怪盗紳士ルパン (ハヤカワ文庫 HM)/早川書房
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モーリス・ルブラン(平岡敦訳)『怪盗紳士ルパン』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。
もう10年近く前ですが、2005年は「怪盗ルパン」が盛り上がった年だったんです。それというのも、この本にも収められている第一作「アルセーヌ・ルパンの逮捕」が、1905年に発表されたから。
すなわち「ルパン生誕100周年」ということで、本国フランスや日本では様々な企画が持ち上がりました。とりわけ話題になったのがフランスを中心に作られたロマン・デュリス主演の映画版『ルパン』。
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「ルパン」と聞くと、明るくユーモラスなものを想像してしまう日本の観客にとっては、暗く感じてしまう雰囲気の、わりと渋い映画ですが、原作の要素が色々詰め込まれた原作ファンにはたまらない一本。
この映画から入るというのもありだと思うので、興味を持った方はぜひ。一方、同じく「ルパン生誕100周年」ということで、日本で始まった企画が、今回紹介するハヤカワ・ミステリ文庫の新訳でした。
日本では「怪盗ルパン」と言えば、ポプラ社の南洋一郎の子供向けの翻案で長年人気でしたが、大人向けの翻訳、しかも文庫でとなると翻訳が古かったり、本自体が手に入りづらかったりという状況でした。
そんな中始まった「怪盗ルパン」ファン狂喜乱舞のハヤカワ・ミステリ文庫の新訳によるシリーズ刊行だったのですが、人気が出なかったのか、それとも何か事情があるのか、四冊+一冊で止まっています。
圧倒的な知名度を誇りながら「怪盗ルパン」が大人に受けないのは、南洋一郎の翻案が人気のために子供向けというイメージがあることとモンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』があるからでしょう。
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「怪盗ルパン」はアニメ『ルパン三世』のような痛快冒険アクションではなく、心理的な盲点をついたミステリという感じなので、そうしたイメージのギャップが今いち受けない理由ではないかと思います。
まあそんなこんなで、ある程度話題にはなったものの、爆発的に人気に火がついたわけではなかった怪盗ルパンの新訳を今回紹介するわけですが、面白いので、ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います。
さて、「怪盗ルパン」と言えば誰もが知っているキャラクター。しかしどんな経歴の人物なのでしょうか。「アルセーヌ・ルパンの脱獄」の中の裁判で紹介されているので、少し長いですが引用しましょう。
裁判長はメモをたしかめ、こう続けた。
「というのも、あらゆる捜査にもかかわらず、被告人の身元を確認することはできなかったからだ。被告人の過去は、まったく不明である。これは現代社会において、きわめて特異なケースにあたる。被告人が誰なのか、出身はどこか、どんなところで育ったのかなど、何ひとつ判明していない。今から三年前、どこともわからない世界から突然あらわれ出て、たちまちのうちにアルセーヌ・ルパンとして世に知られるようになった。すなわち、知性と退廃、寛容と不道徳が混じり合った風変わりな人物として。それ以前の被告人に関するデータは、推測の域を出ない。八年前に手品師ディクスンのもとで働いていたロスタなる男は、まさしくアルセーヌ・ルパンだった可能性がある。六年前にサン=ルイ病院のアルティエ博士の研究室に通っていたロシア人学生も、アルセーヌ・ルパンだったかもしれない。彼は細菌学に関するすぐれた仮説と、皮膚病の大胆な実験で、しばしば博士を驚かせた。アルセーヌ・ルパンはまた、柔道が一般に知られるずっと以前から、パリで日本の格闘技を教えていた。パリ万博の記念レースで優勝し、一万フランの賞金を獲得したのちに消息を絶ってしまった自転車競技選手も、アルセーヌ・ルパンだったかと思われる。アルセーヌ・ルパンはまた慈善バザー会場で起きた火災の折、小さな天窓から人々を救い出し……そして彼らから金品を奪ったのだった」
しばらく間を置いたあと、裁判長はこうしめくくった。
「この時期は被告人が社会に対して戦いを挑むための、周到な準備期間にすぎなかった。被告人がその体力、気力、能力を着々と鍛えあげ、最大限に伸ばす訓練の時期だったのだ。以上のことが、事実に相違ないと認めるかね?」(88~89ページ)
突如現れ、大胆な犯行で世間をあっと驚かせた怪盗アルセーヌ・ルパン。はたして彼は一体何者なのか? その秘められた過去や誰にも言えない秘密はこの本に載っているエピソードで少し語られています。
誰もが名前を知っているけれど意外と読んだことはないであろう「怪盗ルパン」シリーズ。新訳なので読みやすい、おすすめの一冊です。
作品のあらすじ
「アルセーヌ・ルパンの逮捕」
大西洋航路を行く定期客船プロヴァンス号に驚くべき無線電信が届きました。「貴船にアルセーヌ・ルパンあり。一等船室、金髪、右前腕に傷、一人旅、使っている偽名はR……」(11ページ)とのこと。雷鳴で電波が途切れたため、肝心な偽名は分かりませんでしたが、新聞を騒がせている神出鬼没の怪盗ルパンが乗り合わせていると分かって、乗客たちは騒然となります。早速、乗客名簿が調べられました。
条件を絞っていくと該当したのはルイ・ロゼーヌ氏ただ一人。やがて乗客たちの持ち物から高価な宝石が盗まれ始めたことから、ロゼーヌ氏は身の潔白を証明するため、ルパン捕縛に乗り出しましたが……。
「獄中のアルセーヌ・ルパン」
古城マラキで暮らすナタン・カオルン男爵の元に、サンテ刑務所で服役中のはずの怪盗ルパンから犯行予告状が届きます。男爵が秘蔵している品について詳しく書かれ、犯行日時まで記された予告状でした。城の周りには深い川があり、コレクションに近付ける者はいないと思いながらも、相手があのルパンだと思うと、不安で仕方がない男爵。地元の警察に相談してもルパンは服役中だと相手にしてくれません。
そんな時、ルパンを逮捕するなど数々の功績をあげたベテラン主任警部ガニマール氏が休暇でやって来ているという新聞記事を見つけました。男爵はガニマール氏とともに、ルパンの犯行予告に備えて……。
「アルセーヌ・ルパンの脱獄」
サンテ刑務所の独房に捕らえられているのに、自由に手紙を出し様々な品物を手にしているルパン。警察庁のデュドゥイ部長は自ら出向いて、ルパンがかねがね口にしている脱獄への警戒を強めていました。やがてルパンが隠し持っていた葉巻の中から、薄い紙きれを爪楊枝ほどの大きさに巻いた手紙を見つけます。そこには、計画通りかごをすり替えたというルパンの部下からの知らせが書かれていたのでした。
ついにルパンの計画をつかんだデュドゥイ部長は、あえてルパンを泳がせて計画通りに脱獄させ、十分な人員を配置して、ルパン一味を一網打尽にしようと考えます。やがて計画実行の日がやって来て……。
「謎の旅行者」
セーヌ河畔に住む友人宅に向かうためパリで汽車に乗った〈ぼく〉。コンパートメントに乗り合わせたのは女性客一人でしたが、女性客は、駅員の制止を振り切って乗り込んで来た男を見て、驚きました。女性の夫は刑務課の次長をしているので、切符を買うところを目撃されたルパンを鉄道公安係が追っていることを知っていて、駆け込んで来た男が、その怪盗ルパンに違いないと言って怯えていたのでした。
汽車なら、逃げ場所がないからと女性客をなだめて、うつらうつらし始めた〈ぼく〉でしたが、男に首を絞められて目を覚まします。そうして〈ぼく〉は縛り上げられ、猿ぐつわを噛まされてしまって……。
「王妃の首飾り」
ルイ十五世の時代に世を騒がせた伝説の首飾り。残った座金部分や買い戻したダイヤモンドを元に復元され、一世紀にわたり、首飾りを手に入れたドルー=スピーズ家に代々受け継がれて来ていたのでした。カスティーユ宮で開かれたレセプションでも、ドルー=スピーズ伯爵夫人の首飾りは注目を集めます。家に帰ると首飾りは枢機卿の紋章入りの宝石箱にしまわれ、納戸の帽子棚と下着類の間に隠されました。
翌朝、首飾りを銀行に戻しに行こうとした伯爵は、首飾りがないことに気付いて仰天します。納戸に入るには夫妻が寝ていた寝室を通る他なく、寝室の戸は閉まっていたのに。早速警察に届け出ますが……。
「ハートの7」
どのようにして〈わたし〉がルパンと知り合い、冒険談を本人から聞くことが出来るようになったのか。それはすべて偶然の結果でした。ある晩帰宅した〈わたし〉は読みかけの本の間に手紙を見つけます。手紙にはどんな物音がしても動いてはいけないと書かれており、隣の広間から物音が聞え始めますが〈私〉は恐怖でじっとしていました。朝になって確かめてみると、不思議なことに何も盗まれていません。
床に落ちていたのはトランプのハートの7。どのハートのマークにも錐で突き刺したような穴が開いていました。この奇妙な出来事を《ジル・ブラス》紙で記事にすると、四十がらみの男が訪ねて来て……。
「アンベール夫人の金庫」
カオルン事件やサンテ刑務所の脱獄でルパンが名を馳せる前のこと。リュードヴィック・アンベールという紳士が暴漢に襲われていたのを一人の男が助けました。その男はアルセーヌ・ルパンと名乗ります。ルパンが初めてルパンという名前を使ったこの計画。実は暴漢とグルであり、アンベール氏に近付くのが目的だったのです。アンベール夫妻と親しくなったルパンは、月給百五十フランで秘書になりました。
ブロフォードという老人から、一億の株券を受け継いだアンベール夫妻。株券は金庫に収められていますが、金庫の錠前の数字は分からず鍵も手に入りません。ひたすら機会を待ち続けるルパンですが……。
「黒真珠」
オッシュ通り九番にあるアパルトマンに忍び込んだルパン。狙うは伯爵夫人が持つ黒真珠です。医者の所に行くも夜間の診察を断られたという風に見せかけて玄関のドアに細工をし、逃げ道を確保しました。伯爵夫人の部屋の奥へと入っていったルパンは、寝室に面したガラス戸を音もなく開けました。黒真珠は、ベッドの脇の小テーブルの上にある、便箋をしまう箱の中に入れられていることは分かっています。
ところが、絨毯の上にひっくり返った燭台があったので驚きます。闇の中をさらに探っていくと冷たい肌に触れました。懐中電灯をつけると、首から肩に傷を負った血だらけの伯爵夫人の死体があって……。
「遅かりしシャーロック・ホームズ」
城主たちが数世紀にわたって集めた見事な品々を収めている、ティベルメニル城のギヨームの塔。現在の持ち主の銀行家、ジョルジュ・ドヴァンヌは最近『ティベルメニル年代記』という本を紛失しました。城の歴史や地下道の図面が載った『ティベルメニル年代記』は手書きなのでいくつか異同があるものの、もう一冊国立図書館にありましたが、そのもう一冊も何者かの手によって盗まれてしまったのでした。
怪盗ルパンに狙われていると考えたドヴァンヌはどんな秘密もたちどころに見抜いてしまうイギリスの名探偵を招くことにしました。あのシャーロック・ホームズを。やがて、ホームズが到着しますが……。
とまあそんな九編が収録されています。「怪盗」というとどうやって金庫の鍵を開けるかなど、いかに宝を盗むかについて書かれた作品と思われるかも知れませんが、原作のルパンは意外にも全く違います。
ではどんな作品かというと、読者の心理的な盲点をついたミステリなんです。今ではもう使い古された感のある古典的なトリックも多いですが「あっ、そうだったのか!」と騙される感じが癖になる面白さ。
どの短編も面白いですが、ぼくの一番のお気に入りは「アルセーヌ・ルパンの脱獄」。タイトル通りルパンが脱獄を試みるお話で、我こそはという方は、騙されないように意識しながら読んでみてください。
そして心躍るのが、「遅かりしシャーロック・ホームズ」。イギリスが生んだ世紀の名探偵シャーロック・ホームズとフランスが生んだ世紀の大怪盗アルセーヌ・ルパンとの邂逅。わくわくが止まりません。
ルパンがルパンと名乗った初めての事件、ルパンと記述者〈わたし〉との出会いのエピソード、ルパン誕生秘話、そしてルパンの恋など、知っているようで知らないルパンの魅力がぎっしりと詰まった一冊。
子供の頃に夢中になって読んだけれど、もう一度大人向けの翻訳で読みたいという方、まだルパンを読んだことがないという方はぜひ読んでみてください。いつまでも色褪せない面白さがあるシリーズです。