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笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』

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タイムスリップ・コンビナート (文春文庫)/文藝春秋

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笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』(文春文庫)を読みました。芥川賞受賞作です。

特にネット用語や、お店の名前などがそうですが、読み方がよく分からなかったり、間違えて覚えて使ってしまったりするものですよね。

ぼくはWi-Fi(ワイファイ)は、ずっと普通に「ウィッフィ!」とマリオが叫びそうな感じで言ってましたし、「Francfranc(フランフラン)は店の中で、どや顔で「フランクフランク」と言ってました。

まあそんなちょっと恥ずかしい経験というのは誰もがあると思うのですが、これって実はかなり面白い現象で、言葉の読み方としては間違っていたとしても、指し示しているものはあっていたわけですよね。

似たような現象が起こるのが、夢を見ている時。姿形はまったく違くても、それが○○さんのことだと分かるなど、認識したものと、それが意味しているものに、ずれがある夢を見たことは、ありませんか?

言い間違いや夢などから人間の無意識を探れるとして発展していったのが、ジークムント・フロイトの心理学なのですが、その精神分析の方法などに影響を受けた流れに「シュールレアリスム」があります。

溶ける時計を描いたサルバトール・ダリなど、絵画も非常に面白いですが、文学に関心のある方は、原点とも言うべきアンドレ・ブルトンの「溶ける魚」を読んでみてください。自動筆記に挑んだ作品です。

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)/岩波書店

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そしてその「シュールレアリスム」の技法を巧みに取り込んでいるのが今回紹介する「タイムスリップ・コンビナート」。夢や幻想を思わせる作品世界ながら、わりとバランスがとれていて読みやすいです。

たとえば、ぼくが最も印象に残ったのは、こういう場面でした。

 ホームのベンチに座ると、誰かが捨てて行ったらしい折れた広告紙が、真っ白な裏をさらしてそのベンチの上に乗っかっていた。それが一冊の本に見えて仕方がなかった。その本の放つ銀色の光が、目の中に入って来て目が眩み始めた。眠ってしまうらしい。夢の中で広告紙の方に手を伸ばしていた。広告紙がどんどん膨れ上がって、本の形ばかりかその装丁や中の文字まで全部判った。最近流行っているらしい、細長い、ページ数の少ない、軽い本だ。白い艶の無い紙質の表紙で、中表紙が和紙のようなブルーグレー、文字が型押しした銀色で同じ色の模様があちこちに跳ねている。
(62~63ページ)


広告紙を本と見誤りそれが突如薄っぺらい本に変容するシュールさ。精神分析が出来そうでもありますね。「おおっ」とそのシュールさに惹かれた方は、ぜひ読んでみてください。きっと楽しめるはずです。

見誤ったもの、聞き違えたものがイメージを形作って、妄想がどんどん膨らんでいく独特の作品世界は好き嫌いは分かれるでしょうが、シュール好きにはたまらないもので、ぼくはかなり面白く読みました。

そしてこの作品のもう一つの大きな魅力は、海芝浦駅が舞台なこと。ぼくもこの小説を読むまでは知らなかったのですが、テレビに取り上げられることもあるくらい、有名な所みたいですね。こんな駅です。

――そこはJR鶴見線の終着駅で長いホームの一方が海に面している。もう一方に出口は一応あるものの、それは東芝の工場の通用口を兼ねたもので、社員以外の人間は立ち入り禁止である。つまり、一方が海で一方が東芝、外へ出ようとしたら方法はふたつ、海へ飛び込むか、東芝の受付で社員証を見せるか――というわけでその駅のホームに魚でもなく海蛇でもなく東芝の社員でもない人間が降り立ったとしたら、折り返しの電車が出るまでただホームに立ち尽くしている事しか出来ないのだった。(9ページ)


半分海で、もう半分は普通の人が入れない工場地帯。その対比が、未来社会のような現在と懐かしい過去、レプリカント(アンドロイド)のように働く人々と、物書きの自分のイメージと重なっていきます。

作品のあらすじ


『タイムスリップ・コンビナート』には、「タイムスリップ・コンビナート」「下落合の向こう」「シビレル夢ノ水」の3編が収録されています。

「タイムスリップ・コンビナート」

こんな書き出しで始まります。

 去年の夏頃の話である。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいたある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつから、いきなり、電話が掛かって来て、ともかくどこかへ出掛けろとしつこく言い、結局海芝浦という駅に行かされる羽目になった。
(9ページ)


熟睡している時に電話がかかって来て、夢の続きのように話を聞いていると、電話の相手は「出掛けて戴かないと、……二十一世紀ですし」(13ページ)とよく分からない言葉で外出をすすめてきます。

電話の相手にも話の内容にも心当たりがないので、間違い電話だとも思いますが、相手は〈私〉のことをちゃんと分かっており、いつの間にか片側が海だという海芝浦へ行くことになってしまったのでした。

 ――ふうん、プラットホームで絵葉書なんかを売っているのかしら。
 ――え、……、そうじゃなくて、ともかくブレードランナーみたいなんですよ。
 唐突な言葉で、より一層わけが判らなくなった。ブレードランナーだと、東芝でブレードランナーがどうだとか言ってる。マグロは東芝で造っている人造マグロなのか。どうりでどこか、ロボット臭いと、思っていた。いや、ブレードランナーならばレプリカントだ。
 ――東芝でレプリカントを作っているんですか。
 ――いえいえいえ、いえいえいえいえいえいえっ。
 強い強い否定。ごまかすための否定か。ならば電話の相手こそがレプリカントなのだ。
 ……つまりね、そこは高度経済成長の名残の路線なんです。
 私は再び動揺した。ブレードランナーなどという外国語よりも、もっとわけの判らない単語が出て来たのだった。
(26~27ページ)


海が見え、工場が立ち並ぶコンビナートの町へと向かった〈私〉は、幼少時代の祖母との思い出など、時折過去の記憶を思い出して……。

「下落合の向こう」

電車に乗っていると不思議な感覚を呼び起こされる〈私〉。「電車の線路など本当は存在していないし、車窓に見える景色は全部作り物だなどと」(87ページ)考えるくらい外とは別世界に感じるのです。

床の下のごとんごとんと聞こえる音はもしかしたら「無数の巨大なザリガニがはさみをふり立てて伴走する、殻のぶつかり合い揺れる音」(87ページ)なのかもしれないと想像を膨らませてみたりします。

西武電車で高田馬場に出ようとしていた〈私〉は、かわいらしい制服に身を包んだ女子高校生らの会話を聞くともなしに聞いていて……。

「シビレル夢ノ水」

冬の比較的暖かい日の朝、家の前にわりと大きなメス猫がいて、勢いよく部屋に入り込んでしまいました。チャリネと名付けて、飼い始めましたが、気に入らないことがあると、なにかと暴れたりもします。

ようやくその気まぐれな乱暴ぶりに慣れ始めた半年後、掲示板を見た元々の飼い主がやって来て本当は兎虎(トコ)という名だと分かり、そのまま引き取られていきました。なんだか手持無沙汰になります。

今までは猫を中心に生活が回っていましたが、物書きの〈私〉一人だと別に朝も夜も気にしなくていいですし、掃除もしなくなりました。

すると、次第に増えたのが床の蚤(ノミ)で、なんとか対処しようとしたものの、蚤はどんどん大きくなり増えていってしまったのです。

 蚤は私の部屋の中でこれ見よがしに生殖行為をするようになった。いや、生殖行為の擬似行為や変態までもして、或いは変態の演技をしてみせてどれが生殖でどれが生殖でないか、判定の付かない私をあざ笑うのだった。蚤の生殖行為について無知だという事は、これまで少しも私を傷付ける事がなかった。が、蚤ですら人と同じように出来るのだと、そして、その蚤が様々な人間らしい擬似性交をしてみせてドレガ本当デショウと問い詰めて来るのには参ってしまった。(130ページ)


部屋を侵食し、自由気ままにふるまう蚤との奇妙な共同生活は続き、〈私〉は幻想なのか妄想なのか、そもそもこの部屋に入った時から起こった、不思議な出来事について思い出していくこととなって……。

とまあそんな3編が収録されています。「タイムスリップ・コンビナート」に出て来る『ブレードランナー』というのは、リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演の1982年公開の映画のこと。

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]/ワーナー・ホーム・ビデオ

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「レプリカント」という人造人間がいる未来社会が舞台で、逃げ出した「レプリカント」を追う賞金稼ぎが主人公。任務を遂行している内に人間と「レプリカント」の違いに迷うようになっていく物語です。

原作は、フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、小説もおすすめですが、『ブレードランナー』は近未来的な映像が衝撃を与えた映画なので機会があればぜひ。

その近未来社会のモデルに、日本の都市が使われたことでも大きな話題となりました。SF小説やSF映画とあわせて、この「シュールレアリスム」な小説集を読むのも、また楽しいものかも知れませんよ。

シュールで面白い小説に興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、池澤夏樹個人編集=世界文学全集『短篇コレクションⅠ』を紹介する予定です。

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