シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)/光文社
¥980
Amazon.co.jp
エドモン・ロスタン(渡辺守章訳)『シラノ・ド・ベルジュラック』(光文社古典新訳文庫)を読みました。
『シラノ・ド・ベルジュラック』は、ぼくが大好きな戯曲です。また、実際に人気も高いのですが、日本ではあまり知られていないような気もするので、これは機会があれば、ぜひ読んでみてください。
やや大袈裟な賛辞を送るなら、まさに、「笑いあり涙ありの大スペクタクル!」です。はらはらどきどき、たくさん笑って、思わずほろりとさせられる、すごくおすすめの一冊ですよ。
さてさて、みなさんは誰かを好きになる時、顔で選びますか? それとも中身で選びますか?
顔や見た目がとにかくかっこいい/かわいいけれど、中身は空っぽの人と、顔や見た目はよくないけれど、性格がいい/頭がいいなど、中身が魅力的な人が目の前に現れたなら、どちらを恋人に選びますか?
これは非常に難しい問題(というか、顔も中身もそれなりにいい人がいれば一番いいですよね)ですが、『シラノ・ド・ベルジュラック』は、まさにそうした究極の選択が描かれた物語なんです。
シラノ・ド・ベルジュラックは、実在の人物がモデルになっていますが、とにかく才人で、詩人であり、音楽家であり、理学者であり、思想家であり、そしてなんと剣の腕まで一流というすごい人物。
ロマンティックな情熱家で、もうほとんど完璧なシラノですが、ただ一つだけ欠点があって、それは「面妖も面妖、度が過ぎる、言語道断、抱腹絶倒」(36ページ)と言われるほど、鼻が大きいこと。
そう、シラノは一言で言えば、醜男なんですね。残念ながら、いくら中身が魅力的だったとしても、女性にはモテません。
ある時、密かな思いを寄せている女性、ロクサーヌから、好きな男性がいると打ち明けられてしまったシラノ。それでも、ロクサーヌが幸せになれるならそれが一番いいと思います。
ところが、目と目があってロクサーヌが恋に落ちた美男子クリスチャン・ド・ヌーヴィレットは、見た目はいいですが、愛の言葉をささやくのが苦手なんですね。女心をつかめないんです。
そこで、ロクサーヌとクリスチャンの恋を成就させるため、シラノはクリスチャンに代わって恋文を書き、ロクサーヌに語りかける愛の言葉を考えてやって・・・。
シラノ 君が一人で、あの人の心が変わるのを恐れているなら、
どうだい、二人で力を合わせーーそうすりゃ、向こうもすぐ燃え上がる!――
君の唇と俺の言葉と、この二つを合わせてみたら?……
(171ページ)
見つめあって恋に落ちた2人をキューピッドのように見守り、黒子のように支えるシラノ。
お話はドタバタ喜劇のようなコミカルな展開になっていきますが、シラノの胸の奥にはロクサーヌへの愛がありますから、ロクサーヌの恋愛がうまくいけばいくほど、切なさもまた増していくのです。
2人の対照的な異性の内、どちらを選ぶのかという三角関係は恋愛ものの言わば黄金パターンですが、『シラノ・ド・ベルジュラック』の場合、それがやや入り組んでいる関係性なのが面白い所。
シラノは自分の愛する気持ちをロクサーヌに伝え、その言葉がロクサーヌの心をとろかしているにもかかわらず、実際はシラノとではなく、クリスチャンとの恋愛が進んでいくのですから。
読者や観客は、シラノのロクサーヌへの気持ちを知っているだけに、何だかもうやきもきさせられてしまいます。夢中になって引き込まれる、そんな物語。
醜男が、好きな女性の恋愛を成就させるために影ながら行動するという特殊な設定が、後世の作品に大きな影響を与えた名作です。
作品のあらすじ
ブルゴーニュ座で行われる芝居『ラ・クロリーズ』を見ようと、人々が集まっていました。
客席にロクサーヌの姿を見かけたクリスチャンは、思わず「あの人だ!」(38ページ)と叫びました。ロクサーヌもまたクリスチャンのことを見つめています。
クリスチャンは友達から、ロクサーヌは詩人で剣客のシラノのいとこであること、権力のあるド・ギッシュ伯爵がロクサーヌに思いをかけ、無理やりにでも手に入れようとしていることを聞かされます。
颯爽と現れ、芝居の出来をけなしたシラノは、決闘沙汰を起こしてしまいますが、即興で作り上げた自分の詩にあわせて相手を倒し、観客席から拍手喝采を浴びたのでした。
その後シラノは、ロクサーヌを恋していることを友達のル・ブレに打ち明け、ロクサーヌの美しさを讃えますが、自分がロクサーヌに好きになってもらえるほどの美男子でないことは分かっています。
シラノ まさか! 泣きはしない! 見られた様か、
こんな鼻を、涙が伝って流れる!
俺が身の程を忘れぬ限り、高貴な涙を
こんな卑しい醜い鼻で、汚させるような真似は
しない!……いいか、涙ほど高貴なものはないのだ、
ないのだぜ、この俺のために、一滴の涙でも
笑い物になることは、許せない!(89ページ)
劇場での決闘が原因で100人もの相手と大立ち回りを演じた後、「ほんの少しでも希望があるようだったら、ほんの少しでも!……」(124ページ)と考えながら、ロクサーヌの元を訪ねたシラノ。
ところが、幼馴染のように育ち、シラノのことを誰よりも信頼しているロクサーヌは、シラノの怪我を治療しながら、「実はわたくし、さるお方を愛しております」(129ページ)と言ったのでした。
ロクサーヌは、目と目があって恋するようになった相手クリスチャンのことを、「お顔は才知と天分に輝いて、気位高く、気高くて、お若い、勇ましく、お美しい……」(131ページ)と褒め称えます。
ロクサーヌは、ガスコン(ガスコーニュ生まれ)でないクリスチャンが、近衛の青年隊でいじめられるのではないかと心配し、影ながら守ってやってほしいとシラノに頼んだんですね。
シラノはクリスチャンと決闘をするように見せかけて2人きりになり、ロクサーヌがクリスチャンのことを愛していて、手紙を欲しがっていると教えてやります。
それを聞いたクリスチャンは、自分もロクサーヌのことを愛していただけに大喜びしたものの、同時に困惑した表情を浮かべたのでした。
シラノ ロクサーヌは、手紙を待っている、今夜にでも欲しい……
クリスチャン 困ったな!
シラノ ええ?
クリスチャン 黙っているうちはいいけれど、口をきいたらお終いなのです!
シラノ なんだと?
クリスチャン 情けないくらい。お恥ずかしい限りです!
シラノ そんなことはない、己をよく知っているじゃないか。
それにさっきは、ありゃ、なかなか馬鹿じゃ出来ないぞ!
クリスチャン そりゃあ、勝負となりゃあ、何とか野次る言葉も出てきますが!
軍人気質って言うんでしょうか、単純なんですね。
だけど、ご婦人の前へ出ると、からっきし駄目なんです。通りすがりに目と目を見交わすくらいなら、満更でもない成果はありますが……
(168~169ページ)
ロクサーヌはとにかく才女という噂なので、無知だと思われたら嫌われてしまうと、クリスチャンはそんなことを怖れているんですね。
自分ではうまくロクサーヌの心をつかめないだろうと、悩んでいるクリスチャンをじっと見つめていたシラノは、「俺の真情を語るのに、こんな男が居てくれたなら!」(170ページ)と思います。
そこでシラノは、自らクリスチャンに力を貸すことを申し出たのでした。「君は、心惑わすその肉体を貸してくれ。俺たち二人で、恋物語の主人公になろう!」(170ページ)と。
シラノが書いた素晴らしい手紙は、ロクサーヌの心をたちまちの内にとらえます。ロクサーヌはうっとりしながら、クリスチャンからもらった手紙の文句を自慢げにシラノに語ったほど。
ロクサーヌの心をつかんだことで、段々と自信がついて来たクリスチャンですが、いざ自分の言葉で愛について語り出すと、ロクサーヌは何の輝きもない言葉にうんざりして立ち去ってしまいます。
そこで今度は、バルコニーの下に隠れたシラノの助けを借りて、クリスチャンは窓から顔を出しているロクサーヌに語りかけるのでした。
ロクサーヌ 結構よ。お話はお上手ですもの。お帰り遊ばせ。
クリスチャン お願いです!……
ロクサーヌ いいえ、もう愛してはいらっしゃらないわ!
クリスチャン(シラノが台詞を付ける) お咎めは、――おお、神々よ、もはや愛してはいないと……いやます恋……に仕えるわたしに!
ロクサーヌ(窓を閉めかけた手をとめて) まあ、今度はよほどましよ!
(208ページ)
シラノの言葉を聞きながらクリスチャンは喋るものですから、どうしてもつっかえたり、途切れ途切れになってしまいます。
これでは埒が明かぬと、闇夜であることを幸いとして、「しかし今夜はあなたに……初めてお話するような心地がして!」(211ページ)とシラノ自らクリスチャンのふりをして語り始めたのでした。
シラノの愛の言葉はロクサーヌの胸に響き、一度は危機を迎えたロクサーヌとクリスチャンはますます愛を深めていくこととなります。
ところが、ロクサーヌを自分のものにしたいド・ギッシュ伯爵の画策によって、シラノとクリスチャンが所属する青年隊は、戦場へ送り出されることとなってしまい・・・。
はたして、シラノ、ロクサーヌ、クリスチャンをめぐる複雑な恋愛模様の結末はいかに!?
とまあそんなお話です。『シラノ・ド・ベルジュラック』は、辰野隆・鈴木信太郎訳で岩波文庫にも収録されていますが、この光文社古典新訳文庫では、ある新しい試みがされています。
『シラノ・ド・ベルジュラック』は、実は「アレクサンドラン(十二音節)定型詩句」で書かれた作品で、複数の人物の言葉で、一つの詩句のまとまりになっていたりするんですね。
それを翻訳で再現するのはとても難しく、従来の翻訳では普通の散文詩になっていたのを、光文社古典新訳文庫の渡辺守章訳では、
「A 〇〇〇
B ×××
C △△△」
という風に、空白を使った分かち書きによって再現されているのです。
和歌や俳句を英訳してもよさが伝わりづらいように、その国の言語の特質をいかした韻文(詩や歌など)の翻訳というのは、そもそも極めて難しいもの。
もういっそのこと詩の形式にはこだわらず、内容だけが訳されることも多いですし、今回のように、出来る限りの再現が試みられる場合もあります。
どちらがいい悪いではなく、これはもう翻訳のスタンスの違いなので、興味のある方は、ぜひ岩波文庫と読み比べてみてください。
シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)/岩波書店

¥819
Amazon.co.jp
どうでしょうか、『シラノ・ド・ベルジュラック』に少しでも興味を持っていただけだでしょうか。
たくさんの才能を持つ魅力的な人物ながら、鼻が大きくて醜男というシラノの恋をめぐる物語。非常にユニークな設定の作品ですよね。
とにかく面白いですし、とりわけぼくの思い入れが強い作品でもあるので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。おすすめです。
明日は、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』を紹介する予定です。