で酒を飲むことが許され通い始めた小料理屋「すみよし」で再会したのです。そこで少女は働いていたのでした。

はたちになったら抜けると信じている八重歯を持つ、十八歳になっていたその少女の名はおのぶで、栄二とさぶと親しくなります。その押しの強い性格と魅力的な顔立ちに、いつしか心惹かれていったさぶ。

他の仲間ほど仕事が上達せず、周りから馬鹿にされて落ち込んでいたさぶに、たくさんのことが器用に出来なくても、一つのことに集中する時はすごい、糊作りでは誰にもひけをとらないと栄二は褒めます。

そして栄二はいつか二人で店をやろうとさぶを勇気づけたのでした。

その頃綿文という両替商のふすまの張り替えを任されていた栄二。小さい頃からずっと来ているので綿文の二人の娘とも親しい間柄です。

態度にこそ表しませんが何より嬉しいのは、そこで中働きをしていて、十六歳になるおすえと会えること。おすえは栄二がひそかに心に決めている女性なのでした。ところが思いがけぬことが起こります。

綿文への出入りが突然禁じられたのでした。理由を尋ねると、栄二の道具袋から綿文の古金襴の切見つかったというのです。身に覚えはありませんが、子供の頃の盗みの件があるので、信じてもらえません。

やけになった栄二は酒と女に溺れ、ついには店を首になってしまったのでした。栄二を心配したおすえが駆けつけてくれますが、自分自身を汚らわしく思った栄二は、おすえを冷たく突き放してしまいます。

自分の身の潔白を証明しようと綿文へ乗り込んだことで人足寄場へ入れられてしまった栄二は心を閉ざし、自分の人生をめちゃくちゃにした綿文や、自分をここへぶち込んだ人々への復讐を考え続けました。

誰が自分の道具袋に金襴の切を入れたのだろうと考えていた栄二は、おぼろげに事情が分かってきたのです。綿文の二人の娘と栄二は仲が良く、いずれはどちらかと夫婦になるのではないかと噂されたほど。

綿文は単なる職人である栄二を娘たちから離させるために、あんな行動を取ったに違いありません。やがてさぶがやって来ましたが会おうとせず、さぶから聞いておすえがやって来た時には別れを告げます。

「そうきめないで、栄さん」嗚咽しながらおすえはかぶりを振った、「そんなふうにきめてしまわないでよ」
「死んじまった鳥にうたわせることができるか」
「栄さんは鳥でもないし死んでもいないわ」とおすえは云い返した、「あんたがどんな辛いくやしいおもいをしているか、覚えのないあたしにはわからないかもしれないけれど、あんたがいなくなったあと、さぶちゃんがどんな気持であんたを捜しまわったか、さぶちゃんの手紙を読んで、あたしがどんな気だったかも、あんたにはわからないでしょ、――そこをお互いにわかり合おうとすればこそ、友達があり夫婦があるんじゃありませんか」
「無事にくらしているうちはな」と云って栄二は立ちあがった。「――おれの気持はもう話した、おめえもこれっきり来てくれるな、さぶにも来るなと云ってくれ、いいな」
(190~191ページ)


さぶから手紙が来ます。病気になって田舎に帰っているというのです。手紙では毎回字のへたなことが詫びてあるのですが、栄二はその不器用な字にえらい坊さんの書と似た独特の味があると思いました。

おすえはあれからも足繁く会いに来ますが、栄二は会おうともしません。やがて、おのぶがやって来て、栄二に衝撃的なことを告げました。栄二の元へ来ていたことでさぶは店を首になったというのです。

なにかと栄二に目をかけてくれる役人の岡安嘉兵衛は、風は荒れることもあれば、静かに花の香りを運んで来ることもあると言いました。

「おまえは気がつかなくとも」と岡安はひと息ついて云った、「この爽やかな風にはもくせいの香が匂っている、心をしずめて息を吸えば、おまえにもその花の香が匂うだろう、心をしずめて、自分の運不運をよく考えるんだな、さぶやおすえという娘のいることを忘れるんじゃないぞ」(237ページ)


それでも復讐心を捨てられない栄二でしたが、ある時作業中に崩れて来た石垣に押しつぶされてしまいます。体中の痛みは思わず気を失うほど。みんなは助けようとしますが、潮がどんどん満ちて来て……。

はたして、絶体絶命の窮地においやられた、栄二の運命やいかに!?

とまあそんなお話です。盗みの疑いをかけられて、やけになって自ら自分の人生を棒に振ってしまった栄二と、そんな栄二と一緒に店をやるという夢を、かたくなに守り続けようとするさぶの強い絆の物語。

さぶはおのぶのことが好きですが、おのぶはさぶを異性としては見れず、実は栄二のことが好きなんですね。しかし栄二はおすえが好きなわけで。その辺りの、複雑な恋愛模様からも目が離せない作品です。

おのぶはおのぶで身売りされそうになったり好きでもない相手と結婚させられそうになったりと色々と大変なエピソードがあるんですよ。

あと、人足寄場での様々な出会いや、起こる出来事が少しずつ栄二の心を変えていくので、その辺りがこの小説のなにより見所だったりもするのですが、まあそれは、実際に読んでもらうこととしましょう。

時代設定には馴染みがないかもしれませんが、非常に感情移入しやすい物語。普段あまり小説を読まないという方にもおすすめですよ。素直に感動出来る長編小説なので、最近、涙してないという方もぜひ。

本文ではさぶ、おすえ、おのぶにはそれぞれ傍点がつきますが、この記事では傍点をつけられないので、省いたことを付記しておきます。

明日は、ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』を紹介する予定です。

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