不夜城 (角川文庫)/角川書店
¥700
Amazon.co.jp
馳星周『不夜城』(角川文庫)を読みました。
映画や小説には、「ノワール」と呼ばれるジャンルがあります。簡単に言えば犯罪者を描いた物語のことです。ギャング同士の争いや、裏社会のごたごたが描かれたもので、熱狂的なファンを持つジャンル。
同じように犯罪を描いた物語でも、何が「ノワール」で何がそうでないかを明確に分けるのは難しいのですが、その作品が何かしらの「情念」を描いたものの場合、「ノワール」と呼ばれる傾向が強いです。
アメリカの探偵小説や犯罪小説がフランスで独自の発展を遂げて、フランス語で「黒」を意味する「ノワール(Noir)」が生まれました。そうして今度は、その「ノワール」が世界中に影響を与えたのです。
たとえば、映画で言えば香港でもかなり「ノワール」が撮られていて「香港ノワール」と呼ばれています。『男たちの挽歌』シリーズのジョン・ウー監督が有名ですが、ぼくが好きな監督はジョニー・トー。
刑事と犯罪者との息詰まる心理戦を描いた『暗戦』シリーズも捨てがたいですが「香港ノワール」の傑作を一本選ぶなら、裏社会の仲間の絆を描くジョニー・トーの『ザ・ミッション 非情の掟』でしょう。
ザ・ミッション 非情の掟 [DVD]/ケンメディア
¥4,935
Amazon.co.jp
ン・ジャンユーを筆頭に数々の映画で悪役を演じて来た人々が集められた作品で、もうキャスティングの時点で興奮しまくりですが、少ない台詞、渋いアクションのおすすめ映画なので、機会があればぜひ。
一方、小説に目を向けると、有名なのがアメリカの作家ジェイムズ・エルロイ。映画化された『L.A.コンフィデンシャル』『ブラック・ダリア』を含む「暗黒のL.A.四部作」が知られていますね。
まあそんな風な「ノワール」の流れがあるわけですが、「香港ノワール」の持つクールさと、ジェイムズ・エルロイの持つ独特の文体、どろどろした世界観をあわせ持つ作家が今回紹介する馳星周なのです。
眠らない街新宿を舞台に、裏社会の壮絶な争いを描いたデビュー作が『不夜城』。金城武主演で映画化されたことでも話題になりました。こちらも、キャスティングがなかなかいいので、機会があればぜひ。
不夜城 [DVD]/金城武,山本未來,椎名桔平
¥6,090
Amazon.co.jp
「ノワール」について書いて来ましたが、実を言うとぼくが初めて読んだ「ノワール」がこの『不夜城』。衝撃的でした。そして馳星周を通してエルロイを知り「ノワール」というジャンルを知ったのです。
当時高校生だったぼくはそれだけこの小説に引き込まれたわけですが、『不夜城』は「ノワール」のことを知らない読者をも魅了する作品と言えるでしょう。今読んでも新しさを感じる部分がありました。
特徴的なのは、主人公の劉健一が中国のマフィアではないこと。日本人の母親と台湾人の父親を持つ故買屋で、ちょっとしたごたごたで中国のマフィアたちから、命を狙われることになってしまったのです。
生き延びるために頭をフル回転させ、対立するマフィア同士を罠にかるなど、自分が描いた絵の通りに周りを躍らせようとする、劉健一。
そう、この小説は裏社会を描いた「ノワール」の魅力があるだけでなく、詐欺師がターゲットを罠にかけ、二転三転する展開に誰が勝つのか最後まで分からない「コンゲーム」の面白さもある作品なのです。
絶体絶命の危機に陥った主人公が、頭の回転だけで事態を乗り切ろうとする物語なので、単なる「ノワール」よりもスタイリッシュで読みやすいです。クライム・サスペンス好きにもおすすめの一冊ですよ。
作品のあらすじ
新宿で暮らし、盗品など裏ルートで回って来たものを売る故買屋をしている〈おれ〉劉健一。日本人の母親を持ち、台湾人の父親を持つが故に、日本人の社会にも台湾人のコミュニティにも溶け込めません。
それでも日本語と北京語が話せ、ちゃんとした日本国籍を持つ〈おれ〉は街を案内したり、外国人では手に入れづらいものや不動産を扱えたりするので、日本で暮らす中国人から重宝がられる存在でした。
ある時、知らない女から携帯に電話がかかってきました。「王さんから紹介してもらったんです。劉さんなら力になってくれるかもしれないって」(14ページ)と。話になんだかきな臭いものを感じます。
待ち合わせ場所を決めると、自分ではそこに行かずに知り合いに尾行させて夏美というその女の正体を探らせることにした〈おれ〉は、台湾マフィアからも一目置かれる存在である楊偉民の元を訪ねました。
かつて父の縁で、楊偉民から身内のように可愛がられていた〈おれ〉でしたが、自分の身を守るために取った行動で楊偉民から怒りを買ってしまい、台湾人のコミュニティから締め出されてしまったのです。
しかし、お互いになにかと利益があるので、以前とは違ってビジネスライクな関係ではあるものの、つかず離れずの関係は続いていました。その楊偉民から〈おれ〉は思いもよらないことを聞かされます。
「呉富春が戻ってきたそうだ」
煙草を落としそうになった。胃の真ん中にでっかい石が生じて、その石の重みが下腹部にずしりとのしかかっているようだった。楊偉民は、老人を大切にしないからそうなるんだといいたげに、唇を意地悪く歪めていた。
「まだほとぼりは冷めてないだろう。元成貴が黙ってないぜ」
「あいつの考えていることなど、だれにもわからんよ。それとも、おまえならわかるのかね、健一?」
おれは黙って首を振った。頭の中がショートしそうだった。夏美という女からの電話だけでも頭が痛いというのに、富春までもがトラブルを携えて帰ってきている。さっきまで、おれは足元に大きな穴が開きかけていると感じていた。実際には、すでにその穴に落っこちてしまっているのかもしれない。(19ページ)
日本人と中国人のハーフで「半々」と嘲られる境遇だった〈おれ〉と富春は意気投合し、かつては行動を共にしていたのです。しかし、富春は人を殺して新宿から逃げ出さざるを得なくなっていたのでした。
部下を殺され、感情的にも面子的にも富春を殺さなければならない上海マフィアの大物元成貴は、〈おれ〉が富春の居場所を知っていると見て、三日以内に連れてこなければ〈おれ〉を殺すと言ったのです。
富春の居所を探しますが、なかなか見つかりません。やがて富春は元成貴の店で暴れ回り、女を探していたことが分かりました。偶然を信じない〈おれ〉は富春と夏美は、何かしらの繋がりがあると見ます。
調べていた夏美のアパートに忍び込んだ〈おれ〉は帰って来た夏美に銃を突きつけ話を聞き出しました。夏美は富春の女でしたが、別れたがらない富春を殺すために、あえて新宿へやって来たというのです。
自分を追いかけて富春が新宿へ来れば、元成貴に殺されるだろうと。
「その話のどこにおれが絡んでくるんだ?」
「元成貴って、大物なんでしょう? わたしみたいなのがのこのこ出かけていって会いたいといっても、会ってくれるわけないじゃない。で、富春があなたのことをいってたのを思いだしたの。台湾と日本の半々で、富春の元のパートナー、台湾華僑と上海マフィアに顔が利く人だって」
「顔が利くってほどじゃない。迷惑かけないかぎり見逃してもらえるってだけのことだ」
「そんなこと、わたしにわかるわけないじゃない。とにかく、わたしはその劉健一って男を利用するべきだと思ったのよ。富春を相棒にするぐらいだから、頭の方はたかが知れてるじゃない。わたしの思うように動かせるかもしれないって」
「やれやれ」(134~135ページ)
〈おれ〉は、いつ自分を殺すか分からない元成貴を牽制するために、元成貴と敵対している北京の流氓(リウマン。ごろつき連中のこと)を取りまとめている崔虎を、この件に引きずり込むことにしました。
富春をめぐって台湾のコミュニティと上海マフィア、北京の新興勢力がぶつかりあう三つ巴の構図の中を、うまく泳ぎ切ろうとする〈おれ〉は自分が生き延びるためにそれぞれを罠にかけることにします。
力をあわせて事に当たることになった夏美に〈おれ〉は、この世には法則があると言いました。世の中には、二種類の人間しかいないと。
この世の中にはカモるやつとカモられるやつの二とおりしかいないんだってことさ。自分のアイデンティティがどうだのといったことに頭を悩ますやつは一生だれかにカモられるだけだ。だからおれは悩むのをやめた。カモることに専念したんだ。(217ページ)
急ごしらえで大雑把な計画ながら、活路を見出した〈おれ〉には、二つの不安要素がありました。一つは、平気で嘘をつき、何かを隠しているらしい夏美がいつ自分を裏切るか分からず、信頼出来ないこと。
そしてもう一つは、ある意味では自分によく似ている、計算高い夏美を、〈おれ〉はどうやら愛し始めてしまっているらしいことで……。
はたして、〈おれ〉はそれぞれを罠にはめる計画をうまく実行し、自分の命を守れるのか? そして、夏美との愛の結末はいかに!?
とまあそんなお話です。この小説のもう一つの面白さは恋愛要素にあります。複雑な家庭環境で育ち、自分以外は信じず自分の身を守るためだったら、裏切りでもなんでもするのが〈おれ〉の生き方でした。
同じように複雑な環境で育った夏美もまた、そんな〈おれ〉と合わせ鏡のようにそっくりなんですね。頭の回転が速く、嘘がうまく、計算高く、自分が助かるためなら平気で他人を蹴落とすような人間です。
一緒に過ごす内に、お互いを愛し始めた〈おれ〉と夏美。しかし悲しいことに信頼したいのに、心のどこかで信頼しきれない二人なのでした。矛盾を抱え込んだ愛の形が、とても印象的な作品でもあります。
「ノワール」に興味を持った方に読んでもらいたい作品ですし、先の読めない犯罪ものが好きな方にもおすすめです。主人公は違いますが、続編が二作あるのでそちらもその内紹介したいと思っています。
ちなみに「馳星周」は、香港の俳優「周星馳(チャウ・シンチー)」からとられています。馳星周を先に知ったので、周星馳を知った時、随分似た名前の人がいるものだなあと思ってしまったものでした。
監督・脚本・主演をつとめた『少林サッカー』と『カンフーハッスル』の大ヒットで、今ではチャウ・シンチーも有名になりました。
明日はコードウェイナー・スミス『ノーストリリア』を紹介します。