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井伏鱒二『黒い雨』

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黒い雨 (新潮文庫)/新潮社

¥662
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井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫)を読みました。

1945年8月6日。広島に原子爆弾が落とされました。巨大なキノコ雲が空に立ち上り、”黒い雨”が地上に降り注いだのです。

何万人もの人が被災して亡くなり、また、生き延びた人もやけどや下痢、白血病の発症など、原爆症に苦しめられることとなりました。

広島の原爆を描いた井伏鱒二の『黒い雨』は、戦争文学あるいは原爆文学の代表として語られることが多いので、きっとみなさんご存知の作品なのではないでしょうか。

大きな爆発が一体何だったのか分からず、とにかくピカッと光ってドンと音がしたことから、”ピカドン”と呼ばれていた原爆について、この作品ではこんな風に書かれています。

 車内の人たちの意見を綜合すると、閃光が煌いた瞬間にドガンという音がしたという説と、ザアとかドワァツという音がしたという説に分けられる。僕としては、ドガンという音がしたとは云いかねる。ドワァッという音であった。
 爆発地点は大体に於て丁字橋附近だろう。それを中心に、二キロ以内、またはそれ以上に近い圏内にいた人たちは、ドガンという音を聞かなかったようだと云っている。
 四キロも五キロも離れたところにいた人たちも、一様にピカリの閃光を見て数秒後に、ドワァッという音を聞いたと云っている。風圧の音か爆発音ではなかったかと思う。この音と同時に、窓硝子が吹きとばされ、家がぐらりと揺れ動いたそうだ。

 爆発で中天に生れた入道雲を、僕はクラゲの形の大入道だと見た。近距離で見たのと遠距離で見たのでは形が違っている筈だ。乗客のうちには、松茸型の雲だったと云う人もいた。
(156~157ページ)


『黒い雨』は有名な作品ですが、戦争そして原爆と、あまりにもテーマが重いが故に、敬遠されがちな作品でもあると思います。

しかし、実際に読んでみると意外なほど読みやすいですし、苦い印象だけではない不思議な感動が胸に残る物語なので、機会があれば、ぜひ読んでみてください。

読みやすさがあり、そして感動が生まれるのは何故かと言うと、『黒い雨』が、原爆によって苦しめられ続けている家族の物語だから。

戦争反対、原爆反対というイデオロギー(考え方)が前面に押し出された小説なのではなく、ある家族に起こった大きな出来事として原爆が描かれているんですね。それだけに感情移入がしやすい作品です。

物語は、原爆の被爆者である閑間重松(しずましげまつ)夫妻の悩みから始まります。

重松夫妻は、姪の矢須子と暮らしているのですが、直接の被爆はないにもかかわらず、原爆症におかされているという悪い噂が立てられて、矢須子の縁談がいつもうまくまとまらないんですね。

そこで重松は、原爆の状況や自分たちが取った行動を書き記していた日記を清書して縁談相手に渡し、矢須子が健康であると証明しようとするのです。

終戦後、原爆症で体の調子は悪いものの、なんとか落ち着いた暮らしが出来ている”今”と、日記によって振り返られる”原爆の日”の出来事が、交互に進行していく、そういう物語。

何も分からない、原爆の日のただひたすらの混乱状態が描かれる一方で、より多くの情報を持っている現在の冷静な目もあるわけですから、バランスがよく、そういった点でも読みやすい作品です。

また同時に、原爆投下の日だけでなく、被爆した人々のその後の人生を描くことによって、原爆症や根拠のない噂に苦しめられる姿が描かれているのです。

原爆はもう終わったことだと思う方も多いだろうと思います。何しろ、この物語の中でさえ、すでに原爆は終わったことだと思っている人が出てくるぐらいですから。

しかし、やはり忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事だと思います。

今なお新鮮な驚きと恐怖を持つこの小説が、これからも多くの人に読み継がれていってほしいと、そんな風にぼくは思っています。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。数年来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持ちであった。二重にも三重にも負目を引受けているようなものである。理由は、矢須子の縁が遠いという簡単なような事情だが、戦争末期、矢須子は女子徴用で広島市の第二中学校奉仕隊の炊事部に勤務していたという噂を立てられて、広島から四十何里東方の小畠村の人たちは、矢須子が原爆病患者だと云っている。患者であることを重松夫妻が秘し隠していると云っている。だから縁遠い。近所へ縁談の聞き合せに来る人も、この噂を聞いては一も二もなく逃げ腰になって話を切りあげてしまう。
(5ページ)


実際は、矢須子は当時、日本繊維株式会社古市工場につとめていて、被爆してしまった第二中学校奉仕隊とは関係がないのですが、一度流れてしまった噂はなかなか消えません。

ついに新たな縁談の仲人からも、原爆投下の日の矢須子の足どりを知りたいという手紙が来たので、重松の妻シゲ子と矢須子はこれではまた破談だろうと思い、しくしく泣き始めました。

2人が泣き崩れる姿を見て重松は奮起します。「人の噂だけで業病扱いするとは何ごとか。いや、我々は再起をはかるんだ、突破口を見つけるんだ」(13ページ)と。

そこで重松は、原爆の日について記した矢須子の日記を清書して、仲人に送ることにしました。8月6日、矢須子は、爆心地から10キロも離れた所にいたのですから。

一方、重松自身は、爆心地から2キロほどの横川町にいて被爆してしまい、髪の毛や歯が抜けたりと、原爆症に苦しめられ続けています。

小畠村には、かつては10人ほどの原爆症患者がいましたが、生き残っているのは重松、庄吉さん、浅二郎さんの3人だけ。

栄養をしっかり取って休養することが、病気を食い止めるためには、一番大切なことですし、逆に言えば他に手の打ちようがありません。

かと言って寝てばかりもいられませんから、適度な運動と栄養補給が出来るから一石二鳥だとして、3人は釣りを日課にしていました。

しかし、忙しく農作業をしている村の人々にとっては、3人はただ遊んでいるようにしか映らないんですね。なので、風当たりがとても強いのです。

重松と庄吉さんが釣りに行こうとすると、池本屋の小母はんから、「お二人とも、釣ですかいな。この忙しいのに、結構な御身分ですなあ」(27ページ)と皮肉を言われてしまいました。

働きたくても働けない庄吉さんは、怒り、そして悔しがります。

「もう池本屋も、広島や長崎が原爆されたことを忘れとる。みんなが忘れとる。あのときの焦熱地獄ーーあれを忘れて、何がこのごろ、あの原爆記念の大会じゃ。あのお祭り騒ぎが、わしゃあ情けない」(30ページ)と言って。

3人はやがて、遊んでいると言われないために、稚魚を買って、釣りをすることにしたのでした。

重松の「被爆日記」は、小学校の図書室の資料室に寄付することが決まっていることもありますし、何よりもくだらない噂に翻弄される矢須子の縁談の仲人に見せてやろうと思って、清書を始めました。

原爆の日。大きな爆発が起こった後、道端ではたくさんの人が死んでおり、生きている者もやけどで姿形が大きく変わっていました。何より特徴的なのは、〈僕〉が目にした巨大な入道雲。

 茸型の雲は、茸よりもクラゲに似た形であった。しかし、クラゲよりもまだ動物的な活力があるかのように脚を震わせて、赤、紫、藍、緑と、クラゲの頭の色を変えながら、東西に向けて蔓延って行く。ぐらぐらと煮えくり返る湯のように、中から中から湧き出しながら、猛り狂って今にも襲いかぶさって来るようである。蒙古高句麗の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た使者ではないか。今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。これでも自分は逃げのびられるのだろうか。これでも家族は助かるのだろうか。今、自分は家族を助けに帰っていることになるのだろうか。一人避難していることになるのだろうか。(65ページ)


避難していたシゲ子と合流して一旦家に戻り、どこにいるか分からない矢須子あての貼紙をしている所に、矢須子が戻って来ました。〈僕〉たちは泣きながら再会を喜びます。

都会にいる若い女性は、軍需工場の女工にさせられて、きつい労働を課せられる時代。

そこでわざわざ広島に引き取ったという事情があったので、矢須子に何かあっては矢須子の家族に顔向け出来ないと〈僕〉は強く思っていたのでした。

顔や体をやけどしたものの、無事に一家がそろって落ち着いてみると、一体あの大きな爆発は何だったのか、そして何故、黒い雨が降ったのかが不思議に思えてきます。

市役所の衛生課の人が、「爆発によって発生した黒煙が、天空で雨滴に含有されて降った」(117ページ)と言っていたという話を聞いたので、〈僕〉はようやく少し安心したのでした。

とにかく死んだ人が多いので、お坊さんも間に合いません。勤め先の工場長から〈僕〉は、死者を弔うために、お坊さんの代わりにお経を読むことを頼まれます。

やがて、爆発に巻き込まれた人々が、体に異変を訴え出したことから、はじめは爆弾に毒ガスが入っていたのではないかと思われていましたが、やがて原子爆弾であるということが分かりました。

ようやく「ピカドンの名称は、初めが新兵器で、次に新型爆弾、秘密兵器、新型特殊爆弾、強性能特殊爆弾という順に変り、今日に至って僕は原子爆弾と呼ぶことを知った」(360ページ)のです。

そして、それを知った〈僕〉は、軍需工場で夢中になって働き、ヒトラーが戦争に勝ってくれればいいと思っていたかつての自分に疑問を感じるようになって・・・。

はたして、原爆の後に起こった思いがけない出来事とは一体? そして矢須子の縁談は今度こそうまくいくのか!?

とまあそんなお話です。矢須子の縁談話が進行している現在と、原爆の日の日記が交互に描かれていく物語。

フィクションと言うよりは、原爆体験者による記録文学のような色彩が強い作品なだけに、井伏鱒二がどこまで資料に依存していたかが、近年では話題となることも多いです。

小説として再構成されていることは確かですが、日記という形での、体験者の生の声自体にこそ価値があると見るならば、再構成自体にそれほど大きな意味は見出せないことになります。

その辺りの問題に関心のある方は、現在ではモデルになった重松静馬の被爆日記が『重松日記』(筑摩書房)として刊行されているので、ぜひそちらもあわせて読んでみてください。

そんな風に、判断が難しい資料と小説の間の問題があったりもするのですが、少なくとも井伏鱒二の手によって素晴らしい文学作品が生まれ、多くの人に読み継がれて来たことは確かです。

多くの人の死、放射能の問題、言われなき中傷など、重なる部分も多いだけに、東日本大震災後にもう一度読まれるべき本という気がしました。

戦争、そして広島の原爆と、テーマ的には重いですが、きっと読んでよかったと思える一冊だと思います。ぜひ一度は手にとってみてください。

明日は、エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』を紹介する予定です。

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