Quantcast
Channel: 文学どうでしょう
Viewing all articles
Browse latest Browse all 464

エルサ・モランテ『アルトゥーロの島』/ナタリア・ギンズブルグ『モンテ・フェルモの丘の家』

$
0
0

アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-12)/河出書房新社

¥2,940
Amazon.co.jp

エルサ・モランテ(中山エツコ訳)『アルトゥーロの島』/ナタリア・ギンズブルグ(須賀)『モンテ・フェルモの丘の家』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹個人編集=世界文学全集の一冊です。

愛と憎しみとは表裏一体と言われることがあります。愛するが故に嫉妬など様々な思いに苦しめられるわけですし、憎むということは、それだけ対象へ執着を抱いているということで、愛によく似ています。

そうしたアンビバレンスな(対照的な両極端の)感情を巧みに描き出した作品が、今回紹介する『アルトゥーロの島』。出産で母は亡くなり、父はいつも旅ばかりしているので、いつも孤独な少年が主人公。

そんな主人公が14歳の時にやって来たのが若い継母でした。父がナポリの女性と再婚したのです。父から愛情を注がれたいと思い続けていた少年は、初め継母に激しい敵意をむき出しにするのですが……。

かつては映画化されたタイトルにあわせて、『禁じられた恋の島』というタイトルだったそうですが、相変わらず父は旅ばかりしているので、少年はその継母と二人きりでずっと過ごすことになるわけです。

身近に女性がいたことがなく、愛情に飢えていただけに、少年の継母への想いは強くなれば強くなるほど、どこか憎しみに似ていくのでした。継母と少年の、複雑に揺れ動く心を描いた作品になっています。

引き込まれるテーマの小説ですよね。一歩間違えればポルノになってしまいそうな淫靡な関係性を思わせる物語なだけに、思わず展開が気になってしまいました。ただ、あまりエロティックさはないですね。

この継母が若いんです。2歳上の16歳。なので、フランス文学でよくあるように、性的に成熟した者が未熟な者を導くような物語にはなかなかなっていきません。最終的にどうなるかは伏せておきまして。

作者のエルサ・モランテは、イタリア文学を代表する女性作家です。この「世界文学全集」に『軽蔑』が収録されている、同じくイタリア文学の有名な作家アルベルト・モラヴィアの奥さんでもありました。

モランテより4歳ほど年下ですが、ほぼ同世代のイタリア文学の女性作家が、ナタリア・ギンズブルグ。この巻に収録されている『モンテ・フェルモの丘』は、複数の男女の恋愛を描いた書簡体小説です。

書簡体小説というのは、手紙で構成されている小説のことで、どうしても小説的な勢いには欠けることから、ぼくはこの形式の小説があまり好きではなかったのですが、この小説はすごくよかったですねえ。

楽しい出来事というよりは、人生で起こる悲しい出来事が紡がれる物語ですが、起こる出来事がとてもリアルに感じられるだけに、非常に共感させられました。書簡体小説で一番好きな作品かも知れません。

似ているかどうかはちょっと微妙ですけども、読みながらぼくが連想していたのは、ウォン・カーウァイ(王家衛)の映画でした。さみしさなどの感情を中心にした群像劇を得意とする香港の映画監督です。

個人的には『欲望の翼』が好きで、またウォン・カーウァイのベストだと思っていますが、今回おすすめしたいのは、『恋する惑星』。金城武やトニー・レオン、歌手のフェイ・ウォンらが出演しています。

恋する惑星 [DVD]/角川書店

¥3,990
Amazon.co.jp

香港の街角を舞台に、複数の男女のすれ違う一方通行の想いを描いた群像劇で、どことなくメロウな(ゆったりとして美しい)雰囲気が魅力の、映像と音楽が印象的な作品です。こちらも機会があればぜひ。

また逆に言えば、ウォン・カーウァイの映画が好きな方は『モンテ・フェルモの丘の家』を読むと結構ハマるのではないかなと思います。

作品のあらすじ


エルサ・モランテ『アルトゥーロの島』


18歳に満たぬ若さで出産時に亡くなった母を持つ〈ぼく〉。母を偲ぶものと言えば、幻のような姿で映っている色褪せた小さな写真しかありませんでした。〈ぼく〉が暮らしているのはプロチダという島。

島にはアマルフィからやって来たロメオという男が暮らした館がありました。何故か女性を嫌い、館に女性を近づけようとしないことで有名だったアマルフィ人。唯一親しかったのが、〈ぼく〉の父でした。

祖父とドイツ人の小学校教師との間に私生児として産まれた父は、祖父からずっと放ったらかしにしておかれたのですが、16歳ほどの時に、祖父の名前と遺産とを継ぐために、プロチダに呼ばれたのです。

しかし祖父とは馴染めずに、アマルフィ人と親しくなった父は、やがて祖父の遺産の他に、アマルフィ人の館も受け継いだのでした。母の早すぎる死を、女性を受け入れない館のせいだと人々は噂したりも。

まだ赤ん坊の〈ぼく〉を、15歳ほどの使用人シルヴェストロにまかせて、父は旅に出てばかり。〈ぼく〉は6歳で飼い始めた、月のように真っ白なことからインマコラテッラと名付けた雌犬と過ごします。

14歳になった時〈ぼく〉をめぐる環境は大きく変わりました。父がナポリから16歳の女性を連れてきたのです。父の再婚相手でした。

 花嫁はようやく旅のコートを脱いでいた。ビロードのスカートの上には赤いセーターを着ていたが、これもコート同様に彼女にはもう小さくきつくなっていた。この服装なら、彼女の体形をよく見ることができた。それは、経験のないぼくの目にも、歳のわりにはかなり発達しているように見えたが、でもその女性らしい姿のなかに、まるで彼女自身、自分が成長したことに気づいていないような、どこかあどけない未成熟さと無頓着さがあった。肩はほっそりして胴まわりは小さく、そのまだ未熟な上半身に彼女の胸は重すぎるように見えた。それは、なにやら不思議な、やさしい哀れみを抱かせるのだった。幅広くて少し不格好な腰の重々しさは、彼女に力強さを添えはせず、ぎこちなく無防備な無邪気さを与えていた。(115ページ)


弟や妹がたくさんいるヌンツィアータは、〈ぼく〉の母親代わりをしようとしますが、子供扱いされることが気に食わず、親しく打ち解けて話した後でそれをすぐさま後悔するなど、反発し続ける〈ぼく〉。

ヌンツィアータがパスタを作ってくれても、パスタは嫌いだと言い、「あんたはぼくのなんでもないんだ。あんたとは親戚でも友だちでもない。わかったか?」(160ページ)と〈ぼく〉は叫ぶのでした。

元々愛し合って結婚したわけではないらしく、父は継母を置いて相変わらず旅に出てばかりです。やがて、可愛らしい赤ん坊が産まれたことで、ようやく継母は自分が愛情を注げる対象を見つけたのでした。

継母が弟にキスする姿を見て、〈ぼく〉はいまだかつて誰からもキスされたことがないことを思います。ボートやオレンジにキスしてみますが、それはざらざらの樹皮であり、塩気のある苦い味なのでした。

なんとかして継母の関心を引きたい〈ぼく〉は、致死量を確かめた上で毒を飲み、自殺したように見せかける計画を立てたのですが……。

ナタリア・ギンズブルグ『モンテ・フェルモの丘の家』


ローマからジョゼッペは、アメリカにいる兄フェルッチョへ手紙を書きます。ついに切符を買ったこと。アメリカに来いとは言ってくれたもののフェルッチョが本当に後悔しないかどうか気にしていること。

ジョゼッペはモンテ・フェルモの《マルゲリーテ》という家で暮らしている、別れた愛人ルクレツィアへも手紙を書きました。別れを言いにわざわざローマまで来ないでほしいし、電話もしないでほしいと。

ルクレツィアは、ピエロという男とお互いに干渉しない「開かれた結婚」をしており、ジョゼッペとは一時期愛人関係にあったのでした。

たくさんの子供の中でグラツィーノは自分の子だとルクレツィアから言われたジョゼッペですが、それを信じません。そんなジョゼッペには、離婚した妻との間にアルベリーコという成人した息子がいます。

同性愛者であり、色々と問題を起こしては周りを困らせていたアルベリーコでしたが、今は仲間と映画作りをがんばっているようでした。

ジョゼッペはルクレツィアへの手紙で故郷を離れる思いを綴ります。

 ぼくはローマの町を果てしなく歩く。昨日はバスに乗って、サン・シルヴェストロ広場まで行った。街角に捨ててある破れたゴミ袋、日本人の旅行者、新聞紙をしいて寝ている乞食、郵便局のトラック、救急車のサイレン、警察のオートバイ。どれも、これといって特別なものじゃない。だけどぼくは、ゆっくりと、愛情をこめてさよならを言った。アメリカには、また違った広場があって、そこにも旅行者や乞食がいて、サイレンが鳴ってるだろう。だけどそれはぼくにとって、関係のないものだ。人生で、ほんとうに自分のものと言えるものは、そういくつもあるはずはないのだ。ある年齢まで生きてきた人間にとって、初めて見るものは、もう関係ないのだ。旅行者として眺めるだけで、興味はあっても心はつめたい。他人のものなんだ、それは。(388ページ)


ローマの家を売り払い、期待に胸を膨らませてアメリカへ向かったジョゼッペでしたが、兄と二人、水入らずで暮らせると思っていたのに、兄が結婚することを決めたと知って、戸惑いを隠しきれません。

一方、ジョゼッペの知り合いでもあり、絵画修復のために家へ呼んだイニャツィオ・フェジツと知り合ったルクレツィアは恋に落ちて、ジョゼッペとの関係も含め、今までの恋は思い違いだったと書きます。

あなたと知り合っても、わたしの人生の色が根本的に変ったということはありませんでした。こんどはほんとうに色が変ってしまったのです。ピエロは、あなたとのことはゆるしてくれて、心配もしませんでした。あなたとのことは、いわば血の流れない不倫でした。でも、こんどの不倫は血が流れる種類の不倫です。わたしとアイ・エフは死ぬほど愛しあっていて、ふたりでどこかに行ってしまうつもりです。いつ決行するのか、どこへ行くのかはわからないけれど。どこかの町で家を借りようと思ってます。子供たちは連れて行きます。あなたは子供のことでおじけづいたけれど、彼にはこわいものなどありません。(436ページ)


ルクレンツィアは、ピエロと別れ、モンテ・フェルモの家《マルゲリーテ》も捨てて、愛人と生きていく道を選ぼうとしたのですが……。

とまあそんな2編が収録されています。『モンテ・フェルモの丘の家』はアメリカに渡ったジョゼッペと、そのかつての愛人で、恋に生きようとするルクレンツィアのそれぞれの手紙が軸となる物語です。

他にもジョゼッペの友人のエジスト、セレーナ、アルビーナ、いとこのロベルタ、息子のアルベリーコなどの書き手も登場して、それぞれの人生の悲喜こもごもが少しずつ綴られていくこととなるのでした。

失ってしまった家や、もう取り返しのつかない愛情など、様々なモチーフが散りばめられた物語で、人生というものがリアルに描かれた共感しやすい作品なだけに、しみじみと胸に染み入るものがあります。

書簡体小説というのはどういうものなんだろうと関心を持った方はぜひ読んでみてください。書簡体小説の中で指折りの面白い作品です。

この「世界文学全集」は、政治的に意味があるものや、テーマ的に興味深いものなどどちらかと言えば文学的価値のあるものが多いという感じですが、この巻は物語として面白くとても読みやすい巻でした。

イタリア文学の女性作家をまとめた一冊。興味を持った方は、ぜひ。

明日は、モブ・ノリオ『介護入門』を紹介する予定です。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 464

Trending Articles