密室キングダム (光文社文庫)/光文社
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柄刀一『密室キングダム』(光文社文庫)を読みました。
ぼくが子供の頃に夢中になって読んでいたのが、江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」。変幻自在の大怪盗である怪人二十面相に名探偵の明智小五郎と弟子の小林少年ら少年探偵団が挑む人気シリーズです。
怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)/ポプラ社
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神出鬼没で、普通だったら盗み出せないものを驚きの手口で盗み出す怪人二十面相。あのシリーズの面白味はそうした犯行手口や対決自体のけれん味というか、大掛かりでど派手な感じにあったと思います。
そして久しぶりに「少年探偵団シリーズ」のわくわくを思い出させてくれたのが今回紹介する『密室キングダム』でした。”檀上のメフィスト”と呼ばれるダンジョン・イチロウがマジック中に殺されます。
事件はそれだけでは終わらずダンジョン・イチロウと関わる人々が、次々と密室で殺されていったのでした。アンチ”檀上のメフィスト”と呼ばれるようになった犯人は、まさに奇術のような手を使うのです。
密室を描いたミステリは普通、その犯行不可能性が重視されるものですから、謎が解かれる時に驚きはあっても事件現場自体は地味なものが多いです。しかしこの作品は事件自体がど派手で驚かされました。
マジシャンを殺し、ある意味ではマジシャン以上に奇術的な方法でいくつもの密室を作り上げる犯人に挑むミステリ。これが面白くないわけがありません。密室の謎に挑むのは南美希風(みなみみきかぜ)。
心臓に持病があり、発作が起きると命も危ないどこか儚げな青年で、柄刀一の他の作品(『OZの迷宮』など)に登場しているそうですが、『密室キングダム』はエピソードゼロと言うべき若き日の物語。
美希風の推理の特徴は、まるで夢を見ているかのような状態”黄昏の下の国”というイメージゾーンで自分の考えをまとめ、真相を閃くこと。その状態にいる美希風を姉の美貴子はこんな風に語っています。
美貴子は、弟に何度か訊いたことがある。あなたにとって価値ある指針を持っているらしいその”夢”の空間では、実際はどんなものが見えたり聞こえたりしているの、と。
その答えによると、聞こえるものからなんらかの糧を得るのは稀であるらしい。美希風は視覚を通してメッセージを解読するほうが性に合っているそうだ。もっとも、死に瀕していた時の”眠り”では、光と声の両方から刺激を受けたりもしたという。
閉じた目蓋の、裏側の視覚。その視覚に映るのは、容易には捉えきれない抽象的な事物であることが多いと言い、それは美貴子にも理解できる気がした。理学の外、理性や合理の裏の世界がもたらす映像は、ちょうど、デ・キリコの絵や、マグリットの絵のようなものなのではないだろうか。そこからは自由に意味が酌み取れそうになるが、だからこそ、身勝手な解釈に陥らないような注意も必要であるといえる。ある意味、与える側と対等な、直感的に確信を得る熟達度が求められるのかもしれない。(440ページ)
次々と仰天の手口で密室を作り上げていく、アンチ”檀上のメフィスト”と鋭い推理力でトリックを暴いていきながらもどこか誘導されている感覚を捨てきれない美希風との対決を描いた密室ミステリです。
作品のあらすじ
人間消失マジックで名を馳せた”壇上のメフィスト”ことダンジョン・イチロウは、しばらく表舞台から姿を消していましたが、ついに復活イベントが行われました。南姉弟、美貴子と美希風も観に行きます。
昔からダンジョン・イチロウのファンだった美希風。ダンジョン・イチロウの妻冬季子の妹上条春香が美貴子の親友という縁もあり、楽屋に挨拶に行き、40歳の素顔である吝一郎を見ることが出来ました。
特別に招待されたイベントの第二部では、ダンジョン・イチロウの自宅までの間で棺桶を使った脱出マジックが行われる予定でした。しかしマイクを使っての実況中継の最中に、なにやら異変が起こります。
どうやら演出だな、と思えていた口調が、なぜかここで俄に変化した。
『……おや? 君たちは、私を逆に驚かせるつもりだったのかい?』
吝一郎の声の質が変わっている。その言葉どおり、なにかに驚いた様子だった。個人的な素の声に戻って戸惑っている。
控えの間にいる何人かも、戸惑いの視線を交わし合った。
なにか異変が起こったのだろうか?
『いつの間に、この場所に私を――』
そこで、言葉はブツッと切断された。
バツッとなにかが弾けるような音、うむっ! という不穏な声に続くのは、苦痛を思わせる低い呻きだった。
『なっ――』
その一声がかろうじて絞り出されたが、そこにこもるのは、この上ない驚愕だろう。声はすぐにくぐもり、そのまま再び、苦痛の気配に歪んでいく。
次の瞬間、耳を覆いたくなる乱暴な音と共に、送信が途絶えた。(60ページ)
”舞台部屋”と名付けられた広間に人々は駆けつけ、扉を壊して中に入ります。蝶番を斧で壊して棺桶を開けると、まるで吸血鬼を退治するかのように心臓に杭を差し込まれ、吝一郎は殺されていたのでした。
部屋にはおかしなことがありました。家具や小道具が移動されて上手と下手が逆転しているのです。予定にはありませんでした。そして、時計の文字盤など、室内にあったガラスがすべてなくなっています。
警察とともに一郎の母玉世、一卵性双生児の弟二郎から話を聞いた南姉弟は吝家にまつわる様々な事実を知っていきます。古いしきたりのある村に住んでいたため、双子が産まれたことが問題になったこと。
11歳の時に一郎は右腕の神経の麻痺、二郎は視神経の麻痺におかされてしまったこと。一郎は訓練で克服し、マジシャンとして成功をおさめましたが、後にまた発症します。二郎は失明してしまいました。
一郎と二郎が生まれたばかりの頃に吝家で働いていた西上キヌが何かを知っているらしき様子だったので、話を聞いてみることにした南姉弟でしたが、閉ざされた襖の部屋の中でキヌは死骸で発見されます。
やがて、一郎の密室殺人の謎を解く鍵になりそうな資料を保管していた図書室で火災が起こりました。警備の警官が殺されているのが発見され、犯人を追った通路の先では、死んだコウモリが見つかります。
図書室の戸は閉ざされていたのに、中には犯人の姿は見つかりませんでした。冬季子と春香の従兄弟であり、中世絵画の教授である長島要が通路で頭を殴られて倒れていたのが怪しいと言えば怪しいぐらい。
美希風はこの図書室で起こった事件の異様さに気付き衝撃を覚えます。美希風から指摘されて冬季子と春香の父方の叔父で元警察幹部、今は防犯器具メーカーの会長の遠野宮龍造や刑事たちも驚きました。
「変わり種とは、どこが?」
これほどまでのことを、まさか犯人が計画したとは思えない。
いかにアンチ”壇上のメフィスト”が稀代の天才犯罪者だとしても、ここまで底が知れないことは実行できないだろう。
「自殺に偽装するにしろ、とんでもない盲点の逃走口を作り出すにしろ、密室殺人では当然の常識的な前提として、死体は現場の中にありませんか?」
「――むう!」唸った遠野宮は、扉の外に視線を飛ばした。
「ところがこの第三の事件、これは、密室殺人でありながら、死体は密室の外にあるのです」
不敵で皮肉。倒立的な装飾性にもほどがある。
「確かに」大海警部が、微妙に思い悩むような声を漏らした。
「それに、霧岡刑事。もし長島さんが犯人であるなら、ますます奇妙な逆転構造が生まれます」
「まだなにかあるの?」美貴子の声は、なにかを恐れるかのような響きを持った。「なんなの?」
「この事件、犯人が密室内にいて、死体である被害者は外にいる。このような、特異でへんてこな密室は、奔放なフィクションの世界にもまずないはずだ。お目にかかれないだろうね」
形式としては真性なのに、ねじれている。密室殺人が誕生した始点やその後の長い歴史さえ揶揄するように――徹底的に、内と外が……。(599~600ページ)
イメージの世界に入り込む独特のアプローチで、わずかに残った証拠から、アンチ”壇上のメフィスト”の密室のトリックを暴いていった美希風でしたが、やがて第四、第五の密室殺人が起こってしまい……。
はたして、アンチ”壇上のメフィスト”の正体を見つけ出せるのか!?
とまあそんなお話です。これでもかというほど密室殺人事件がつめこまれた作品。マジックと関連させているだけにど派手な機械的トリックが多く、その仕掛けに毎回、あっと驚かされること請け合いです。
そして、マジシャンが観客の目を巧みに誘導するように、機械的なトリックだけに目をとられていると肝心なものを見逃してしまうのでした。それだけにトリックを暴く美希風は常に違和感を覚え続けます。
現代日本の密室ものとして際立った面白さのある作品ですが、唯一難点をあげるとすれば、1200ページもあるかなり長い作品であること。物語自体は面白いので、ぜひじっくりと取りかかってください。
明日はカーター・ディクスン『黒死荘の殺人』を紹介する予定です。