マリオ・プーヅォ(一ノ瀬直二訳)『ゴッドファーザー』(上下、ハヤカワ文庫NV)を読みました。
『ゴッドファーザー』は言わずとしれたフランシス・フォード・コッポラ監督の大ヒット映画「ゴッドファーザー」シリーズの原作小説で、映画の脚本には原作者も深く関わっていて、マリオ・プーヅォが亡くなったことによって、「PARTⅣ」は幻となったとも言われています。
「ゴッドファーザー」シリーズは、イタリアにルーツを持つマフィアのドン、ヴィトー・コルレオーネとその三男で後にドンの後を継ぐマイケルの、対照的でありながら同時に似たところもある二人のドンを中心とした物語で、映画の中の屈指の名台詞が“I’m gonna make him an offer he can’t refuse.”です。
ドンは誰かに頼み事をされた時や自分がなにかをしたい時に、問題解決のために何らかの手を打つのですが、邪魔になっている相手が決して断れないようなオファーを出すと言うのです。優しい口調でえげつないことをするのがマフィアの一番怖いところですよね。
映画では「PARTⅠ」の冒頭、落ち目となった歌手ジョニーからの頼みごとに答える形でその名言が発せられ、プロデューサーが体験する恐ろしいシーンへと繋がるのですが、原作ではそれが後にマイケルの口癖にもなったことが書かれています。カジノを買おうとする場面。
フレディの丸い顔は心配そうだった。「マイク、モー・グリーネが売ると本当に思うかい? 奴は俺にそんなことを言ったことは一度もないし、それに奴はこの仕事が好きなんだよ。俺には奴が売るとはぜんぜん思えないがな」
マイケルは静かに言った。「私は、彼が断わりきれないような申し出をするつもりだ」
この言葉は、ごく普通の声音で言われたのだが、その効果は人をひやっとさせるようなものだった。たぶん、それがドンの好んで口にする言い回しだったからかもしれない。(下巻、306~307頁)
映画もわりとそういう感じがありますが、原作はより群像劇と言える雰囲気の作品になっていて、チャプター(章)ごとに主役になる人物が違います。歌手のジョニーとその友人のニノ、そしてドンの長男ソニーの愛人ルーシーなどにも多くの筆が割かれているのが特徴と言えるでしょうか。
映画「PARTⅡ」で描かれていた若き日のドンの姿は原作にあって、一方「PARTⅡ」で同時に描かれていく、ドンを継いだ後のマイケルの活躍、そしてその終焉を描く「PARTⅢ」の物語は、原作者のアイデアがふんだんに入っているにせよ、映画のオリジナルとなります。
「ゴッドファーザー」の中で僕が最も印象に残っている、決して忘れられないエピソード(「泣いて馬謖を斬る」的な)が「PARTⅡ」にあるのですが、それは映画のオリジナルでしたね。でも、確実に原作と地続きという感じがあって、原作もまた想像していたより何倍も面白かったです。
この原作小説は、映画のシリーズを知らない方が読んでも問題なく十分に楽しめますし、また勿論、映画のファンの方が読むと様々な登場人物の行動や考え方が深く理解できて、より一層楽しめると思うのでおすすめです。
作品のあらすじ
一九四五年八月末の土曜日。マフィアのドン、ヴィトー・コルレオーネの娘コニーの結婚式が開かれます。FBIが監視の目を光らせ、来客者の車のナンバーを控えていますが、身近な友人にはドンは前もって、他人の車で来るように言ってあったのでした。
ドン・コルレオーネの元には様々な人が頼みごとをしにやって来ます。娘を傷つけた犯人が法で満足に裁かれないことを不満に思う葬儀屋、落ち目の歌手ジョニー、娘の婚約者がイタリアに送還されそうになって困っているパン屋などなど。
ドン・コルレオーネの三男マイケルは、恋人のケイを連れて式に来ていました。ドン・コルレオーネが有名な歌手ジョニーのゴッドファーザー(名付け親)であり、そもそもジョニーの成功がドン・コルレオーネのお陰だと知ると、ケイは驚きます。
感に堪えないといった調子で、ケイが言った。「あなた、本当はお父さんのこと妬いているんじゃないの? あなたの話を聞いていると、お父さんはいつも人のために何かをやっていらっしゃるみたい。きっととても心の優しい方なんだわ」彼女は苦笑を浮かべた。「むろん、その方法はあまり合法的とは言えないようだけど」
マイケルはため息をついた。「そう取られても仕方がないようだけど、これだけは覚えてもらいたいね。北極の探検家がルートのあちこちに食料箱を置いていくって話、君も知っているだろう? いつかその食料が必要になるかもしれないってんでそうするのさ。おやじのやり口は、それと同じなんだ。いつの日か、おやじがそんな連中の家を訪ねていった時、彼らはいやがおうでも恩義を返さなきゃならないんだよ」(上巻、75~76頁)
ドン・コルレオーネは、短気で感情的になりやすい長男ソニーや優柔不断で情けないところのある次男フレッドよりも三男マイケルのことを気に入っていましたが、兄弟の中で唯一父に反抗的な態度を取るマイケルは志願して戦争に行き、今は家を離れて大学に通っています。
結婚式の途中、ドン・コルレオーネの右腕とも言われる顧問役(コンシリエーレ)のジェンコ・アッバダンドが病気で亡くなり、トム・ハーゲンが顧問役に抜擢されました。元々ソニーの友達で、孤児となってからはコルレオーネ家で息子たちの兄弟のように育てられたトム。
弁護士の資格を持っており、ドン・コルレオーネからの信頼も厚い極めて優秀な人材ですが、本来はシシリー生まれの人間しか顧問役にはなれないという沈黙の掟(オメルタ)があり、トムがシシリー人ではないことで組織の内外問わず、反感を買ってしまうことになります。
やがて、バージル・ソッロッツォという男から、麻薬の取り引きに参加しないかと誘われたドン・コルレオーネは、政治家は賭博は許しても麻薬は許さないだろう、育て上げた人脈を失う恐れがあるからと断りますが、それをきっかけに狙撃されてしまったのでした。
ドン・コルレオーネは意識不明の重体となり、ソッロッツォのバックについたタッタリア・ファミリーとコルレオーネ・ファミリーは戦争状態に突入してしまいます。汚職をしているマクルスキー警部も敵方に回り、窮地に陥ってしまったコルレオーネ・ファミリー。
戦争に終止符を打つため、コルレオーネ・ファミリーは原因となったソッロツォとマーク・マクルスキー警部を交渉の場で殺害することを計画し始めます。その実行犯役に名乗りをあげたのは、堅気だからと周りからは甘く見られているマイケルで……。
ドン・コルレオーネことヴィトーがアメリカに来たのは十二歳の時でした。生まれ故郷であるシシリーのコルレオーネ村では、父親がいさかいの結果マフィアに殺され、ヴィトーの身も危なくなったので、母親にアメリカへと送られたのです。
そこが後に顧問役(コンシリエーレ)となるジェンコ・アッバンダンドの父親の家でした。そうしてヴィトーはアッバンダンド食料品店で働き始め、やがてイタリアから来た娘と結婚し、子宝にも恵まれ、貧しいながらも平凡な暮らしを送ります。
ヴィトーが暮らしている辺りで幅を利かせていたのは、マフィアの一派”黒手団(ブラック・ハンド)”の手先として知られるファヌッチという男でした。ファヌッチがアッバンダンド食料品店の利権の一部を買い取ったことで、ヴィトーは仕事を失ってしまいます。
鉄道で職工として働きますが、厳しい生活を強いられるヴィトー。そんな中、後にコルレオーネ・ファミリーの幹部となるピーター・クレメンツァやテッシオら悪童連中と知り合い、ちょっとした空き巣やトラック乗っ取り専門の強盗に手を染めます。
しかし、そのことをファヌッチに嗅ぎつけられてしまい、大金を要求されてしまったのでした。追い詰められたクレメンツァとテッシオと三人でどうしたらいいか相談していたヴィトーは、自分にまかせてくれたらすべて解決してみせると言います。
ヴィトーはファヌッチのことを分析していました。かつてファヌッチが揉め事をおこした際、その処置が甘かったこと、またファヌッチの要求に応じていない賭博場があるが、そこの主人の身に何も起こっていないこと。
すなわち、ファヌッチは周りにそう見せかけているように、マフィアの仲間がいたり警察にこねがあったりするわけではない、おそらくはただの一匹狼なのだろうと。ヴィトーは家族を外に行かせ、ある決意を胸にファヌッチが集金に来るのを待ち構えて……。
とまあそんなお話です。マフィアのドンや殺し屋、汚職をしている警官など、次々と登場する登場人物は全員キャラが立っているし、誰が裏切者なのかをめぐる、息もつかせぬストーリー展開には抜群に引き込まれるしで、今なお色褪せない傑作だと思います。
個人的にはトム・ハーゲンというキャラクターが非常に好きでしたね。ドン・コルレオーネ家の息子たちと兄弟のように育ったが故に、絶対に裏切ることがない、めちゃくちゃ優秀な人材なんですけど、落ち着いた性格なので、戦争時の判断は鈍いんですよ。
まさに長所は短所で短所は長所、状況によって変わるという感じで、トムに限らず、そんな風にそれぞれのキャラクターが意外な一面を見せることによって登場人物の人間性に深みが出ているので、物語にぐいぐい引き込まれます。
まさに一度読み始めたら頁をめくる手が止まらないという感じでした。「ゴッドファーザー」を知っている人は多いと思いますが、意外と原作の小説を読んだことがある人は少ないだろうと思うので、この機会にぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
ちなみに、映画版の「ゴッドファーザー」シリーズは、70年代に続けて公開された「PARTⅠ」と「PARTⅡ」の完成度が高すぎるが故に、90年代に公開された、外伝的な位置づけとなる「PARTⅢ」は賛否が分かれています。(個人的には嫌いじゃないですけど)
そしてわりと最近の2020年に、「PARTⅢ」の公開30周年を記念して、より監督の意向に沿った再編集版『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期(Mario Puzo's The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone)』が発表されました。フランシス・フォード・コッポラ監督は元々「PARTⅢ」というタイトルにはしたくなかったみたいですね。
オープニングとエンディングを新たにしたもので、これまたあのシーンは前の方がよかったとかなんとか、ファンの間でも色々と感想が分かれている作品なのですが、興味を持った方は、そちらも観てみてはいかがでしょうか。