黒死荘の殺人 (創元推理文庫)/東京創元社
¥1,008
Amazon.co.jp
カーター・ディクスン(南條竹則・高沢治訳)『黒死荘の殺人』(創元推理文庫)を読みました。
密室と言えばカー、カーと言えば密室と言われるくらい密室にこだわり、名作も多いのがジョン・ディクスン・カー。生み出した名探偵としては『帽子収集狂事件』などのギディオン・フェル博士がいます。
カーにはカーター・ディクスンという別名義があって、カーター・ディクスン名義でとりわけ有名な名探偵が、ヘンリ・メルヴェール卿。その記念すべき初登場作が今回紹介する『黒死荘の殺人』です。
原題は" The Plague Court Murders "で、『プレーグ・コートの殺人』(仁賀克雄訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)、『黒死荘殺人事件』(平井呈一訳、講談社文庫)など、色んな邦題で翻訳が出ています。
ただ、いずれも今は本自体が手に入りづらいので、これから読もうと言う方は、2012年に出たこの創元推理文庫が一番おすすめです。
ちなみに、カーがどうして別名義で出版しなければならなかったかというと、アメリカの出版業界の慣習では一年に何作も出版することが出来なかったようなんですね。そういう契約を交わしていたのです。
もっとお金を稼ぐために別の出版社から出版することにしたのですがカーの名義は使えません。そこでカーが望んだ名前ではなかったのですが、紆余曲折を経て、カーター・ディクスンが誕生したのでした。
そういうわけで、ディクスン・カーとカーター・ディクスンは意図的に作風で分けられているわけではなく、主に出版契約の問題で分けられているので、どちらかのファンは、もう片方の作家も楽しめます。
ディクスン・カーと同じように、もっと作品を書きたいと別名義でも活動していた現代作家にはモダン・ホラーの旗手スティーヴン・キングがいます。別名義として使っていたのがリチャード・バックマン。
リチャード・バックマン名義で有名なのが『バトルランナー』です。これはかなりおすすめの一冊。内容はかなり違いますが1987年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画版も作られました。
バックマン・ブックス〈1〉バトルランナー (扶桑社ミステリー)/扶桑社
¥740
Amazon.co.jp
近未来、莫大な賞金をめぐり、命がけで逃げ続けるテレビ番組に出演した主人公のスリリングな物語で、山田悠介の『リアル鬼ごっこ』やスーザン・コリンズの『ハンガー・ゲーム』が好きな方におすすめ。
スティーヴン・キングほど露骨なホラーではないですが、実はカーター・ディクスンの魅力もまた怪奇風味がある所で『黒死荘の殺人』は幽霊屋敷での降霊会の最中に起こった奇妙な事件のミステリです。
幽霊が犯行を行ったとしか思えない、誰も足を踏み入れられない状況で起こった密室殺人事件。その謎に、マイクロフト(シャーロック・ホームズの兄)の異名を持つ、ヘンリ・メリヴェール卿が挑みます。
作品のあらすじ
ある時、クラブで夕食を済ませ喫煙室でコーヒーを飲んでいた〈私〉ケン・ブレークの前に友人のディーン・ハリディがやって来ました。ハリディは〈私〉に何か言いたいようですが言い出せないようです。
「ああ」彼は椅子にもたれて、私の顔を見据えた。「くだらないことばかり喋る馬鹿な男だとか、世迷言を並べ立てる婆さんみたいだとか思われるんじゃないかと心配だった。そうでなきゃ――」私が首を横に振ると、彼はそれを遮った。「待ってくれ、ブレーク。ちょっと待ってくれ。打ち明ける前に聞いておきたいんだ。君にすればきっと馬鹿みたいな話だけど、僕の助けになってくれるかな? 実は君に……」
「話してみたまえ」
「幽霊屋敷でひと晩明かしてほしいんだ」
「それのどこが馬鹿みたいなことなんだ?」私は、退屈が消し飛びつつあるのを努めて隠しながら訊いた。内心これは面白くなりそうだと思ったことを、相手も察したようだ。(23~24ページ)
ハリディ家は絞刑史ルイス・プレージの持ち物だった黒死荘を所有しているのですが、最近おかしなことが起こったのです。ロンドン博物館に展示されていたルイス・プレージの短剣が、盗まれたのでした。
幽霊の存在を信じているディーンの伯母アン・ベニングや婚約者マリオン・ラティマー、その弟のテッドらが心霊学者のロジャー・ダークワースを招き、様々な儀式を行うのを苦々しく思っているディーン。
ダークワースのことをうさんくさく思っているディーンは〈私〉とスコットランド・ヤード首席警部であるハンフリー・マスターズの手を借りダークワースが本物なのかどうかを見極めようというのでした。
そうして一行は黒死荘に向かったのですが、早速奇妙な出来事が起こっていました。猫が喉をかき切られて殺されていたのです。〈私〉が部屋で黒死荘にまつわる資料を読んでいると、鐘の音がしました。
人々はダークワースが入っている石室へと向かいます。裏庭は泥の海になっていましたが、石室に向かう足跡は残されていませんでした。窓から覗き込むと、中ではダークワースが血だらけで死んでいます。
ドアの真ん中には太い鉄のかんぬきがかかっているので、みなで力をあわせて丸太でドアを壊して中に入りました。辺り一面血の海です。
血を避けて歩くのは無理な注文だった。身を捻じ曲げて死んでいる人物(銃剣術の稽古人形のように滅多突きにされていた)は、死ぬ間際に身をよじりながら這い進み、結局髪の毛を暖炉に突っ込んだところで絶命したのだが、その前に、床と言わず壁と言わず暖炉と言わず、一面を血の海にしていた。どうやら彼は何かに襲われ、いろいろなものにぶつかりながら死に物狂いで逃げ回ったらしい。迷い込んだ蝙蝠が部屋から逃げ出そうとするように。衣服の切れ目から、左腕、左の腰、左太腿が切られているのが見える。一番ひどいのは背中だった。伸ばした左腕の先を辿ると、炉棚の脇に、鐘から続いている針金に重しとして括りつけた煉瓦のかけらが下がっていた。(117~118ページ)
致命傷となったのは左肩甲骨から心臓に達する傷。遺体近くにロンドン博物館から盗まれたルイス・プレージの短剣が残されていました。
マスターズは、黒死荘の降霊会のために集まった人々にダークワースについて話を聞いていきます。すると一週間前の儀式の自動筆記で、現れた言葉がダークワースをひどく怯えさせたことが分かりました。
それは「エルシー・フェンウィックがどこに埋められているか知っているぞ」(150ページ)から始まる文章。どうやら女性の名前のようですが、エルシー・フェンウィックとは一体何者なのでしょうか?
犯行当時の降霊会では暖炉の火が消えた居間で、間隔を置いて円座に並べられた椅子に参加者は座っていました。足音を聞いたような気がするという者もいれば首元を短剣が触っていったという者もいます。
霊媒の役割をしていたジョゼフ・デニスはより霊が憑りつきやすいよう麻薬を注射していたこともあって、その話は支離滅裂。マスターズの必死の捜査もむなしく、手がかりらしい手がかりはつかめません。
参加者のウィリアム・フェザートン少佐は何人もの人間がいながら犯行を行おうとする馬鹿な奴がいるとは思えないし、そもそも返り血を浴びずに犯行を行うことは不可能だと言い、ある男の名をあげます。
「わしが考えとるのは、いいかな、この事件を、しかるべき人物の手に委ねてはどうか、ということじゃ。そうすりゃきっとうまくいく。わしも君もよく知っておる人物じゃよ。えらくものぐさな男じゃが、わしら二人で、例えば――階級問題だといって持ちかければ望みはある。いまいましいがな。『おい、大変なことが起こったぞ』とでも言って」
その時ようやく、私はとっくに思いついていなければならなかったことに思い至り、身を起こした。「それはH・Mのことですか? 私の元上司の? あだ名がマイクロフトの?」
「その通り、ヘンリ・メリヴェールじゃ」(214ページ)
法廷弁護士と医師の資格を持ち英国防諜部長をつとめていた准男爵のヘンリ・メリヴェールは弟シャーロック・ホームズに勝るとも劣らない推理力の持ち主ながらものぐさなマイクロフトの異名を持つ人物。
突き出た腹で眠そうな目をし、ニヤニヤ笑いを浮かべながらぶつくさ文句ばっかり言っているヘンリ・メリヴェール卿は、〈私〉たちに黒死荘で起こった事件について語らせ、それを元に推理を始めて……。
はたして、閉ざされた部屋で起こった密室殺人の謎を解けるのか!?
とまあそんなお話です。金田一耕助を生み出した横溝正史にも大きな影響を与えたと言われる密室ミステリの古典中の古典ですが、今なおまったく古びていません。トリックをまだ知らないという方はぜひ。
博物館から盗まれた絞刑史の短剣。怪しげな雰囲気漂う黒死荘での降霊会の最中、誰も入れない閉ざされた石室で殺された心霊学者。思わずぞくぞくさせられるような怪奇的な雰囲気がたまらない一冊です。
明日も、カーター・ディクスンで『ユダの窓』を紹介する予定です。