パーク・ライフ (文春文庫)/文藝春秋
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吉田修一『パーク・ライフ』(文春文庫)を読みました。芥川賞受賞作です。
世の中には目に見えないものがあります。まずは人間の臓器。心臓はとくとく音を立てますが直接は見えません。それから、都市で暮らしていても、自分が住んでいるその都市全体を見ることは出来ません。
宇宙飛行士が「地球は青かった」と言っても、その地球とぼくたちが暮らしている場所は同じだとピンと来ないのではないかと思います。
そう考えると、体の内部を見られるほどの小さな視点を持たず、かと言って世界全体を眺められるほどの大きな視点も持たないぼくらは一体何を見て過ごしているのだろう? と不思議な感じがしますよね。
さて、今回紹介する『パーク・ライフ』は何も起こらない小説として有名で、物語では出来事らしい出来事は何も起こりません。ですが、そうした目に見えないものを描こうとした小説のような気がします。
物語の舞台となるのは日比谷公園。そこにはいつも誰かがいます。そこにいる人々は、同じ空間で同じ時間を過ごしているわけですが、向いのベンチにいる人との関係を尋ねられたら困ってしまうでしょう。
家族でもなく、友達でもなく、知り合いですらないわけですから。赤の他人に他なりませんが、同じ空間で同じ時間を過ごしているので、ばっさりそう言い切るには、少し戸惑う感じもあるかもしれません。
物語ではやがて、サラリーマンの主人公が、同じ公園で時間を過ごしていた女性と言葉を交わすようになり、他人から知り合いになったのですが、お互いのことを話さないので、関係は深まっていきません。
名前も仕事も、今までどんな人生を送って来たかも、そしてこれからの人生の目標も、お互いに何も知らないのです。それだけに、友達にも恋人にも発展しそうにない、微妙な関係性が続いていくのでした。
そんな風に、近くにいながらどこか空虚な関係性を描いた物語なのですが、よく考えてみたらこれは学校や社会、住んでいる場所でもあることですよね。繋がっているような、繋がっていないような関係性。
公園での他人のような他人でないようなという曖昧な関係性は、たとえばマンションの住人の関係性ともよく似ていて、そうした空虚な関係性を通して、都会というものを表した小説だとも言えるでしょう。
どことなくユーモラスでありながら、クリアで都会的な雰囲気の中に何度もくり返される臓器のグロテスクなイメージ。それがやがては都会そのもののイメージとも重なっていくという、興味深い小説です。
そうした重なり合って響くイメージの連鎖に注目してみてください。
それから、この小説のもう一つの魅力は、主人公と女性とのやや奇妙な会話。主人公が「スタバ女」と呼ぶほど、いつもスターバックスでコーヒーを買っている女性は、なんとスタバは嫌いだと言うのです。
「たばこが吸えないから嫌いなんですか?」
「そうじゃなくて、なんていうんだろう、あの店にいると、私がどんどん集まってくるような気がするのよ」
「え?」
「ちょっと言い方がヘンか? だから、あの店に座ってコーヒーなんかを飲んでると、次から次に女性客が入ってくるでしょ? それがぜんぶ私に見えるの。一種の自己嫌悪ね」
「ぜんぶ自分に?」
「だから、どういうんだろうなぁ、たぶんみんなスターバックスの味が判るようになった女たちなのよね」
「スターバックスの味?」
「ほら、よく言うじゃない、これは子供を産んでみないと判らない、これは親を亡くしてみないと判らない、これは海外で暮らしてみないと判らないなんて、それと同じよ。別に何したわけでもないんだけど、いつの間にか、あそこのコーヒーの味が判る女になってたんだよね」(32~33ページ)
普通のコーヒー店とは違うスターバックスならではの「コーヒーの味が判る」ことによって、かえってスターバックスの中ではステレオタイプ(画一的なイメージ)な女性像になって、埋没してしまうこと。
言っていることは妙ですが、分からないではない感じもありますよね。まわりの”空気を読む”ことや、ファッションなどの”流行”に乗るのも大事なことですが、それは実は個性を失うことでもあるわけで。
目立った出来事がほとんど何も起こらない小説なので、物語的な面白さはそれほどありませんが、人間と人間の繋がりが持つ奇妙さや、都会そのものが抱える空虚さを描き出した所に面白さのある作品です。
作品のあらすじ
『パーク・ライフ』には、「パーク・ライフ」「flowers」の2編が収録されています。
「パーク・ライフ」
電車の中で先輩社員の近藤さんに話しかけたつもりで「ちょっとあれ見て下さいよ。なんかぞっとしませんか?」(10ページ)とドアにある日本臓器移植ネットワークの広告を指差し振り返った〈ぼく〉。しかし近藤さんは六本木駅で降りていたので、そこにあったのは見知らぬ女性のきょとんとした顔。今にも周りから失笑が起こりそうという時に、女性が問いかけに親しげに応じてくれたので助かりました。
新製品のポスターを届けに行った近藤さんを日比谷公園の広場で待っていると、先程の女性がスターバックスのコーヒーを片手にベンチに座っているのを見つけます。〈ぼく〉は何も考えず駆け寄りました。
駆け寄ってみたものの、なにを言えばいいか戸惑っていると、向こうから話しかけてくれ、30を少し越えたばかりのようなその女性は〈ぼく〉のことをこの公園で見かけて、気になっていたと言います。
「私ね、この公園で妙に気になっている人が二人いるのよ。その一人があなただったの。こんなこというと失礼だけど、いくら見ていてもなぜか見飽きないのよね」
「見飽きないって……、ただベンチに座っているだけですよ」
「それはそうだけど……」
女がじっと見つめてくるので、思わず視線を霞ヶ関合同庁舎ビルへ逸らし、「で、もう一人は?」と空に向かって尋ねた。
「もう一人は噴水広場でたまに見かける男の人。六十代かな、いつも小さな気球みたいなものを飛ばそうとしてて……」
「あ、その人なら見たことあるな」
「ほんと?」
「ええ。あれって何やってんですか?」
「私もよく知らないんだけど、とにかくあの小さな気球を真っ直ぐ上空に飛ばしたいみたい。ほら、普通は風に流されたり、上がるときに回転したりするでしょ? そうならないように改良してるみたい。理由は知らないけど」(23~24ページ)
その頃〈ぼく〉は、自宅近くの宇田川夫妻のマンションで暮らしていました。奥さんの瑞穂さんが大学の先輩にあたる知り合いですが、宇田川夫妻はうまくいかなくなって二人とも家を出てしまったのです。
残されたのが愛猿のラガーフェルド。〈ぼく〉はその世話を頼まれたのでした。田舎から上京して来た母親が自宅のベッドを占領していることもあって、〈ぼく〉はラガーフェルドと一緒に過ごしています。
宇田川夫妻の寝室のダブルベッドに寝転んでレオナルド・ダ・ヴィンチの「人体解剖図」を眺めたり、ラガーフェルドの散歩に出かけ、駒沢公園に向かう途中の雑貨屋で不良品の「人体模型」を物色したり。
やがて、日比谷公園で再び彼女と再会した〈ぼく〉は、小さな気球を飛ばそうとしている老人に一緒に話しかけてみることになって……。
「flowers」
22歳になったばかりの〈僕〉と妻の鞠子。鞠子が突然、東京の劇団に入って喜劇女優になると言い出したので上京して、最初くらいは豪勢にと帝国ホテルに泊まって、一週間で就職先と住居を決めました。〈僕〉が働くことになったのは飲料水の配送会社。色々教えてもらうことになった先輩社員の望月元旦は、仲のいい従兄の幸之介と雰囲気がどことなく似ていて、なんだか妙に吸いよせられる感じがします。
九州で叔父が経営する墓石専門の石材屋で働いている幸之介。〈僕〉もかつては同じ店で働いており、幸之介とは、病気になった祖母の最後の願いを叶えるため、二組同時の結婚式をした間柄でもあります。
両親を亡くして祖母と暮らしていた〈僕〉が、祖母から影響を受けたのは、生け花。なんとなく祖母の真似をするようになったのでした。
花には性情がある。それを生かしてやればいい、とばあさんは言っていた。いつの頃からか、縁側で寝転んでいる時、ばあさんが花を生け始めると、ついつい手を出すようになった。蚊に食われた足を掻きながら、胡坐のままで花を生けた。ばあさんも真剣に教える気など更々なく、僕が自分用の花器に水を張って横に座ると、子供におもちゃを与えるように花を渡してくれた。そして口を出すこともなく、熱心に生ける僕を完全に放っておいてくれた。ただ、何度も挿し直す僕に呆れて、「あんたも執念深い男やねぇ。そう何度も挿したら、花が傷む」と、ときどき叱ることはあったが。
(131~132ページ)
〈僕〉と祖母が暮らしていた家は、〈僕〉の上京を機に取り壊され、幸之介夫婦と両親が暮らす二世帯住宅になる予定でした。洋風の住居ということなので、生け花を飾るような床の間はないことでしょう。
新しい仕事にも少しずつ慣れていき、〈僕〉は元旦の家に遊びに行くようになりましたが、元旦の家には小さいながら床の間があり、我流ではあるものの生け花が飾られていたので〈僕〉は意外に感じます。
ある夜元旦の家に連れられて行くと、女が背中を向けて眠っていました。下りている赤いワンピースの背中のファスナー。元旦が愛撫を始め、〈僕〉はその女が先輩社員永井さんの奥さんだと気付いて……。
とまあそんな2編が収録されています。「パーク・ライフ」が都会的な空気を巧みにとらえた作品だとするなら、「flowers」は濃厚な花の匂いに包まれた、官能的、そして暴力的な物語と言えます。
この後、どんどん意外な方向に進んでいくので、起こる出来事の迫力や、物語に引き込まれる感じとしては「flowers」の方が面白いですが、「パーク・ライフ」の洒脱な会話もとても印象的でした。
どちらの作品も、どこにでもいそうな人間を描き、現実の持つ空気をリアルに描きながら、どことなくずれた不思議な空間を作り出していて、独特の世界観は吉田修一ならではの魅力を感じさせてくれます。
今やベストセラー作家である吉田修一が注目されるきっかけになった本なのでファンの方は勿論、初めて読むという方にもおすすめです。
明日は、ウラジミール・ナボコフ『賜物』を紹介する予定です。