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リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』

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黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)/河出書房新社

¥2,730
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リシャルト・カプシチンスキ(工藤幸雄、阿部優子、武井摩利訳)『黒檀』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹個人編集=世界文学全集の一冊です。

そもそもこの全集自体が、選者が池澤夏樹一人であること、そして、名作と讃えられるスタンダードな作品が収録されているわけではないという、ある意味では世界文学全集らしからぬ、一風変わったもの。

そして、そんな異色な世界文学全集の中でおそらく最も異質なのが、カプシンチスキの『黒檀』。何故かと言うと、そもそもこれは小説ではなく、ポーランド人がアフリカを取材したルポルタージュだから。

物語ではなく、実際に起こったことを記録するルポルタージュは文学足り得るのかという疑問はありますよね。実際にカプシチンスキはノーベル文学賞の候補にあがりながらも、受賞にいたりませんでした。

月報の中で池澤夏樹が興味深い分析をしています。ノンフィクションとルポルタージュは違うこと。そして日本ではルポルタージュはあまり好まれず、むしろ日本人は、ノンフィクションが得意であること。

ノンフィクションとルポルタージュは、同じように事実をありのままに書くものですが、元々フランス語のルポルタージュ(reportage)は、直接現地に行って体験したことを描く、より限定的なものです。

ノンフィクションでは、”誰が書いたか”よりも、書かれた事実そのものに注目が集まるのに対し、書き手の目を通して描かれるルポルタージュでは、書き手の個性が色濃く作品に反映されることになります。

情報を網羅的に集め、無機質な印象のノンフィクションに対し、ルポルタージュは時に局部的で、取材対象が主観的解釈に歪むこともあるものの、作者の思い入れがより熱く語られるものと言えるでしょう。

ルポルタージュ文学に近い雰囲気を持つ日本の作品と言えば、沢木耕太郎の『深夜特急』があります。インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗り合いバスを使って旅した、実際の経験を綴った作品。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)/新潮社

¥452
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実際の経験が綴られた作品ということは、逆に言えば、経験していないことに関しては書かれないわけで、ガイドブックとしては役に立たないかも知れません。けれど、読み物として抜群に面白いわけです。

今なお輝きを失わない面白い作品なので、まだ読んだことがないという方はぜひ。思わず旅に出たくなってしまうかも知れませんけれど。

初めて『深夜特急』を読んだ時、小説とはまた違う興奮を感じたのを覚えていますが、その感覚を思い出させてくれた本こそが何を隠そう今回紹介する『黒檀』。物語とはまた違った魅力がある作品でした。

見知らぬ国の見知らぬ文化が、驚きと共に綴られたとにかく面白い作品で、初めてルポルタージュ文学を読むという方にもおすすめです。

かつてはポーランド領で、現在のベラルーシ共和国にあるピンスクで生まれたカプシチンスキは、ポーランド通信社の特派員になって第三世界(アフリカなどの発展途上国)を中心に世界を飛び回りました。

命の危険すら感じる場面に遭遇しながらも、アフリカの人々の中に入って取材したのが『黒檀』。ポーランドもまた数々の侵略を受けた国なだけに、アフリカの黒人が抱える苦しみを他人事とは思えず……。

それぞれの章は短く、またほとんどが独立した内容なのでどこから読んでも大丈夫です。アフリカに興味のある方は勿論読み物として面白いので、アフリカに興味の無い方でも楽しめる一冊になっています。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 真っ先に、目に飛び込むのが、陽の光だ。辺り一面の陽光。そこらじゅうが眩しい。どこもかしこも太陽。雨にそぼ濡れた秋の日のロンドンは、ついきのう――大型旅客機は秋雨に打たれ、冷たい風が吹き、どんより薄暗かった。ところが、朝まだき、ここに着くや、見渡す限りの空港はぎらつく陽を浴び、到着客を日光が射し貫く。(8ページ)


1958年。初めてアフリカに足を踏み入れた〈ぼく〉は、突然の熱気に驚かされました。ガーナで様々な人々と出会い、色々な経験を重ねる内に、アフリカならではの文化や風習について知っていきます。

祖先を敬い、家族を大切にし、神など目に見えないものの存在を信じ、ゆるやかな時間の中で生きるアフリカ人。バスは満員にならないと出発せず、政治集会ですら、みんなが集まらないと始まりません。

アパルトヘイト(人種隔離政策)の問題が、〈ぼく〉を苦しめます。白人が支配者として黒人を縛り付け、差別的な法律で権利を押さえつけていただけに、逆に言えば黒人も白人をいい目で見ないからです。

 罪の問題から、ぼくは逃れようもない。彼らからすれば、白人すなわち罪人だ。奴隷制度、植民地主義、五百年間の屈辱、すべてが白人どもの罪業だ。白人どもの? それなら、ぼくの罪ともなる。ぼくの罪?(中略)ぼくら、ポーランド人だって、同じだよ! 三つの国家の植民地とされたポーランドだもの、それも百三十年間もだ。相手は同じ白人の国さ。アフリカ人たちは、笑い、おでこを叩き、ばらばらに散っていった。こいつ、騙す気なのだと疑われ、ぼくは腹が立った。(中略)彼ら黒人は、かつて一度たりとも、だれかを征服せず、占領もせず、他人を奴隷の身におとしめもしなかった。だから、優越感の目でぼくを見ることができた。黒人種に違いないが、潔白な存在である。ぼくは茫然と彼らの間で立ち尽くし、言うべき言葉を喪った。(53~54ページ)


アテネ各紙の通信員でギリシャ人のレオと、ダルエスサラームからウガンダの首都まで、車で行くことになりました。どんなに急いでも三日はかかる行程です。やがて、セレンゲティの大平原に入りました。

シマウマ、キリン、ライオン、ゾウなど野生動物が辺りを駆け回っています。大地と天空、動物たちが一体になったその信じがたい光景は〈ぼく〉に、アダムとイヴすらいない天地創造の瞬間を思わせます。

やがて正午になり炎暑となると世界は死んだように静まり返り、動物たちは木陰に隠れました。ところが、一千頭ほどもいるヌーの大群だけは隠れることが出来ず、花崗岩のようにただ立ちすくんでいます。

困ったのは、〈ぼく〉たちの車の進行方向にその大群がいたこと。大群が移動するのを待っていたら何時間かかることでしょう。かといってUターンなどすれば、刺激して襲いかかって来る恐れがあります。

そこでやむをえず〈ぼく〉は、地平線まで広がっているヌーの群れの中へ、ゆっくりと車を進ませます。さすがに、車が近づくと避けてはくれるのですが、地雷原を走る思い。レオは目をつむっていました。

一難去ってまた一難。冷や汗まじりでヌーの群れを抜け、途中で見つけた小屋で休憩していると、今度はエジプト・コブラが寝床に現れたのです。猛毒を持つコブラなので、もし噛まれたら、一巻の終わり。

ガソリン缶でコブラを潰そうとしますがうまくいかずその強さは「缶の下にいるのはヘビではない。折れも潰れもせず、振動し撥ねんとする鋼鉄のバネのごときなにものかだ」(62ページ)と思ったほど。

様々な困難を乗り越えてウガンダにたどり着いたはいいものの、〈ぼく〉はマラリアで倒れ、その後は結核にかかってしまいます。入院するお金はなく、強制帰国されそうな状況の中、医師に頼み込みます。

すると医師は、現地の人のための市立診療所を紹介してくれたのでした。そして病気になり、白人という特権的な階級から転落したことによって、〈ぼく〉は初めて親しい黒人の友人を作ることが出来ます。

1967年、ナイジェリア。黒人たちの中で暮らしたいと思った〈ぼく〉は、知り合ったイタリア人から二階に使用人のための宿舎がある農具倉庫を貸してもらいました。ところが入居して一時間後に停電。

そして、家を空ける度に必ず空き巣が入っているのでした。北ナイジェリア出身の男にその悩みを相談すると魔除けの白い羽を買うようにすすめられ、それを戸口につけたところ物取りは治まったのでした。

ある時、サハラ砂漠のウアダン・オアシスからヌアクショットに向かうため、モーリタニア人の運転するトラックに乗り込んだ〈ぼく〉。

サリムと名乗った運転手は、標識一つない砂漠の道を走っていきます。やがて眠ってしまった〈ぼく〉が静寂にふと目を覚ますとなんとトラックが止まっています。エンジンが故障してしまったのでした。

ボンネットを開けるのすら四苦八苦のサリムを見て、思わずぎょっとします。どうやらサリムはプロの運転手でも、この辺りの土地に詳しい人間でもないようです。サリムは、エンジンを分解し始めました。

見渡す限りの砂漠。残された水はあとわずか。もしもサリムが水を分けてくれなかったら、今日か明日にでも〈ぼく〉の命はなくなります。分けてくれたところで二人とも生き延びられるのは数日ですが。

太陽が少しずつ昇り、すべての影が縮んで薄れ出しました。目にうつるのは、何も存在せず、死を思わせる、光と白熱の真っ白な広がり。

 その時がきた――そう思っているぼくの眼前に、出し抜けに展開されたのは、まったく違う光景だった。炎暑の重みに押し潰され、もはやなにも現れずなにも起こるまいと見えた、死せる不動の地平線。それが、一瞬にして生命を取り戻し、緑を獲得した。目の届く限り、亭々たる美しい椰子の木が聳え立ち、地平線に沿って、途切れることなくそれが密生している。見えたのはそれにとどまらない。湖がある。広大な藍色の点在する湖沼群が現れ、生き生きと波立つ水面までが目に映る。灌木もある。瑞々しい、濃厚な緑の頼もしい枝々を交差させながら……。ただし、それらのすべては、震えてちらちらと光り、脈動し、薄もやのかかったように、ぼんやりと目に映るだけで、捉えようもない。そのうえ、大気を支配するのは――ぼくらの周りにも、向こうの地平線も――森閑とした深い沈黙のみであった。無風状態、枝に遊ぶ鳥一羽さえいない。
「サリム!」ぼくは叫んだ「サリム!」(150ページ)


サハラの楽園を見つけて喜んでいましたがサリムは黙って〈ぼく〉に水を飲ませます。渇きが癒えるとみるみる内に幻影は消えていったのでした。それでもほっとします。サリムが悪い奴ではなかったから。

トラックは直る気配はなく、状況は変わりません。〈ぼく〉とサリムは頼りない黄褐色の日陰であるトラックの下でただ寝そべって……。

はたして、砂漠で立ち往生してしまった〈ぼく〉の運命やいかに!?

とまあそんなお話です。特にぼくが好きだった、冒険小説的な雰囲気もあるスリリングなエピソードを中心に紹介しました。セレンゲティの大平原でヌーの大群と対峙するのは、「コブラの心臓」という章。

そして、砂漠で絶体絶命の危機を迎えるのが「サリム」という章。それぞれ独立した作品としても読めるので、そこだけ読んでも大丈夫です。平原の動物と砂漠。どちらもアフリカのルポならではですよね。

評価が高く、特に有名な章が「ルワンダ講義」。支配階級であるツチと農民階級であるフツについて説明し、1959年のフツの蜂起を綴ったもの。アフリカの歴史について関心のある方におすすめですよ。

ぼくが最も印象的だったのは、象の死のエピソード。象牙を手に入れるために、白人は象の死体の場所を知りたがりますが、他の動物に殺されない象の死体はなかなか見つけることが出来なかったんですね。

現地人は知っていたのですが、象は神聖な生き物なので、その場所を教えませんでした。どんな場所でどんな風に象は死ぬのでしょうか。

これはあえてふせておくことにしましょう。「氷の山のなかで」という章の最後に書かれているので、象の墓場に興味を持った方は、ぜひ実際に読んでみてくださいね。とても印象に残るエピソードでした。

ルポルタージュ文学と聞くと構えてしまいがちですが、アフリカならではの風景や文化が描かれ、それぞれのエピソードが面白く、読んでいてルポならではの興奮を感じさせてくれる、おすすめの一冊です。

明日は、津村記久子『ポトスライムの舟』を紹介する予定です。

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