リー・チャイルド(青木創訳)『宿敵』(上下、講談社文庫)を読みました。
リー・チャイルド、というかリー・チャイルドが生み出したヒーロー(と言っていいのか?)ジャック・リーチャーのことは前から知っていました。トム・クルーズ主演によって二度、映画化されていたからです。
身長2メートル近く、体重100キロ以上の巨漢であるジャック・リーチャーを演じるにはトム・クルーズは小柄すぎるという意見もあったようですが、『アウトロー』も、その続編である『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』もぼくはかなり好きで、何回か見ています。(もっとも、特に「NEVER GO BACK」は原作とかなり違う話なのですが)
映画で満足してしまっていて、原作のシリーズにまで手を出す気はあまりなかった(長そうだし)のですが、少し前の雑誌「BRUTUS」の村上春樹特集で、リー・チャイルドが結構好きで読むみたいなことが書かれていて、えっ!? となりました。
よく考えたらレイモンド・チャンドラーの翻訳を手がけているくらいなので、村上春樹とハードボイルドは親和性が高いはずですが、なんだかそれを知った時は、かなり意外に感じました。
そこから気になって、リー・チャイルドのジャック・リーチャーシリーズを翻訳の刊行順に読み始めて、なんだかんだでハマって、今回紹介する『宿敵』で、翻訳は全部読んだことになります。(シリーズの他の本の記事はまた読み直して書くかもしれないし、書かないかもしれない)
シリーズの主人公であるジャック・リーチャーを簡単に紹介すると、海兵隊に所属していたアメリカ人の父親とフランス人の母親を持ち、アメリカの陸軍で犯罪捜査官をしていた人物で、今は陸軍を離れてヒッチハイクを中心とした放浪生活を送っています。
前述した通りかなり体格がよく、素手での戦いが強いのはもちろん、射撃の腕もずば抜けてすごく、そして何より頭がいいんですよ。洞察力、推理力に秀でています。頭脳、肉体その両方に優れた、わりと完全無欠な感じですね。
放浪生活の中で、たどり着いた町でたまたま事件に巻き込まれ、美女と出会い(当然色々ある)、持ち前の頭脳と腕力で事件を解決するも、ひとところに落ち着けない性質なので、次の町へと行くあてもなく去っていく……というのがこのシリーズの鉄板パターンです。
主人公のジャック・リーチャーが強すぎる(そうすると、どうなるのかというハラハラドキドキのスリリングさに欠けるわけで)という批判がされるくらい無敵な主人公のシリーズなんですが、結構日本人好みのシリーズだと思うんですよ。
読んでいる時の感覚として、すごく時代劇に似ているから。流れ者の浪人が事件に巻き込まれて、弱き人々を助けて去っていくというような。それはワンパターンな筋書きだったとしても、キャラクターに魅力があればやっぱり面白いわけじゃないですか。
ジャック・リーチャーシリーズはどの作品も精巧に作り込まれてるという感じではないんですけど、何も考えずにノンストレスで読めるというか、娯楽作として読んでいて面白いので個人的にはかなり好きになシリーズになりました。
作品のあらすじ
一キロ半ほど先のバーに行くつもりで道を歩いていた〈わたし〉ジャック・リーチャーは、音楽のホールの近く、公演帰りの人々で混みあう歩道で、五十歳前後の男とぶつかりそうになります。
キャデラックの後部座席に乗り込んでいったその男に〈わたし〉は見覚えがありました。「十年の歳月が一瞬でひっくり返った。あの男が生きている」(上巻、44頁)それは、十年前に死んだはずの男だったのです。
憲兵時代のつてをたどって、そのキャデラックのナンバープレートを調べ始めた〈わたし〉の前に、アメリカ合衆国司法省麻薬取締局のスティーヴン・エリオットと、色白で痩せ型の美人スーザン・ダフィが現れました。
ロサンゼルス郡の大半を仕切る麻薬密売人の大物と見られるザカリー・ベックの捜査を進めていたDEA(麻薬取締局)。しかし、記録上存在しない任務で送り込んだ潜入捜査官の消息が不明となってしまったのです。
〈わたし〉が見た、十年前に死んだはずの男クインと、ベックが一緒に写っている写真があることから、二人は商売上の何らかのかかわりがあることは確実です。DEAは共同で隠密作戦を取ることを持ちかけてきました。
ダフィーは自分たちには共通点があると言います。「わたしは自分の捜査官を取り返すためにザカリー・ベックに近づきたい。あなたはクインを見つけるためにザカリー・ベックに近づきたい」(上巻、72~73頁)
綿密な作戦を立て、岩でできた長い岬に一軒だけ建つ館に居を構えるベックの組織に潜入することに成功した〈わたし〉ですが、警戒心が強いベックはなかなか隙を見せず、夜間は部屋に鍵をかけられ自由に動けません。
警備を担当しているデュークも厄介ですが、なにより問題なのが門番をしているポーリーで、〈わたし〉よりも背が高く、肩幅も広く、体重は七十キロ重いであろう大男。ちょっとした揉め事をきっかけに、このポーリーから目のかたきにされてしまいました。
消えた潜入捜査官の手がかりも、十年前に死んだはずの男クインについての情報も手に入らないまま、時間だけが過ぎていきます。そして、表向きはラグの輸入業者を装っているベックのトラックの積み荷を調べても、麻薬取引の証拠は何一つ出てこないのでした。
ベックの組織に潜入するために使った手も、色々なところでほころびが出始めて、〈わたし〉は何度も窮地に陥りますが、靴の中に仕込んだワイヤレスのEメール通信機でDEAと連絡を取り、時には手を貸してもらいながら、持ち前の頭脳と腕力で強引に乗り越えていきます。
ようやくベックの信頼を勝ち取れそうになった矢先、岩場のくぼみに隠しておいた包みが、何者かによって持ち去られていることに気が付きました。包みの中にはDEAのダフィから借りたグロック(拳銃)など、自分の正体に繋がる重要なものがいくつか入っています。
包みを持ち去ったのは一体誰なのか? この状況では、正体がバレるのは時間の問題であり、消えた潜入捜査官の救出作戦は諦めて、逃げ出した方がいいに決まっています。しかし激しい雨に打たれながら、〈わたし〉は自分が諦めない理由について考えます。
負けず嫌いも理由のひとつだ。いま逃げ出せば二度と戻ってこないだろう。それはわかっている。このために二週間も費やしたのに。それなりの進展はあった。まわりからも頼りにされている。わたしも負けたことなら何度もある。しかし、簡単にあきらめたことはない。一度も。けっして。いまあきらめたら、一生それがついてまわる。根性なしのジャック・リーチャー。前進が困難なときに、逃亡した男。
雨に背中を打たれながら、立ち尽くしていた。時間、戦略、希望、荒天、負けず嫌い。どれも残る理由になる。どれもリストに載っている。
しかし、リストのいちばん上に載っているのは、ひとりの女性だ。(上巻、331頁)
〈わたし〉には十年前に死んだはずの男、クインの追跡を決して諦めるわけにはいかない理由があったのでした。自らの生命を賭けた危険な潜入を続けることを決意した〈わたし〉はやがて、思いがけない知らせを受けることとなって……。
はたして〈わたし〉は消えた潜入捜査官を見つけ出し、「わたしが会った中で、まさに最悪の悪党だった」(上巻、67頁)と自らが評したクインを追い詰めることができるのか!? というお話です。
この『宿敵』は、2021年8月に翻訳が刊行された、日本では一番新しい作品ですが、実はシリーズの刊行順でいうと7作目にあたります。ジャック・リーチャーシリーズは、実は翻訳されていない作品がまだまだあるので、これからの翻訳刊行が楽しみですね。
いつ正体がバレてもおかしくないスリリングな潜入捜査ものになっていたり、リーチャーよりも巨大な男が出てきたりと、シリーズの中でもリーチャーがかなりのピンチに陥るのが特徴的なこの作品。
ジャック・リーチャーシリーズは、それぞれが独立していて、どこから読んでも大丈夫なので、気になった方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
明日は、モンゴメリの『青い城』を紹介する予定です。