介護入門 (文春文庫)/文藝春秋
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モブ・ノリオ『介護入門』(文春文庫)を読みました。芥川賞受賞作です。
最近はわりと受賞会見での発言が話題となることも多い芥川賞ですが、中でもぼくが結構好きなのは、モブ・ノリオが冒頭にぶっかました「どうも、舞城王太郎です」というギャグ。すべりましたけども。
少し説明をすると、舞城王太郎もその時候補にあがっていた作家で、正体が分からない覆面作家なんですね。受賞したら姿を現すかどうかが話題になっていただけに、そういうギャグに結びついたわけです。
そんなモブ・ノリオのデビュー作兼受賞作が「介護入門」。29歳、金髪でほぼ無職、音楽に耽溺しマリファナを吸っている主人公の目を通して、老人の自宅介護という現代の社会問題が綴られた物語です。
自宅介護という、なかなかに語られにくいテーマを、ヒップホップを思わせる饒舌な語りの文体で描いたその手腕が高く評価されました。
俺の命は祖母の襁褓を新たに敷き直すため、熱めのタオルで尻を拭うため、寝汁で湿ったメリヤスの下着を脱がして更に着せ替えるためだけにある、そう言い聞かせなくては、俺はこの夜から復讐を果たすことができないんだ、朋輩。熟睡に常時飢える俺の浅い眠りは、毎回レム睡眠を深夜の目覚ましに破られる度に、羽化に失敗した深夜の蟬の幼虫になって、飛んでいるつもりが開き切らず皺くちゃに固まった青い翅で地を這い回るみたいに、おお、四つん這いで折り畳みベッドから抜け出すのだ。(中略)自らやろうと決めたばあちゃんの下の世話程度でこの有様だ、自宅介護で破綻する奴らもいるだろう、肉親を殺し自分も死のうと考える奴がいたっておかしくないさ、長生きしてくれと思う日々の甲斐甲斐しさの裏で、ふと、この生活がいつまで続くのかと青ざめる、それは未来永劫続くと思われるんだぜ。(52~53ページ)
ラッパーが相手への批判をする、いわゆる「ディスる」ように、深夜の介護の大変さを知らない親戚の、上辺だけのやさしさや、ヘルパーの手抜きなど、介護にまつわる矛盾を徹底的に「ディスる」主人公。
金髪という見た目や、生活態度がちゃらちゃらしているように見えるイメージがとことん悪い主人公なだけに、かえって、そうした「ディする」内容が鮮やかに浮かび上がり、説得力を持って来るのでした。
さて、折角なので、ヒップホップ関連についておすすめをいくつか。
海外で有名なヒップホップ・アーティストと言えばエミネムがいますが、そんなエミネムが主演した映画が『8Mile』。エミネムが歌う主題歌の「ルーズ・ユアセルフ」も、かなりヒットしましたよね。
8 Mile [DVD]/ジェネオン・ユニバーサル

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劣悪な環境で育った青年がラップのバトルの大会に出場して、ラッパーとしての成功を目指すという、エミネムの半自伝的作品と言われる映画ですが、夢を追うシンプルな物語なだけに、かなり面白いです。
ラップのバトルの大会自体が興味深いですし、ブリタニー・マーフィ演じる同じく自分の夢を持つヒロインとの関係もとても印象的でした。話題になった映画ですが、まだ観たことがないという方はぜひ。
続いては、日本のヒップホップのおすすめグループを。「RIP SLYME」や「KICK THE CAN CREW」が聴きやすいですし、人気がありますが、ぼくが好きなのは「RHYMESTER」というグループ。
最近では、宇多丸のラジオの映画評が話題になったり、テレビで露出が増えたりと、結構メジャーになったような感じもありますね。特におすすめというか、ぼくがよく聴いているのは、『ウワサの真相』。
ウワサの真相/キューンレコード

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ラップで韻を踏む見事さというのは、当然文学的技巧の巧みさと重なるので、読書が好きな方は、多少攻撃的だったり、卑猥だったりする部分もありますが、ライムスターは意外とハマるだろうと思います。
作品のあらすじ
『介護入門』には、「介護入門」「市町村合併協議会」「既知との遭遇」の3編が収録されています。
「介護入門」
「YO,FUCKIN,朋輩、俺がこうして語ること自体が死ぬほど胡散臭くて堪らんぜ、朋輩」(11ページ、「朋輩」には「ニガー」のルビ)嘘ばかりになるから、聞き流してくれと〈俺〉は語り始めます。始まりは祖母の痴呆でした。その頃〈俺〉はマリファナ以外のことはどうでもよかったのですが、祖母はダックスフントのいもしない子供を探し、丼鉢の陰や乾物入れの紙箱の裏を覗くようになったのです。
やがては深夜に失禁するようになった祖母は徘徊で転んで怪我をし、下半身不随の寝たきりの状態になってしまったのでした。昼はヘルパーを頼めますが、夜は〈俺〉が祖母の面倒を見なければなりません。
祖母の枕から一メートル少し離れた寝床から、理想的にことが進めば、俺は夜中から朝までに三回も起床する。だがな、実に面白いことを親戚から言われたりもするのだよ。「アンタ、毎日お昼頃まで寝てんのんか?」ああ、日頃から俺を金髪の穀潰しとしてしか認識せぬそいつの無意識がそう言わしめるのだよ、ha、ha、《寝たきり老人介護=孤独のほったらかし》とは、これはまた通俗的な発想だな。そうしたい奴は勝手にそうすればいいだろうが、まるでどこかの安物の雑誌にでもありそうな言葉に騙されていたなら、俺もばあちゃんの笑う顔なんか拝めはしなかっただろうな。
(39~40ページ)
ヘルパーを頼める昼は楽かと思いきや「おばあちゃんにテレビを見てもらっていますと称して、手の空いた介護士が介護ベッドを背にし低俗なワイドショーに見入っていたりする」(44ページ)のでした。
介護入門、一、直接介護をしない肉親にいっさい期待すべからず。一、派遣介護士の人間の質をしっかり見極めるべし。そんな風に〈俺〉は、自宅介護における教訓を学び、心に刻みつけていきます。
やがて、親戚の伯母の言動が〈俺〉を震撼させることとなって……。
「市町村合併協議会」
〈私〉が暮らす市では近くの町や村との合併の計画があがっており、どうやら「公募で選ばれた嘘っぽい名称」(119ページ)がつけられそうです。日曜日、醤油屋の倅で、幼馴染のブッチを訪ねました。「わしらの市の名前は、なくなるんかなあ。」
「てぃむぽやねぇ。」
「合併してどないするねん。区長のおっさんとか、『んなもん、借金持ったもん同士の寄り合いやがな。』言うとったで。」
「ほんま、てぃむぽやねぇ。」
「なんか、〈まほろば市〉とか、〈大和市〉とかになるんやろか?」
「んー。〈てぃむぽ市〉とかやったら、まだええねんやけどなあ……。」
「……〈てぃむぽ市〉いうのんは、ないわなあ。」
「カッコイイっしょ?」
私はわざと、ブッチの普段の口癖を真似て、
「シャレオツやわなあ。」
と返した。(122~123ページ)
子供の頃の懐かしい話や近況について色々と話し合う内に、〈私〉は変化し、やがては失われていってしまう伝統について考え始め……。
「既知との遭遇」
宇宙人対アメリカ人の戦争を描いた映画を娯楽として楽しむ日本人。「劇場の暗闇にやさしく包まれていると、映画の中で〈核〉が発射されるのも止むを得ぬ」(138ページ)感じがするかのようでした。政府指定の新世代型携帯電話機の所持が国民全員に義務付けられ、六十数年ぶりに徴兵制が復活すると〈てきこく〉と戦争が始まり……。
とまあそんな3編が収録されています。「介護入門」は小説として面白いかは微妙で、楽しめるというよりは考えさせられる作品。介護を体験している方や、介護に関心のある方の胸に、特に響くでしょう。
重いテーマをヒップホップを思わせる独特の語りの文体で描いた目新しさのある作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
明日は、チャトウィン/フエンテス『パタゴニア/老いぼれグリンゴ』を紹介する予定です。