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ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』

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巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)/河出書房新社

¥2,940
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ミハイル・ブルガーコフ(水野忠夫訳)『巨匠とマルガリータ』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹個人編集=世界文学全集の一冊です。

ソ連時代のウクライナ出身のブルガーコフは、20世紀のロシア文学を代表する作家の一人で、SFや幻想文学を思わせる奇抜な発想を巧みなストーリーテリングで綴ることに、その大きな特徴があります。

ブルガーコフには「モスクワ三部作」と呼ばれる中編三作、「犬の心臓」「悪魔物語」「運命の卵」があるんですね。短くて読みやすいですし、とにかく発想が突飛で面白いのでそちらも機会があればぜひ。

しかし代表作と言えば何と言っても今回紹介する『巨匠とマルガリータ』。ブルガーコフの作品はソ連時代には発禁になることが多く、生前は未発表で作者の死後26年経った1966年に発表されました。

1930年代のモスクワに、悪魔らしき一行が突然現われて暴れ回るというこの物語は、社会主義の国であったソ連時代の”現実”を諷刺している所もあり、舞台化などもされて大きな話題となったようです。

『巨匠とマルガリータ』は一言で言えば奇想天外な小説。本の帯のからそのまま持って来るとですね、「黒魔術のショー、しゃべる猫、偽のルーブル紙幣、裸の魔女、悪魔の大舞踏会」が登場する物語です。

次から次へと巻き起こる事件が荒唐無稽でもうすごいんですよ。とにかく圧倒されてしまいます。また、ローリング・ストーンズの『悪魔を憐れむ歌』の歌詞に影響を与えた作品としても知られていますね。

ベガーズ・バンケット/USMジャパン

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とにかくぶっとんだ文学作品を読んでみたいという方におすすめですが、いくつか読みづらい要素もあります。まずは、600ページ前後とかなりのボリュームがあること。読むのに結構時間がかかります。

物語は二部構成になっていて、第二部に入ると一人が中心となるのでぐっと読みやすくなる(同時にファンタジーっぽくなる)のですが、第一部はたくさんの登場人物が出て来るので、大変かもしれません。

まあ「悪魔の一行がショーを開くために色々動いているんだなあ」ぐらいに思って、ある程度読み飛ばしても大丈夫な感じはありますが。

そしてもう一つは、ソ連時代の”現実”の諷刺という点もそうですが、何よりも”神と悪魔の戦い”というテーマがキリスト教的な価値観を持たない日本人にとっては、やや分かりづらいということがあります。

古代ローマのユダヤ総督ピラトをご存知でしょうか。物語にはピラトゥスの表記で登場しますが、神の子イエスの処刑を言い渡した人物。

祭りにあわせて誰か一人、罪人が特赦で解放される伝統があったのですが、ユダヤの民衆に応える形で、ピラトは、殺人犯である罪人バラバを解放し、イエスはそのまま磔の刑に処すように命じたのでした。

ピラトがどんな人物であったかは『聖書』の中でも福音書ごとに少しずつ違いますが、ピラトは本当はジレンマを抱えていたのではないか? というのが『巨匠とマルガリータ』で一つのキーとなります。

物語の中では「巨匠」という小説家が、ピラトを主人公にした小説を書いているのですが、そこではイエスに罪がないことを知りながら処刑を命じたことで、苦悩し続けるピラトの姿が浮かび上がるのです。

神を信じる者はどうなり、信じない者はどうなるのか、またそれとは反対に悪魔を信じる者はどうなり、信じない者はどうなるのか――。

そうしたテーマが、悪魔一行によって起こったモスクワの混乱、ピラトを描いた「巨匠」の小説、そして、「巨匠」を愛する女性マルガリータの奇想天外な冒険を通して、描かれていくこととなるのでした。

荒唐無稽な出来事にただただ圧倒されるだけでも面白い作品ですが、悪魔一行が当時のソ連の何を表しているのか、そして神と悪魔のテーマについて色々考えながら読むと、より楽しめる作品だと思います。

作品のあらすじ


五月の夕暮れ時。文芸綜合誌の編集長ミハイル・ベルリオーズと〈宿なし〉というペンネームを持つ詩人イワン・ポヌイリョフは売店で買ったアプリコット・ソーダを飲むと池のそばのベンチに座りました。

イワンはイエス・キリストを描いた叙事詩を書いたのですが、ベルリオーズはその生き生きとした描写が気に入らず、全面的に書き直す必要があると言います。そもそもイエスは存在しなかったのだからと。

 編集長の語るすべてのことが初耳であったが、詩人はすばしこい緑色の目で相手の顔をみつめながら、一言も聞きもらすまいと耳を傾け、ごくときたましゃっくりをしてはアプリコット・ソーダを低い声で呪っていた。
「東洋の宗教のどれをとったって」とベルリオーズは言った。「すべて、原則として純潔な処女が神をこの世に生み落とすことになっていて、そうでない例なんてひとつもない。キリスト教徒にしても、なにひとつ新しいことを考え出せず、まったく同じやり方でイエスを創り出したのさ、実際には存在しなかったイエスをね。こういうことなのだ、重要視しなければならないのは……」
(12ページ)


するとそこへ、グレーのベレー帽をかぶり、左側にはプラチナ、右側には金の義歯をはめ、黒い右目と緑の左目を持つ、四十歳を少し越したほどの外国人風の男がやって来て、イエスは存在すると言います。

黒魔術を研究している教授を名乗った男は、ユダヤ駐在ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスが、ナザレの人ヨシュアを裁いた時の様子をまことしやかに語り、その現場に立ち会っていたのだと言いました。

そして教授はベルリオーズはロシア人の女に首をはねられて死ぬだろうと予言します。勿論、ベルリオーズは信じませんでしたが、帰り道に足をすべらせて線路に落ち、電車にはねられてしまったのでした。

舗道ではねた切断されたベルリオーズの首。電車を運転していたのは女性運転手でした。驚愕したイワンは教授を探しますが、二本足で歩く見事な口ひげの猫を目撃して気を取られて、見失ってしまいます。

やがてヴァリエテ劇場ではヴォラント教授のショーが始まりました。

予定外の出来事に戸惑う経理部長リムスキイですが、支配人リホジェーエフも総務部長ヴァレヌーハも謎の失踪を遂げていて状況がつかめません。電話をかけようとするも故障で不通という状況なのでした。

手品で十ルーブル札が現われ会場は大盛り上がり。アシスタントのコロヴィエフ=ファゴットの合図でさらに不思議なことが起こります。

「そいつを私にもやってくれよ!」一階席の中央あたりにいたふとった客が、調子づいて頼んだ。
「喜んで!」とファゴットは答えた。「それでも、あなたお一人だけに? みなさま全員に参加していただきましょう!」そして号令をかけた。「上をご覧ください!……一!」手にピストルが現われ、ファゴットは叫んだ。「二!」ピストルが高く持ちあげられた。彼は叫んだ。「三!」閃光とともに銃声が響き、それと同時に、円天井から空中ブランコの網の目をくぐり抜けながら白い紙幣が客席に落下しはじめた。
 白い紙幣はひらひらと舞い、あちらこちらに散りながら桟橋席に舞い降り、オーケストラ・ボックスや舞台に落ちてきた。ほどなくして、紙幣の雨はいっそう強く降りしきり、客席にまで落ち、観客たちは紙幣をつかみとろうとしはじめた。

(185ページ、本文では「喜んで」に「アヴェク・ブレジール」のルビ)


混乱した場内をおさめるため、慌てて司会者のベンガリスキイが舞台に出て、トリックがあると説明したのですが、ファゴットの合図で飛びかかった黒猫のベゲモートに首を引き抜かれてしまったのでした。

辺りには血しぶきが飛び散りましたが、首は喋り続けます。ヴォラント教授の許しを得て、首が元に戻されると再び繋がり、血の跡も消えたのでした。それからも、不思議な魔術のショーは続いていきます。

一方、おかしなことばかり言うとして精神病院に入れられてしまった詩人のイワンは、一年前にピラトゥスについての小説を書きあげたという、隣人の巨匠(マースチェル)と親しく話すようになりました。

夫のいる女性と出会い、恋に落ちた巨匠。執筆に明け暮れる巨匠のささやかな暮らしを、いつも決まった時刻にやって来る女性が彩ります。巨匠の小説を女性は愛し、二人は幸せな日々を送っていました。

ところが小説が完成したことで幸せな日々は終わりを告げます。一生懸命書き上げた原稿が編集長に認められなかったから。自分の作品に自信が持てず、絶望した巨匠は小説を暖炉で燃やしてしまいました。

爪を痛めながらノートを引き裂き、薪のあいだに縦にして押しこみ、火かき棒で紙をかきまわしました。ときどき灰に苦しめられたり、炎に息がつまりそうになったりしましたが、それと闘いつづけると、小説は執拗に抵抗しながらも、やはり滅んでゆきました。見覚えのある言葉が目の前にちらつき、どのページも下から上の部分へと勢いよく黄色く変わってゆきますが、それでもやはり、言葉は黄色くなったページの上に浮き出ていました。紙がまっ黒になり、私が怒りにかられて火かき棒で最後の息をとめたときに、それらの言葉はようやく消滅したのでした。(221~222ページ)


ある朝、何かが起こる予感とともに目覚めた、30歳のマルガリータ。町へ出ると、ベルリオーズの葬列に出くわしました。ベルリオーズの首が何者かに持ち去られて大騒ぎになっていることを知ります。

自分の人生から突然姿を消した巨匠を探しているマルガリータは巨匠に会う方法を知っているという赤毛の男アザゼッロと出会いました。

アザゼッロはマルガリータにクリームを渡し、夜九時半、一糸まとわぬ姿になってクリームを体に塗り、電話を待つようにと言って……。

はたして、マルガリータに起こった思いも寄らない出来事とは? そして、マルガリータは巨匠を見つけ出すことが出来るのか!?

とまあそんなお話です。マルガリータという、巨匠の愛する女性の名前が登場するのは第二部からですが、そこからは、そのマルガリータが中心となって物語が進んでいくので、ぐっと読みやすくなります。

アザゼッロもヴォラント教授の一味なので、マルガリータもまた教授が巻き起こす不思議な騒動に巻き込まれていくこととなるのでした。

第一部では、支配人リホジェーエフや総務部長ヴァレヌーハの奇妙な失踪など色々な出来事が起こるので、やや読みづらいかもしれませんが、ショーをするための行動だと分かっていれば、大丈夫でしょう。

イエスを処刑したピラトゥスの苦悩を小説に書き、自信を失ってその原稿を焼いてしまった巨匠と、その愛する女性マルガリータ。モスクワに突如現れたヴォラント教授とその一味が巻き起こしていく混乱。

それらを通して1930年代のソ連の”現実”と、神と悪魔について描かれる物語です。とにかくボリュームがすごいですし、決して読みやすい小説ではありませんが、奇想天外な発想がとにかく面白い作品。

興味を持った方は、ぜひ挑戦してみてください。読み通すのはなかなかに骨が折れますが、きっと忘れられない読書体験になるはずです。

明日は、吉田修一『パーク・ライフ』を紹介する予定です。

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