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ウィリアム・フォークナー『八月の光』

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八月の光 (新潮文庫)/新潮社

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ウィリアム・フォークナー(加島祥造訳)『八月の光』(新潮文庫)を読みました。

好きな作家と言うよりはむしろ、どちらかと言えば苦手な作家なのですが、ぼくが今までに最も衝撃を受けた作家が、フォークナーです。

苦手な理由はいくつかありますが、まず、語りが複雑な構造をしていること。登場人物の「意識の流れ」が書かれたり、時系列がばらばらになって、描かれたりするんですね。ストーリーは追いにくいです。

そして、テーマがショッキングで重いものであること。南部の町を舞台にし、黒人差別や、殺人などの犯罪が描かれることが多いのです。

なので、ただでさえ読みづらい文体や構造をしている上に、テーマ的にも読むのがしんどいので、あまりおすすめの作家ではありません。

ですが、まさにそうした独特の特徴を持つが故に、今なお読者に衝撃を与え続けている作家なんですね。「起承転結のはっきりした、よくある小説には飽きたよ」という方は、ぜひ手に取ってみてください。

フォークナーは初めこそ評価されなかったものの、次第に世界的に高く評価されるようになっていき、ノーベル文学賞も受賞しました。現在では20世紀の世界文学を代表する作家として認められています。

フォークナーの独特の語りの文体や、複雑な物語構造も重要ですが、後世の作家に最も大きな影響を与えたのは、フォークナーが作り上げたミシシッピ州にある架空の土地「ヨクナパトーファ郡」でしょう。

フォークナーは、その「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品を多く書いています。作品はそれぞれ独立していますが、別の作品に出ていた人物が再登場するなど、物語が少しずつリンクしているのです。

人物の再登場自体は、19世紀フランスの文豪バルザックが「人間喜劇」(『谷間の百合』『ゴリオ爺さん』など)と総称される作品群で行っていますが、土地にこだわったのがフォークナーの大きな特徴。

それに影響を受けてラテンアメリカ文学の作家ガルシア=マルケスは『百年の孤独』などで、架空の土地「マコンド」を作り上げました。

日本でもこうしたフォークナーやガルシア=マルケスの影響を受けて大江健三郎が四国の村、中上健次が紀州熊野、最近では阿部和重が山形県神町を舞台に、一つの土地にこだわった作品群を書いています。

続いてフォークナー独特の文体についても少しだけ触れておきたいと思いますが、ぼくがフォークナーに衝撃を受けたのは、まさにその独特の文体でした。では、『八月の光』の書き出しを見てみましょう。

 道端に坐りこんで、馬車が丘をこちらに登ってくるのを見まもりながら、リーナは考える、『あたしアラバマからやってきたんだわ。アラバマからずっと歩いて。ずいぶん遠くまで来たのねえ。』考えはさらに走って 旅に出てからひと月とたたないのにあたしもうミシシッピ州にいる、こんな遠くに来たのは生れてはじめて。あたしが十二のときに家からドーンの製材所に移ったときよりもっと遠くに来ているんだわ(7ページ)


この書き出しの時点で、文体の独特さが分かってもらえたのではないでしょうか。二重鍵カッコが意識して考えていること、ゴチックの部分が自然に考えがめぐるいわゆる「意識の流れ」の部分になります。

意識の流れ」というのは多用されればされるほど、客観的な描写からは離れていくので、ストーリーは把握しにくくなります。さらにフォークナーの場合は、時間が過去に戻ったりするのでなおさらです。

こうした実験的とも言える文体に関心を持った方は、フォークナーの作品の中で一、二を争う読みづらさはありますが、代表作の一つである『響きと怒り』がとにかくすごいので、ぜひ読んでみてください。

さて、今回紹介する『八月の光』は、「ヨクナパトーファ・サーガ」の5作目にあたり、見た目は白人なのですが、黒人の血を引いていると思われるジョー・クリスマスにまつわる恐ろしい事件の物語です。

作品のあらすじ


12歳の時に両親を亡くしたリーナ・グローヴは、20歳年上の兄一家の元で暮らし始めました。やがて年頃になったリーナは恋人の子供を妊娠して、兄一家から激しく非難されるようになってしまいます。

恋人のルーカス・バーチは、ずいぶん前に町を出ていってしまいましたが、リーナは生活の基盤がしっかりしたら迎えに来てくれると信じて、待ち続けました。しかし、いつまで経っても便りはありません。

そこでリーナは、大きいおなかを抱えて、ルーカス・バーチがいるという噂の、ヨクナパトーファ郡ジェファスンへと向かったのでした。

ジェファスンの製版工場で働くバイロン・バンチの元を、一人の女性が訪ねて来ました。しかし、バンチの姿を見るなり、女性の顔から笑顔が消えました。思っていた、ルーカス・バーチではなかったから。

バイロン・バンチはルーカス・バーチなどという名前を聞いたことがありませんが、火事が起こった家の話をするついでに、かつての同僚のジョー・クリスマスとジョー・ブラウンの話を、女性にしました。

「彼はどんなふうな人なの?」と彼女は言う。
「クリスマス? うん彼は――」
「クリスマスのほうでないわ」
「ああ、ブラウン。そう。背が高くて、若くて、浅黒い顔でね、女は彼をいい男前だと言ってるね、かなり大勢がそう言うのを聞いてるよ。笑ったり陽気に遊んだり人に冗談を言ったりするのが得意でね。しかし僕は……」彼の声は止む。彼は相手の落ち着いた真面目な視線を自分の顔に感じていて、顔をあげることができない。
「ジョー・ブラウン」と彼女は言う。「その人、口のここのところに小さな白い傷跡がなかったかしら?」(76ページ)


クリスマスは3年ほど前にこの町へ流れて来た者で、仲間にウイスキーを密売していました。やがて、同じように流れ者としてやって来たブラウンがクリスマスと親しくなり、一緒に仕事をし始めたのです。

バイロンは牧師のゲイル・ハイタワーの元を訪ね、火事が起こった家ではミス・バーデンが首を切られて殺されていたのだと話しました。

そして、ミス・バーデンの屋敷の近くに住んでいたクリスマスとブラウンは事件直後、姿をくらましていたけれど、懸賞金の千ドル欲しさにブラウンが姿を現して、クリスマスのことを密告し始めたのだと。

『俺はクリスマスのことを言ってるんだ』とブラウンが言うんです、『この町の目の前でおおっぴらに白人の女と同棲したあげくにその女を殺した男のことをさ、ところがあんたたちは、そいつが何をしたか知ってるしそいつをあんたたちに見つけてやれる者をいじめていて、当のそいつをますます遠くへ逃がしちまってるんだ。やつは黒ん坊の血を持ってるんだぜ。ひと目見たときに俺は悟ったんだ。ところがあんたたち、お利口な保安官やそんな人たちときたらよ。ちぇっ! 一度なんぞはやつはそれを認めたんだ、自分は黒ん坊の血を持ってると俺に言ったんだ。(後略)』(129ページ)


ここで物語は過去に戻り、クリスマスの生い立ちが語られていくことになります。クリスマスの晩に捨てられ、孤児院で何故か虐げられて育ったクリスマスは、やがて、マッケカン夫妻に引き取られました。

幼いクリスマスを、キリスト教徒として立派に育てようと思うマッケカンは、時にはムチで叩きながら、クリスマスの教育に当たりますが、クリスマスは教えを覚えようとせず反抗的な態度を崩しません。

17歳になったクリスマスは、まだうぶだったので、30歳を過ぎている相手だと気が付かず、町の食堂の給仕女に夢中になりました。5マイルの道を走って、週に2度ほど彼女の元へ通うようになります。

時には、なにかと優しくしてくれるマッケカン夫人が貯めているお金をクリスマスは盗んで、給仕女にプレゼントを買ったりもしました。

ある時、約束をしていない日に給仕女の部屋に行くと、彼女が他の男と一緒に寝ていることに気付きます。2週間ほど彼女の元に行くのをやめていましたが、ある晩、町角で彼女を見つけ、殴りつけました。

いまの彼はずっと前からなじんでいた光景を、新しい意味で目に浮べることができた――あの食堂にとぐろを巻く男たち、くわえたばこを動かしながら、通りすぎる彼女に話しかける連中、そしてうつむいた情けない感じで絶えずあちこちと動く彼女。女の声を聞いていて、彼は土の上に見知らぬ男たちすべてからもれる臭いを嗅ぐように思えた。話しつづける女の顔は少しうつむき、あの大きな両手は静かに膝にのっていた。それは彼には見えなかった。しかし、もちろん、見なくとも分かっていた。「あんた、知ってたと思ってたわ」と女は言った。
「いいや」と彼は言った。「俺、知らなかった」
「知ってたと思ったわ」
「いいや」と彼は言った。「俺は、知らなかったよ」
(261ページ)


やがて町を離れたクリスマスでしたが、自分の体に黒人の血が流れていると思っているだけに、白人の社会には馴染めませんし、かと言って、見た目は白人なので、黒人の世界にも馴染むことが出来ません。

行くあてもなく町から町へ流れ続け、33歳になったクリスマスは、ヨクナパトーファ郡ジェファスンにたどり着きました。北部からやって来たというミス・バーデンが黒人の世話をしていると知り・・・。

はたして、ミス・バーデンが殺され火事が起こった事件の真相とは? そして妊娠しているリーナとルーカスの関係の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。語りや物語構造はかなり入り組んでいて、分かりづらいですが、ミス・バーデンの屋敷で起こった火事の真相と、ルーカスを追いかけて来たリーナに着目すると、分かりやすいです。

フォークナーの作品と言うのは実に不思議な作品で、作品から何かしらのメッセージを読み取ろうとすることはほとんど無意味なんです。

『八月の光』は、これこれこういう作品で、こういうことを描いているのだと、そんな風に集約が出来ない、混沌とした作品なんですね。

場面によってスポットの当たる人物が違うので、リーナやクリスマス、そしてバイロンやハイタワーの、誰もが主人公と言えるような作品ですが、共感し、感情移入出来るようなキャラクターはいません。

それはつまり、何が正しくて何が間違っているのかを、読者の代わりに判断してくれるキャラクターがいないということでもあり、読者はただただ目の前の出来事にひたすら圧倒され続けるしかないのです。

面白いというよりはすごい小説であり、好きか嫌いかはともかく読者の心に衝撃を与えずにはおかない作品です。なかなかに読みづらい小説ではあるのですが、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日もウィリアム・フォークナーで、『サンクチュアリ』を紹介する予定です。

ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』

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サンクチュアリ (新潮文庫)/新潮社

¥620
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ウィリアム・フォークナー(加島祥造訳)『サンクチュアリ』(新潮文庫)を読みました。

ミシシッピ州にある架空の土地「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品を多く残しているフォークナー。今回紹介する『サンクチュアリ』は、その「ヨクナパトーファ・サーガ」の4作目にあたる小説。

新潮文庫に収録されている順番は『八月の光』『サンクチュアリ』ですが、実際は『サンクチュアリ』の方が発表は早いですし、『サンクチュアリ』の方が読みやすいので、先に読むとよいかも知れません。

犯罪に手を染めたであろう怖ろしい男、子供を抱えた純粋さのある女とその女を守ろうとする別の男という、そうした対比関係で描かれていく物語構造や非常に重いテーマは『八月の光』とよく似ています。

『サンクチュアリ』もまた、なかなかに複雑な語りの作品で、もつれた糸が少しずつ解きほぐれていくように、少しずつ事件の真相が明らかになっていく感じなので、普通の小説に比べれば読みづらいです。

ただ、フォークナーの他の作品と比べると文体にせよ物語構造にせよすっきりとしていて読みやすいので、最初の一冊におすすめですよ。

一般の読者にも人気がなく、批評家からも評価されていなかったフォークナーが一躍注目されるきっかけになったと言われているのがこの『サンクチュアリ』。それだけセンセーショナルな内容の作品です。

どういう意図でフォークナーがそんな発言をしたか議論がなされてもいるのですが、初版が売れてモダン・ライブラリー叢書に収録される時に、フォークナーはあえてこんな序言をつけ加えたのだそうです。

「この作品は三年前に書かれた。私としてはこれは安っぽい思いつきの本だ、なぜならこれは金をほしいという考えから書いたものだからだ」そして当時の自分の事情を少し語ってからさらに、自分は売れる本を書こうとして、「自分の想像しうる限りの最も恐ろしい物語」を考えだしたのだとも言う。(420ページ、訳者解説)


”想像しうる限りの最も恐ろしい物語”はとても印象的な言葉ですよね。思わずどんな話なのか気になってしまうのではないでしょうか。

この後訳者の加島祥造は、本当にそんな単純な動機で書かれたならばわざわざ断り書きを書く必要はないとして、フォークナーの真の意図について考察しているので、関心のある方は解説をご参照ください。

物語は禁酒法時代の南部の町で始まります。女子大生のテンプルはボーイフレンドのガウァンが運転する車に乗っていましたが、途中で車は事故にあって、それ以上もう移動出来なくなってしまうんですね。

そこで、やむなく近くの家に身を寄せたのですが、そこは酒の密造をしている一味の住家だったのでした。テンプルはひどい目にあわされ、テンプルを守ろうとした一味の男トミーは殺されてしまいます。

トミー殺害の容疑で捕まったのが、一味の男リー・グッドウィン。グッドウィンの奥さんに頼まれた弁護士ホレス・ベンボウは、グッドウィンの無罪を証明するためにテンプルの行方を探し始めて・・・。

複雑な語りの小説ですから、テンプルの身に一体どんなことが起こったのかは、なかなか明かされません。みなさんがおそらく想像した通り性的な暴行が加えられてしまったようですが、よく分かりません。

少しだけ書いておくと、単純に肉体的に汚されたのではないんですね。少し異常な出来事になっていて、一体何故そんなことが起こったのかというのが、この作品のもう一つの大きな山場になっています。

女子大生テンプルに起こった恐ろしい出来事を描くと共に、殺人事件の容疑者になってしまった無罪のグッドウィンを救おうとする物語。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 泉を囲んでいる藪のかげから、ポパイはその男が水を飲むのを見まもっていた。その泉へは、向うの街道から一本の小道が通じていて、その小道からいまポパイの見つめている男は現れたのだった――ひょろ高くやせており、無帽、くたびれたグレイのフラノズボン、胸にはツィードの上着をかけていて――男は泉まで来るとひざまずき、水を飲みはじめた。(5ページ)


弁護士のホレス・ベンボウは、妻との生活にうんざりして家を出て来て、ジェファスンに向かう途中で、酒の密造をしているポパイと出会ったのでした。一味が住家にしている廃屋で、ごちそうになります。

翌日、ベンボウは妹で、未亡人のナーシサ一家の元を訪ね、ナーシサが、ガウァン・スティヴンスという青年と親しいことを知りました。

そのガウァンはある夜、色んな男性とデートをしていることで有名なテンプル・ドレイクという女子大生を車で送っていく約束をしていたのですが、酔っていたこともあり車は大木にぶつかってしまいます。

車が動かせないので、ガウァンとテンプルは、ポパイ一味が暮らす廃屋に身を寄せることになりました。元々ガウァンは、一味のリー・グッドウィンからよく酒を買っていて、この場所を知っていたのです。

ガウァンは酒を飲んで酔っ払い、ポパイに車を出してくれるように頼んですげなく断られたテンプルは料理をしている女に話しかけます。

「あんたの弟はどこにいるの?」とテンプルはドアの外をのぞきながら言った。「あたし兄弟が四人もあるのよ。二人は弁護士で、ひとりは新聞記者なの。もうひとりはまだ学校にいるわ。イェール大学にね。あたしの父は判事なの。ジャクスン市のドレイク判事よ」彼女は父を思い出した――白い麻の服を着て、手には棕櫚のうちわを持ち、ヴェランダにすわって、芝を刈ってゆく黒人をながめている姿。
 女はオーヴンをあけてなかをのぞいた。「あんたはここに誰にも呼ばれたわけじゃないんだよ、いいね。あたしだって泊れなんてすすめなかったんだよ、いいね。あたしは陽のあるうちに行きなとすすめたんだからね」
「あたし、行けなかったのよ。あたし自分であの男に頼んでみたのよ。ガウァンはいやだと言うもんだから、あたし、自分で頼んでみたのよ」(70ページ)


後に、その女ルービーには赤ん坊がおり、グッドウィンの内縁の妻だと分かりました。テンプルは、酔っ払った一味の男たちに乱暴されそうになったものの、グッドウィン夫妻になんとか守ってもらえます。

翌朝、車を見つけに行く予定で出かけたガウァンはそのまま戻らず、どこか不気味なポパイを恐れるテンプルはまぐさ部屋に隠れました。

トミーというあまり頭のよくない一味の男が、「おらあ、そこにいて、誰にもあんたをつかめえさせねえようにするよう。ちゃんとここにいるよう」(128ページ)と入口の見張りを申し出てくれます。

やがて、まぐさ部屋にやって来たポパイ。テンプルはマッチをするほどの小さな音ながら「一瞬の間に情景に幕をおろして冷厳な終局をもたらしてしまう小さな短い響き」(130ページ)を耳にしました。

そして、ポパイの持つピストルから煙が出ているのを見ながら、「なにかがあたしに起るんだわ」(131ページ)と思い続けたのです。

知らせを受けて駆け付けた警察は、グッドウィンをトミー殺しの容疑者として逮捕しました。弁護を担当することになったベンボウは、ポパイがやったのかと尋ねますがグッドウィンは答えようとしません。

ルービーと赤ん坊を可哀想に思い、無罪らしきグッドウィンの容疑を晴らしてやりたいと願うベンボウでしたが、ベンボウの妹や、町の人々の、未婚の母ルービーに対する態度はとてもひどいものでした。

ついにベンボウは、ポパイによってミス・リーバの淫売宿に連れて行かれていたテンプルを見つけると、裁判の証言をするよう頼みます。

「ぼくはね、ただ本当に何が起ったかを知りたいだけなんだよ。君は直接に関係しなくともいいんだ。君があれをやらなかったことは、ぼくもよく知っている。だから、君がまだ何も言わないうちから、こう約束するよ――君が法廷で証言することは、彼がどうしても死刑の判決をされそうになるまで、なんとか控えておくとね。君の気持はよくわかってる。だからもしもひとりの男の命がかかっていないのだったら、ぼくは君をこんなに悩ませたりしないはずなんだよ」
 その小山は動かなかった。
「あの連中はねえ、その男が何もしなかったのに首をくくろうとしてるんだよ」とミス・リーバは言った。「そうなればあの女は丸裸で、ひとりぼっちになっちまうのさ。あんたがダイヤモンドを持ってるのに、あの女は哀れな小ちゃい子と二人っきりさ。君、わかるだろ、わからないかい?」
 その小山は動かなかった。(280ページ)


はたして、あの時テンプルの身に一体何が起こったのか? そして、グッドウィンの裁判の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。ポパイは、テンプルを廃屋から連れ去ったのですが、その後の行動がどこかおかしいんですね。自分の女にするならまだ分かりますが、わざわざ淫売宿へ連れて行ったわけですから。

何かがおかしいポパイの行動。あの時一体何が起こったのか、物語が進むに従って衝撃的な事件の真相が徐々に明らかになっていきます。

女子大生の陵辱や殺人など、テーマ的には非常に重く、そんな小説読みたくないよという方も多いでしょう。そういった方には、やはりおすすめ出来ませんけれど、他の小説にはないすごみのある作品です。

時系列順に詳細に語られるわけではなく、かなり複雑な語りをしているので、決して読みやすくはありませんが、読者に衝撃を与えずにはおかない作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日もウィリアム・フォークナーで、『死の床に横たわりて』を紹介する予定です。

ウィリアム・フォークナー『死の床に横たわりて』

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死の床に横たわりて (講談社文芸文庫)/講談社

¥1,470
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ウィリアム・フォークナー(佐伯彰一訳)『死の床に横たわりて』(講談社文芸文庫)を読みました。

ミシシッピ州にある架空の土地「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品を多く残しているフォークナー。今回紹介する『死の床に横たわりて』はその「ヨクナパトーファ・サーガ」の3作目にあたる小説。

タイトルにある通り、一人の人間の死にまつわる出来事を描いた物語ですが、フォークナーがごく普通の書き方をするわけがありません。

小説の書き方には、ざっくり言うと二通りあります。「僕」や「私」など一人の視点で書く一人称と、客観的な視点から書く三人称です。

一人称は日記に近い形であり、個人の感情が文章に投影されるスタイルですね。三人称は映像をとらえるカメラがあるとイメージしてもらうとよいですが、起こったことをそのまま描くスタイルになります。

誰かの死を描く時、一人称ではその文章の書き手が感じたことは描けますが、その書き手以外の人々がどんな風に感じたかは描けません。

そして一方の三人称では、その都度誰かの心理に寄り添って描いていかなければ、それぞれの登場人物がどう感じたかは描けませんよね。

一人称では多くの人々の心理は描けず、かと言って、客観的な視点を持つ三人称では深い感情を描けないという、まさに帯に短し襷に長しなんです。では、フォークナーは、どのように書いたのでしょうか。

これがなかなかにぶっ飛んだ発想をしていて、フォークナーは一人称を積み上げて、一人の人間の死を描くという方法を取ったのでした。

『死の床に横たわりて』は、アディ・バンドレンという、四男一女の母が死んでしまう物語。死んだ後は生まれ故郷のヨクナパトーファ郡ジェファソンに埋葬して欲しいと、アディはずっと願っていました。

そこで、アディの夫のアンスと子供たち、キャッシュ、ダール、ジュエル、デューイ・デル、ヴァーダマンは母の遺体の入った棺桶を運び、道中様々な困難に直面しながら、ジェファソンを目指すのです。

このバンドレン一家のそれぞれと、バンドレン一家が出会った人々の短い一人称が、めまぐるしく変わっていくことによって紡がれている物語で、登場人物が抱える問題や、複雑な心理が描かれていきます。

一人の女性の死と埋葬のための移動という、全体的な物語はとてもシンプルですが、なにしろそれだけ語り手が入れ替わりますし、ちょっと普通じゃない語り手がいるので、なかなかに読みづらい作品です。

しかも、語り手が変わるだけならまだよいですが、フォークナーは「意識の流れ」という登場人物が自然と考えたことを地の文で描く手法を使っているんですね。たとえばデューイ・デルはこう考えます。

 母ちゃんが死んだって聞いた。もっと時間さえありゃ、いいのに。母ちゃんもゆっくり死ねるし、もっと時間がほしい、ああ時間がほしい。早すぎて、早すぎて、早すぎて、森の犯された大地で。あたいが、いやだ、しないっていうんじゃないけれど、早すぎて、早すぎて、早すぎて。
 ほら、看板が言い出した。ニューホープへ三マイル。ニューホープへ三マイルって。時間の子宮っていうのは、これよ。大きくひろげた骨の苦しみと絶望。きつく締めたガードルの中には、犯された事件の内臓がつまってる。看板に近よるにつれて、キャッシュの頭がゆっくり廻る。青白く空ろで、落ち着いて、問いかけるようなキャッシュの顔が、がらんとした赤土の曲がり角を見ている。後輪のわきでは、馬にのったジュエルが、まっすぐ前を見てる。
(125~126ページ)


表示されていないかも知れませんが「時間の子宮っていうのは、これよ。大きくひろげた骨の苦しみと絶望。きつく締めたガードルの中には、犯された事件の内臓がつまってる。」がイタリックの字体です。

フォークナー独特の文体を作り出している大きな特徴である「意識の流れ」の表現は、翻訳ではこんな風にイタリック(斜めの字体)や、あるいは訳者によっては、ゴチック(太い字体)で表されています。

デューイ・デルは、家族にもまだ言っていませんが、実は妊娠しているんですね。しかし結婚出来そうになく、おなかの子をなんとかしなければと考え続けていて、色々な不安が自然と頭に浮かぶのでした。

デューイ・デルの妊娠が一番分かりやすい形ですが、彼女だけはでなく、家族の面々がそれぞれに抱えているものがあります。時に現在と過去が交錯しながら、バンドレン一家について、語られていく物語。

作品のあらすじ


バンドレン一家の近くに住むコーラ・タルは「骨のあるのがすぐ皮膚の下に白い筋になって判る」(11ページ)ほどやつれたアディの顔を眺めていました。外から鋸を使って木を切る音が聞こえてきます。

腕のいい大工職人で、アディの長男のキャッシュが棺桶を作っているのでした。そこへ、次男のダールと三男のジュエルが帰って来ます。

アディの夫のアンスは、コーラの夫のヴァーノン・タルと、アディがもし死んだら、アディの生まれ故郷のヨクナパトーファ郡ジェファソンにある先祖代々の墓に埋葬すると約束したことを話していました。

年齢的にはジュエルの下にあたるデューイ・デルは、綿つみの仕事が一緒だったレーフという男の子供を妊娠して困っており、末っ子のヴァーダマンは、知的な障害があって、物事をうまく把握できません。

町医者のピーボディがやって来た時にはアディはもう手遅れでした。

 わしが出てくると、二人はポーチにいて、ヴァーダマンは階段に腰をおろし、アンスは柱のそばに立ち、寄りかかりもせんで、腕をだらんと垂らし、髪は、水につかった雄鶏そっくりにぴったりともつれ合っとる。奴さんは頭だけ向け、わしのほうをちらりと見た。
「どうしてもっと前に呼びにこんかったんじゃ?」わしはいう。
「あれや、これやとあってな」奴はいう。「わしと息子たちで玉蜀黍の始末をつけるつもりじゃったし、デューイ・デルはアディの看病してるし、それに近所の連中が来て、手伝おうといってくれたりするんで、結局わしゃあ……」
「金なんかなんじゃい」わしはいう。「払えねえうちから、わしが責め立てたりしたたためしがあるかい?」
「金をケチケチしたんじゃねえんで」奴はいう。「わしゃただ、ずっと考えてただが……アディはもうおしまいでしょうが?」
(50ページ)


アディは息を引き取ると棺桶に入れられますが、動き回る父の影を感じながら、ヴァーダマンは、「あん時は、魚じゃなくて、母ちゃんだった、今じゃ魚で、母ちゃんじゃない」(74ページ)と思います。

ジェファソンへ向けてバンドレン一家が出発した日は生憎の雨で、川が増水して橋が渡れなくなっていたり、時間が経てば経つほど死体が臭ってはげたかが寄って来たりと、様々な困難に直面していきます。

旅の道中、ダールはジュエルが15歳の頃を思い出しました。ジュエルは、いつでも眠そうにするようになったのです。ジュエルの仕事はデューイ・デルとヴァーダマンが、代わりにするようになりました。

キャッシュとダールは、ジュエルが夜中にカンカラを持って出かけるのを知って、女のところに行っているなと気が付き、話し合います。

 その後は、えらく滑稽な気がしてきた。奴がぼやっとして、やたらに眠たがって、いそいそ出かけて、やせっこけて、自分じゃうまく立ち廻ってる気でいやがる。相手の女はだれだろうかと考えてみた。それらしいのを知ってる限り、思いうかべてみたが、どうもはっきりと判らんかった。
「若い子じゃねえ」キャッシュがいった。「どこかの人妻だよ。若い子じゃ、こんなに図々しく、またこんなにねばる力があるわけねえ。そこが困るとこじゃが」
「どうして?」俺はいった。「娘っ子より人妻のほうが無難じゃねえか。もっと頭を使えや」(137ページ)


しかし、5ヶ月が過ぎて夏から冬になった時、ジュエルは女の元に通っていたのではないことが、みんなに分かりました。クイックじいさんが持っていた、立派なテキサス馬に乗って、帰って来たからです。

40エーカーの土地を開墾してジュエルは馬を手に入れたのでした。アンスは馬など余計に金がかかると怒りますが、ジュエルは「あんたのもんなんか、一口だって食わせん」(143ページ)と言います。

ダールは何故ジュエルがそんな態度を取ったのか分かりませんでしたが、その夜、ジュエルの枕元で暗闇の中母アディが泣き声も出さずに激しく泣いているのを見て、その理由がはっきりと分ったのでした。

元々は小学校の教師をしていたアディ。やがて、わざわざ4マイルも遠回りをして、アンスが馬車で学校を通りがかっていることに気付き、アンスの求婚を受けて結婚しキャッシュとダールが産まれます。

しかしアディにとってアンスは、無意味な存在になっていきました。

 その時のアンスには、自分がもう死んでいることが判っていなかった。時折り、私は暗闇の中で、彼のそばに寝ていて、今は私のいわば血肉のものとなった土地の音を聞きながら、考えたものだった。アンス、どうしてアンスなの、あんたがなぜアンスなの。アンスという名前のことを考えているうち、しばらくすると、名前が一つの形、一つの容器に見えてきて、じっと見守っているうちに、アンスが液化して、容器の中に流れこみ、まるで冷たい糖蜜が暗闇から容器の中に流れこむみたいに、瓶はいっぱいになって、じっと立っている。戸の枠に戸がはまっていないみたいに、意味はありながら、まるで生命のない、ただの形。すると、瓶の名前も忘れていたことに気づくのだ。(184~185ページ)


アンスを遠ざけている内にジュエルを身ごもったアディは、家を清めるためにデューイ・デルを産み、やがてヴァーダマンも産んで、死んだ後はジェファソンに埋葬してほしいと思うようになったのでした。

大工仕事中に転落して足を痛めているキャッシュ、家族を観察して様々なことを考えるようになったダール、兄弟で一人だけのっぽのジュエル、お腹の子をどうしようかと悩み続けているデューイ・デル。

そして現実がよく分からず、「また水のところへゆけば、母ちゃんが見えるんだ。母ちゃんは箱の中にはおらん。あんな臭いなんかせん。母ちゃんは魚だ」(211ページ)と思い続けているヴァーダマン。

はたして、それぞれの思惑や悩みを抱えるバンドレン一家は、無事にアディをヨクナパトーファ郡ジェファソンで埋葬出来るのか!?

とまあそんなお話です。恋人の死など物語では時に美しく描かれる死ですが、フォークナーはとことんリアル、そしてとことんグロテスクに描いています。思わず顔をおおいたくなるような、異臭漂う作品。

視点はころころ変わりますし、「意識の流れ」が書かれるだけに文体はかなり特殊、いきなり過去の話が挿入されて、時系列もばらばら。

とにかく読みづらいので、簡単におすすめは出来ませんが、しかし一人の人間の死を、これほど多角的に描いた作品が他にあるでしょうか? しかも、少しずつ意外な出来事が明らかになっていく面白さ。

一つの家族、そして一人の人間の死にスポットをあてているだけに、衝撃的な犯罪事件を描いた他の作品と比べてより胸に響くものがあったような気がします。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日もウィリアム・フォークナーで、『アブサロム、アブサロム!』を紹介する予定で、今回のフォークナー特集は、次回で終わりです。

ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

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アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)/河出書房新社

¥2,730
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ウィリアム・フォークナー(篠田一士訳)『アブサロム、アブサロム!』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹個人編集=世界文学全集の中の一冊です。

ミシシッピ州にある架空の土地「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品を多く残しているフォークナー。今回紹介する『アブサロム、アブサロム!』はその「ヨクナパトーファ・サーガ」の6作目の小説。

複数の語り手からなる重層的な作品『響きと怒り』と並んで、代表作に数えられる『アブサロム、アブサロム!』は、簡単に言えば、人生に大きな目標を持っていたトマス・サトペンという男の一代記です。

しかしながら、サトペンが様々な出来事を経て成長していく様が描かれるというような、ごく普通の一代記の書かれ方はされていません。

物語は1909年9月から始まりますが、サトペン自身は40年も前に死んでおり、同じ町で暮らす青年クウェンティン・コンプソンが、かつてサトペン一家に起こった悲劇を知っていくこととなるのです。

サトペンの妻の妹ローズ・コールドフィールドやサトペンの友人だった祖父の話を父から聞いたクウェンティンはそれらのことについて大学のルームメイトのシュリーヴ・マッキャノンと語り合うのでした。

物語の構造をざっくり言うと、クウェンティンは前半は聞き役、後半は語り役になるわけです。前半では衝撃的な事件の結末だけが提示され、物語が進むにつれ、じわじわと真相が明らかになっていく形式。

読者はサトペン一家で起こった出来事について、初めから大体のことは知っているわけですが、”それが一体何故起こったのか?”は初めの内は分かりません。それが段々分かっていく感じは鳥肌ものでした。

ちなみにクウェンティンは『響きと怒り』の語り手の一人でもあり、なかなかに衝撃的なものでもありますが、テーマ的に重なる部分もあるので、関心のある方は、そちらもあわせて読むのがおすすめです。

『アブサロム、アブサロム!』は黒人奴隷の問題など南部の町が抱える様々な問題を取り込みながら、サトペン一家の悲劇を描き出し、一人の男の栄光と挫折、人生のすべてを詰め込んだような重厚な作品。

今までに読んだフォークナーの作品で、ぼくは『八月の光』が一番好きですが、『アブサロム、アブサロム!』は他の追随を許さないすさまじい迫力のある小説で、これはぜひ一度は読んでもらいたいです。

フォークナーから大きな影響を受けたラテンアメリカ文学の作家、ガルシア=マルケスの作品でも読んでいない限りは、間違いなく、みなさんが経験したことのない読書体験になること請け合いの一冊です。

ただ同時に『アブサロム、アブサロム!』はその難解さでも知られていて、途中で挫折してしまったという話もよく耳にします。文章自体の難しさもありますが、やはり複雑な物語構造がその要因でしょう。

実を言うとこの本の巻末には、フォークナーが作成した、年譜と系譜(登場人物表のようなもの)、町の地図が付けられているんですね。

年譜は、言わばばらばらの物語を時系列順に確認出来るツールになっていますし、系譜の説明を読めば、登場人物の関係性や何が起こったかが一発で分かるので、この物語のほとんどすべてが分かりますよ。

なので物語についていけないという人はネタバレ覚悟でここを見るという手もありますが、そうするとやはり、種を知ってからマジックショーを見るようなことになるわけで、驚きはなくなってしまいます。

一番おすすめなのはやはり、登場人物が分からなくなったり物語の筋が追えなくても、もう強引にぐいぐい最後まで読んでしまって、それから年譜と系図を確認しながら、ぱらぱら再読するという方法です。

そもそも巻頭ではなく巻末に付けられているのは、読み終わってから物語を確認するために使ってほしいということなのでしょうし。シンプルな構造ではないだけに、何度も読み返してみてほしい作品です。

作品のあらすじ


間もなくハーヴァード大学へ進学することが決まっているヨクナパトーファ郡ジェファソンの青年クウェンティン・コンプソンは、43年間喪服を着続けている、ミス・コールドフィールドに呼ばれました。

ミス・コールドフィールドは、将来クウェンティンがえらくなったら自分が話した出来事を、どこかにお書きになるといいと言うのです。

そうしてミス・コールドフィールドは、クウェンティンがおぼろげに知っていたこの土地の物語、トマス・サトペンという男が黒人を引き連れて突然やって来て、大きな農園を築いたことを語り始めました。

一体何故、ミス・コールドフィールドが自分にサトペン一家の破滅の話を語ったのか不思議に思うクウェンティンに、父はこう言います。

「うむ」とコンプソン氏はいった。「昔はね、南部ではわしら男性が女たちを淑女にしてやったもんだ。ところが戦争が始まってその淑女たちも亡霊になってしまった。だからわれら紳士たるものは亡霊となった淑女の話を聞いてやるしかあるまい?」それから氏は、「あの女がおまえを選んだほんとのわけを知りたいか?」といった。夕食後、ふたりはヴェランダの椅子に坐り、ミス・コールドフィールドがクウェンティンに来訪してくれるようにと指定しておいた時間のくるのを待っていた。「それはね、あのひとにはだれか味方になってくれる者が必要だからさ――だれか男が、それも紳士で、しかもまだ若くて彼女の望むことを彼女の思うとおりにやれるような者がな。おまえのお祖父さんはサトペンがこの郡で持った唯一の友人といってもいいような人だったから、そこでおまえに白羽の矢が立ったわけだ。(後略)」(11~12ページ)


黒人奴隷とフランス人の大工を従えてこの土地へやって来たサトペンは、インディアンから土地を巻き上げ、大きな屋敷を作りました。そして名士になるためエレン・コールドフィールドに求婚したのです。

1838年6月、サトペンがやって来てから5年後の日曜の朝、教会で2人の結婚式が行われましたが、あまりにも参加者の少ないみじめな式だったので、エレンは式の間中ずっと泣き続けていたのでした。

やがて、サトペンとエレンの間には、ヘンリーという男の子と、ジューディスという女の子が産まれます。その少し後の1845年には、エレンの妹のローザ(ミス・コールドフィールド)が産まれました。

ローザは、姉とも姉の一家ともあまり交流はなく育ちますが、20歳の時にエレンは病気で亡くなり、年上の甥や姪のことを頼まれます。

ミシシッピ大学に通うようになったヘンリーは年上のチャールズ・ボンと親しくなり、家に呼ぶようになりました。いつしかジューディスとボンは親しくなり、2人はやがて結婚するだろうと噂になります。

ところが衝撃的な事件が起こりました。何があったのかは分かりませんが、ヘンリーがボンを銃殺して行方をくらましてしまったのです。

父を亡くし、サトペンの屋敷で暮らすようになったローザはサトペンから、「すくなくともわしは、おまえにあれ以上悪い夫にはならないと約束できると思うが」(190ページ)とプロポーズされました。

ローザは結婚を受けることにしますが、何かがあってサトペンの屋敷を去ります。それからはずっと喪服を着て一人で暮らしたのでした。

ヘンリーは何故、恐ろしい銃殺事件を起こしたのでしょう? ローザはプロポーズを受けておきながら何故、結婚しなかったのでしょう?

1910年1月。クウェンティンがミス・コールドフィールド(ローザ)や父から、サトペン一家について聞かされた夏から数か月後、ミス・コールドフィールドの死を告げる手紙が、故郷から届きました。

ハーヴァード大学に通う同じ年のルームメイト、シュリーヴ・マッキャノンはカナダ出身で、南部の町がどんな風か関心を寄せています。

そこでクウェンティンは、時々、茶々を入れるシュリーヴに問われるままに、あの夏に起こった思いがけない出来事についてや、自分が知っているサトペンやヘンリー、そしてボンの話をしていくのでした。

サトペンが生まれたのは1808年、後のウェスト・ヴァージニアにあたる山奥。やがて幼いサトペンは、白人と黒人の間だけでなく、白人と白人の間にも大きな違いがあることを知ってしまったのでした。

お使いに出たサトペン少年は、大きな屋敷を守る黒人から表門に来てはいけない、裏口に回れと言われたのです。激しいショックを受けましたが、黒人を、割る気も起こらない風船玉のようだと思いました。

あのとき自分でもわからないうちに、彼のなかのなにかがぬけだして――彼はその目をとじることができなかった――その風船玉のなかに入りこみ、そこから外側を眺めていた。(中略)サトペン少年は自分の父親や兄姉たちを、あの金持の農園主がいつも彼らを見ていたような目で見つめたのだ――なんの当てもなくこの世に排泄されてきた、鈍重で醜悪な、家畜のような生き物を見るように、しかしこの家畜のような人間どもはそのかわり畜生のように醜くあきもせずにつぎつぎと子を生んで、二倍、三倍、幾層倍にも殖え、この地上にところ狭しと殖えてゆくだろうが、しかしこの種族はいつまでたってもうだつがあがらず、黒人どもなら自由に衣類をあてがわれるところ、白人なるがゆえに商店から高いつけで買わされた服を、つぎをあてたり仕立て直したりして着るしかなく、忘れられた名もない先祖が少年のころある家を訪ねて黒人めに裏口へ回れといわれたとき戸口からのぞいていたあの風船玉のにたにたした表情を唯一の遺産とするのだ(271ページ、本文では「つけ」に傍点)


黒人の目、そしてその黒人を使う白人の目で自らの境遇を見てみじめさを認識したサトペン少年は、自分の人生を変えるためそして自分の望む生き方をするために強い決意を持って故郷を飛び出して・・・。

はたして、人生の成功を夢見続けたサトペンに降りかかった、思いがけない悲劇とは一体!?

とまあそんなお話です。クウェンティンはミス・コールドフィールドから体験談や、サトペンの唯一の親しい友人で、直接話を聞いた祖父から父へ伝わった話を聞き、様々な人の手紙を読んでいるわけです。

話を聞くシュリーヴは客観的な立場なので、疑問点を素直に聞くことが出来ます。2人の対話が進む内に、サトペン一家が抱えるいくつかの秘密、そして恐ろしい事件の真相が明らかになっていくのでした。

物語の時系列はばらばらですし、語る人が変わると、登場人物の呼び名も変わる(たとえばミス・コールドフィールドだったり、ローザだったり)わけですから、なかなかに読みづらい小説だとは思います。

ただ、何故ヘンリーが銃殺事件を起こしたのかなど、予め結末が提示されている出来事の、思いがけない真相が明かされていく面白さがあって、最後の方ではもうページをめくる手が止まらなくなりました。

大体上に出てきた登場人物とあらすじさえおさえておけば、ある程度はなんとかなるだろうと思うので、興味を持った方は、ぜひ『アブサロム、アブサロム!』に挑んでみてください。衝撃的な一冊ですよ。

4回にわたってフォークナーを取りあげてきました。その凝りに凝った文体、物語構造は難解さもあり、今ではあまり読まれていません。

予想通りというか、反響はほとんどありませんでしたが、どうでしょうか、なんだか興味深い作家だと思ってもらえたなら、嬉しいです。

様々な技巧を凝らした実験小説だったり、文章やテーマ的に、ちょっと普通じゃない小説を探しているという方には、とにかくおすすめのすごい作家です。ぜひ何かしらの作品を手に取ってみてください。

また少し間をあけて、他の作品も取り上げられたらいいですね。

明日は、綿矢りさ『大地のゲーム』を紹介する予定です。

綿矢りさ『大地のゲーム』

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大地のゲーム/新潮社

¥1,365
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綿矢りさ『大地のゲーム』(新潮社)を読みました。

芥川賞大江健三郎賞をいずれも最年少で受賞した綿矢りさの待望の新作長編。出版社のキャッチコピーは、”未来版「罪と罰」”です。

今までの綿矢りさの作風とは全く異なる新境地を開いている作品で、今までの作風が好きな人はちょっと抵抗を感じそうですが、それは逆に言えばまた新たな読者層を獲得しそうだということでもあります。

綿矢りさの今までの作風の何よりの特徴は、やや歪んだ感情を生々しくリアルに描くことだったと思います。描かれるのは日常というごく狭い世界ながら、そこには、複雑な心理や感情の動きがありました。

東日本大震災を経て、地震をテーマにして書かれたこの『大地のゲーム』は、物語の舞台は近未来、日本に似ていながらも固有名詞を極力廃した、どこか寓話的な雰囲気漂う世界が構築されている小説です。

親の親の世代がまだ子供だった頃に津波を引き起こした大きな地震が起こり、それから少しずつ世界のあり方が変わっていったようです。

 私たちはもともと”明るすぎる街”を知らない。明るすぎる街――何世代も上の人たちは、主力エネルギーの稼働禁止前の街をそう呼び、その後のうすら明るい街に慣れようとしていたそうだ。私には想像もできないが、かつてこの国の夜が他のどの国よりも明るく、地平線の先まで光がちりばめられ、一億ドルだとか、二万ドルだとか、額は忘れたけどそれほどに値打ちのある夜景と称されていたらしい。(57ページ)


平均寿命は短くなり、条件付きではあるものの銃の所持が許可された世界。夏に大きな地震が起こり、またいつ大地震が起こってもおかしくない状況の中で、学生たちは校舎で寝泊まりをしているのでした。

そうした異常なある種の極限状態に現れた”リーダー”とまわりの人々のそれぞれの葛藤を描いた物語。まさに綿矢りさの新境地ですよね。

ドストエフスキーの『罪と罰』というよりは、ディストピア(あってほしくない未来世界)ものであるジョージ・オーウェルの『一九八四年』に近く、こうした作品を綿矢りさが書くとは思いませんでした。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)/早川書房

¥903
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ちょっと脱線しますが、現代日本文学の大きなテーマに”本当の自分とは何か?”があるんです。いつ誰といる自分が本当の自分なのか。

みなさんも友達といる時、恋人といる時、家族といる時、上司や先輩といる時、そして、ネット上で見せている顔などは、それぞれみな少しずつ違うのではないでしょうか。どれが本当の自分なのでしょう?

近年そうしたテーマに取り組んでいるのが平野啓一郎で、「分人主義三部作」(『決壊』『ドーン』『かたちだけの愛』)を書いたりしています。特に『決壊』は『大地のゲーム』と重なる部分が多いです。

また、そもそも”本当の自分”というのは、幻想に過ぎないという考えを書いた、『私とは何か――「個人」から「分人」へ』という本も出ているので、その辺りに興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)/講談社

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人間は相手によって態度を変え、本音を持ちつつ建前で生きていく生き物です。しかし、戦争や大きな災害で極限状態に追いやられた時、建前の仮面は崩れ落ちて、恐ろしい本音が顔を出してしまうのです。

綿矢りさの『大地のゲーム』が何より面白いのは、そうした表裏のある人間の心を巧みに描き出していること。独特の世界観、物語性と文学的テーマの深さが融合した、個人的にはとても好きな作品でした。

作品のあらすじ


大講堂の2階にある劇場準備室で学祭で行う政治劇の衣装を縫っていると、息を切らしてマリがやって来ました。「私」はマリを宝箱に入れ、マリを追いかけまわしている女子グループから守ってやります。

窓の外からは、デモ隊が何やら叫んでいる声が聞こえていました。

「マリ、もう出てきていいよ。あいつら行っちゃったから」
 宝箱の蓋を開けて中から這い出てきたマリは、スカートについた埃や糸くずを払った。
「もう大学に来るの、よしたら? あんたはいつか、あいつらに殺されるかもしれないよ」
「自分の居場所は自分で決めたい。だれかに追い出されて、逃げ出したくなんかないの」
 か細い身体に、平べったい童顔、大きな瞳、か弱そうなのに意外としぶといところが、余計にあの女子たちを刺激するのだろう。私の陰に隠れて窓から覗き、追っ手の姿がないのを確認したマリは、拡声器の声に反応した。
「なにあの行列。デモ?」
「うん、うちのグループのね。非公式なんだけど」(12ページ)


「私」は「私の男」と一緒にリーダーが作った”反宇宙派”というグループに所属しています。2週間後に控えた学祭で、演説、演劇、出店をする予定なので”反宇宙派”のメンバーたちは準備をしていました。

日が暮れると、大学近くの居酒屋に行って夕ご飯を食べ、14号館に戻った「私」たち。夏に大きな地震が起こり、一時的な宿泊所として解放されたこの学館には、今でも多くの学生たちが住んでいます。

家が壊れて帰れない人も家は無事なのに帰らない人もいますが、また近い内に大規模な地震が来ることが予測され毎日数回余震が続いている状況なので、新しく平和な生活を始める気にはなれないのでした。

「私の男」が悪夢にうなされて叫んだので、高速道路の崩壊で亡くした両親の夢を見たのかと心配すると否定されます。「違う。両親の夢を見たんじゃない。あいつの死ぬ夢を見たんだ」(31ページ)と。

悪夢にうなされる「私の男」はいつしか、16号館に移って来た薬学部が作っているというドラッグに興味を持つようになったのでした。

「私」はマリを追うグループにからまれますが、”反宇宙派”のリーダーとマリが付き合うようになるのを怖れて、あなたたちはわざわざ古い事件を持ち出して、攻撃しているのではないかと言ってやります。

「古い事件じゃない、まだ今年の話よ!」
 メンバーの一人の女子が金切り声を上げて、涙の浮いた怒りの眼差しで私をにらみつける。あの事件で死んだ男の妹だ。
「部外者出入り禁止。高校生のくせに」
 私が軽い口調で言うと女子はますます怒り、私に食ってかかろうとするのを、周りのメンバーが、相手にしても意味ないから、などと止めながら私を睨みつけた。

 ピイィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 緊急地震注意報のベルが鳴り響き、私たちは一瞬耳をふさいだ。音は鳴り続けて教室にいた学生たち廊下に出てきて、外に避難するかどうするか、近くにいる人間と二言三言相談し、結果ほとんど全員が階段に向かって歩き出した。(48ページ)


建物から離れて避難しなければならないので、なんとなくうやむやになりました。「私」はあの地震が起こった時のことを思い出します。

あの夏の日、後に有史以来最悪の自然災害として報じられる大地震が起こり、生き残った学生や、近隣の避難住民が校舎で寝泊まりするようになりました。しかし、やがて段々と食料が尽きていったのです。

みんなを怒らせたのは、どこかの学館の地下に非常用物資がたくさん蓄えられているという噂が流れたこと。それにもかかわらず誰にどう配るかで大学の理事会が揉めて、なかなか配られなかったのでした。

そんな時に、防災備蓄倉庫の封鎖を破ったのがリーダーだったのでした。物資を運び出すと、ちゃんと怪我や病気をしている人を中心に、サンタクロースさながらの見事さでみんなに配ってしまったのです。

突如現れたヒーローにみんなの心はとても勇気づけられたのでした。

”みんな、あれがないからこれができない、電気がないから平たい道路がないから、人間的な避難環境を保てない、人の命も救えない、と絶望しきってた。でもあいつは違った、なにもないところからみるみる必要な何かを作り上げた。あいつが使ったのは人だった。泣いて混乱して近しい人間の無事を確かめるために狂乱状態になっていた人たちを、勇気づけて、頼りにして、指示を与えて、りっぱな力に仕立て上げた”
 これがのちに聞いたリーダーの評判だ。(65~66ページ)


地震の後の混乱が治まりつつあった頃、「私」は音楽研究会のビラを配っている時にマリと出会い、「私」と「私の男」をリーダーのグループへと加入させることになった、大きな事件が起こって・・・。

はたして、「私の男」を悪夢で苦しめ続ける事件とは一体何なのか? そして”反宇宙派”は、学祭のイベントを成功させられるのか!?

とまあそんなお話です。誰もが行動できなかった時に行動したリーダー、みんなが思っているのとは違うリーダー像を見据える「私」、悪夢に苦しめられる「私の男」、弱そうに見えて強いマリたちの物語。

夏の大きな地震、そして混乱期に起きた事件で結びついた学生たちは学祭の時にそれぞれが再び大きな出来事に遭遇することになります。

語り手は「私」ですが、その「私」も含めて、登場人物の誰もに表と裏があり、本音と建前があるんですね。なので、周りから見えているその人の像と、その中にあるものとにはかなりのずれがあるのです。

当りまえの日常生活では表に出ないものが、極限状態に追い詰められた時には出てしまうもので、そこに人間の心の恐ろしさがあります。

「私」たちにかつて一体何があり、これから何が起こるのか、気になった方はぜひ読んでみてください。寓話的な雰囲気も漂う小説です。

明日は、ボーモン夫人『美女と野獣』を紹介する予定です。

ボーモン夫人『美女と野獣』

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美女と野獣 (角川文庫)/角川書店

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ボーモン夫人(鈴木豊訳)『美女と野獣』(角川文庫)を読みました。

映画やミュージカルなどにもなって人気の高い『美女と野獣』には、実はボーモン夫人による原作の童話があるのをご存知でしょうか。

原作の童話「美女と野獣」他14編を収録した童話集が、今回紹介する『美女と野獣』です。どれも面白い話ばかりで、『美女と野獣』ファンの方は勿論、童話やファンタジーが好きな方におすすめの一冊。

鈴木豊の訳者解説によると、正確に言えば元々は童話集ではなくて物語の他にも「社会人としての常識、聖書物語やヨーロッパの地理」(266ページ)が書かれた、総合雑誌のような本だったそうです。

子供の道徳的な教育を目的にしたボーモン夫人の「子供の雑誌」という総合雑誌的な本から、物語的な作品を抜粋したのが、現在日本で知られている形の『美女と野獣』の物語集ということになるわけです。

ボーモン夫人が書いたというよりは、神話や、元々あった童話を再構成したというものも多く、「美女と野獣」もどうやら元になった話があるようですが、今ではボーモン夫人の作品が広く知られています。

美女と野獣というのは、グロテスクなイメージがありながら、そこに純粋な感情が通うという不思議な組み合わせで、そこに惹かれたのが詩人・小説家であり、映画監督でもあったジャン・コクトーでした。

そうして1946年にフランスで公開されたのがコクトー版の映画。

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白黒映画なので敬遠されがちですが、野獣の城の装飾などコクトーの独特の美意識が感じられる作品なので、こちらも機会があればぜひ。

そして、野獣のライバルにあたる男が登場するなど、コクトー版の『美女と野獣』の物語を受け継ぎ、場面としてのオマージュも加えながらアニメ映画にしたのが、ディズニー版の『美女と野獣』でした。

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1991年にアメリカで公開され、受賞こそ逃しましたがアカデミー賞作品賞にノミネートされたことでも話題となりました。アカデミー賞は作曲賞などを受賞しています。ぼくも当時、観に行きましたよ。

ディズニー版の『美女と野獣』の最も大きな特徴はミュージカル仕立てにしていること。歌や踊りの場面がとても印象的な映画ですよね。

では折角なので、ディズニー版の映画『美女と野獣』と、原作のボーモン夫人の童話「美女と野獣」を比較して相違点を見てみましょう。

映画には、魔法で道具に変えられた家来たちや、野獣のライバルとなるベルの求婚者ガストンが登場しますが、原作にはいないです。原作ではベルは6人兄妹であり、姉たちの嫉妬というのが、重要な要素。

そして、これもよく指摘されていることなのですが、映画と原作とでは、物語としては大体同じでも、メッセージ性がやや異なるんです。

みなさんは映画を観て、美女と野獣ではどちらが辛いと思いましたか? おそらく野獣の方が辛そうだと感じたのではないでしょうか。

映画版は、乱暴で粗暴だった野獣が、美女ベルのやさしさに触れて大人しく、誠実な存在になっていき、ベルを愛するようになったが故に、愛されないことに苦しむと物語と言ってよいだろうと思います。

つまり映画では苦しみ、心の成長を遂げるのはベルではなく野獣の方なわけですね。では、ボーモン夫人の原作ではどうなのでしょうか。

子供のため、そして女性読者の道徳教育を目的にして書かれた童話なので、童話版の「美女と野獣」のメッセージはとてもシンプルです。

それは、大切なのは外見ではなく中身だということ。つまり、原作では悩み、心の成長を遂げるのは野獣ではなく、ベルの方なんですね。

この違いはかなり興味深くて、たしかに考えてみれば、野獣の姿をしている人物のいい所を見つけるなんて、相当大変なことなわけです。

原作は、25ページほどの短い童話なので、その辺りの相違点に興味を持った方は、ぜひボーモン夫人の原作を手に取ってみてください。

作品のあらすじ


『美女と野獣』には、「美女と野獣」「二人の王子さま」「怪物になった王子さま」「王妃になった娘と農婦になった娘」「不運つづきの娘」「告げ口の好きな少女」「虐げられた王子さま」「醜い王子さまと美しいお姫さま」「美しい娘と醜い娘」「幽霊屋敷」「どれいの島」「二人の王妃」「鼻の高すぎる王子さま」「三つの願い」「漁師と旅人」の15編が収録されています。

「美女と野獣」

ある所に6人の子供を持つ商人がいて、誰もが見ほれるほど美しい末娘は「きれいなお嬢ちゃん(ベランファン)」と呼ばれていました。

やがて思わぬ不幸から、財産を失ってしまった商人でしたが、船が港についたという知らせが届いて、出かけていきます。子供たちが豪勢なおみやげを頼む中、末っ子ベルは、一本のバラを頼んだのでした。

結局、無駄足を踏んだ商人は帰りに道に迷い、誰の姿も見えない宮殿に泊まらせてもらうことにします。しかし、ベルへのおみやげのためにバラを摘むと、突然、恐ろしい姿をした野獣が現われたのでした。

「わたしはお殿さまなんて呼ばれるほどの者じゃない」とその怪物が言いました。「ただの野獣だよ。おまえがそんな世辞を言ったからって、いい気になるなんて思ったら大まちがいだぞ。けれど、おまえには娘がいると言ったな。おまえの娘のうちだれかひとりが、おまえの代わりに喜んでここへ来て死ぬ、というんなら、おまえを許してやってもいいぞ。グズグズ言わずに早く行け、そして、もしおまえの娘たちがおまえの代わりに死ぬのが嫌だと言ったら、三か月後に必ず戻ってくると誓うんだ」(12ページ)


その話を聞いたベルは、父親の身代わりに野獣の所で暮らすことを決めます。見た目は悪いですし、頭もよくない野獣のことを初めは怖れていたベルですが、段々とそのやさしい人柄に心を許していきます。

しかし、どうしても父親に会いたくなったベルは、一週間だけの約束で帰らせてもらうことにしました。ところがベルが幸せそうな暮らしをしているのを知った姉たちは、嫉妬して帰らせまいとして・・・。

「二人の王子さま」

王妃さまに2人の王子が産まれました。友達の仙女が名付け親になってくれたのですが、兄の方には、20歳までは不幸が降りかかるという、ファタール(不運な子供)と名付けたので、王妃さまは大慌て。

弟には、「この子がしたいと思うことは、いつでも何でも思ったとおりになるようにしてください」(34ページ)と王妃さまは頼み、仙女はフォルチュネ(幸運な子供)と名付けてくれたのですが・・・。

「怪物になった王子さま」

家来たちから「善玉さま(ボン・ロワ)」と呼ばれる王さまは、仙女カンディド(純心)が化けた白ウサギを助け、願いを叶えてもらえることになりました。王さまは息子が立派な心を持つように頼みます。

そこで、カンディドは悪いことをしたらチクリと刺す金の指輪を王子に渡しました。ところが甘やかされ、わがままいっぱいに育った王子は指輪を捨ててしまい、歪んだ心通りの怪物になってしまい・・・。

「王妃になった娘と農婦になった娘」

ある未亡人には、ブランシュ(色白な娘)とヴェルメイユ(紅い頬の少女)という、2人の美しい娘がいました。訪ねて来た哀れなお婆さんを助けた姉妹は、それぞれの心映えにあった贈り物をもらえます。

「姉のほうはいずれ王妃さまになり、妹は農家の主婦になるでしょうよ」(75ページ)とお婆さんに予言されたブランシュとヴェルメイユは、それぞれが持つ願いが叶いそうで喜んでいたのですが・・・。

「不運つづきの娘」

ある所にやさしい性格のオーロール(夜明け)と意地悪な性格のエーメ(かわいがられた少女)という姉妹がいました。森の中で置き去りにされるなど、オーロールには次から次へと不幸がふりかかります。

ところが助けてくれた羊飼いのおばさんは「おまえの身の上に不幸なことが起こっても、それはただおまえのしあわせを考えてなさったもの、と信じなければいけませんよ」(85ページ)と言って・・・。

「告げ口の好きな少女」

仙女たちから様々な素敵な祝福をしてもらいジョリエット(かわいい女の子)と名付けられた貴族の娘。ところが仙女の女王さまは善良な心がなければ、何もかもすべてその娘のためにならないと言います。

女王さまは、ジョリエットが20歳になるまで口をきけないように願いをかけました。成長したジョリエットは、他人のことを観察し、誰かに身振り手振りで告げ口するのが大好きになってしまって・・・。

「虐げられた王子さま」

あるところにギャンゲという、とてもケチな王さまがいました。王さまが結婚したのもケチなお姫さまでしたが、2人の間に生まれたティティは、不思議とやさしくて気立てのよい、他人思いの王子でした。

困っている人を見ると、何としてでも助けようとするティティのことを王さまと王妃さまは気に入らず、自分勝手な弟のミルティル王子ばかりを可愛がり、ミルティル王子に跡を継がせようと思って・・・。

「醜い王子さまと美しいお姫さま」

自分と結婚してくれなかったので王さまを恨みに思った仙女フュリー(怒り)は、王子が醜くなる呪いをかけました。みんなが嘆き悲しんでいる所に、善良な仙女ディヤマンチーヌがやって来てくれました。

そして「できるだけ知恵に溢れた王子になれるばかりではなく、王子がいちばん愛するひとにも知恵を与え」(158ページ)られるように願いを込めスピリチュエル(知恵のある王子)と名付けて・・・。

「美しい娘と醜い娘」

ある所にベロネット(美しい女の子)とレードゥロネット(醜い女の子)という双子の娘がいました。美しさで勝るベロネットばかり社交界で持てはやされるのでレードゥロネットは落ち込んでしまいます。

ところが、美しさはいつか衰えるけれど、若い頃に手にした知識や知恵は決して失われないという文章を目にして一念発起。一生懸命に勉強し始めます。やがて2人は、それぞれ結婚をしたのですが・・・。

「幽霊屋敷」

旅の途中、宿屋がなくて困っていた貴族は、近くの無人の城に幽霊が出るという噂を耳にしました。そこで、好奇心からその城へ行き、暖炉に火をたいて幽霊が出るのを今か今かと待ちかまえていたのです。

すると夜中ごろにガチャガチャ鎖の音をさせながら現れたのは幽霊ではなく、なんとここで、贋金づくりの仕事をしている恐ろしい男たちだったのでした。男たちは貴族を殺すかどうか相談し始めて・・・。

「どれいの島」

どれいをこき使うことで有名な、エリーズという令嬢は、船で旅行中にミラという小間使いと一緒に遭難してしまいました。2人がたどり着いたのは、逃げ出して来たどれいたちが作った共和国の島でした。

その国の法律で、ミラはエリーズのご主人になって、自分が今までされて来た仕打ちをエリーズにしなければならないことになったのです。ミラはエリーズの命を守るために、ご主人役をつとめて・・・。

「二人の王妃」

王子シャルマン(チャーミングな王子)は、ヴレー・グロワール(ほんとうの名誉)という女王に恋するようになりましたが、同じく求婚者のアプソリュ(なんでも独りできめる王)と競うことになります。

シャルマンは女王の家を出たあと、さらに豪華に着飾った女王に会いましたが、国に帰り賢いお守役サンセール(まじめな男)からそれはフォッス・グロワール(偽りの名誉)という妹だと知らされ・・・。

「鼻の高すぎる王子さま」

のろいをかけられたお姫さまと結婚するために、王さまがお姫さまの大きな雄猫の尻尾を踏みますが、それは、魔法使いが変化していた姿だったので、生まれて来る王子にのろいをかけられてしまいました。

デジール(のぞみ)と名付けられた王子はかわいらしい赤ん坊でしたがのろいのせいで一つだけ普通の人とは違っているところがあります。それは顔の半分をおおってしまうほど鼻が大きいことで・・・。

「三つの願い」

ある所に、あまりお金持ちでない夫婦がいました。ある晩のこと、隣のお金持ちの人々のことを羨み、自分たちの願いごとが叶ったなら、今よりもずっと幸せになれるだろうになあと話し合っていました。

そこへ突然仙女が現われて「あなたがたの願いごとを、初めの三つだけかなえてあげると約束しましょう」(241ページ)と言ってくれます。夫婦は自分たちが幸せになれる願いはなにかを考えて・・・。

「漁師と旅人」

川で釣りをして生活している男の所へ商人がやって来ました。商人はお金こそ稼いでいますが、いつ破産するかと心配で、また王さまの仕事もしているのですが、いつお気に入りでなくなるかと心配ばかり。

お金を稼ぐたびに悩みばかりが増えていくような商人は、つつましい暮らしながらも男がのんびりと、悩みもなく生きているのを見て羨ましいと思いますが、男は町に興味を持って出かけてしまって・・・。

とまあそんな15編が収録されています。メッセージ性の強い童話ばかりなので、読み始めて設定を飲み込んだ時点でオチまで分かってしまような話ばかりですが、ベタな展開ならではの面白さがあります。

また、単なる面白い童話集ではなく、子供や女性を対象にして、道徳教育を目指した本でもあるので、質素倹約を尊び他人の悪い部分ではなくいい部分を見ることなど、強いメッセージ性が含まれています。

しかし、それ故にユニークだったりもするんですよ。たとえば、普通の童話は、王子さまとの結婚や、お金持ちになるハッピーエンドが多いですが、ボーモン夫人の童話はそうしたものとは、一味違います。

「王妃になった娘と農婦になった話」や「漁師と旅人」では、豪勢ながら気の休まらない暮らしと、つつましいながらも心休まる暮らしが対比的に描かれています。どちらをすすめているかは明白ですよね。

そして一見いいことにも見えても何でも子供の思い通りにさせることは必ずしもいいことではないと、繰り返し書かれているのも印象的。

では特にぼくが気に入ったいくつかの作品について、少し触れます。

男性キャラクターで最も気に入ったのが、「虐げられた王子さま」に登場するレヴィエ。貴族の息子でティティ王子に誠心誠意仕えます。

ケチな両親にうとまれるティティを助け、代わりにお金を出したり、仙女がなんでも願いを叶えてくれると言った時には誰が王子の味方か探るために姿を消す能力が欲しいと頼んだりして、活躍するのです。

女性キャラクターで最も気に入ったのが、「美しい娘と醜い娘」に登場するベロネット。お約束の展開で、王子さまと結婚したのはいいものの中身が空っぽなので飽きられて離婚させられてしまうんですね。

普通なら痛い目を見て終わりですが、頭のよさが認められて大臣と結婚した妹のレードゥロネットが賢いので、ベロネットに勉強させるんですよ。そして、仮面舞踏会でもう一度王子と引き合わせて・・・。

「美女と野獣」がやはり一番分かりやすい面白さがありますが、それ以外でぼくが特に好きだったのは「怪物になった王子さま」でした。

悪い心を持つやつが、痛い目にあいながら改心していく物語という時点でもう面白いわけですが、その時の心のあり方にあわせて、王子は違う動物に変わるんですね。それが幻想的でとても美しかったです。

「美女と野獣」の話は知っていてもボーモン夫人の原作は読んだことがないという方が多いだろうと思うので、ぜひ読んでみてください。

明日からは13夜連続ファンタジー特集。C.S.ルイスの「ナルニア物語」とアーシュラ・K.ル=グウィンの「ゲド戦記」を一気にやります。まずは「ナルニア物語」『ライオンと魔女』からスタート。

C.S.ルイス『ライオンと魔女』

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ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)/岩波書店

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C.S.ルイス(瀬田貞二訳)『ライオンと魔女』(岩波少年文庫)を読みました。「ナルニア国ものがたり」シリーズの一冊です。

”世界三大ファンタジー”と言えばあがってくるのは、J・R・R・トールキンの『指輪物語』、C.S.ルイスの「ナルニア国ものがたり」、アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」の三作品でしょう。

どの作品も今なお愛され続けている、大人気のシリーズですよね。

ちなみに、1950年代に発表されている「ナルニア国ものがたり」と『指輪物語』に対し「ゲド戦記」の発表は1960年代末。また三部作以外の続編が出たのは最近なので、比較的新しいシリーズです。

後世のファンタジーに大きな影響を与えたのはやはり『指輪物語』。

ホビットやエルフなど様々な種族や魔法使いたちが暮らしている『指輪物語』の世界「中つ国」にはしっかりした歴史や文化があり、その作り込まれた物語世界はもはや単なるファンタジーを超えています。

マンガやゲームなどその独創的な物語設定は、様々な形で後世に影響を与えていますし、そうした作り込まれた世界観が最大の魅力です。

ただ同時に、物語設定を飲み込むのにかなり時間がかかる作品でもあって、子供にとっては、読みづらく難しいシリーズかもしれません。

一方、同じくしっかりとした歴史や文化を持つ「ナルニア国」という、やはり独創的な世界観を構築しているのが「ナルニア国ものがたり」で、愛され続けている理由として、読みやすさがあげられます。

指輪物語』と「ナルニア国ものがたり」ではそれほどまで読みやすさ、つまり物語に入りみやすさが違うのは一体何故なのでしょうか。

ただ単純に、文章がやさしいか難しいかという問題も勿論あるでしょうけれど、何より大きいのは、「ナルニア国ものがたり」には、『指輪物語』とは違い、現実世界が存在しているということがあります。

「ナルニア国ものがたり」第一作の『ライオンと魔女』は家の中を探検していた子供が衣装だんすに入るとそれがナルニア国に繋がっていたというお話。そう、現実世界の子供が異世界へ行く物語なんです。

そういった点では、ファンタジー世界が確立される前のファンタジー、たとえば、1902年に発表された児童文学の古典、イーディス・ネズビットの『砂の妖精』などとの共通点が、かなりあります。

砂の妖精 (福音館文庫 古典童話)/福音館書店

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砂の妖精』は、見知らぬ土地に行くことになった兄妹たちが、なんでも願いを叶えてくれる不思議な生き物サミアドに出会う物語です。

そういうわけで、読者の目線と重なる子供たちの目を通して不思議な世界が描かれるので、「ナルニア国ものがたり」は世界三大ファンタジーの中でおそらく最も読みやすいシリーズではないかと思います。

全部で7冊ありますが、それぞれの物語は独立しています。なのでどこから読んでも大丈夫ですが、2通りの順番で読むことが出来ます。

もし作品が発表された順番で読みたいなら、『ライオンと魔女』『カスピアン王子のつのぶえ』『朝びらき丸 東の海へ』『銀のいす』『馬と少年』『魔術師のおい』『最後の戦い』という、流れになります。

一方、物語の中、ナルニア国の歴史の年代順で読むなら、『魔術師のおい』『ライオンと魔女』『馬と少年』『カスピアン王子のつのぶえ』『朝びらき丸 東の海へ』『銀のいす』『さいごの戦い』です。

どちらでも、好きな順番で読んでください。出版社の収録順としては発表順の方なので、ぼくも今回その順番で紹介することにします。

また、「ナルニア国ものがたり」は、ハードカバーなど様々な形で出版されていますが、最もポピュラーな、岩波少年文庫を選びました。

新しく出版されたもので言えば、挿絵が豪華なカラー版になっているものもありますので、興味のある方はぜひ手にとってみてください。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 むかし、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィという四人の子どもたちが、いました。この物語は、その四人きょうだいが、この前の戦争(第二次世界大戦)の時、空襲をさけてロンドンから疎開した時におこったことなのです。きょうだいは、片田舎に住むある年よりの学者先生のおやしきに送られたのですが、そこは、もよりの駅から十五キロ、もよりの郵便局からでも三キロもはなれたところでした。(9ページ)


初めは慣れない環境に戸惑いますが、みんなはすぐに先生のことを好きになったので安心して、次の日になると家中を冒険し始めました。

「ここには、何もなし!」(14ページ)とピーターが行って、みんなはその後について行ってしまいましたが、ルーシィはなにかあるかもしれないと、ドアに鏡がついている衣装だんすを開けてみました。

そして、毛皮や外套を押し分けながら、奥まで行ってみようとしたのですが、不思議なことになかなか奥までたどり着かなかったのです。

しばらくすると、足元は木の床から、踏みつけるとざくざくと音のする、「やわらかくて、さらさらして、ばかにつめたいもの」(16ページ)に変わっていきます。こわさとわくわくを感じる、ルーシィ。

やがてルーシィは自分がしんしんと雪の降り積もる、真夜中の森にいることに気がついたのです。後ろを振り返るとあけっぱなしにしておいた衣装だんすの入口が見えたのでようやく少し安心したのでした。

そこへ腰から上は人間のように見えますが、両足はヤギの足をしているフォーンという生き物が通りがかります。フォーンは持っていた荷物を全部落として「なんてこった!」(19ページ)と叫びました。

タムナスさんという名前のフォーンはルーシィにイブのむすめと呼びかけ、ここがずっと冬が続くナルニアという国だと教えてくれます。

ルーシィは、タムナスさんの家で楽しいひと時を過ごしますが、タムナスさんは急にほろほろと涙を流し始めました。タムナスさんは、このナルニアは白い魔女に支配されていて、みんな言いなりなのだと。

「わたしは、あいつのためのひとさらいなんだ。それがわたしの正体ですとも。このわたしをようく見てごらんなさい、イブのむすめさん。どうです、そう見えませんか。わたしになんの悪いこともしない小さな子、かわいそうなむじゃきな子どもに森の中で会うと、さも親しそうなふりをして、わたしの洞穴へその子をさそいこみ、いろいろあやして眠らせてしまってから、白い魔女にその子をひきわたす、そんな者には見えませんか?」
「見えないわ。」ルーシィがいいました。「あなたって、けっしてそんなひとじゃない。」
「でも、そうなんです。」
「では、」とルーシィが、ほんとうのことをいわなくては、と思いながらも、フォーンに手きびしくならないように、注意してゆっくり口をききました。「そうとしたら、とてもいけないことをなさったわ。でも、あなたは、それをとても後悔してるんだから、もう二度となさらないわね。」
「ねえ、イブのむすめさん、まだおわかりにならないんですか?」とフォーンがいいました。「それは、むかしやったことじゃない、たったいま、ここで、やってるんです。」(32ページ)


白い魔女を恐れ、悪いことをしようとしていたタムナスさんでしたが、すっかりルーシィと仲良くなってしまったので、そのまま逃がしてくれたのでした。ルーシィは、衣装だんすを通って家に戻ります。

みんな心配しているだろうと思っていましたが、こちらの世界ではほとんど時間が経っておらず、みんなはナルニア国の話を全然信じてくれません。衣装だんすも、普通の衣装だんすになっていたのでした。

しかし、先生の家に見学者がやって来て、みんなで衣装だんすに隠れた時のこと。今度は四人そろってナルニアの国へ行ってしまったのでした。みんなはルーシィに今まで信じていなかったことを謝ります。

ルーシィは早速みんなをタムナスさんの所へ案内しますが、タムナスさんはなんと、白い魔女に逆らった罪で捕らえられてしまったことが分ったのでした。それなら、なんとかして助けなければなりません。

やさしいビーバー夫婦に出会った四人は、心強い言葉を聞きました。

「アスランが動きはじめたという噂です。もう上陸したころでしょう。」
 すると、たいへん奇妙なことがおこりました。子どもたちは、だれひとり、アスランとはどんなひとかということを知らなかったのですけれども、ビーバーがこのことばをいったとたんに、どの子もみんな、いままでにないふしぎな感じをうけたのです。きっとみなさんも夢のなかで、だれかが何かをいった、そのことばがさっぱりわからないくせに、たいへん深いいみがあるように感じたことが、あるにちがいありません。その感じがとてもおそろしいことだったために、夢でうなされるとか、反対にことばにあらわせないくらいすばらしくて、一生忘れられないほど美しい夢になり、ぜひもう一度あの夢が見たいと思うことも、あるでしょう。いまがちょうどそれでした。(98ページ)


白い魔女は、気に入らない者を石に変える恐ろしい力を持っており、このナルニア国をずっと冬にして、支配していることも分かります。

その白い魔女がやがては滅びることを予言した、古い言い伝えがありました。それは、「ふたりのアダムのむすこがた、ふたりのイブのむすめがたが四つの王座についた時」(117ページ)だというもの。

そのために白い魔女はナルニア国に人間がいないか常に厳しく見張っていたのでした。兄妹たちがビーバー夫妻の話を聞いていると、ふとあることに気付きます。いつの間にかエドマンドの姿がないのです。

実はエドマンドは、四人一緒にこの世界に来る前にここへ来て、白い魔女に遭遇していたのでした。その時に白い魔女に食べさせてもらったプリンは、食べても食べても満足出来なくなる、恐ろしいプリン。

それ以来何を食べても満足出来ないエドマンドは、どうしてもそのプリンが食べたくなってしまって、大切な兄妹たちを裏切ってでも、プリンをもらうために、白い魔女の言いなりになるしかないのでした。

エドマンドの裏切りによりアスランの情報が相手に伝わってしまったと知った姉妹は、白い魔女よりも先に海のかなたの大帝のむすこである偉大なライオン、アスランに会いに行こうとしたのですが・・・。

はたして、ナルニア国の存亡をかけた戦いの結末はいかに!?

とまあそんなお話です。「ナルニア国ものがたり」のもう一つ大きな特徴は、キリスト教的なメッセージが強く込められていることです。

誘惑に負けて、罪を背負ってしまったエドマンドに対するアスランの行動など、キリスト教を思わせるテーマが、いくつもあるんですね。

では、あまりにも宗教的すぎる小説かというとそうではなくて、物語として、純粋に楽しめるように組み込まれているので、大丈夫です。

現実世界にいる兄妹たちが、人間のいない異世界へ行くファンタジーなだけに、物語にとても入り込みやすく、もしも自分が、ナルニア国へ行ってしまったなら? と読みながら考えさせてくれる作品です。

見知らぬ世界での不安や、冒険へのわくわくがぎゅっと込められた作品で、子供は勿論大人でも楽しめるので、ぜひ読んでみてください。

ちなみに訳者あとがきによると、エドマンドが食べたプリンは本当はプリンではなくターキッシュ・ディライトというお菓子なのだそうです。日本では馴染みがないので分かりやすいものに変えたんですね。

ターキッシュ・ディライトはイギリスでは有名なお菓子だそうですが、ぼくも食べたことがないので、形すらよく分かりません。もしご存知の方がいたら味の感想などをぜひコメントしていってください。

ファンタジー特集はまだ続きます。明日も、C.S.ルイスの「ナルニア国ものがたり」で、『カスピアン王子のつのぶえ』を紹介します。

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C.S.ルイス『カスピアン王子のつのぶえ』

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カスピアン王子のつのぶえ―ナルニア国ものがたり〈2〉 (岩波少年文庫)/岩波書店

¥756
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C.S.ルイス(瀬田貞二訳)『カスピアン王子のつのぶえ』(岩波少年文庫)を読みました。「ナルニア国ものがたり」シリーズ2作目。

特に「アラビアン・ナイト」の魔法のランプがそうですが、童話などで、不思議な存在が突然現れて願いを叶えてくれることがあります。

その存在がどこからどんな風にやって来て、呼び出されていない時は一体何をしているのか、これは考えてみれば不思議なことですよね。

『カスピアン王子のつのぶえ』は、まさにそんな裏側を描いた作品でもあって、願いごとを叶えるために突然呼び出されたのは、前作『ライオンと魔女』でナルニア国にやって来て、大活躍をした四人兄妹。

つのぶえでナルニア国に呼び出された四人兄妹はこう語り合います。

「信じられないというわけが、わたしにはわからないわ。」とルーシィがいいました。「にいさんが魔法を信じてれば、ね。ある場所から別の場所へ、ある世界から別の世界へ。人をうつすという魔法のお話は、たくさんあるじゃない? ほら、アラビアンナイトの魔法使いが、霊神ジンをよびだすみたいに、よ。そんなふうに、わたしたちは、ここへこなけりゃならなかったのよ。」
 ピーターがいいました。「そうだ。こんどのことが奇妙な感じはがするのは、物語のなかでは、よびだしをかけるほうがいつも、ぼくたちの世界にいる者になっているからなんだよ。あのジンたちが、いったいどこからやってくるのか、だれも考えたことがないんだ。」
「だけど今、ぼくたちは、よびだしをかけられたジンがどんな気もちがするか、わかったよね。」エドマンドが、くすくすわらいながら、いいました。「ちぇ、くそっ! なんだか、あんな笛でかんたんによばれる身だとわかると、すこしいやになるな。おとうさんが、電話につかわれてくらしているっておっしゃったことがあるけど、あれより悪いや。」
「でも、わたしたち、ここにいたいわ。そうじゃないこと?」とルーシィがいいました。「アスランが、きてくれっていったら?」(151ページ、本文では「どこから」に傍点)


ライオンと魔女』では、衣装だんすを通り抜けてナルニア国に行ったのですが、不思議なことに、帰って来た時はほとんど時間が経っていませんでした。どうやら現実世界とは時間の流れが違うようです。

今回紹介する『カスピアン王子のつのぶえ』は現実世界で言うと1年後の物語ですが、なんとその間にナルニア国では数百年が経っており、支配者を失ったナルニア国は荒れに荒れている状態なのでした。

ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの四人兄妹も勿論重要な登場人物ですが、その荒廃したナルニア国を立て直そうとする新たな登場人物が現れます。タイトルにもなっているカスピアン王子です。

ナルニア王ミラースのおいにあたり、ナルニア国の真ん中にある大きな城で暮らしているカスピアン王子。カスピアン王子は、ナルニア国に攻め入って急速に勢力を増したテルマール人と呼ばれる人種です。

テルマール人が勢力を増す今のナルニア国には、体は人間足はヤギというフォーンも、もの言うけものも小人もどこにも見当たりません。

しかし、カスピアン王子は何故か、乳母から昔話としてよく聞かされていた、古き良き時代のナルニア国に、憧れを抱いているのでした。

突然、ナルニア国に呼び戻された四人の兄妹と、今ではもう伝説となったかつてのナルニア国を再び取り戻したいカスピアン王子の物語。

物語自体は独立していますし、必要な情報は書かれているので、この作品だけ読んでも楽しめますが、やはり、『ライオンと魔女』を先に読んで、四人の兄妹の性格などを把握しておくのが、おすすめです。

作品のあらすじ


あれから一年が経ち、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの四人は休暇を終えて寄宿舎に帰るために駅で電車を待っていました。

すると、何やら不思議な力に引っ張られるのを感じます。四人が手をつないでその力に必死で耐えていると、気が付いた時にはさっきまでいた駅のホームとはまるで違う、木のしげみのそばにいたのでした。

自分たちが昔、それぞれ持っていたものなどを見つけたので、四人はそこがかつて来たことがあるあのナルニア国であると分かりました。

しかしそれにしてはあまりにも何もかもが古びて、様変わりしてしまっているのです。やがて兵隊に殺されそうになっていた小人を助けた四人は、現在のナルニア国がどんな状況かを聞くこととなりました。

小人はナルニア国は今もとナルニアと新ナルニアに分かれて激しい戦いをくり広げている所だというのです。そしてもとナルニアを率いているのは元々は新ナルニアの王家の血筋であるカスピアン王子だと。

かつてナルニア国はアダムのむすことイブのむすめである人間はおらず喋るけものや精霊など不思議な生き物が暮らす場所でした。しかしやがて人間によく似たテルマール人が現れ力をつけていったのです。

テルマール人がナルニア国で領土を拡大していくにつれ、喋るけものや精霊などは不思議な生き物は姿を消していってしまったのでした。

テルマール人による新ナルニアの王はミラースでしたが、そのおいにあたるのがカスピアン王子です。カスピアン王子は乳母から話を聞かされ、古い伝説の時代、もとナルニアに心惹かれるようになります。

ミラース王はもとナルニアの話をするのを禁じ、乳母も追い払ってしまいましたが、カスピアン王子は新しく先生になったコルネリウス博士からこっそりと、もとナルニアの話を聞くことができたのでした。

やがてカスピアン王子に危機が迫ります。かつて権力を欲していたミラース王はカスピアン王子の父から無理矢理に王位を奪い取っていたのです。しかしいつかはカスピアン王子に王位を返すつもりでした。

ところが、ミラース王に王子が生まれると、我が子可愛さに邪魔なカスピアン王子を亡き者にしようと、色々な作戦を練り始めたのです。

コルネリウス博士から、「だれが吹きならそうと、かならずふしぎな助けがくる」(95ページ)という、古い言い伝えのつのぶえを託されたカスピアン王子は、何とか命からがら城を逃げ出せたのでした。

旅を続ける内にもとナルニアの不思議な生き物たちと出会い、心通わせるようになったカスピアン王子はもとナルニアを率い、新ナルニアと戦うことになりましたが、そのための助けが必要になったのです。

一方、もとナルニアのために戦うカスピアン王子を助けるため、小人の案内でカスピアン王子の元へ向かっていた四人の兄妹。末っ子のルーシィは、森の中でアスランを見つけて、アスランと話をしました。

「ああ、アスラン、アスラン、大好きなアスラン。」ルーシィはすすり泣きました。「とうとうお会いできましたね。」
 偉大なライオンは、どさりと横腹をつけて横になりましたので、ルーシィは、その前足のあいだに、なかばすわるような、なかば横になるようなかっこうになって、たおれました。ライオンは首をのばして、舌でルーシィの鼻にふれました。そのあたたかい息がルーシィをつつみました。ルーシィはまじまじと、アスランの大きな、ちえにみちた顔に見いりました。
「よくきたな、わが子よ。」とアスランがいいました。
「アスラン、あなたは、またひときわ大きくなりましたわ。」とルーシィ。
「それは、あんたが大きくなったせいだよ、ルーシィ。」
「あなたが大きくなったからでは、ありませんの?」
「わたしは、大きくならないよ。けれども、あんたが年ごとに大きくなるにつれて、わたしをそれだけ大きく思うのだよ。」
(209ページ)


ルーシィは、みんなにもアスランを会わせようとしますが、何故か他の三人は、アスランの姿を見ることが出来なかったのでした。「きみは月の光にまどわされて、見ちがえたんだよ」(215ページ)と。

はたして、四人の兄妹たちは無事にカスピアン王子と出会うことが出来るののか? そしてもとナルニアと新ナルニアの戦いの結末は!?

とまあそんなお話です。塚が築かれ、死んだと思われていた存在が再び姿を表したこと。それを周りの人はなかなか信じようとしないこと。今作はこの辺りに、キリスト教的なテーマが重ねられています。

古い時代に憧れを抱いているカスピアン王子が様々な出会いをしながら旅していくのも面白いですが、個人的に一番面白かったのは、四人の兄妹が助けた小人から大したことない子供たちだとなめられる所。

四人の兄妹はかつてアスランから不思議な道具をさずけられ、ナルニア国の黄金時代を築き上げた存在なのですが、小人はどうしても伝説上の偉人たちが目の前にいる子供たちだとは信じられないんですね。

四人の兄妹はそれぞれの道具を使って、小人を信じさせようとするのですが、はたしてちゃんと証明出来るのでしょうか。ぜひ注目を。

ファンタジー特集はまだ続きます。明日も、C.S.ルイスの「ナルニア国ものがたり」で、『朝びらき丸 東の海へ』を紹介します。

C.S.ルイス『朝びらき丸 東の海へ』

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朝びらき丸東の海へ―ナルニア国ものがたり〈3〉 (岩波少年文庫)/岩波書店

¥798
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C.S.ルイス(瀬田貞二訳)『朝びらき丸 東の海へ』(岩波少年文庫)を読みました。「ナルニア国ものがたり」シリーズ第三作です。

「ナルニア国ものがたり」のシリーズの中でも、特に男性の読者におすすめしたいのが、この『朝びらき丸 東の海へ』なんです。何故なら「ナルニア国ものがたり」屈指のわくわくどきどきの冒険譚だから。

タイトルの通り、朝びらき丸という船に乗った一行が、ある目的を果たすために、まだほとんど何も知られていない未知の場所、東の海へと向かう物語。とにかく全編わくわくさせられっぱなしの作品です。

朝びらき丸が訪れる島は、それぞれがとても不思議なことが起こる島で、少年マンガ的な熱い展開があったり、その島での不思議なことに対して哲学的にしみじみ考えさせられたりと非常に面白いんですね。

四人兄妹の年少の二人、エドマンドとルーシィ、もとナルニアのために戦ったカスピアン王子など、前作と前々作の人物も出て来るので、それぞれのキャラクターについて知っていた方が、より楽しめます。

しかし、この作品の最大の魅力はなんといっても新たなキャラクターの登場。まず一人目はエドマンドとルーシィのいとこのユースチス。こいつはわがままでいじわるでこずるくてまあ嫌なやつなんですよ。

ただ、そこが無性にぼくは好きなんです。猜疑心に満ちあふれた少年ユースチスは、むしろ無邪気になんでも簡単に信じてしまうルーシィよりもぼく自身に近い所があって、何だか妙に好感が持てるのです。

だって考えてもみてくださいよ。もしも自分たちのいとこがナルニア国について話していたら、みなさんだったらどうしますか? 「君たちはそんな素敵な所に行ったんだね、信じるよ」と言うでしょうか。

ちなみにユースチスは、散々エドマンドとルーシィを馬鹿にします。

 「あいかわらず、きみたち、あのごっこ遊びをやってるのか?」ドアのそとでたちぎきしていたユースチス・クラレンスが、そういって部屋のなかへ、にやにやしながらはいってきました。(中略)
「きみに用はないよ。」エドマンドがぶっきらぼうにいいました。
「ほら、こんな歌があるじゃないか。」とユースチスが、ふしをつけていいました。
 「だれかさん、だれかさん、ごっこ遊びをしましょ。
 ナルニアにいって、おばかさんになりましょ。」
「あら、だるまさん、だるまさん、じゃないの?」とルーシィ。
「しらないの? かえ歌だよ。」とユースチス。
(20~21ページ)


それだけこけにしていたユースチスが突然ナルニア国へ行ってしまう物語なので、これはもう面白くないわけがありません。しかも四人兄妹とは違って、全然ナルニア国に馴染むことが出来ないのですから。

文句ばかり言ってみなから嫌われているユースチスにはやがてとんでもないことが起こるのですが、それはあらすじ紹介で触れましょう。

もう一人の魅力的な新しいキャラクターは、リーピチーフという、ネズミの族長。正確に言うと前作『カスピアン王子のつのぶえ』にも少し登場していますが、今作で大きく登場し、大活躍を果たすのです。

リーピチーフは腕に自信があるだけにプライドが高く、どんな巨大な敵との戦いも辞さない勇士。しかしユースチスから見ると巨大な喋るネズミですから2人は天敵の間柄で、何度も揉めることとなります。

いくつかの目的を持って朝びらき丸を航海させていたカスピアン王子。そこへ引き寄せられるようにやって来たエドマンドとルーシィ、そして不平たらたらのエドマンドがくり広げる海の冒険の物語です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 いまからすこしむかし、ユースチス・クラレンス・スクラブという男の子がいました。へんな名まえでしょう? ところがその男の子がまた、その名まえにふさわしい、へんな子だったのです。おとうさんおかあさんは、その子を、ユースチス・クラレンスとよび、学校の先生たちは、スクラブくんとよびました。友だちの間で、なんとよんでいたかはわかりません。友だちがいなかったからです。(15ページ)


おとうさんが夏休みの間、アメリカの大学で教えることになって、おかあさんとお姉さんのスーザンがついていき、お兄さんのピーターはかつてお世話になっていたカーク先生の所へ勉強をしに行きました。

そこでエドマンドとルーシィは止むを得ずハラルドおじさんとアルバータおばさんの家で夏休みを過ごすことになったのです。二人が嫌だったのはなにかといじわるなことを言ってくるいとこのユースチス。

エドマンドとルーシィが、ナルニア国のことを話しているのを聞きつけると、早速ユースチスは、二人を馬鹿にしにやって来たのでした。

ところが、ルーシィの部屋に飾られていた船の絵が動き出したかと思うと、波の音が聞こえ、額縁から波しぶきが飛び出して来たのです。

そうして三人は波に飲み込まれて、いつしかナルニア国へたどり着いたのでした。エドマンドとルーシィは船の上で友人のカスピアンと再会を喜び合いますが、ユースチスは帰りたいと駄々をこねてばかり。

話をする内に、エドマンドとルーシィが過ごした一年は、ナルニア国で言うと三年だったことが分かりました。カスピアンは、かつて自分の父の味方をして追放された七人の卿を探しているのだと言います。

そして小さいながらも頼りになるネズミの族長リーピチーフは、また別の大きな目的を抱えてこの朝びらき丸に乗り込んでいたのでした。

「なりは小さくとも、意気高しです。」とネズミはいいました。「どうして、この世の東のはてに、いけないわけがありましょう? そこへいったら、何が見つかるでしょう? わたしは、アスランの本国が見つかると思います。あの偉大なライオンがわたしたちのところへくるのは、いつも海のかなた、東からくるではありませんか?」
「たしかに、それは一つのねらいだな。」とエドマンドが、心をうたれた調子でいいました。(40ページ)


行方が分からなくなった七人の卿を探しながら様々な島を訪れ、そこでいくつもの困難を乗り越えながら、一行は航海を続けていきます。

しかし一人だけ冒険に乗り気でない人がいました。ユースチスです。リーピチーフにいたずらして痛い目にあわされてしまったり、食料が少ないのに病気だと言って人より多く食べようとして、怒られたり。

ある島では勝手な行動を取って、誰にも言わずに出かけてしまいました。死にかけの竜を見つけたユースチスは、竜が集めていた宝物を手に入れます。しかし雨が降って来たので、洞穴で雨宿りすることに。

みながユースチスの行方を探している間、ユースチスはうとうとし始めてしまったのでした。しかしやがて目を覚まし異変に気付きます。

なんと、ユースチスは巨大な竜に変身してしまっていたのでした。

もうこわがる相手はありません。今はじぶんがだれからもこわがられるもので、勇ましい騎士(騎士ならだれでもというものじゃありません)ででもなければ、じぶんにかかってくる者はいないのです。今ならカスピアンやエドマンドさえ、やっつけることができます。
 でもユースチスがこう考えたとたん、かれらをやっつけたくないことがわかりました。友だちでいてもらいたかったのです。人間たちのあいだに帰って、しゃべったり笑ったり、何でもいっしょにしたかったのです。ところが、はっきりと今、人間ときりはなされた怪物になったことがわかりました。ぞっと身にしみるさびしさが、おそってきました。(137~138ページ)


かつてユースチスだった竜は、声をあげて泣き始めましたが・・・。

湖に物を投げ込むと何でも金に変わる島、姿が見えない生き物が暮らす島、悪夢が実現してしまう島など、朝びらき丸は様々な不思議な島を通りながら、ひたすら東の海を目指して、航海を続けていきます。

はたして、カスピアンは七卿を見つけ出せるのか? そして、旅の終わりに朝びらき丸の一行が目にしたものとは一体!?

とまあそんなお話です。冒頭のユースチスの紹介で、「友だちの間で、なんとよんでいたかはわかりません。友だちがいなかったからです」はひどいですが思わず吹き出してしまう面白さがありますよね。

そんな風にいじわるでみなから嫌われていたユースチスは、竜という怪物の姿になってしまいもう二度と人間の世界には戻れないと気付いた時に始めて、自分が今までみんなに取った態度を反省したのです。

一体、ユースチスはどうなってしまうのでしょうか。友だちになりたくないやつナンバーワンというくらい嫌なやつですが、それだけに人間的で、妙に共感も出来る、ひねくれ者のユースチスにぜひ注目を。

冒険のわくわくと、哲学的とも言えるくらい深く考えさせられる面白さがあわさった、とても面白い一冊でした。興味を持った方はぜひ。

ファンタジー特集はまだまだ続きます。明日もC.S.ルイスの「ナルニア国ものがたり」シリーズで、『銀のいす』を紹介する予定です。

おすすめベスト10

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おすすめベスト10について


目標だった1000タイトルの紹介が終わったので、記念に今まで紹介した本のジャンルごとベスト10を選んでみました。オールタイムベストではなく、ブログで紹介したものの中からのランキングです。

順位にさほど意味はありませんが、ぼくの個人的な好みを中心に、本自体の読みやすさ、文学的な評価を考慮しつつ、ランキング形式にしてあります。同じランキングでは一作家一作品の縛りで選びました。

本の画像の下、おすすめコメントの上にある本のタイトルを押すとより詳しいレビュー、というか元々の記事に飛ぶようになっています。

内容は同じですが、ダウンロードが出来る電子書籍版も作りました。
 →文学どうでしょうセレクション おすすめベスト130

文学編(国別)


伊藤計劃『虐殺器官』

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)/早川書房

¥756
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伊藤計劃『虐殺器官』(ハヤカワ文庫JA)を読みました。

早川書房のムック『SFが読みたい! 2010年版』の、2000年代のSFのランキング「ゼロ年代ベストSF」で見事、国内篇第一位に選ばれたのが、この『虐殺器官』。非常に人気の高いSFです。

タイトルからしてもうスプラッタな感じですし、そもそもSFは苦手という方も多いかもしれませんね。主人公は暗殺部隊の一員なので、たしかに、グロい描写がなくはないです。苦手な方は駄目でしょう。

ただ、〈ぼく〉という一人称で書かれている作品なので、文章自体はわりと読みやすいです。物語に入り込みやすく、設定も理解しやすい作品。そしてなによりテーマ的に、深く考えさせられる物語でした。

9.11(アメリカ同時多発テロ)は人々の心に大きな傷と、テロにどう立ち向かっていったらいいのかという大きな問題を残しました。世界中から争いをなくそうとするのは、とても大変なことですよね。

テロとの戦いがイメージしにくければ、「どうやったら私たちは平和な世界を築けるのか?」という問いに変えると分かりやすいかもしれません。争いをなくし、誰もが幸せな世界はどうすれば作れるのか。

『虐殺器官』は、WTC(ワールドトレードセンター)が破壊された9.11以降の近未来を舞台にした、虐殺と平和をめぐる物語です。

『虐殺器官』の世界ではUSA(ユナイテッド・スプーク・アソシエイション)という、一つのネットワークで繋がっている世界中の情報機関。情報が統一されていると、テロの対処をしやすいからでした。

 仕事がかぶっていることも知らずに、現場で出会いがしらにパニックに陥る。デジタルデータがあるのにファックスで送らせて手打ちで再入力する。あの機関が知っていれば作戦が成功したはずの情報を別の機関が持っていることに気がつかないで、悲惨な状況へまっしぐら。おのおのが自分の機関の殻に引き籠もって矮小な「社会」を築きながら、てんでばらばらに動く。それが情報機関の日常風景だった。
 とはいうものの、WTCがニューヨークから消えたあとの世界では、そういうわけにもいかなくなった。
 ここに至って、アメリカは本気でネットワークを構築しはじめた。腰の重い情報官僚の首をぽんぽん挿げ替えて、情報機関の統合情報環境を構築しはじめた。全地球情報認知のような誇大妄想はさすがに頓挫したが、アメリカの情報機関は少なくとも世間より五年程度遅れているレベルにはネットワーク化されたのだ。
(130ページ)


そうして世界中の機関で情報の共有がなされていながら、世界各地で虐殺を引き起こしている元凶ジョン・ポールの正体はつかめずに、どの機関もいつもジョン・ポールを取り逃がしてしまっていたのです。

ジョン・ポールさえいなくなれば世界はきっと平和になる。主人公はジョン・ポールの正体を探るため、ある任務につくのですが・・・。

この小説がかなり強く影響を受けていると思われるのがジョセフ・コンラッドの『闇の奥』、より正確に言うと『闇の奥』をベースにしたフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』です。

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本文の中にも「まるで森の向こうはカーツ大佐の王国で、ぼくらはそこから帰ってきたウィラード大尉とでも言いたげだ」(301ページ)などわずかですが『地獄の黙示録』に対しての言及があります。

アフリカのジャングルの奥地にいる謎の男に会いに行く『闇の奥』の舞台をベトナム戦争に移したのが『地獄の黙示録』。それをさらに9.11以降の近未来にしたのが『虐殺器官』という感じなのです。

共通しているのは、『闇の奥』のクルツ、『地獄の黙示録』のカーツ大佐、『虐殺器官』のジョン・ポールは、いずれも正体不明の謎めいた人物であり、なおかつ独特の思想で周りの人を動かしていること。

闇の奥』のマーロウ、『地獄の黙示録』ではウィラード大尉が、ただひたすらジャングルの中へ入っていったように、『虐殺器官』では近未来都市というジャングルの中を主人公はさまよい続けるのです。

謎の人物の正体が明かされていくことに、ぞくぞくさせられる物語。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 泥に深く穿たれたトラックの轍に、ちいさな女の子が顔を突っこんでいるのが見えた。

 まるでアリスのように、轍のなかに広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はぱっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。(11ページ)


暗殺部隊である特殊検索郡i分遺隊に所属する〈ぼく〉クラヴィス・シェパード。ミッションの前には、カウンセリングと脳医学的処置が行われるので、暗殺によって良心が苦しめられることはありません。

命じられるままにターゲットを暗殺するという自分たちの行動が正しいかどうかは、〈ぼく〉には分かりません。欲しいものが何でも手に入るこの世界でどの勢力が正しいのかを語るのはとても大変だから。

「ドミノ・ピザが不変性を獲得している世界から、ぐるぐる変わる世界を語ることはとても難しい」(44ページ)と、いうわけでした。

相棒のウィリアムズと〈ぼく〉は無事にミッションをやり遂げます。

きつい仕事なので、中には、精神的に追い詰められる者もいました。誰にも言わず、遺書も残さないまま、自ら死ぬことを選んだ同僚のアレックスは、〈ぼく〉の人生で父に次ぐ2人目の自殺者となります。

新しいミッションのためにワシントンに行き、国防情報局(DIA)と話し合った〈ぼく〉とウィリアムズは、現れた場所を虐殺にまみれた場所へと変える謎の男、ジョン・ポールの暗殺を命じられました。

ぼくはうなずいて、DIAの言葉を引き受ける。
「ええ、つまり現在の状態になったんでしょう。あっという間に国中が混沌に還った。万民が万民に対してのホッブス的な闘争を開始した。混沌。殺す側と殺される側に、国民たちが分かれていった。そして――」
「ブラック・シーの砂浜に、道に迷ったイルカの末路のごとく、無数のソマリア人の骸が転がることになった、と」
 ウィリアムズが話をしめた。会議室が重苦しい沈黙に包まれる。
 ジョン・ポール。
 いまや、この男は内線地帯をうろつく奇特な観光客ではないことが判明した。暗殺指令が出た当初から、それを立案し承認した人間たちにはわかっていたことだが、実行するぼくらにそれが教えられることはなかった。
 ぼくらが幾度も殺そうと試みては失敗しているこの男が、世界各地で虐殺を引き起こしているということを。
 この男が入った国は、どういうわけか混沌状態に転がり落ちる。
 この男が入った国では、どういうわけか無辜の命がものすごい数で奪われる。(99ページ)


アレックスの自殺以来「死者の国」の夢を頻繁に見る〈ぼく〉。生前の母との何気ない日常の夢が多いですが、母は〈ぼく〉の行動がきっかけで死んだのであり、そのことにずっと苦しめられ続けています。

ジョン・ポールが恋人らしき女の元に現れたという情報が入ったので、〈ぼく〉とウィリアムズは早速チェコのプラハへ向かいました。

プラハ生まれの作家カフカを連想したのかウィリアムズは「ジョン・ポールを待ちながら、か。カフカみたいだよな、これって」(115ページ)と言ったので、〈ぼく〉はそれはベケットだと指摘します。

プラハで〈ぼく〉は、外国からやって来たビジネスマンのふりをして、チェコ語教師のルツィア・シュクロウプからチェコ語を習い始めました。文学の趣味があうので、ルツィアとの話は盛り上がります。

〈ぼく〉とルツィアはカフカの話をきっかけに、お互いの話をしました。ルツィアは、いなくなってしまったかつての恋人の話をします。

「ぼくはSFは詳しくなくて……ごめん」
「いいのよ。ジョンはよくバラードの本を読んでいたわ。核実験場の廃墟を描いた小説や、誰もいない巨大な宇宙ステーションを彷徨う話を」
「そのジョン、って人は、終末に惹かれているように聞こえるね」
 ぼくは言って、ジョン・ポールの好んだ風景を想像しようとする。ひたすら屍体の山を築き上げながら世界を移動するこの男が好んだ、廃墟の物語。
 ジョン・ポールが夢見ているのは、そんな廃墟と化した地球の姿なのだろうか。(中略)
 ぼくは、その光景を想像して、不思議な安らぎに包まれている自分に気がついた。
 それは、ぼくが見る死者の国の夢と、そう変わらない風景だったからだ。(140ページ)


正体不明のジョン・ポールを暗殺するというミッションのために、ルツィアを尾行し、徹底的に調べ、チェコ語生徒として会話を交わす内に、〈ぼく〉はルツィアに少しずつ心を許すようになっていきます。

誰にも話したことのない、自分の悪夢のきっかけとなった母との出来事を打ち明けたほど。そうして、初めはまったく分からなかったジョン・ポールの情報を〈ぼく〉は少しずつ手に入れていったのでした。

ルツィアの案内で、チェコの思いがけない場所を訪れた〈ぼく〉は、やがて、思いがけない出来事に巻き込まれていくこととなり・・・。

はたして、〈ぼく〉はジョン・ポールの正体を突き止められるのか? そして、世界中に虐殺を蔓延させるジョン・ポールの狙いとは!?

とまあそんなお話です。ニュートラルな視点ではなく両親の死によるトラウマを抱えた〈ぼく〉の語りによる物語であることが、この小説のユニークな所。どこか歪んだ世界観で綴られていく物語なのです。

途中の〈ぼく〉とウィリアムズの会話を少し補足しておくと、「ジョン・ポールを待ちながら、か」は勿論元になったのはベケットの『ゴドーを待ちながら』です。現れないゴドーを延々と待ち続ける戯曲

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不条理」なんだから、カフカもベケットも同じじゃないかというウィリアムズに対し、ゴドーと重ね合わせるのはジョン・ポールを見つけられないみたいだから縁起でもないと〈ぼく〉は言ったのでした。

感情と倫理を切り離して仕事に打ち込める暗殺隊や、近未来的なネットワークなど、SF的な物語設定も魅力的ですが、そうした「不条理」文学の匂いがすることも、この作品の面白さと言えるでしょう。

暗殺の描写などはややグロいですが、SF的なハードルとしては、高くありません。争いや平和に関する考え方のぶつかり合いが、とても興味深い作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日も伊藤計劃で、『ハーモニー』を紹介する予定です。

伊藤計劃『ハーモニー』

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伊藤計劃『ハーモニー』(ハヤカワ文庫JA)を読みました。

デビュー作である『虐殺器官』の、さらにその先の未来を描いた長編第二作がこの『ハーモニー』。〈大災禍〉(ザ・メイルストロム)によって崩壊しかかった後の世界を描いた、よりSFらしい物語です。

たとえば、物語などではたまに「第三次世界大戦」が描かれることがありますが、核が使われるであろうその戦争は、もうどちらが勝つとか負けるとかそういう次元の話ではなくなってしまうことでしょう。

『ハーモニー』では、2010年前後にアメリカ合衆国で〈大災禍〉という現象が起きました。アメリカ合衆国は混沌と共に滅び、世界中に核弾頭が落ちて人々は癌におかされ、世界は崩壊へと向かいます。

同じく世界が滅ぶ物語では、映画『マッドマックス2』に影響を受けた、武論尊原作、原哲夫作画のマンガ『北斗の拳』があり、そこでは荒廃した大地で、貧しい暮らしをする人々の姿が描かれていました。

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しかし、『ハーモニー』の世界では〈大災禍〉後に、奇跡的な復活を遂げます。資本主義的消費社会から、人々の健康を第一に考える医療福祉社会へ移り、政府は「生府」(ヴァイガメント)になりました。

医療技術が進み、大人になると体に入れられる「WatchMe」という恒常的体内監視システムは、病気をすぐに察知して治してくれます。酒や煙草、カフェインなど体に危害を及ぼすものは禁じられた世界。

様々な情報を見ることの出来る「拡現」(オーグ)を、みなが身に着けているので、相手の名前や年齢、職業、社会評価点、健康保全状況などがすぐに分かります。もはや「プライバシー」のない世界です。

なので、日常的には使われなくなった「プライバシー」という言葉はどことなく淫靡な響きを持つ言葉として使われるようになりました。

病気がなく社会全体が思いやりで包まれた「ハーモニー」(調和)のとれた優しい近未来社会。ある意味では理想的な世界「ユートピア」ですよね。この「ユートピア」的な世界が、物語の舞台となります。

そんな世界に馴染めなかった三人の少女が自殺を試み、一人が死に、一人は成長してちゃんと社会に溶け込み、一人は社会に背を向けたまま、紛争地帯へと足を踏み入れる、危険な仕事に進んでつきました。

社会に溶け込んだ零下堂キアンと再会した28歳の螺旋監察官の〈わたし〉霧慧トァンは、13年前に死んだ御冷ミァハを思い出します。

 つまりは、子供が大人になる、単にそういうことなんだろう。
〈definition〉
 〈i:大人になること、それは〉
   〈d:WatchMeを身体に入れて〉
   〈d:どこかの生府の合意員になって〉
   〈d:生府のサーバにカラダを繋がれて〉
   〈d:生活指標をどこぞの健康コンサルからもらって〉
   〈d:共同体のセッションにオンオフ両方きちんと顔を出す〉
〈/definition〉
 つまりは、そういうことなのだ。
 このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。そうじゃない?
 御冷ミァハの幽霊が、涼やかな微笑みを浮かべて言う。
 一方キアンは、結局あの失敗のあと至極まっとうに頭から大人のセカイへと突っこんだ、そういうことだ。引きずっているのは、わたしだけ。それが情けないことなのか大切なことなのか、よくわからない。
 御冷ミァハの幽霊と、零下堂キアンの無邪気さのあいだ。
 そこでわたしは宙吊りになっている。

(90ページ、本文では「合意員」に「アグリーメンツ」のルビ)


社会に馴染めず、心に傷を負ったまま生きる霧慧トァンは、やがて、世界を戦慄させた恐ろしい事件の捜査にあたることとなって・・・。

SF的なガジェット(装置)が出て来る面白さにとどまらず、アーサー・C・クラークの作品を思わせる壮大なスケールで書かれた長編。

作品のあらすじ


お互いのことを慈しみあい支え合うのが当り前の世界。そんな世界にどこか馴染めずにいる女子高生の〈わたし〉霧慧トァンは、同じくクラスで孤立している、「変わり者」の御冷ミァハと親しくなります。

ネットでアクセス出来る「全書籍図書館」(ボルヘス)からわざわざお金をかけて「本」というデッドメディアを作って持ち歩いている御冷ミァハは、公園でいきなり〈わたし〉に話しかけてきたのでした。

生まれて初めて近くで見た「本」に驚き、『特性のない男』というタイトルを聞いてなんだかつまらなそうと感想を漏らした〈わたし〉。

「あはっ。わたしは教室で空気みたいにしてるけど、それにしてもあれだけ目立って群れない奴が、本なんてヘンな代物をじっと見つめて過ごしてるってのに注意が行かないなんて。あなたはやっぱりわたしの見こんだとおりの女の子。自分で言うのも何だけど、だってあたしって教室じゃ特性ありありじゃない」
 わたしはびっくりした。確かに、教室でどのグループにも入らずただじっと何か、それも本なんていう珍品を眺めている女子がひとりでいれば、いやでも目立つはず。それなのに、わたしはいま指摘されるまでそれをまったく気にしたことがなかった。皆はそうじゃなかったはず。少なくとも最初は仲間になってあげたり世話を焼いてあげたりしようとしていたから。ミァハを気にかけていなかったのは、このわたしだけだ。(27ページ)


やがて、零下堂キアンも仲間に加わり、独特の考えを持つミァハが中心となり、三人はある計画を立てました。それは自分たちの体は自分たちのものだとこの「セカイ」に宣言するために、自殺をすること。

ミァハは、口から入れた食べ物の栄養が吸収されないようになる錠剤を作って、〈わたし〉とキアンにくれました。その錠剤を飲んでいれば、いつもと変わらぬ生活をしたままで、いずれ餓死できるのです。

ところが、計画通りに死んだミァハに対して、救急病院に搬送された〈わたし〉とキアンの二人は、一命を取り留めてしまったのでした。

それから13年が経った2073年。28歳になった〈わたし〉は、世界保健機構(WHO)の螺旋監察官事務局につとめていました。本来は危険な遺伝子研究が行われていないかどうか監査する仕事です。

しかし、今では活動範囲を広げて、「生命権の保全」を題目に掲げ、紛争地帯に監察に出向いたりもしていました。サハラでの紛争を見守る〈わたし〉は体内に「DummyMe」をインストールしています。

恒常的体内監視システム「WatchMe」の数値を誤魔化すことの出来る「DummyMe」があるおかげで、〈わたし〉はひそかに手に入れた酒や煙草で自分の体を思う存分に傷つけることが出来るのでした。

久しぶりに日本に帰ることになった〈わたし〉はキアンと再会します。螺旋監察官の道を選び社会活動をしなくても高い社会評価点を得られる〈わたし〉に対しキアンは社会に溶け込んでいるようでした。

ライラック・ヒルズの62階にあるイタリアン・レストランで、健康的な食事を取りながら、お互いの近況やミァハの思い出話をします。

ところがキアンは突然「うん、ごめんね、ミァハ」(100ページ)と呟き、テーブルナイフで自殺をしてしまったのでした。そしてその時、世界各地で6582人の人間が同時に自殺を試みていたのです。

ありえない集団同時自殺に世界は騒然となりました。「彼らは被害者なのか、軽蔑すべき自殺者なのか」(108ページ)と誰もが戸惑いを隠しきれません。キアンの自殺に衝撃を受けた〈わたし〉もまた。

一体何故、彼・彼女らは誰にも何も告げず自殺することにしたのか?

残された「拡現」(オーグ)で、自殺した人々の主観的な記録をリプレイして調査にあたった〈わたし〉は、自殺した人は大勢いても自殺する直前になんらかの言葉を発したのはキアンだけだと気付きます。

やがてテレビのニュースで、事件の犯人と思しき人物からのメッセージが放送されました。改変されているので、声はよく分かりません。

「わたしたちは新しい世界をつくります。
 そのためにはまず、それができる人を選ばねばなりません。

 これから一週間以内に、誰かひとり以上を殺してください。

 手段は何でもかまいません。
 自分自身のためならば、他者などどうでもいいということを証明してください。
 いちばん大切なのは自分の命だという感情を、解放してください。
 それができない人には、死んでもらいます。
(中略)
 まだ信じない人のために、もうすぐそれを実証する映像をお見せします。
 おそらくは一瞬しか映りません。
 目をこらして、見逃さないようにしてください」
(204~205ページ)


その後、ニュースで思いがけない映像が流れ、メッセージが真実であることが証明されました。誰かを殺さなければ自分が殺される、しかし誰も殺したくないというジレンマに、世界はパニックに陥ります。

この一連の事件がミァハと繋がっているのではないかと考えるようになった〈わたし〉は、ミァハの遺体が運ばれた、〈大災禍〉以降、巨大医療資本が集中する大都市になったバグダッドへ向かって・・・。

はたして、バグダッドで〈わたし〉が知ることとなる驚くべき真実とは一体? そして、〈わたし〉は世界を救うことが出来るのか!?

とまあそんなお話です。スリリングな展開が続くストーリーや、福祉的な近未来社会など、物語設定が面白いのは勿論、あまり言えませんがSFとして非常に面白い作品で、とにかく圧倒される小説でした。

心に傷を抱えた〈わたし〉の一人称で綴られる物語なので、近未来が舞台ですが、世界観は理解しやすく、物語には入りこみやすいです。独特の世界観をいかしたストーリーがかなり面白いおすすめの作品。

ストーリー自体はそれぞれ独立していますが、世界観としてはリンクしている部分があるので、『虐殺器官』とあわせて読むとより楽しめるだろうと思います。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』を紹介する予定です。

伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』

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屍者の帝国/河出書房新社

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伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社)を読みました。

マンガ家がキャラクターの権利を持っている日本とは違って、アメリカン・コミックでは出版社が権利を持っています。つまり、同じキャラクターでも違う描き手の作品がたくさん存在するというわけです。

ケースバイケースなので一概には言えませんが、作家性の強い日本のマンガに対して、原作、線画、色塗りの分業制が確立しているアメコミは、制作スタイルとして、映画やアニメに近いのかも知れません。

アメコミには有名なヒーローを抱える2つの大手出版社があります。

スーパーマン、バットマン、グリーンランタン、グリーンアローなどのDCコミックとスパイダーマン、X-メン、ファンタスティック・フォー、アイアンマン、マイティ・ソーなどのマーベル・コミック。

権利を出版社が持っているので、その内両方ともすごいことをやり始めて、それぞれのコミックのスーパーヒーローを集結させたらもっとすごいんじゃないかとオールスターのシリーズが始まったんですよ。

それが、DCコミックの「ジャスティス・リーグ」と、マーベル・コミックの「アベンジャーズ」です。マーベルの方はさらにすごくて、映画でも同じことに挑戦して、見事に、大ヒットを成し遂げました。

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今回紹介する『屍者の帝国』は簡単に言えば19世紀文学版『アベンジャーズ』と言うべき作品で、”屍者”のいる世界で、「シャーロック・ホームズ」のワトソン博士が”怪物”にまつわる事実を追う物語。

”屍者”というのは、人間の死体にOSのような機関(エンジン)と職種にあわせたプラグインをインストールして労働力にするもので、SFではお馴染みのロボットやアンドロイドに近い役割を果たします。

”怪物”というのは、ヴィクター・フランケンシュタイン博士が人間の死体から作り上げた生き物のことで、今では俗にフランケンシュタインと呼ばれる怪物。物語の中では、「ザ・ワン」と呼ばれています。

ワトソン博士は女王陛下に忠誠を誓う政府の秘密諜報機関の下で動くことになるのですが、上司がMというのが面白い所。勿論、映画でも有名な、イアン・フレミングの『007』のイメージと重なります。

しかもそれだけではなくて、依頼が無くて苦労している諮問(コンサルト)探偵の弟を持つという台詞を聞くと、ホームズファンならMの名前に思い当たり、思わずにやりとさせられてしまうことでしょう。

コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』とメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を先に読むと『屍者の帝国』はより楽しめますが、他にも文学作品からのキャラクターが登場します。

ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』からは吸血鬼に立ち向かったヴァン・ヘルシング教授、フョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からは神学徒だったアレクセイ・カラマーゾフ。

マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』からレット・バトラー、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』からミス・ハダリー。

他にも、直接キャラクターこそ登場しないものの、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』と、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』を知っていると、ちょっと「おおっ」と思う場面があります。

小説のキャラクターであるワトソン博士、フランケンシュタイン、ヴァン・ヘルシング教授、アレクセイ・カラマーゾフ、レット・バトラー、ミス・ハダリーが登場して、実在の人物と会ったりもする物語。

実在の人物と架空の人物が入り乱れる、「19世紀だよ、文学キャラクター全員集合!」みたいな世界での冒険譚なので、これはもう面白くないわけがなく、ずっとわくわくさせられっぱなしの小説でした。

作品のあらすじ


一八七八年。友人ウェイクフィールドと講堂へ入って行った〈わたし〉ジョン・ワトソン。解剖台の上から屍体の臭いが漂って来て思わずハンカチで鼻を覆います。聴講生が集まると授業が始まりました。

「生者と死者を分かつものは何かね、ワトソン君」
 と教授が訊いてきたので、わたしは冷静に答えた。
「はい、霊素の有無です」
「そう、霊素の有無。俗に言う魂というやつだ。実験で確認されているところによると、人間は死亡すると生前に比べ体重が〇・七五オンス、二十一グラムほど減少する。これがいわゆる『霊素の重さ』だと考えられている」
 教授は棒で遺体の綺麗に刈り上げられた頭部を指さした。毛髪を失った剥き出しの皮膚には骨相学的な脳機能の地図が掻き込まれており、その区分けされた頭部の領域それぞれに針が突き立ててあった。針はコードに繋がり、コードは束ねられ、死者に紛い物の魂を「書き込む」悪魔の機械――疑似霊素書込機とそれを動かすルクランシェ電池に繋がっている。

(12ページ、本文では「魂」に「スピリット」、「脳機能の地図」に「ガル・マップ」、「疑似霊素書込機」に「スペクターインストーラ」のルビ)


ジャック・セワード教授の恩師にあたるエイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授の立ち会いのもと行われた実験は無事成功し、死者は動き出しました。インストールしたのは、汎用ケンブリッジ・エンジン。

本来はそこに職業ごとに適したプラグインを入れます。歩くように命じると死者は歩き出しますが、まるで水の中を歩いているようなぎこちないもので、俗に「フランケンウォーク」と呼ばれるものでした。

授業が終わるとセワード教授とヘルシング教授に連れられて、〈わたし〉はさびれた古い建物「ユニヴァーサル貿易」の中に入っていきます。なんとそこは「ウォルシンガム機関」の隠れ家だったのでした。

教授たちに認められて、組織に推薦された〈わたし〉は、Mと呼ばれる人物に頼まれて、ロシアの動向を探るべくアフガニスタンへと向かうことになります。従者となったのは、フライデーと呼ばれる屍者。

汎用ケンブリッジ・エンジンと拡張エディンバラ言語エンジンを書き込まれた、最新鋭の二重機関(ツイン・エンジン)を持つ実験体のフライデーは、通訳と〈わたし〉の行動記録をその任務としています。

第二次アフガニスタン戦争の準備を進めるロバート・ブルワー・リットンに面会した〈わたし〉は、20年前にクリミア戦争で起こった出来事を知りました。要塞を脱出した屍者技術者の一団がいたのです。

トランシルヴァニアに逃げ込んだ屍者技術者は屍者の自治区を建設しようとしました。それを防いだのがヘルシング教授らだったのです。

そして、リットンに案内された〈わたし〉は、十字架に縛りつけられた驚くべきものを目撃しました。思わず自分の目を疑う〈わたし〉。

「――女性のクリーチャ」
 突き上げるような動機と共に、わたしはなんとか言葉を吐き出している。リットンは面白がるとも同情するともつかぬ奇妙な光を目に浮かべ、わたしの様子を観察している。
 女性のクリーチャ――屍者の存在を認め、起動の際には洗礼を施しさえする英国国会教会もヴァチカンも決して認めようとしない存在――存在してはいけない、するはずのないものがそこにいた。女王陛下の御世においては想定されることはありえない、倫理規定違反物。リットンは静かに尋ねる。
「驚いたかね」
 大きく唾を呑み込むわたしへ、リットンは不出来の弟子を諭すように静かに告げる。
「期待された反応ではないぞ、ワトソン君。当然予期されてしかるべき代物だ。君がここで見出さなければならないものはそんな表面的な差異ではない。科学の僕よ」

(53ページ、本文では「女王陛下」に「ハー・マジェスティ」、「御世」に「ヴィクトリアン・エイジ」のルビ)


女性のクリーチャにインストールされているのは古い時代の制式オックスフォード機関ですがどうやらロシアの未知のプラグインが使われているようです。従来の屍者とは違う、驚くべき新型の屍者でした。

新型の屍者の謎を解くべく、陸軍のフレデリック・ギュスターヴ・バーナビー大尉と一緒に捜査にあたった〈わたし〉はやがて、アフガニスタン北方に屍者の王国を作ろうと試みている男の名前を知ります。

その男の名はアレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ。そのアレクセイの行方を探している途中で、馬車に乗った一組の男女、髭を生やした男レット・バトラーと美しい女性ハダリーと出会いました。

ついにアレクセイの元にたどり着いた〈わたし〉は、アレクセイが、ヴィクター・フランケンシュタイン博士によって生み出された、恐るべき怪物、ザ・ワンの行方をずっと追い続けていたことを知ります。

 呪われたプロメテウス、狂気の天才屍者学者ヴィクター・フランケンシュタイン。呪われたアダム、ザ・ワン。謎の女ハダリーは言う。”アダムにお気をつけなさい”。
 わたしの思考が頭蓋の内で一巡するのを見届けて、アレクセイが再び口を開く。
「今のわたしたちの屍者技術が、『フランケンシュタイン文献群』の研究に基づくことはご存じでしょう。(中略)しかしその資料からでは、百年に及ぼうとする継続的な研究によってさえ、ザ・ワンには辿りつけない。しかしザ・ワンは存在していた。いや、存在していたと仮定しましょう。わたしたちがザ・ワンを再現できない理由は何か。単純な推測が成立します」
 バーナビーが芝居がかって指を鳴らす。
「ザ・ワンのコートに入っていた研究ノート」
 アレクセイはわたしを迎え入れようとするように両手を広げる。わたしは唾を呑み込み覚悟を決めて、おとぎ話の中へ踏み込む。
「その手記は失われたはずです。ザ・ワンは北極に消えた。遺体は発見されていない」(139ページ)


失われたはずの「ヴィクターの手記」は今なお存在しているのか?

「ロシア帝国の新型屍兵に関する技術要件が日本へ流出の可能性あり」(169ページ)と知った〈わたし〉は「ヴィクターの手記」について調べるためリットン調査団の一員として日本へ向かい・・・。

はたして、〈わたし〉が知った、屍者にまつわる驚愕の真実とは!?

とまあそんなお話です。物語に登場する架空の人物たちが実際に存在している世界で、屍者に秘められた謎を追う物語。とにかく設定がずば抜けて面白く、物語同士や実際の歴史とのリンクがたまりません。

この本の作者クレジットである「伊藤計劃×円城塔」について、触れておかなければなりません。ヒーローが集まった『アベンジャーズ』のように、強力タッグを組んだ! わけでは残念ながらないのです。

デビュー作の『虐殺器官』、ゲーム「メタルギアソリッド4」のノベライズ、第2長編の『ハーモニー』だけを残して、伊藤計劃は、34歳の若さで亡くなってしまったのでした。作家生活はわずかに2年。

プロローグだけが書かれた絶筆作品を、伊藤計劃が残した構想を元に同期デビューの円城塔が書き上げたのが、『屍者の帝国』なのです。

そのエピソードだけでもう感動させられてしまいますが、やはりどちらかと言えば、時に難解な円城塔よりの作品という感じがあって、伊藤計劃の文章で最後まで読みたかったという声があるのも頷けます。

しかしながら、円城塔は一人ではこれだけユニークな設定のそして物語性あふれる作品は書かないだろうと思うんですよ。そういった点でも、まさに奇跡のコラボレーションと言えるのではないでしょうか。

下敷きになっている作品(特に「ホームズ」)が分からないとピンと来ない場面があると思うので、文学マニア向けの作品かも知れないのですが、使われている文学作品を追いかけるのもまた楽しそうです。

3夜連続で伊藤計劃特集を行って来ましたが、いかがだったでしょうか。興味を持った作品が見つかったなら、ぜひ読んでみてください。

明日は、吉川英治『宮本武蔵』を紹介する予定です。

吉川英治『宮本武蔵』

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宮本武蔵(一) (吉川英治歴史時代文庫)/講談社

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吉川英治『宮本武蔵』(全8巻、吉川英治歴史文庫)を読みました。Amazonのリンクは、1巻だけを貼っておきます。

強いだけの人間もいなければ、また、弱いだけの人間もいないと思うんですよ。一人の人間の中に強い部分もあれば弱い部分もある、そういう複雑さがあるのが、人間というものなのではないかと思います。

宮本武蔵というのは二刀流で有名な、言わずとしれた日本の歴史上屈指の剣豪ですよね。今回紹介する物語の中でも、剣の技術だけでなく精神的なものも含め、とにかく高みを求めて修業を重ねていきます。

そんな武蔵を慕うのが幼馴染のお通。この物語はお互いに想い合いながら運命に翻弄され、すれ違い続ける武蔵とお通の物語なのでした。

武蔵が強さを、お通が正しさを背負うとするなら、それとは対照的に弱さと汚れを背負う人物がそれぞれいます。本位田又八と朱実です。

又八も武蔵の幼馴染で元々はお通のいいなづけ。しかし朱実の母親お甲の肉体に溺れて道を踏み外し、そこからはめきめきと名をあげていく武蔵とは対照的に、どんどん落ちぶれていってしまったのでした。

出会った時はまだ少女だった朱実は、お通と同じように武蔵に一途な思いを寄せながら成長していきます。しかし、不運な運命から次々と男の慰み者となり、やがては、遊女に身を落としてしまうのでした。

『宮本武蔵』が、武蔵とお通の物語であるとするなら、実はそれと同じくらいの意味合いでもって、又八と朱実の物語でもあるわけです。

物語全体から見ると、強さと弱さ、正しさと汚れ、それらの要素が交じり合うまさに人間の複雑さそのものが描かれている感じがあり、だからこそこの作品は、多くの人の心をとらえ続けているのでしょう。

今回紹介する吉川英治の『宮本武蔵』は、1935年に朝日新聞で連載が始まった言わずと知れた大ベストセラー。映画やドラマになり、井上武雄のマンガ『バガボンド』の原作としても知られていますね。

バガボンド(1)(モーニングKC)/講談社

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みなさんが持つ宮本武蔵のイメージは、多かれ少なかれこの作品からの影響があるだろうと思います。たとえば、この小説で使われて武蔵のすごさを表すエピソードとして有名になったのが、次の場面です。

弟子の伊織を連れて旅をしている武蔵は、旅籠でそばを食べている時に博労(馬の売買をする仕事)の熊から、からまれてしまいました。

 てんで相手にされていないふうなので、熊は青筋を太らせて、ぐいと眼だまを剥き直したが、武蔵はなお黙然と、蕎麦のうえの塵を箸で取り退けている。
「……?」
 ふと、その箸の先に気のついた熊は、剥いた眼を、いやが上にも大きくして、息もせずに、武蔵の箸に、気もたましいも抜かれてしまった。
 蕎麦の上にたかっている黒いものは、無数の蠅であった。武蔵の箸が行くとその蠅は、逃げもせず、黒豆を挟むように素直に挟まれてしまうのだった。
「……限りがないわい。伊織、この箸を洗って来い」
 伊織が、それを持って、外へ出ると、その隙間に、博労の熊も、消えるように隣の部屋へ逃げこんで行った。
(6巻、130~131ページ)


この作品の武蔵は、迷い苦しみながら少しずつ人間として成長していく求道的なヒーロー。それが読者から圧倒的な共感を呼んだのです。

吉川英治の後に書かれた武蔵の小説は、そのイメージを継ぐにせよ、また覆すにせよ、この作品を意識せずにはいられませんでした。それだけ大きな影響力を持った、大衆文学の金字塔と言うべき作品です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 ――どうなるものか、この天地の大きな動きが。
 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになってしまえ。
 武蔵は、そう思った。
 屍と屍のあいだにあって、彼も一個の屍かのように横たわったまま、そう観念していたのである。
「――今、動いてみたって、仕方がない」
 けれど、実は、体力そのものが、もうどうにも動けなかったのである。(1巻、15ページ)


慶長五年九月十五日。十七歳の新免武蔵(たけぞう)は関ヶ原の戦場で寝ていました。出世を目指して故郷宮本村から出て来たものの、戦は敗れてしまったのです。もうどうにでもなれという気持ちでした。

そんな武蔵の心を奮い立たせたのは、一緒に村を飛び出してきた幼馴染の本位田又八。二人はお互いの無事を喜び合い、なんとか戦場を逃げ出すと、偶然出会った十五歳の少女朱実の家にお世話になります。

戦場から物を盗んで生計を営んでいた朱実と母親のお甲は、野武士の辻風組から狙われていました。武蔵と又八は野武士と戦い、一家は平穏な日々を取り戻しますが、武蔵を置いて、みんないなくなります。

いつの間にか、お甲の色香に惑わされ、その肉体に溺れるようになっていた又八は、お甲と一緒に生きることを決めてしまったのでした。

又八の無事を知らせるために宮本村に戻った武蔵ですが、負けた側なので、おたずね者になっていたのです。山へ逃げ込んだものの、宗彭沢庵という坊主に捕えられ、千年杉に縛り付けられてしまいました。

死ぬのは怖くない、どうせなら首を刎ねろと騒ぎ、散々悪態をついていた武蔵でしたが、日をおうごとに色々なことを省みて、許されるならば、もう一度しっかり生きてみたいと願うようになっていきます。

十六歳の少女お通は、武蔵の姿を見ながら色々と考えていました。元々捨て子なので身寄りがなく、又八のいいなづけとして育ったお通は、お甲を通して絶縁状が届いたことで、絶望してしまったのです。

「……武蔵さん……武蔵さん……」
 武蔵は、眼だけまだ生きている髑髏のような顔を向けて、
「……オ?」
「わたしです」
「……お通さん? ……」
「逃げましょう。……あなたは、生命が惜しいと先刻いいましたね」
「逃げる?」
「え……。わたしも、もうこの村にはいられないんです。……いれば……ああ堪えられない。……武蔵さん、わたしは、あなたを救いますよ。あなたは、私の救いを受けてくれますか」
「おうっ、切ってくれ! 切ってくれ! この縄目を」
「お待ちなさい」
 お通は、小さな旅包みを片襷に負い、髪から足ごしらえまで、すっかり旅出の身支度をしているのである。
 短刀を抜いて、武蔵の縄目を、ぶつりと断った。武蔵は、手も脚も知覚がなくなっていたのである。お通が抱き支えはしたが、却って、彼女も共に足を踏み外し、大地へ向って、二つの体は勢いよく落ちて行った。(1巻、192ページ)


一緒に逃げる約束はしたものの、人質となった姉を救うため別行動を取った武蔵は捕えられ、沢庵の配慮で池田輝政の白鷺城の天守閣開かずの間に幽閉され、三年もの間書物を読みながら過ごしたのでした。

二十一歳になる春、幽閉を解かれた武蔵。流浪を望むという武蔵に輝政は路銀をくれ、故郷を忘れないよう宮本と名乗ることをすすめます。そして沢庵は名も「むさし」の読みがいいと言ってくれました。

新免武蔵(たけぞう)から宮本武蔵(むさし)となり、新しい旅立ちの時。しかしそんな武蔵を待っていた女性がいました。お通です。武蔵と生涯をともにすることを心に決め、ずっと待っていたのでした。

橋の上で再会し、お通のことを憎からず思っているだけに、迷う武蔵でしたが、お通が旅支度を終えて戻るともう武蔵の姿はなく、橋の欄干には小柄で彫った、「ゆるしてたもれ」の文字があったのでした。

京都で吉岡一門と一悶着を起こしたのち奈良に行き、槍で有名な宝蔵院、そして徳川将軍家の剣術指南役をつとめる柳生一族の住む柳生の庄をめぐった武蔵。武蔵を慕い、その後を追うお通も旅を続けます。

一方、息子を堕落させた武蔵、そして息子を裏切って逃げ出したお通の二人に復讐するために、又八の母お杉婆も旅へ出ていたのでした。

吉岡一門の高弟で、茶屋の店をやっているお甲と関係がある祇園藤次はある時船上で、三尺の長剣を持つ美少年と出会います。飛燕を斬って修業したという話をきくと、海鳥を斬ってみろとからかいました。

「藤次先生、もう五歩こちらへ出て来ませんか」
「なんだ」
「あなたのお首を拝借したい。私が法螺ふきか否かを試せといったそのお首だ。罪もない海鳥を斬るよりは、そのお首のほうが恰好ですから」
「ばッ、ばかいえっ」
 思わず藤次はその首をすくめた。――とたんに美少年の肱は弦の刎ねたように、背の大剣を抜いたのであった。ぱっと空気の斬れる音がした。三尺の長剣が、針ほどな光にしか見えないくらい迅かったのである。
「――な、なにするかッ」
 よろめきながら藤次は襟くびへ手をやった。
 首はたしかに着いているし、そのほかなんの異状も感じなかった。
(中略)
 美少年が去った後で、ふと、冬陽のうすくあたっている船板の上を見ると、変な物が落ちている。それは、刷毛のような小さな毛の束だ、アッと、初めて気づいて、自分の髪へ手をやってみると、髷がない。
「や、や? ……」
 撫でまわして驚き顔をしている間に、根の元結がほぐれて、鬢の毛はばらりと顔にちらかった。(2巻、303~304ページ)


長剣の名は、物干竿。美少年の名は、佐々木小次郎。吉岡一門と揉めたことで、かえって当主吉岡清十郎と意気投合した小次郎でしたが、吉岡一門は、激しい戦いの末に、武蔵に潰されてしまったのでした。

操を清十郎に奪われながら、心では武蔵を慕い続ける朱実に想いを寄せるようになった小次郎は、巌流を名乗り、剣での名声をあげていきますが、悪名と交じり合いつつも、武蔵の剣名も高まっていきます。

仕官を願う大名家では武蔵が高く評価されており、二人の「この世における面識は、宿怨といえないまでも、決して再び溶けないほどな、対立的な渠を深めて来つつある」(6巻、234ページ)のでした。

旅の途中で出会った城太郎という少年を弟子にし、はぐれてしまった後は、伊織というやはり侍の子を弟子にして、旅をしながら修業に励む武蔵はやがて、祭りの太鼓の二本の撥から、あることを閃きます。

剣の技ではなく剣の道を歩もうとする武蔵、武蔵を慕って後を追うもすれ違い続けるお通。怠けることを覚えたが故に何をやってもうまくいかない又八、叶わぬ恋を抱えながら不運な人生を歩んでいく朱実。

武蔵とお通を敵と思いその後を執拗に狙い続けるお杉婆、武蔵とお通をあたたかく見守りなにかと助ける沢庵。そして、武蔵とはいくつもの因縁で結ばれ、技のすごさでは天下に並ぶもののいない、小次郎。

様々な登場人物たちが、それぞれの旅で出会い、別れ、また出会い、次第に武蔵と小次郎との、宿命の対決の日が近づいていって・・・。

はたして、武蔵と小次郎との決闘の行方は? そして、お互いに想い合いながら離ればなれになっている、武蔵とお通の恋の結末は!?

とまあそんなお話です。なにしろ8巻にも及ぶ大作なので、さわりしか紹介出来ませんでしたが、主要な登場人物はおおよそ出ています。

拾った免許皆伝の目録を使って、その人のふりをしてしまうなど、又八は駄目人間ぶりがどこか憎めなくていいですねえ。しかもその目録は小次郎のなんですよ。そして、本人の前で名乗ってしまうという。

いい者も悪い者もとにかく登場人物が魅力的な作品で、肝心の戦いの場面も大迫力。筋が一本通った物語というよりは、複数の主人公の物語という感じですが、それも、大衆文学ならではの醍醐味でしょう。

読み始めると止まらなくなる物語だと思うので、ぜひ手に取ってみてください。映画やドラマ、マンガなどから入るのもいいと思います。

BEST BOUT――『宮本武蔵』最高の名勝負――


最後におまけ的に『宮本武蔵』の中の「ベストバウト」、つまり一番の名勝負を紹介しましょう。まあぼくが勝手に選んだんですけども。

数々の強敵と戦いをくり広げた武蔵ですが、中でも印象的な相手は、杖使いの夢想権之助、鎖鎌の使い手宍戸梅軒、そして宿敵佐々木小次郎。最終決戦である佐々木小次郎との戦いを選ぶのは野暮でしょう。

そこで今回選んだのは、宍戸梅軒との戦い。剣とは違い軌道が読めない鎖鎌は、避けると次は分銅が飛んで来ます。慣れない武器にさしもの武蔵も大苦戦。絶体絶命の状況に追いこまれてしまったのでした。

 鎌か、分銅か。
 そのどっちに対しても、身を交わすことは甚だしい危険だった。なぜならば、鎌を交わした位置へ、ちょうど、分銅の速度が間に合うようになるからだった。
 体ぐるみ、武蔵は、絶えまなく位置を移した。それも、目にとまらないほどな迅さをもってしなければならない。――また、後ろへ後ろへと、狙け廻っている他の敵に対しても、身構えを必要とする。
(われ、遂に、敗れるか)
 彼の五体は、漸次硬ばってくる。意識ではない、それは生理的にである。あぶら汗も流れないほど皮膚と筋肉とは、本能的に死闘するのだ。そして髪の毛も総身の毛穴も、そそけ立つのだった。
(7巻、141~142ページ)


武蔵は敗れ命を落としてしまうのか? それとも起死回生の一手を思いつくのか!? 手に汗を握るベストバウトの結末はぜひ本編にて。

吉川英治は死後50年が経過して、その作品は今年からパブリック・ドメイン(著作権切れ)となりました。なので色んな出版社から文庫が出ていますし、また「青空文庫」で、無料で読むことも出来ます。

8巻もあるのでなにしろ長い作品ですが、様々な人間ドラマが描かれた面白い作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、藤沢周平『竹光始末』を紹介する予定です。

藤沢周平『竹光始末』

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竹光始末 (新潮文庫)/新潮社

¥546
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藤沢周平『竹光始末』(新潮文庫)を読みました。

いい機会なので、昨日紹介した吉川英治の『宮本武蔵』との比較から、藤沢周平の魅力に迫ってみることしましょう。宮本武蔵は言わばヒーローです。言うまでもなくヒーローは一般人とは違いますよね。

心情として理解出来る部分があったり、宮本武蔵に感情移入したりするなど、物語に入りこみながら読むことはあるでしょうけれど、自分と宮本武蔵とを同一化することはあまりないのではないでしょうか。

つまり、『宮本武蔵』を読む面白さというのは、「自分はヒーローではないけれど、まるでヒーローのような気分になることが出来る」という所にあるのです。娯楽としてこれほど楽しいことはありません。

吉川英治は講談(物語を話す話芸)の流れを汲んでいるので、資料通りではなく、自由な発想で登場人物を作り、動かす作家ですが、歴史上の偉人を描くことの多い歴史小説は概ねそういう魅力があります。

一方、藤沢周平がよく描くのは、ごくありふれた藩(よく舞台になるのは、海坂藩という架空の藩です)のごくありふれた人々。歴史上の偉人でもなければ、なにかを成し遂げるヒーローでもないのでした。

たとえば、この短編集に収録されている「恐妻の剣」の主人公である馬場作十郎は、かなり剣の腕が立ちます。かなり剣の腕は立つのですが、なにしろ戦のない江戸時代。使う機会は、ほとんどありません。

その腕が認められてたくさんの縁談が申し込まれたものの、結婚した相手の初江は次第に到底出世は見込めない夫を侮るようになり、二人の子供も自然と父親のことを軽く見るようになっていったのでした。

爪を切れば、「まだ爪を剪っておいでですか。よほど長い爪とみえますなあ」(56ページ)と初江にちくりとやられ、水を飲めば飲んだで、植木は水がもらえないで可哀想だとまたちくちくとやられます。

子供の教育方針で揉めた時も、結局は押し切られてしまいました。

 雄之進が十二になったとき、作十郎は別部道場に通わせようと考えた。だが初江はそれに反対し、それまで通っていた学問所にそのまま通わせる方がいいと言い張った。
 強硬に言い張ったあと、初江は夫の顔を見ながら、止めを刺すように言ったのである。
「一刀流など習っても、馬場の家の扶持が一俵でもふえるわけがありませんでしょ」
 扶持のためではなかろう、侍の嗜みだ、と怒鳴りかけたが作十郎はやめた。
 言っても初江に通じるはずがない、としみじみ無力感にとらえられたのと、一方初江の言うことも一理はあるという気がしたのである。(61ページ)


この場面を読んで、「ああ、なんだかよく分かるなあ」と身につまされる感じがあった方は、ぜひ藤沢周平の小説を読んでみてください。

そう、実は藤沢周平の小説というのは、組織で生きる窮屈さという点では、藩をそのまま会社に置きかえればビジネス小説になるのであり、また家庭の問題はそのまま現在でも通用するものがあるのです。

なので決してずば抜けたヒーローが描かれない藤沢周平の小説の最大の魅力というのは、等身大の人間が描かれているということにあり、また、読みながら登場人物と自分とを重ねられる所にあるのでした。

そして、ポイントとなるのは、馬場作十郎の窮屈な境遇は多くの読者の圧倒的な共感を呼ぶはずですが、その上で、作十郎の剣の腕が光る瞬間がやって来ること。これがもう、たまらない展開なわけですよ。

「ぼくたち・わたしたちと同じだ!」と引き込ませておいてからのシャキーン、ズバババッ! なわけで、これはもう痛快無比としか言いようがないわけです。というわけで、そんな藤沢周平の短編集です。

作品のあらすじ


『竹光始末』には、「竹光始末」「恐妻の剣」「石を抱く」「冬の終りに」「乱心」「遠方より来る」の6編が収録されています。

「竹光始末」

木戸を守る藩士は、二人の子供を連れた夫婦の姿がみすぼらしいことに驚き、それから、妻女の美貌にど肝を抜かれます。一家は仕官の口を求めて、会津からこの海坂藩まで、はるばるやって来たのでした。

35、6歳の浪人である小黒丹十郎は、物頭をつとめる柘植八郎左衛門への紹介の書付を持って来たのですが、八郎左衛門からすると、大した知り合いからのものではなかったので対処に困ってしまいます。

城内の宿に泊まっている丹十郎一家は宿代はもちろん踏み倒しており、食うにも困る状況。どうにも困り果てていた時、剣の腕が買われて上位討ち(主君の命で罪人を討つこと)の話が持ち込まれて……。

「恐妻の剣」

七十石、無役の馬場作十郎の勤めは、大手門と南門の警備。かなり剣の腕が立つものの、この平和な時代にはなんの役にも立たず、妻の初江からは侮られていて、しょっちゅう皮肉や小言を言われています。

舅の策略で、半ば無理矢理に結婚させられてしまった初江とではなく、縁談が持ち込まれていた、美人と評判の加矢と結婚していたらどうだったのだろうと、ぼんやり考えることもある作十郎なのでした。

やがて、藩で預かっていた、苛政が明るみに出て領地を没収された平岩三万石、興津兵部の家臣二人が逃げ出します。監視不行届と見なされぬよう、作十郎がひそかに追っ手として任命されたのですが……。

「石を抱く」

石見屋で奉公をしている直太は、主人の新兵衛が妾の所へ行くのに付き従ったりしますが、後添えで25歳ほどのお仲を放ったらかしにし、30歳ほどのおえんに会いに行く主人の気持ちが分かりません。

ある夜、痛みで苦しんでいるお仲の腹をさすってやりました。痛みがおさまったというので、直太が帰ろうとすると、腕をつかまれます。

 お仲の眼に、これまで見たことがない、限りなく優しいいろが溢れているのを、直太は感じた。
「どうせ、身体をみられてしまったのだもの」
 お仲はゆっくり言った。直太は横たわっている白い裸身をみた。仰向けになっても、そそり立つように高い、二つの乳房があった。そしてなめらかな脂肪に光りながら、形よくくびれた銅があり、盛り上がる腰は二布の中に隠れている。
 有夫の女と通じれば男は引き回しのうえ獄門、女も死罪である。直太には二つの乳房にはさまれている淡い翳りが、眼の眩むように底深い谷間に見えた。この美しい体を盗めば、あとは真逆さまに谷間に落ちて行くしかなかった。直太は微かに身顫いした。
「こわいかえ?」
 お仲は横たわったまま、謎めいた微笑を浮かべた。
(116ページ)


お仲には、なにかあると店にやって来てはお金をせびる、菊次郎という遊び人の弟がいました。直太は、お仲を守る方法を考え始め……。

「冬の終りに」

二両の元手で五十両を稼いだ磯吉は、賭場から慌てて逃げ出しました。闇にひたひた響く足音からどうやら追っ手が来ているようですが、うずくまって隠れている所にやって来た女に匿ってもらえます。

磯吉は同じ職人で、賭場を教えてもらった富蔵から、五十両を持って男が逃げたと大騒ぎになっているという話を聞きました。一時だけ儲けさせようとしていた所、途中で男は消えてしまったというのです。

磯吉はそれは自分ではないと誤魔化しました。助けてくれた女お静の子供が病気で、五十両の内の十両はもう使ってしまっていたから。それからお静の元にちょくちょく通うようになった磯吉でしたが……。

「乱心」

ここの所、道場仲間の清野民蔵の様子がおかしいのを、新谷弥四郎は心配していました。病気だと言って、道場にも滅多に姿を現さないようになっていたからです。弥四郎には思い当たることがありました。

清野の妻女で、美貌で知られる茅乃が、清野の上司にあたる三戸部と不義を働いているという噂が、藩内で流れたことがあったのです。その噂のせいで清野は沈んでいるのかも知れないと弥四郎は思います。

やがて弥四郎、清野、三戸部は出府(参勤交代で江戸に出ること)を命じられますが、弥四郎の元を茅乃がやって来て「出府を辞退するということは、出来るのでしょうか」(203ページ)と尋ねて……。

「遠方より来る」

曾我平九郎という髭面の大男が訪ねて来たので、三崎甚平は驚きます。何に驚いたかってそれがまったく見覚えのない相手だったから。

「思い出せんか。そうか。長いこと会っとらんから無理もないわ」
「まことにもって、その……」
 甚平はうつむいた。相手の正体は、まるっきり模糊としているが、その口ぶりを聞けば、薄笑いの次は恐縮してみせるしかない。
「曾我じゃ。曾我平九郎じゃ。どうだ、思い出したか」
 相手は勢いこんで言った。隣の家に筒抜けだろうと思われる大声である。名乗りおわると、髭男は眼を丸くし、大きな口を半開きに笑わせた顔を、甚平に突きつけた。どうだ、驚いたかといった思い入れだが、甚平はいっこうに驚けない。まだ思い出せなかった。
(239ページ)


よく話を聞くと、12年前の大阪攻めの時に確かに会ったことのある男で、結局は役に立たなかったものの、ちょっとした恩を受けたことのある相手でした。平九郎は飯を食い、そのまま泊まっていきます。

そして困ったことに平九郎はそのまま住みついてしまったのでした。とにかく大飯ぐらいで、なにかと騒々しいので、妻の好江からせっつかれて、平九郎の仕事を見つけるべく甚平は奔走するのですが……。

とまあそんな6編が収録されています。暗い中に微かな光が見えるような、短編集全体の毛色とは違いますが、とにかく面白いのが「遠方より来る」。あまりよく知らない知人が住みついてしまうんですよ。

時代錯誤の豪傑とも言うべき平九郎は、平凡ながら落ち着いていた甚平の生活をかき乱すのです。元々は士分の身ながら、足軽の生活を余儀なくされている甚平の事情も重なり、笑った後ほろりとくる名編。

「竹光始末」「恐妻の剣」「乱心」の3編は藤沢周平らしさを感じさせてくれました。「石を抱く」は禁断の関係にぞくぞくさせられる短編、そして「冬の終りに」は股旅物を思わせる作品になっています。

どの短編も面白いものばかり。藤沢周平が好きと言う方は勿論、これから読んでみたいという方にもぜひ手に取ってもらいたい一冊です。

明日は、山本周五郎『赤ひげ診療譚』を紹介する予定です。

山本周五郎『赤ひげ診療譚』

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赤ひげ診療譚 (新潮文庫)/新潮社

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山本周五郎『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)を読みました。

昨日紹介した藤沢周平と双璧とも言うべき時代小説作家が、山本周五郎。その代表作の一つが、小石川養生所を舞台に”赤ひげ”と呼ばれる医者と、その弟子の活躍を連作形式で描いた『赤ひげ診療譚』です。

三船敏郎と加山雄三が師弟を演じた黒澤明監督の映画『赤ひげ』も大ヒットしました。白黒ですが、『赤ひげ』は今観てもかなり迫力があって面白いです。若かりし頃の加山雄三もかっこいいんですよねえ。

赤ひげ [DVD]/東宝

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確かな腕を持ちながらも出世を目指すのではなく、庶民の味方であり続けるという”赤ひげ”の姿は後の物語にも大きな影響を与えました。

たとえば史村翔原作、ながやす巧作画のマンガ『Dr.クマひげ』がありますが、このマンガもまた影響が大きくて、香港ではトニー・レオンを主演に『裏街の聖者』という映画が作られたりもしています。

裏街の聖者 [DVD]/ジェネオン・ユニバーサル

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『裏街の聖者』は、すごい腕を持ちながら決して偉ぶらず、庶民の味方であり続ける医者の物語で、いい映画なので機会があれば、ぜひ。

そんな風にマンガやドラマなど、”赤ひげ”を思わせる医者ものというのは結構あるのですが、『赤ひげ診療譚』にはもう一つ大きな魅力があって、それは実はバディ(相棒)ものになっていることなんです。

長崎で外国の最先端の医療技術を学んで帰って来て、出世を目指している若き保本登は、こんな小さな施療所で貧しい人々の相手ばかりを続けている”赤ひげ”こと新出去定のことが、気に食いませんでした。

服装の決まりも守らず、入所患者の手当ても手伝いません。同僚の森半太郎からいさめられましたが、その言葉も耳に入らないのでした。

「どういうつもりなんです」と半太夫は登を睨みつけた、「いつまでそんなことを続けているつもりなんですか」
「そんなこととはなんです」
「そのつまらない反抗ですよ」と半太夫が云った、「人の気をひくような、そんな愚かしい反抗をいつまで続けるんです、そのために誰かが同情したり、新出先生があやまったりするとでも思うんですか」
(中略)おそらく、田舎者にとっては幕府経営の施療所や、その医長である新出去定などが、輝かしく、崇敬すべきものにみえるのであろう。ばかなはなしだ、と登は思って、半太夫とは殆んど口もきかずにいた。それが思いがけないときに、いきなり辛辣な皮肉をあびせられたので、殴りつけるのをがまんするのが登には精いっぱいであった。(30~31ページ)


勿論、そんな登は次第に”赤ひげ”のことを認め、圧倒され、やがては自分も”赤ひげ”のようになりたいと思っていくわけですが、バディものの最高に面白い所は実はベテランの方も影響される所にあります。

ベテランが新人を育てるだけでなく、若くてまっすぐな新人が入って来たことによって、ベテランの心持ちもかなり変わるんですね。そうして相互に影響しあう所が、バディものの何よりの醍醐味なのです。

お互いに意地を張りあい、激しく反発していたベテランと新人が、やがてはお互いに認めあい、少しずつ絆を深めていく――そんな物語がもう面白くないわけがないじゃないですか。ぐっと来る感動作です。

連作なので長編のように読むことも出来ますし、話自体はそれぞれ独立しているので短編集のように読むことも出来る、そんな一冊です。

作品のあらすじ


『赤ひげ診療譚』には、「狂女の話」「駈込み訴え」「むじな長屋」「三度目の正直」「徒労に賭ける」「鶯ばか」「おくめ殺し」「氷の下の芽」の8編が収録されています。

「狂女の話」

三年間の長崎遊学を終えた、前途有望な若き医者の保本登。しかしその心はすさんでいました。「どうして待てなかったんだ、ちぐさ、どうしてだ」(7ページ)と頭の中はちぐさのことで一杯だったから。

すぐ出世の道が開けると思っていた登でしたが、四十から六十の間と見えひげを生やしたその逞しい顔つきから「赤髯」と呼ばれている新出去出が医長をつとめる小石川養生所で働かされることになります。

服装などの決まりに従わず、反抗的な態度を取り続ける登はやがて北の病棟に一と棟の家があることを知りました。そこでは富豪の娘ながら男を誘惑して殺してしまう病気を持ったゆみが暮らしていて……。

「駈込み訴え」

高名な蒔絵師で、決して苦しいと口にしない六助を担当することになった登。全身に広がり、もはや治療法が見つからない六助の病気について話し合っている時、去出は思いがけないことを言ったのでした。

「ない」と去出は嘲笑するように首を振った、「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などはない」
 登はゆっくり去出を見た。
「医術がもっと進めば変ってくるかもしれない、だがそれでも、その個躰のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」と去出は云った、「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」
(55ページ)


医術の不足を補うために、貧困と無知に勝っていかなければならないと言う去出に対し、登は内心それは政治の問題ではないかと反発します。やがて六助が死に、去出と登は娘に会いに行ったのですが……。

「むじな長屋」

ようやく自ら進んで薄鼠色の上衣を着るようになった登は、貧しい人々が暮す長屋へ治療に訪れるようになりました。特に気にかけていたのが佐八という病人。労咳のようですが、無茶ばかりするのです。

体が動けば無理して働いてしまいますし、薬や食べ物を与えても佐八は誰かにやってしまうのでした。やがて崖崩れをならしていた時に、15年前ほど前の女の死躰が見つかって、辺りは大騒ぎになります。

すると佐八は、皆は自分のことを褒めるが「本当のことを知ったら、私がどんな人非人かということを知ったら、みんなは唾もひっかけやしないでしょう」(134ページ)と登に打ち明け話を始めて……。

「三度目の正直」

去出と登は藤吉という大工に頼まれ、弟分の猪之の診察に行きました。ぼんやりしていたかと思うと、突然にやにや笑い出す、おかしな様子の猪之。他の医者からは頭がおかしくなったと言われています。

「私は気鬱症だと思います」
「都合のいい言葉だ」と去出は云った、「高熱が続けば瘧、咳が出れば労咳、内臓に故障がなくてぶらぶらしていれば気鬱症、――おまえ今日からでも町医者ができるぞ」
 登は構わずに反問した、「先生はどういうお診たてですか」
「気鬱症だ」と去出は平気で答えた。
 登は黙っていた。
「明日おまえ一人でいってみろ」と去出は坂にかかってから云った、「藤吉と二人の、昔からのことを詳しく訊くんだ、あのとおり当人はなにも云わないから、藤吉に訊くよりしようがない」
(153~154ページ)


藤吉に話を聞くと、猪之にはおかしな癖があることが分かりました。藤吉に縁談の仲立ちを頼むのですが、話がまとまって相手の女性が自分のことを好きになると、途端に嫌になってしまうという癖で……。

「徒労に賭ける」

娼家へ診察に行った去出と登。幼い少女が無理矢理働かされ、町医者が暴利を貪る劣悪な環境を目の当たりにしますが、去出は人間に欲望がある限り、欲望を満たす条件が生まれるのは自然だと言いました。

それだけでなく「師を裏切り、友を売ったこともある、おれは泥にまみれ、傷だらけの人間だ、だから泥棒や売女や卑怯者の気持がよくわかる」(212ページ)という思いがけない言葉で登を驚かせます。

劣悪な環境を少しでも改善するべく、出来る限りの努力を続けていた去出と登でしたが、ある時、四、五人のやくざ者に囲まれ、この土地へは近づかない方がいいと脅されてしまうこととなってしまい……。

「鶯ばか」

見えもしない鶯(ウグイス)の話をし、「とうとう手に入れた、ほら、鳴いてるだろう、あれが千両の囀りだ」(239ページ)、これで貧乏から抜け出せると口にする十兵衛を診察するようになった登。

同じ長屋の子供たちも登になつき、銀杏(ぎんなん)をたくさん拾ったと自慢する長次は、今度登にもくれると約束してくれます。一方おきぬという遊女あがりの女は登を誘うように頭痛を訴えるのでした。

やがて生活に苦しむ長次の家族は、殺鼠剤を飲んで一家心中をはかります。息も絶え絶えに、約束した銀杏はお金のために売ってしまったとしきりに謝る長次を、なんとか救いたいと思った登でしたが……。

「おくめ殺し」

体中にけがをした二十五歳の男、角三を救った去出と登は角三が誰かを殺そうとしていたことに気付きます。角三は実は折角作った自分の店を潰されそうになって、家主の高田屋松次郎を狙っていたのです。

高田屋の先代と角三の住む長屋とは不思議な取り決めがあって、何故かずっと店賃が無償だったのでした。しかし代替わりすると松次郎は長屋の者を追い出し、長屋を取り壊すことを決めてしまったのです。

先代の高田屋との不思議な取り決めの理由について、唯一知っているのは角三のいいなづけおたねの祖父ですが、もうぼけてしまっていてよく思い出せず、ただ”おくめ殺し”という謎の言葉を口にして……。

「氷の下の芽」

施療所に、おえいという十九歳の娘がやって来ました。母親はおえいのおなかの子供を堕ろしてほしいと言います。それと言うのもおえいは、突然泣きわめいたりにやにや笑ったりと頭が少しおかしいから。

「あたい赤ちゃんを産むの」とおえいはまどろっこい口ぶりで云い張った、「このおなかの子は、あたいの子だもの、どんなことがあったって、産んで、育てるんだ、うう、誰の世話にもならなければいいでしょ」
「おまえが母親になれるのならいい」と去出が云った、「けれどもそれは無理だ、おまえは頭が普通ではないから、自分ひとりでさえ、これからの長い生涯を満足にやってゆくことはむずかしい、そうだろう」
 おえいはにっと笑い、ないしょ話をするように、去出に向かって囁いた、「先生、――あたいほんとは、ばかのまねをしているのよ」
「よし、それはもう三度も聞いた」

(338ページ、本文では「えい」に傍点)


おえいは馬鹿なのか、それとも、馬鹿のふりをしているのか? やがて登は、おえいの口から衝撃の事実を聞かされることとなって……。

とまあそんな8編が収録されています。治療される側だけでなく、治療する側である、登や去出もまた心に傷を抱えているのが、とても印象的ですよね。去出は、どうやら過去になにか色々あったようです。

一方、登もちぐさのことで苦しみ続けています。三年間の長崎遊学を待ちきれなかったちぐさとは一体誰で、登とはどんな関係の女性だったのでしょうか。その挿話も少しずつ語られていくこととなります。

どの話も印象的で面白いものばかりでしたが、場面で言えば去出の意外な一面に驚かされる「徒労に賭ける」が特にいいですね。心に残る話で言えば、子供との交流が描かれた「鶯ばか」が忘れられません。

個人的に一番好きだったのが「おくめ殺し」です。何故先代の高田屋は長屋の店賃を無償にしていたかの謎に迫るミステリ仕立ての短編。これが本当に意外な真相になっていまして、非常に面白かったです。

有名な作品なので、なんとなく知っているという方も多いであろう『赤ひげ診療譚』。医者ものとして、バディものとして楽しめる盛りだくさんの一冊なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日からは、「3夜連続、ドイツ・ミステリ界の新星! フェルディナント・フォン・シーラッハ特集」をやります。まずは、2012年本屋大賞「翻訳小説部門」第一位に選ばれた『犯罪』からスタート。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』

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犯罪/東京創元社

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フェルディナント・フォン・シーラッハ(酒寄進一訳)『犯罪』(東京創元社)を読みました。

文学に詳しい選考委員ではなく、書店員の投票によって決まる珍しい文学賞、本屋大賞。第9回にあたる2012年からは、海外の小説の大賞も決めようじゃないかと、「翻訳小説部門」が創設されました。

その第一回「翻訳小説部門」で見事第一位に選ばれたのが、今回紹介する『犯罪』です。海外の小説の新刊というのは、古典的名作と違って実は話題になりづらいものなので、とてもいい企画だと思います。

本国ドイツでもかなり注目されていたようで、ぼくはドイツの文学賞に詳しくないので正直ピンと来ない感じもありますが、クライスト賞・ベルリンの熊賞・今年の星賞の三冠を達成しているそうですよ。

作者のフェルディナント・フォン・シーラッハはかなり異色の経歴の持ち主で、なんと現役の弁護士。刑事事件を専門にする高名な弁護士だそうですが、実際に経験した事件を元に、小説を書いたんですね。

現在までに翻訳されているのが短編集の『犯罪』と『罪悪』、長編の『コリーニ事件』の三作。それをどどーんと一気にやってしまおうじゃないかというのが、今回の「3夜連続シーラッハ特集」なのです。

さて、実際に読んだ感想を書いていこうと思いますが、この作品に何を期待して読むかで、作品の評価は変わってくるだろうと思います。

犯罪が扱われているという点で、おおまかに言えばミステリですけれど、どんでん返しのようなものを期待すると、淡々と事実だけが書かれるドキュメンタリータッチの作品なので、肩透かしを食らいます。

なので、ミステリファンからすると、やや物足りなく、あまり評価は高くないだろうと思います。しかしこの作品の最大の魅力は実はミステリ要素ではなく、犯罪を通して人生が描かれることにあるのです。

読みながらぼくが連想させられていたのは、ロシアの作家アントン・チェーホフや、「現代のチェーホフ」と評されるカナダの作家で、今年度のノーベル文学賞受賞者であるアリス・マンローの短編でした。

それぞれの短編で例をあげるなら、チェーホフの「ねむい」、マンローの「次元」と作風の共通点があります。なので、シーラッハにハマった方は、チェーホフやマンローも読んでみてはいかがでしょうか。

あるいは「メグレ警視」シリーズで有名なフランスの作家ジョルジュ・シムノンとも、淡々とした筆致、ささいな出来事がきっかけで平凡だった人生の歯車が狂うという点で、かなり共通点が見出せます。

河出書房新社から「シムノン本格小説選」というシリーズが出ているのでぜひ。そうですね、たとえばひょんなことから大金のスーツケースを手に入れた男の物語である『倫敦から来た男』がおすすめです。

倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】/河出書房新社

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とまあそんな風に、『犯罪』はどちらかと言えば文学よりの短編集。文学が好きという方、軽いミステリではなくリアルで重厚な犯罪小説が読みたいという方にとってはこれほど面白い一冊はないでしょう。

作品のあらすじ


『犯罪』には、「フェーナー氏」「タナタ氏の茶盌」「チェロ」「ハリネズミ」「幸運」「サマータイム」「正当防衛」「緑」「棘」「愛情」「エチオピアの男」の11編が収録されています。

「フェーナー氏」

高名な医者として、長年人々から信頼されて来たフェーナー。その人生に特筆すべきものはありませんでした。イングリットの件をのぞいたなら。イングリットと出会ったのは24歳、まだうぶな時でした。

3歳年上のぽっちゃりした田舎風の美人イングリットの性的奔放さに惹かれて結婚したフェーナー。初めこそうまくいっていたものの、次第にイングリットは何かにつけてヒステリックになっていって……。

「タナタ氏の茶盌」

サミール、マノリス、オズジャンの3人は掃除婦の手引きによってダーレム地区にある豪邸の金庫を奪うことに成功しました。一方、金庫の持ち主で、77歳のタナタ・ヒロシは壁の穴をじっと見つめます。

タナタ氏は茶盌の買い取りを持ち掛けられたら自分がその茶盌をより高く買う、ただし売り主の名前を教えてほしいという情報を流しました。やがて茶盌で儲けようとした者が次々と虐殺されていって……。

「チェロ」

母親を早くに亡くし、建設会社を経営する富豪の父親タックラーからはあまり愛情を注がれずに育ったテレーザとレオンハルトの姉弟。テレーザの音楽大学への入学を理由に、二人は家を出ることにします。

病気とそれに伴うバイク事故でレオンハルトは体中に壊疽を起こし、記憶をなくしました。自分のことすら分からないレオンハルトは、看病するテレーザを美しい女と見て性的欲望を抱くようになって……。

「ハリネズミ」

犯罪者一家に育ったカリム。当然カリムも犯罪者になるだろうと思われていましたが、ひそかに勉強を重ね、株などでまっとうな利益を得るようになりました。周りはみな麻薬売買で儲けたと思っています。

ある時、兄ワリドが質屋の強盗容疑で捕まってしまいました。みんな自分が嘘の証言をすると思っている、だからこそ兄の刑務所暮らしは阻止できるはずだと思ったカリムは、起死回生の一手を考えて……。

「幸運」

故郷で兄を殺され、兵士たちに輪姦されたイリーナはドイツに亡命し、生きていくためにやむをえず娼婦になります。やがてカレという男と一緒に暮らし始めました。お互いに過去については語りません。

ある時、胸に痛みを感じた客がサービス中に死んでしまいました。途方に暮れて外出したイリーナ。一方、死体を発見したカレはイリーナが殺してしまったと思い込み死体を解体して埋めることにして……。

「サマータイム」

カジノにはまって悪い相手に借金をしてしまったアッバス。返済が滞ると、指を切られてしまいまいました。アッバスのためにお金を稼ごうと思った恋人のシュテファニーは、恋人募集欄に広告を出します。

そうして出会った実業家ボーハイムと性的関係を結ぶようになったシュテファニー。その変化にやがてアッバスは気付きます。ある時ホテルの部屋でシュテファニーが惨殺され、ボーハイムが捕まって……。

「正当防衛」

見るからに悪党面のレンツベルガーとベックは、駅のホームで真面目そうな男を見つけ、ナイフをちらつかせてからかい始めました。ところが揉みあう内に二人ともナイフで刺されて死んでしまったのです。

取り調べが始まりますが、男は何も喋りません。指紋は登録されておらず、身分証明書も不所持。奇妙なのは、衣服にメーカー表示がないこと。靴下や下着までも。必死で男の正体を探ろうとしますが……。

「緑」

羊を何頭も殺し目玉をえぐったことで、19歳のフィリップが調べられることになります。警察が家の中を調べた所、浴室のゆるんだタイルの中から、ザビーネという16歳の少女の写真が見つかりました。

そして、その写真のザビーネの目はくり抜かれていたのです。ザビーネの親に慌てて連絡すると、ザビーネは女友達の所に出かけているとの返事。警察は戦慄を感じながらザビーネの行方を追い始めて……。

「棘」

ちょっとした手違いで配置転換もないままにずっと同じ場所を警備することになった市立古代博物館の警備員フェルトマイヤー。ある時から、「棘を抜く少年」という像が気になって仕方がなくなりました。

岩に腰掛けた裸の少年が左足を右膝にのせて棘を抜こうとしている像ですが、棘が抜けたのかどうか気になってしまうのです。やがては発汗や激しい動悸が起こり、寝る時にはうなされるようになって……。

「愛情」

同じ大学で出会い、付き合い始めて2年経った今でも愛し合っているパトリックとニコル。情事のあとニコルのむき出しの肌、背骨、肩甲骨を指でなぞりながらパトリックはヘッセの詩を朗読していました。

パトリックが本を置いたので愛撫をしようとしたニコルは背中に痛みを感じ、悲鳴をあげて手を払いのけます。すると床に落ちたのはアーミーナイフだったのでした。やがてこのことは警察沙汰となり……。

「エチオピアの男」

捨て子で、辛くみじめな人生を送って来たミハルカは、銀行強盗で手にした大金を抱えエチオピアへと渡りました。コーヒー農園で熱病にかかってしまったのですが、看病してくれたアヤナと恋に落ちます。

二人の間には子供も生まれ、幸せな人生を送っていたのですが、やがてミハルカは銀行強盗の罪でドイツに送還されてしまいました。家族の元に戻りたいと思うミハルカですが、村の住所すら分からず……。

とまあそんな11編が収録されています。極めて異常な事件や、陰惨な出来事が描かれた短編が多いのですが、それがかえって人生というものを、そのまま描いているようでもあって、深い印象が残ります。

特に心に残ったのが、「幸運」。砂漠でオアシスを見つけたように、ようやく自分の居場所を見つけたイリーネに起こった不運な事件。もし通報すれば、ドイツを追い出されてしまう恐れがあるわけですね。

イリーネを守るために死体を解体し、埋めることにしたカレ。この後二人は一体どうなってしまうのでしょう? お互いの過去について語らず、寄り添いながら暮らしていた二人から目が離せなくなる作品。

すさまじい迫力で思わず話にのめり込まされてしまったのが「棘」。あることがどうしても気になってしまう、その感じは分からないでもないだけに、こちらまで頭がくらくらさせられる感じがありました。

痛快さがあり、一番面白かったのは、「ハリネズミ」。家族全員悪党という中で育ったカリムですが、頭がよく、隠れてまっとうな人生を歩んでいます。兄を守るために考えた起死回生の一手にぜひ注目を。

どことなく奇妙な事件が、淡々とした筆致で綴られていく作品集。ミステリ要素は少なくどちらかと言えば文学よりですが、それだけに登場人物たちの人生が胸に残る、とても印象深い一冊になっています。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

「3夜連続、ドイツ・ミステリの新星! フェルディナント・フォン・シーラッハ特集」。明日は、第二短編集『罪悪』を紹介します。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『罪悪』

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罪悪/東京創元社

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フェルディナント・フォン・シーラッハ(坂寄進一訳)『罪悪』(東京創元社)を読みました。

ドイツの現役弁護士であり、実際の経験を元に描いた犯罪小説集『犯罪』で鮮烈なデビューを飾ったシーラッハの第二短編集が、今回紹介する『罪悪』。前作のファンは勿論楽しめる一冊になっていますよ。

まずまっさきに気が付くのは、本自体の厚さは200ページ前後とほとんど変わらないのに、前作と比べて収録短編の数が少し多いこと。

すなわち前作に比べて短い短編も収録されているというわけです。そしてその短い短編、たとえば「解剖学」「司法当局」「秘密」は、ブラックな雰囲気ながらユーモアが感じられるものになっていました。

犯罪を通して人生そのものが描かれていた前作に対し、今作では法では解決しきれない罪の複雑さを描いているように感じます。そしてその複雑さは、ユーモアや奇妙さ、そして衝撃を呼び起こすのでした。

『罪悪』を読んでいてぼくが連想したのは、ロアルド・ダールの『あなたに似た人』という本。”奇妙な味”と評されるちょっと奇妙な話が集められた短編集ですが、そのテイストに似ている部分があります。

あなたに似た人〔新訳版〕 I 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕/早川書房

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『罪悪』が気に入った方は『あなたに似た人』を、『あなたに似た人』が好きな方は『罪悪』を読んでもらいたいと思いますが、一方でクライム・サスペンスを思わせる作品もいくつか収録されています。

中でも面白いのがロシア人とのクスリの取引をめぐる「鍵」。思わぬことが思わぬ事態を引き起こし、それがさらにおかしな展開に繋がり二転三転するという『パルプ・フィクション』を思わせる話でした。

パルプ・フィクション [DVD]/東芝デジタルフロンティア

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最後に誰が儲けを総取りするか分からない、こういうスリリングなクライム・サスペンスがぼくは元々大好物なので、かなり面白く読みました。思わぬ展開の連鎖は犯罪版「風が吹けば桶屋が儲かる」です。

クスリの取引と言えば、麻薬密売人にまつわる事件を通して老人と若い女性の奇妙な交流を描く「雪」も忘れられない印象が残りました。

記録文書を思わせる淡々な筆致で紡がれるユーモアや陰惨な事件。ハマれば結構病み付きになってしまう感じがあります。それぞれ独立した短編集なので『犯罪』よりも先にこちらを読んでも大丈夫ですよ。

作品のあらすじ


『罪悪』には、「ふるさと祭り」「遺伝子」「イルミナティ」「子どもたち」「解剖学」「間男」「アタッシュケース」「欲求」「雪」「鍵」「寂しさ」「司法当局」「清算」「家族」「秘密」の15編が収録されています。

「ふるさと祭り」

小さな町の六百年祭。町の住人たちからなる楽団員たちは、みな白粉に口紅、つけひげで扮装をしていました。転んでビールを浴びた給仕の娘の裸がTシャツに浮かび上がると、突然みなで襲い始めて……。

「遺伝子」

家を出てこじきをしている17歳の少女ニーナと、同じく駅で暮らしていて知り合った24歳の青年トーマス。60歳から65歳くらいの老人に、家に誘われますが、ふとしたはずみで殺してしまって……。

「イルミナティ」

人付き合いの苦手なヘンリーは寄宿学校で出会った美術の女性教師に絵の才能を認めてもらえます。ところがイルミナティを名乗るグループに目をつけられ、陰惨ないじめのターゲットになってしまい……。

「子どもたち」

29歳の妻ミリアムと幸せな家庭を築いていた38歳のホールブレヒト。しかし「二十四件の児童虐待」容疑で捕まってしまったことでホールブレヒトの人生は一変。三年半の禁錮刑の判決が下されて……。

「解剖学」

勇気を振り絞って声をかけたのに「タイプじゃないわ」と冷たくあしらわれ恨みに思った男は、女を殺す計画を立てました。解剖する道具などすべての準備を整え、後は計画を実行に移すだけでしたが……。

「間男」

高級紳士服店を経営する48歳のパウスルベルクと弁護士である36歳の妻。二人はいつしか妻が他の男と関係することに興奮を覚えるようになっておりその秘密の楽しみはうまくいっていたのですが……。

「アタッシュケース」

ベルリンの環状高速道路で見回りをしていた婦警は、一台の車のトランクを調べます。すると死体の写真が入ったアタッシュケースが見つかりました。運転手は自分は運ぶよう頼まれただけだと言って……。

「欲求」

幸せな家庭を築いているもののいつしか自分をからっぽだと思うようになった彼女は、ストッキングの棚の前で三十分も立っていました。やがて一足をコートに押し込んで、レジを通り抜けたのですが……。

「雪」

特別出動コマンド(SEK)に突入され麻薬密売の容疑で捕まった老人。老人は確かに千ユーロで、ブツを小分けしたい密売人に部屋を貸していたのです。やがて見知らぬ若い女性が面会にやって来て……。

「鍵」

フランクとアトリスはクスリで儲けるためにロシア人と取引しようとしていました。お金を入れた駅のコインロッカーの鍵を預かるのがアトリスの係でしたが、飼い犬バディが鍵を飲み込んでしまって……。

「寂しさ」

14歳のラリッサは、隣のアパートに住んでいる父の友人のラックなーに脅され、無理やりに乱暴されてしまいました。やがてラリッサは体調が悪くなり、吐き気やめまい、腹痛を感じるようになって……。

「司法当局」

飼い犬同士の争いがケンカに発展し加害者タルンが探されますが、犬も飼っておらずそもそも蹴ったとされているのに足が悪いトゥランが捕まってしまいます。しかしトゥランは何も行動しようとせず……。

「清算」

やさしい夫との間にザスキアという娘が生まれ、幸せに暮らしていたアレクサンドラ。しかし夫は酔っぱらうとアレクサンドラに暴力をふるうようになったのです。ザスキアを連れて逃げ出しましたが……。

「家族」

日本の僧院で修業し、日本の自動車メーカーで働き、退社後は株で儲けて湖近くに豪邸を建てたヴァラー。やがて父親違いの弟フリッツ・マイネリングが犯罪で捕まると、助けてやろうとしたのですが……。

「秘密」

カルクマンと名乗る男が毎朝弁護士事務所を訪ねて来てCIA(中央情報局)とBND(ドイツ連邦情報庁)に追われているという話をします。〈私〉は彼を精神科医に連れて行くことにしたのですが……。

とまあそんな15編が収録されています。最初の「ふるさと祭り」からもう度肝を抜かれます。ブラスバンドの楽団員が酔っぱらっていたとはいえ、突如一人の娘に襲いかかるという、世にもおぞましい話。

別に犯罪者の集団ではないんです。普通に仕事を持ち家庭を愛する人々。裁判になりましたが扮装のせいで誰が誰だか分かりません。誰か一人は事件に参加せず通報したことが分かっているのですが……。

「ふるさと祭り」と対になるような形で印象に残るのが、「清算」。酔っぱらった夫からのDVに苦しめられる妻アレクサンドラの話でしたが、こちらもやがてさらに恐ろしい事件が起こることとなります。

起こってしまった陰惨な事件。その罪は法で裁かれるべきですが、事件に携わる弁護士の〈私〉は、「弁護は戦いだ。被疑者の権利を守る戦いだ」(12ページ)の標語を信じられなくなっていくのでした。

法で簡単に解決出来ない複雑な事件が、時にユニークに、時に衝撃を持って描かれた短編集。前作『犯罪』ほどのインパクトはありませんが、それぞれの話は短いので、より読みやすい一冊になっています。

「3夜連続、ドイツ・ミステリの新星! フェルディナント・フォン・シーラッハ特集」。明日は長編『コリーニ事件』を紹介します。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』

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コリーニ事件/東京創元社

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フェルディナント・フォン・シーラッハ(酒寄進一訳)『コリーニ事件』(東京創元社)を読みました。

ドイツの現役弁護士であり、実際の経験を元に描いた犯罪小説集『犯罪』で鮮烈なデビューを飾ったシーラッハの初の長編で、殺人犯コリーニの弁護をすることになった若い弁護士の奮闘を描いた物語です。

記録文書を思わせる淡々とした筆致で陰惨な事件を描き、そこにユーモアや衝撃を潜ませるのが、シーラッハの何よりの特徴ですが、多くの読者の心をとらえた『犯罪』と『罪悪』はいずれも短編集でした。

シーラッハが長編を書くと一体どんな感じになるのか、否が応でも期待が高まる中、発表されたのがこの『コリーニ事件』で、本の帯によると、ドイツでは35万部を売り上げたほど話題になったそうです。

200ページほどの、長編としては短い作品ですが、今までの短編集と大きく違うのは弁護士のキャラクターがしっかりと肉付けされていること。単なる筆記者ではなく行動する人物として描かれています。

カスパー・ライネンという新進気鋭の弁護士が主人公なのですが、これがなかなかに変わり者なんですよ。優秀な成績で弁護士資格を取った後、アフリカやヨーロッパを一年かけて放浪していたような人物。

数々の大手法律事務所から声がかかったものの、負けることを恐れまるで銀行員のように事務的で、窮屈で堅苦しい大手の世界を嫌って、心底依頼人の味方でいられるよう、個人事務所を立ち上げたばかり。

理想を抱きやる気に満ちあふれているものの、まだ経験に乏しいライネンは弁護士登録をして四十二日、表札をつけたのは二日前。そんな中、一本の電話で国選弁護人として選ばれたのでした。初仕事です。

初仕事なだけに大張り切りのライネンなわけですが、いくつかの事情からコリーニの弁護を続けるかどうか迷うようになりました。一つは個人的な理由、もう一つは、被害者の会社関係者から頼まれたから。

「わたしにはなにもしてあげられません」
「いいや、あんたならできる」バウマンは深呼吸した。「陳述をしなければいい。このまま訴訟手続きを終わらせるんだ。声を上げない。わかるかね?」
「どうしてそうしなければならないのですか?」
「われわれは法廷で、減刑に応じる用意がある」
「それが役に立つとは思えませんが」
「さらにあんたの依頼人に成り代わって、われわれが弁護費用の穴埋めをしよう」
「あなたがなにをするですって……?」
「われわれが金をだす。訴訟手続きを終わらせるためなら、いくらでもだす」
 ライネンは一瞬、なにもいえなかった。口のなかが乾いた。ひとりの人間の過去を買い取るというのか。
「弁護費用を肩代わりするから、わたしに、コリーニの弁護を辞めろというのですか? 本気でいっているのですか?」
「役員会の提案だ」バウマンはいった。
(121~122ページ)


コリーニのために事件の裏側を探ろうとせず、静かに裁判を終わらせるなら大金が手に入るといううまい話です。どのみちコリーニは有罪になりそうですから、かしこい弁護士なら話を飲むかも知れません。

ところがわれらがライネンは、もしそんな器用な生き方が出来るくらいならもうとっくに大手法律事務所に入っているわけですよ。より一層強い決意でもってコリーニ事件の裁判に挑むことになるのでした。

いいぞ、ライネン! この男気あふれる展開が、もうたまりません。

殺人犯コリーニが捕まるところから始まるわけですから、事件の裏側に迫っていく面白さはあるものの、ミステリ的な面白さというのはそれほどありません。法廷ものとしてもそれほど突出してはいません。

しかしながら、抱いている感情と役目としてしなければならないことの板挟みになりながら前に進んでいくライネンの姿はとても印象的。

さながら、自分の思いと主君の命や流儀との間で揺れる武士の姿を描いた時代小説を読んでいるかのような、渋い魅力がある作品でした。

作品のあらすじ


ブランデンブルク・スイートルーム、四〇〇号室。四発の銃弾が部屋の中にいた男の頭を吹き飛ばしました。コリーニは拳銃をテーブルに置くと、死者の顔を踏みつけ、見つめ、何度も何度も踏みつけます。

国選弁護人に選ばれた新進気鋭の弁護士カスパー・ライネンは、被告コリーニの弁護をすることになりました。早速、面会しましたが、コリーニは自分の罪を知っており、そこから逃れる気はないようです。

「弁護してもらう必要はない」コリーニはいった。体に負けず、顔も大きい。広い顎、唇が薄く、額がせりだしている。「おれは、あの男を殺した」
「警察で自供しましたか?」
「いいや」
「では、黙秘したほうがいいでしょう。わたしは、これから調書を読みます。それから話し合いましょう」
「おれはなにも話したくない」ぼそっとぶっきらぼうにいった。
「イタリ人ですか?」
「ああ、だけど、もう三十五年ドイツで暮らしている」
「家族に連絡を取りましょうか?」
 コリーニはライネンを見なかった。
「家族はいない」(11~12ページ)


定年まで自動車組立工として働いたコリーニ。凶器の指紋、衣服と靴についた血痕、硝煙反応、目撃情報など、すべての証拠がコリーニがジャン=バプティスト・マイヤー殺しの犯人だと指し示しています。

しかし、犯行を認めるコリーニは何故恐るべき凶行に及んだのかの動機についてはぴたりと口を閉ざし、決して話そうとしないのでした。

やがて留守番電話にヨハナの声が残されていたことで、ライネンはバイエルン州のロスタールにあるマロニエの木立を思い出します。12歳の頃、ライネンにはフィリップという寄宿学校の友達がいました。

長期休暇になるとライネンは、ロスタールにあるフィリップの祖父の家で暮らすのが習慣になっていたのです。そこで出会ったのがヨハナ。フィリップの姉でライネンが初めてキスを交わした相手でした。

ライネンは電話をかけ直し、六年前にロスタールで行われたヨハナの結婚式以来となる会話を交わしますが、ヨハナが怒りと悲しみをあらわにしたので、一体何事だろうとライネンは面食らってしまいます。

「どうしてあんな奴の弁護をするのよ?」
 ヨハナは泣きだした。
「ヨハナ、落ち着いてくれ。なんのことかわからないんだけど」
「新聞にのっているわよ。あなたは例のイタリア人の弁護を引き受けたんでしょう」
「えっ……待ってくれ……ちょっと待ってくれないか……」
 ライネンは立ち上がった。アタッシュケースはデスクに置いたままだ。勾留状を書類のあいだから抜きとった。
「ヨハナ、ここにちゃんと書いてある。あの男が射殺したのは、ジャン=バプティスト・マイヤーという人物だ」
「しっかりして、カスパー。ジャン=バプティストは本名だけど、通り名はちがうでしょう」
「なんだって?」
「あなたはわたしの祖父を殺した犯人を弁護するのよ」
(34~35ページ)


希望に燃えて弁護士の一歩を踏み出したライネンにとって、それは思いも寄らぬ知らせでした。親友、そして青春時代に淡い想いを寄せていた女性の祖父を殺した犯人を弁護しなければならないのですから。

マイヤーの会社から依頼され公訴参加代理人となり、ライネンの敵となることが決まったのは、百戦錬磨の老弁護士リヒャルト・マッティンガー。大学教授でもあり、ライネンが習っていたこともある人物。

ライネンは弁護士控え室でマッティンガーを見かけると、自分の悩みを率直に打ち明けました。自分はマイヤーによくしてもらい家族として育ったようなものだから、国選弁護人を降りようと思っていると。

ところが、マッティンガーはこう言ったのです。次の訴訟手続きもまた自分に関わるものかもしれない、依頼人や事件のことを嫌に思うかも知れない、それでも弁護士は弁護士らしく振る舞うべきなのだと。

きみはある男の弁護を引き受けた。いいだろう、それは過ちだったかもしれない。しかしながら、それはきみの過ちであって、依頼人の過誤ではない。きみは依頼人に責任がある。収監されたその男にとって、きみがすべてなのだ。きみは死んだ被害者との関係を依頼人に話し、それでも弁護を望むかどうかたずねなければいけない。依頼人がそれを望むのであれば、きみは依頼人のために働き、全力でしっかり弁護をすべきだ。(50ページ)


相手が未熟な弁護士であった方がやりやすいという思惑もあったかも知れませんが、半ばは本心だろうとライネンは受け止めたのでした。ライネンは新たな決意を持って、事件と向き合うことにしたのです。

コリーニは、事件については話してくれますが、肝心の動機については相変わらず何も語ろうとしません。八十五歳の被害者と六十七歳の加害者との間には、一体どんな接点があったというのでしょうか?

弁護の方法も思いつかず、裁判で負ける覚悟を固めたライネンですが、それでも毎晩事務所に籠もって事件の書類を読み続けます。そしてある時、凶器に使われた拳銃の資料を見てあることを閃いて……。

はたして、ライネンが気付いたこととは一体なんなのか? そして裁判が進むに連れて明らかになった、恐るべき犯行の動機とは一体!?

とまあそんなお話です。敵ながら、マッティンガーの言葉は胸に響きますよね。事件に関わることでどんなに辛いことがあっても、それは自分で乗り越えなければならないのです。何故なら、弁護士だから。

私情にとらわれず、自分の役目を全うすることが何よりも大切であると。「弁護士」は勿論他の職業に入れ替えが可能だと思いますが、これこそがやはりプロフェッショナルということではないでしょうか。

ジレンマを抱えつつも必死で事件と向き合うライネンと、次第にライネンを認めていくコリーニの関係の変化にぜひ注目してみてください。決して派手さはありませんが人物や設定に魅力のある作品です。

「3夜連続、ドイツ・ミステリの新星! フェルディナント・フォン・シーラッハ特集」はいかがだったでしょうか。どれも面白い作品ばかりなので、興味をもった作品があればぜひ読んでみてください。

明日はE.M.フォースター『果てしなき旅』を紹介する予定です。
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